どうして「スバラシキ英国園芸ノススメ」なのか

ちょっと読んで 「あんまり面白くないなぁ」 と思った方。
騙されたと思ってしばしお付き合い下さい。

7年間の英国留学中にしたためたメールは300を越えました。
そしてこれが 「尻上がり的」 に面白くなっていくのです。

当初の初々しい苦学生の姿から、徐々に英国に馴染んでいく様子は100%ノンフィクションのリアルストーリー。

「スバラシキ英国園芸ノススメ」の旅はまだ始まったばかりです。

2013年12月31日火曜日

2003年06月29日 「独りスコットランドへ」

6月も終了目前。

学校もつつがなく終了し(最終結果はまだきいていませんが)、これまで鎖につながれた犬が解き離れたかのように、6泊7日でスコットランドに遊びに行っていました。

これまでの最北到達地点は「インバネス」まででしたが、今回は最北端へ。 

DURNESSという西からJOHN O'GROAT’Sという東までをメインに道中気ままに寄り道する、というもの。

前半2日は気温も上がらず、霧雨が降り続くサエない天気でしたが、その後はまさに幸運としかいいようのない好天に恵まれ、この北の地をタンノーしたのでした。

一番の出費は何と言ってもガソリンで、普段でもバカ高い(リッター、約147円)のに辺境だけあってリッター約168円もします。

しかしこれはいかんともしがたく諦め、宿代を削りました。

とはいっても、これはこれで楽しく、なんら苦にならず安上がりでOKなのですが。

け惜しみではなく。

6泊の内4泊はキャンプ場でテント生活、2泊はテントでの寝方のコツがつかめなかったのと長時間の運転で腰が痛くなったのでホステルにといった具合で6泊しめてのお値段がザッと6600円。

現在ではテントでの快適睡眠術を体得しましたので全行程テントOK、となると一泊あたり600~1000円でどこでも行けるということです。

これは有り難い。


スコットランドのこの北の地方はいわゆるハイランド地方と言われるところで緩やかな山を想像していたのですが、それはもちろんのこと海岸には所々に白砂の「一体ここは何処??」という素晴らしいビーチが点在し、人影もまばらで一日中何もせず、ビールを飲みつつ、新聞や本を読んだりしてゴロゴロ過ごしたりしておりました。

レがしたかったんだよ、と独り頷きつつ平和なひとときでした。

中でもDURNESSという村は海岸が平和でキレイで気に入り、3日間滞在しました。

いて5キロほどの岬まで行くと紺碧の海が広がり、その岸壁には海鳥の巣が沢山あり、バードウオッチングを楽しめます。

ここには「英国本島最北部」というゴルフ場があり、夕方17:00からは割引料金なので17:00から21:40頃まで独りでバッグを担いで1.8ラウンドしました。

気取らず気さくなゴルフ場で、「正直箱」に名前を書いた封筒にプレー料金10ポンドを入れてあとは好きなだけ回るというもので、コースは最上級とは言い難いながらも景色もよく、十分楽しめました。



この辺は北緯59度(推定)、日没は22:30ながらその後24時を過ぎても薄ら明るく、そのまま4時頃には日が昇るといった具合で「準白夜」を体験しました。

にテントで風が強いながらも晴れた日は風の音で夜中に起きてテントの外を覗くと夜中なのに明るいという、「ハテ、飲みすぎたかしらん」と不安になることもシバシバ。

旅ではニュージーランド、オーストラリア、南アフリカなどから来たという人と話す機会がありましたが、皆様お国言葉(お国訛り)で時々何を言っているのかサッパリ分からなくなります。

同じ英語でもこんなに違うとはオドロキです。

英語目的で海外留学したいと考える場合は行き先の選定がとても大切な気がしました。

見かける外国のナンバープレートは例外なく「ドイツ」「オランダ」の2カ国で、普段良く見かけるフランス、イタリア、スペインのナンバーは皆無だったのも印象的でした。

南ヨーロッパの人にはやはりここは遠すぎるのでしょう。

一週間はアッという間に過ぎそうで、「そろそろ帰るか」とヨークを目指しつつ、有名庭園があれば立ち寄り、ウイスキーの蒸留場があれば見学し、美味しそうなフィッシュアンドチップス屋があれば食し、としている中で、スコットランドの東海岸を走っているとゴルフ場の看板を見つけ、値段が折り合えばと思いズカズカとキャ
ディーマスターのところに押しかけ聞きました。

それはおばさんで、「ここはヴィジターOKなの?」と聞くと「ええ、でもハンディキャップの提示をお願いしています」と言います。

「なんか敷居高そー」と少々おじけつつも、会話が途切れてはイカンと思い「ってことはハンディを証明しないと回れないんだ」というと「オフコース」と一言。

なんか高慢な態度にムッとし、また来ますとそこを離れました。

後になって、さる観光案内所で「スコットランド・ベスト20ゴルフ場」という本を立ち読みしたら、ナント「第3位」。

1位はセントアンドリュース、2位が昨年のTHE OPEN開催地ミューフィールドですから、立ち読みしつつ赤面しましたね。

様子を聞くだけとは言いつつも短パン、サンダルでキャディマスターのところに押しかけた訳ですから。

「無知とは恐るべし」と。

因みにそれでも1ラウンドが70ポンドらしいですから、日本のゴルフ場に比べればなんてことはないですネ。

更に因みに「値段が折り合えば」と僕が言ったのは「10ポンド前後」を指しており、遥かに及びませんが。

そんな訳で6泊7日でトータル2500キロを走破し、昨晩無事に帰ってまいりました。

このテントを使った安上がり英国を見て回る旅は季節が良く、学校も終わり時間が自由な今が「旬」ですので、これに留まることなく来週は出来れば「湖水地方」に繰り出すか、と思案中です。

そんな夏休みの幕開けです。

結局大家との交渉が成立し、ここヨークには7月末まで滞在することになりました。

荷造りも徐々に始めねばなりません。

解き放たれた犬のように遊び始めた一方で、冷凍庫を点検したところ、冷凍保存した「ご飯」「カレー」「マーボー豆腐」「野菜」「ひき肉」などがゴソゴソと出てきて、これを配分よろしく7月末までに処分していかないとなりません。

食費が浮いて助かりますが、なにやら「骨を埋めて大満足し、あとでそれをサッパリ忘れてしまった犬」のような気分です。

それでは、また。


添付の写真は
1.DURNESSの海
2.準白夜、24:30
3.我が寝床
デス。



2013年12月15日日曜日

2003年06月12日 「試験終了」


昨日最後の試験が終わりました。

後は来週月曜日に締め切りのレポートが一本、そして同じく月曜日に卒論(提出済)の口頭試験があり、それでめでたく終了となります。

かれこれ一ヶ月半、折角天気が良くなって遊びまわるのには良い季節になったというのに外出もせず、南向きの我が部屋は日差しが強いためカーテンを閉めきって自室に篭っておりました。

まだレポートが残っているとはいえ、気持ち的にはもはや「勝利」の域に達しており、昨日は「やっと終わった」という安堵と「よくやった」という自賛の意味をこめて一人でパブに繰り出し祝杯をあげました。

特に卒論が仕上がり、提出用に印刷、製本し、仕上がった時には内容はさておき、なんともいえない達成感がありました。

「英国における日本庭園の実際」について論じてあり、最近の英国での日本庭園ブーム(日本でのイングリッシュガーデン・ブームに似てます)を実際に英国内の10の庭園を回り、デザイン、植栽、景物の3点で比較、検証し、最終的にインタビュー、アンケートでそれを裏付けるという内容で、いわば比較文化論です。

今思えば大学時代の卒論はどっかの本を適当にツギハギ写してオシマイでしたので、今回生まれて初めて真摯に論文に取り組んだということになります。

よくやったっ。

締め切り間際は「ホントに間に合うのかっ??」とハラハラものでしたが、なんとか提出した直後、例のキューガーデンから「カリキュラム案内」が届き、それによると最終学年では「卒論」があるのを発見。

「またやんの?!」とかなりゲッソリし、ブルーな気分になったものです。

自分のことは自分が良く知っている自分が思うに、「そういやオマエ勉強嫌いだったじゃん」ということで、言い換えれば「そういえばオマエ賢くなかったじゃん」となりましょうか。

確かにこの一ヵ月半かなりストイックに打ち込んだものの、内心は「これって時間の掛け過ぎじゃない?」という疑問がどうにも払拭できずイライラしておりました。

そんなに難しいことをやっている訳じゃあないんだからもっとテキパキやって試験中だろうが生活に余裕を持たせてエンジョイしないとと思う一方、締め切りには何とか間に合うもののなかなか進捗しない現実に「オレってやはり頭悪いんだ・・・」とがっかりです。

加えて、これを言っちゃオシマイという気もしないでもないですが、「この英語の野郎、おれは日本人なんだよ」という英語を使うことに対するストレスです。

例えば卒論で頭の中に「素晴らしい構想」「うまい表現」が浮かんだとして、実際パソコンに向かうと突如小学生になってしまう訳です。

書いていながら「コレってかなり稚拙な表現だろうなぁ」と思いながら何ともならないのは相当歯痒いです。

そんな訳で生来の「勉強嫌い」に「英語力不足」が加わり、最近は「早く全部終わらないものか」と祈る日々でした。

20日には学校が終わり、30日の家の契約が終わるのに伴い引越しの準備を始めなくてはなりません。どこに引っ越すのか決めてもいないのに。

折角試験も終わり、良い季節になったのだから、もう少しゆっくりしてヨークを基点に英国北部を見て回りたいと思い、現在大家に契約を一ヶ月伸ばせないか交渉中です。

うまくいけば車にテントと寝袋を乗せ気ままにスコットランドの最果てまで行っ
てみようと計画しています。

あとは様々なイベントが盛り沢山で、「全英オープンゴルフ」「ケンブリッジ・フォークフェスティバル」あたりがメインですが、隠れたラグビーのワールドカップ「U-21ラグビー・ワールドカップ」が来週から始まるので、日本VSイングランドあたりを見に行くか、などと思っています。

因みにこれは21歳以下の代表チームのワールドカップで全然盛り上がっていませんが。

そんなところです。

最後のレポート、つまづかないように早めに仕上げ残りのヨーク生活を謳歌したいものです。

それでは、また。


2013年11月26日火曜日

2003年05月30日 「学割」



いよいよビッグなヤマ場を迎えてしまいました。来週一杯がいわゆるひとつの峠かと思われます。

卒論も一応下書きは完成し、手直しの段階でなんとかなりそうでホッとしています。

あとは試験とレポートをこなせば「お休み」ということで、「やったるぜ!」と燃えております。

そんな最中でメール書いてる場合じゃあないだろう、という感じもしないでもないのですが、気晴らしも含め一席。

今日バカ高い授業料を払いました。

って、今まで払わずにいたのかっ!?と驚かれそうですが、昨年来、円⇔英ポンドの「為替状況」があまりにも悪く、もうちょっと待ってくんない?と会計課に交渉し最終期限が5月末だったのです。

「このままバックレちゃおうか・・・」と何度思ったことか。

為替は結局好転せず、現在英国に持ちあわせているものをかき集めて払いました。

後の生活がヒヤヒヤもんですが。

そんな中、自虐的笑いを思い付き、「これは面白いっ」と思わず自らの膝を打ったのでお知らしようと思います。

面白くなくてもそれは個人の感覚の違いってことで。

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今日、授業料をいよいよ支払うべく小切手帳を握りしめて学校の会計課に赴きました。

担当のおばさんは、「やっと来たか」という表情で残金を教えてくれました。

「フムフム」と小切手に金額を書き込みながらおばさんに聞きました。

「コレって学割は無いんでしょうかね?」・・・・・・。

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どうです??

コレ自分ではかなり良いトコついるなぁーと思っていて、一人でクスッと笑っちゃったんですけど。

ダメですか?

それでは試験が終わりましたらまたお目に掛かりましょう。

2013年11月1日金曜日

2003年05月08日 「皐月」


5月。

日本ではゴールデンなウィークが終了し、当地英国ではイースターが終了し、休み気分は過去の話。

最近どうしていたかと申しますと、4月20日~25日までは例のジョンと二人でスペインはマドリッドとグラナダに遊びに行っていました。

マドリッドは極論すれば「どうでもよかった」のですが、グラナダには死ぬまでに一度は行っておきたいという夢の目的地でしたので、相当力の入った旅となりました。

何故グラナダかと申しますれば、そこには「アルハンブラ宮殿」があるからです。

思えば庭に興味を持ち出した当初より、スペインの「アルハンブラ宮殿」、オランダの「キューケンホフ公園」、フランスの「モネの庭」の3つはどうしても見たいとかねがね思い続けておりました。

この件については、追って詳しくお知らせしたいと思いますが、正直申し上げまして「感動」いたしました。

とにかく「スゲー」の連続で、ホンモノの凄さをイヤって程見せつけられた思いです。

ジョンも相変わらず色んなカタチで笑いを提供してくれ、楽しい5日間でした。

とはいってもズッと一緒に過ごしていると、そりゃカチンとくることも多々ありますが、そこは彼のお人柄って奴でしょうか、不思議な男です。







この件につきましても、これはお知らせしたら面白いのでは、というアイディアが尽きないので追ってお知らせすることとします。

何故、「追って」なのか。

それは、学業がいよいよ佳境を迎え、本格的にアップアップの状態に近づいてきたからです。

あと一ヶ月、これが正念場です。

卒論、試験、レポートと全ての課目において時期が重なるために、売れっ子漫画家の如くの忙しさとなる模様です。

そんな皐月模様を徒然なるままにお知らせすると。

例の隣村のおばあさんの庭の手入れに今日いってきました。

もし再度過少払いであった場合は「今日こそ理由を聞いてやる!!」と意気込み満々で、これまでの記録をメモにして、理論的に交渉すべく準備して乗り込みました。

今日は16:00から18:30まで。主に「芝刈り」を中心にし、支払いは正確には17.50ポンドのところ15ポンドでした。

でも、天気の良い中、気分良く働いたことと、途中紅茶をご馳走になったり、手を休めておばあさんの話相手になった部分があったので、「まあ、いいか」と。

とくに紅茶と一緒にチョコレートケーキが出たのですが、実は作業中に空腹というか血糖値がガクーンと下がったような気がして、さっぱりパワーが出ず困っていたところのケーキでしたので、値千金、「今日は許すっ!」となった訳です。

懺悔(ざんげ)としては、芝刈り機でどうやらカエルを轢いてしまったということ。

なにやら芝の陰にツヤツヤと光る物体が見えたのですが、それはカエルが悶絶していたところだったようです。

ゴメンねカエル君よ。

今日16:00から作業を開始したように、最近はイギリスとしてのベストシーズンに突入中であると言えます。

16時ではまだまだ日が高く、日没は20:30過ぎです。

しかし、ままならぬ天気は相変わらずで、この前卒論の為にスカーボロという東海岸にある「ナンチャッテ日本庭園」を見に行っていたのですが、「ウオー、こりゃあ天気も良くて、サッサと仕事を切り上げて、海岸でノンビリしちゃおう」と思っていたら、ささーっと雲が広がり激しい雨が。

木陰で雨宿りしつつ、にわか雨と分かっていながら、かなりの降りだったので、意を決して車まで約400メートルをダッシュしました。

ここで衝撃的な出来事が。

「進まない」のです。

多少登り坂だったことを割り引いても、気持ちの割に全然「遅い」のです。

気分的にはたったったーって機敏に車に向かって一直線なのですが、実際はばたばた、ぜーぜーっといった具合で「あらら、ナニこれは?ゼンゼン進んでないよー」と車内に避難をしてフト我にかえって大ショックでした。

年をとったってことでしょうか。

オレはまだまだイケる、なーんて思っていたのは錯覚だったのでしょうか。

その後、とてもブルーな気分で海岸などに寄る気も失せ帰ってきてしまったのでした。

そんな訳で5月。

学校生活は6月20日まで。

ヨークでの生活は6月30日まで。

楽しく乗り切りたいものです。

2013年10月25日金曜日

2003年04月13日 「守銭奴」



果たしてオレは守銭奴か?と悩まずにはいられないこの週末です。

今日、土曜日は例の隣村のおばあさんの庭の手入れの日です。

天気も良く、気分良く出掛け、いつもの如く芝刈り、植物の植え替え、切り戻しなど手入れ仕事をしました。

ミセス・テイラーというそのおばあさんは、「あなたの率直な意見、アイディアが聞きたい」というので、「もう少し冬に楽しめる植物を植えたらどうでしょう」などとアドバイス染みたことも話したりしました。

自分の仕事は正直に「手抜きなしの誠実仕事」と自負しています。

朝の9時半から始めて終わったのは13時近く。

最後におばあさんが、「ハイ、じゃあこれは今日の分。それとイースターが近いから、これチョコレートね」と手渡してくれましたが、そこには「TWIX」というこちらでは何処にでもあるチョコ菓子と「14ポンド」。

初日の話し合いでは「時給7ポンド」だったはず。

初めて話し合いに伺った日は約一時間半を費やし、「それじゃあ、来週からね」と言って報酬ゼロ。

「イヤ、これは世間で言うところの見積もり無料って奴だな」と納得しました。

その後これまで2回行ったときもどうも「30分切り捨て」みたいなカンジで、手取りが理不尽に少ないのです。

まあ、短時間ながら紅茶を出してくれたり、犬と遊んだりするからかな、と何とか納得しておりました。

しかし、今日はどうしたって3時間半マジメに汗を流し、ハイと14ポンドを手渡されてもね・・・・。

最低でも20ポンド、正確には24.50ポンドでは?と疑問に感じつつも、気の弱さなのか、「どうして14ポンドなんですか?」と今日も聞けませんでした。

でも、次回は絶対聞こう、もし少なかったら。

なんか、「お金の話ってどうもイヤだな」と思ってしまうのです。

そんな話をイギリス人の友人に話したら「言わなきゃダメよ」と諌められてしまいました。

気分良くやりたいじゃあないですか、お互いにね。

2013年10月21日月曜日

2003年04月11日 「サクラサク」



現在の学校が修了したらどうするのか?

これは自分にとって大いなる課題でした。

いつまでも学生身分ではおれず、帰国して庭に関する仕事を起こすことを考えてはいるものの、まだもう少し今学んでいることを揺るぎないものとすべく英国に留まりたいと考えていました。

王立植物園キュー・ガーデンをご存知でしょうか。

ロンドン郊外にある世界最大の植物園です。

ここに「キュー・ディプロマ」という園芸に関して、世界最高峰の園芸資格があります。

毎年12~3人を受け入れ、3年のコースで、1年12ヶ月の内、3ヶ月は教室での授業、残る9ヶ月は植物園内の各部署を回りながら実技を学ぶというもので、日本では認知度は低いものの、英国はもとより欧州各国、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどでは、垂涎の的でそれらの国では引く手数多の最強の資格で
す。

2001年の夏にケンブリッジからキューに派遣されて過ごした一週間の中で、ここに入れれば凄いなぁと漠然と思っていましたが、今回今後の身の振り方をつらつらと考えるに「これしかない」という決断に至り、昨年暮れに応募し、今年1月に書類選考に受かり、3月に試験と面接を受けた結果、本日合格通知の電話を貰いました。

正直言って非常に嬉しいです。

受話器を握る手は震え、電話を切った後は思わず雄叫びをあげてしまいました。

世界最高水準の園芸教育が受けれるのはいうには及ばず、ここでのヒューマン・ネットワークが今後の自分の財産になると思います。

実は園芸を取り巻く世界はとても小さく、主だったところは皆大なり小なり係わりを持っており、その係わりの中心のひとつが「キュー」なのです。

自分の中には、ある野望があり、この野望を達成するためにはこのネットワークが何にもまして必要となります。

そんな訳で、更にあと3年。コース修了時には41歳です・・・。

しかし、万事うまくいっているかというと、実はこのコース有り難いことに少々の給料が貰えるだけに、学生ビザではなく労働ビザの申請が必要で、このビザ次第です。

いうまでもなく労働ビザはかなり認可が厳しく、今は楽観は許せません。

そのときは、また別の人生を歩むべしと今は気楽に考えることにしています。

そんな訳で今日はこれから一人で祝杯をあげ喜びをかみしめる予定です。

取り急ぎご報告まで。

2013年9月28日土曜日

2003年04月08日 「4月」

さて、先週よりサマータイムに突入し時計を一時間進めた関係で日没が19:30過ぎ、とイッキにサマーになってしまいました。

とはいっても夜の最低気温はいまだにマイナス2度とかいっていますので、まだまだ油断は出来ません。

どういう訳かさわやかな好天が続いていて、こうなると俄然洗濯に力が入ります。

の際考えつくもの全て洗濯しまくって、外の洗濯ロープに午前中に乾せば夕方には「シャキーンッ!!」と仕上がっているという気分の良さ。

「おおっ、乾く、乾くぞぉっ、洗濯物ぐゎぁぁ!!」と誰かれとなく報告したくなります。

一方学校は今週から3週間のイースター休暇に突入しました。

旅行も計画していますが、前半は卒論も含め「勉学に勤しむ」こととしております。

そんな中、土、日、月と2泊3日でケンブリッジからジョンが泊りがけで遊びにきました。

彼の目的は今が最盛の「スイセン」をビデオに収めること。

ヨークという中世の趣を残す街は周囲を城壁が覆い、その城壁の斜面一面にスイセンが咲き乱れ、これはナカナカ圧巻なのですが、これを狙って彼は来ました。

予備の充電池をポケットに忍ばせ、スイセンから始まり、ヨーク大聖堂、鉄道博物館などの観光地を一通り制覇し楽しんでいったと思います。

日曜日の夜は当アパートの同居人「デイブ君」を混ぜて天ぷら(かき揚げ)を作り天丼を振る舞い、大好評。

自分も一人分だけ天ぷらを揚げるのは面倒なので滅多にしな
いのですが、久し振りに懐かしい味に触れ、大満足でした。

ジョンの床屋もしました。

彼は床屋は年に1~2回程度しか行かない主義なのですが、ヨーク駅で再会した時にはあまりのボウボウ振りに思わずこっちがひいてしまう程。



軽い気持ちで「オレが切ってやるよ」と言ったら、「ホントか?それは助かる、是非頼む」といわれ、風呂場に新聞紙を敷き詰め床屋の開催となりました。

まずは前髪を恐る恐る切ってみると、「横一文字」に揃ってしまい、「ウーン、コレは何か違うカンジ、まずいカンジ」と迷いつつも、徐々に気持ちが大胆になってきたことと、ハサミとクシの使い方のコツを掴んできたことにより、自分でも惚れ惚れする仕上がりに。


新たな自分の才能を発見しました。

ジョンもその後何度も鏡を覗き込んでは「ウーン、良いねぇ」とご満悦。

月曜日の朝食に「ホットケーキ」を作ってあげたときのこと。

普段、ちびちびと使っているメープルシロップをダバダバダバーっと景気良く振りかけているのを見て、ちょっとカチンときたのは事実。

結局、ボトルに半分以上あったハズのシロップはこの朝全てなくなってしまいました。フクザツな気分で皿を洗いつつ、「シロップは掛ける為にある」と唱え、気分を切り替えたのでした。

ジョンとヨーク大聖堂の展望台に登ると、あたりには高い建物がない為に天気次第でかなりの眺望が望めます。

吹き上げてくる冷たい風に吹かれながら、茶色のレンガの街並みや鮮やかな緑の芝などを見下ろしていると、「ヨーロッパみたい・・・」などとバカな思いが込み上げてきました。

ここはイギリス、立派なヨーロッパで、自分も旅行で訪れたときにはこういう感動があったハズなのに、普段これが当たり前だと思って暮らしていると、徐々にこういった感動が薄れてきていることに気が付いた次第です。

そう意味では、そろそろこういう生活も潮時なのかなと思ってしまいます。

ありきたりな言葉ではありますが、「初心」大切にしたいものです。

取り留めなくだらだらとなりましたが、いよいよ春本番、どうぞお元気で。

2013年9月21日土曜日

2003年03月17日 「春到来」


桜の開花予想も出て春本番でしょうか。

当地も最近はかなり春めいてきました。

春の使者、スノードロップ、クロッカスなどは既に終了し、今はスイセン、レンギョウなどが賑やかです。

日照時間もグングンと伸びてきて、今月末にはサマータイムになります。

長らく待った春到来といった趣です。

そんな中、最近アルバイト(?)を始めました。
隣村の一人暮らしのおばあさんの専属庭師です。

ある日学校の掲示板に「ガーデナー求む。2週間に1度程度。応相談。」とあり電話をして会ってみたところ、気のよさそうな庭好きのおばあさんで、先方も僕のことを気に入ってくれたようで採用となりました。

そもそも植物園を離れて学校に戻ってからというもの、座学ばかりで実技は皆無で、自分の手が自分の手とは信じ難いほどツルツル、スベスベになってしまい、これはイカンなぁと思っておりました。

かといって勉強そっちのけで、実技に励んでいる場合でもないので、程良い働き口を求めていたところだったので、これはまさに渡りに舟。

初日はおばあさんの家の台所で紅茶をすすりながら、「私の庭はこうしたいの論」をトクトクと聞かされ、更にさまざまな質問を浴びせられました。

これは質問と称して僕のことを試していたフシがありますが。

年齢のため身体はシャキシャキとは動かないながらも、庭に対する情熱はかなりのもので、その知識の豊富さにも驚かされました。

これは下手は出来んっ!と力が入ってしまいます。

庭はおよそ30~40坪くらいでしょうか。

芝生が65%以上を占め、後は花壇、そしてリンゴ、モクレンなどの木が植えてあります。

手始めに庭の芝刈りを一時間ほどしてその日はオシマイ。

時給制、日払い、現金渡し(すなわち無税)で時給7ポンド(約1300円)。

まあまあでしょうか。

というか、スゴク嬉しいです、これは。

まず、幾らかでも収入があるというのは生活するのに助かってしまうこと。

そして、これは英国で「タテバヤシ」として初めて稼いだお金であること。

植物園ではいわば一職員としてサラリーマン的収入があった訳ですが、この時給7ポンドは100%タテバヤシの責任そして労働の対価。

将来独り立ちしたらこんなカンジかぁ、と感慨もひとしおでした。


僕は犬が大好きなのですが、このおばあさんはべスという名のゴールデンレトリバーを飼っていて、彼女と仕事の合間に遊べるのも楽しみのひとつです。

このおばあさんの庭に何回通えるでしょうか。

7月に学校が終わる頃にはヨークを離れ次のステップを考えねばなりません。

それまでに、このおばあさんと一緒に出来る限りのことをして「気持ちの良い庭」にしたいものだと思います。

そして、おばあさんが将来、「ああ、あのタテバヤシってのがウチの庭を手入れしていた事もあったのよ」とご近所に自慢できるように頑張らにゃぁイカンなぁ等と勝手に思う今日この頃です。

2013年9月8日日曜日

2003年02月16日 「週末」



まだまだ寒い毎日でしょうか。

こちらも朝は霜が降りてあたりが真っ白だったりするものの、スノードロップ、クロッカスなどは既に花を咲かせ、スイセンなども土からニョキニョキと顔を出し花をつけるのも時間の問題かと思われ、春間近、いや既に春到来ともいえる風情がここそこにうかがえたりします。

最近は試験、レポートに終われ、学生らしく忙しくしています。

金曜日には「土の構成」という試験があり、20年振りに化学記号なども思い出しつつ、土の酸化、酸性化、などについてやりました。

そもそも化学は中学、高校時より大の苦手で、当時は授業中に意識を失うこともしばしばでしたが、37歳になって17歳の時と同じことを言っていられませんので必死でした。

しかも英語なので、もう丸覚えするしかなく、こんなことなら20年前にちゃんとやっとけばよかったと後悔することしきり。

当然辞書もひいてはみるものの、「Ferric=第二鉄の」「Ferrous=第一鉄の」などとなっていて、何のことやらサッパリ分からんデスので、丸覚えですが、何度も復習しているうちに、単語それぞれは置いておいて、理屈は分かった気がします。

よって試験は会心の出来でございました。
ハッハッハ。

現在は「卒論」に追われております。

卒論は最終的にはまだまだ締め切りは先なのですが、「中間報告」が今月24日で、それまでにある程度仕上げねばならず、毎日ヒーヒー言っています。

タイトルは「英国における日本庭園の実際」みたいなもので、導入部として日本庭園の歴史、日本庭園の定義などに触れるのですが、ここでも中学高校以来、日本史を振り返ったりして、頭から湯気が出そうです。

そもそも中学・高校の時から日本史は大の苦手課目で(ってオマエに得意課目はあったのか??と突っ込まれそうですが。アッ、体育!)、「イイクニ作ろう鎌倉幕府」位しか知りません。

安土桃山時代、鎌倉時代、江戸時代など名前は聞いたことがあり
ますが、何となく江戸は最近だろうなくらいのモンで、どれが先で順番はどうなってるのかも怪しいというか知らない始末。

それを英語で論じようってんですから、我ながら太てぇ野郎だ、と感心します。

まず自分で理解せねばなりませんので、本を読むわけですが、これが「英語」で、よもや日本の歴史を英語で学ぶことになろうとは。

こんなことなら中学時代マジメにやってればよかったと後悔しっ放しです。

もし自分に子供がいたら、お父さんのこの体験を伝えマジメに勉強するよう説いて教えたいものだと思います。

2月1日~9日までの1週間は、前期終了に付休みだったのですが、どこにも出掛けず、自宅もしくは学校の図書館にこもりきりで、今何とか70%の仕上がりです。

度の週末はケンブリッジから友人が2人泊まりで遊びに来るので、それまでに仕上げるべく、この週末も篭りきりで、レポートに勤しんでいるという訳です。

しかし、昨日からラグビーの6カ国対抗戦が始まり、その初日ということで13:30から「イタリア対ウエールズ」、16:00から「イングランド対フランス」のTV中継があり、リビングのソファをTV前にレイアウトし直し、ビール、ポテトチップスなどをふんだんに準備し、一人で大いに盛り上がってしまいました。

息抜きも必要だ、ウムウム・・・と。

そして、今日日曜日は「やるぞ、やるぞ、仕上げるぞっ」と朝も早くから起き上がり机に向かうも、行き詰まるとこうやってメールなんか書いちゃったりする訳です。

オッ、そろそろレポートの世界に戻らねばなりませぬ。

ニースに行ったり、ジョンと遊んだり、「遊び」の部分を主体にお知らせしておりましたが、本業はかくの如く勤勉な学生であることを謹んでご報告申し上げる次第です。

写真は格闘中の散らかってる自室。

これは資料と、レポート構成・進行を管理している紙を床に広げているところで、計算された配置と申せましょう。

2013年8月30日金曜日

2003年01月19日 「ニース」



銀行員だったときのこと。

とある会社にて、経理担当部長と話をしている最中に、競合銀行の若い担当者が来て鉢合わせになったことがあります。

彼の差し出した名刺の名前の上に「中小企業診断士」とタイトルがついていました。

「若いのにやるじゃないの」(当時の自分も十分若かったとは思いますが)という敬意と、「カッコええじゃあないの」という単純な感情が沸き、「あんなお子様みたいなのが取れる資格なら、オレも取っちゃおうじゃあないの」と意気込んで、早速通信教育を申し込んだものの、思ったより手強いのと、スグに飽きがきて毎月届く教本は封すら開けずに埃をかぶる結末を迎えたのでした・・・・。

さて、この度週末を利用して先週の土曜日から火曜日まで南フランスはニースに3泊4日で一人旅をきめてまいりました。

特に目的があったわけではなく、たまたま格安航空券を見つけたので、ショボいイギリスの天気から開放されて気分転換が出来れば、という軽い気持ちで出掛けました。

ニースとはいっても「貧乏旅行」ですので宿泊はモチロン「ユースホステル」です。

因みに一泊朝食付で13ユーロ。

そこで上智大の学生に出会ったのが今回の旅の収穫だったと申せましょう。

夜、食堂でフランス人とフランス語をペラペラと喋る東洋人の若者を目にしましたが、よもや彼が日本人とはつゆ知らず。

後で話を聴くと「大学の一般教養でフランス語をとり、興味があった」「かれこれフランスを放浪して一ヶ月で脳は完全にフランス化している」とのこと。

そんなんで喋れちゃうモンなの?って感じでしたが。

大学2年を終えたところで、一年休学して英国のニューカッスル大に私費留学し、これから帰るのだとか。

その話と彼のフランス語を聴いて、「若いのにやるじゃないの」という敬意と、「カッコええじゃあないの」という単純な感情が沸き、「あんなお子様みたいなのが、そんな短期間で喋れるんだったら、オレも喋っちゃおうじゃあないの」と意気込んでヨークに戻り、イの一番に学校の図書館に行き、「BREAKTHROUGH FRENCH」とかいうテープ3巻付の教材を借りてきて早速勉強を開始。

オレはやるっ!!と今のところはモチベーションはかなり高いですが、どうなりますやら。

そんなフランス語やるくらいなら、花の名前のひとつでも覚えろって感じでしょうか。

でも、ヨーロッパの非英語圏に行くといつも思うのは「ああ、喋れたらなぁ」ということですので、フランス語で少しでも意思疎通できればスイス、カナダなんかでもいいでしょうし、同じラテン語圏という意味ではスペイン語、イタリア語あたりにも応用が利くのでは?と思うのですが、どうでしょう。

さて、話を戻すと、ニースはアルファベットで綴ると「NICE」、ナイスも「NICE」で、じゃあ「ニースはナイスなところか?」というと、自分の答えとしては「まあナイス」です。

基本的に高級リゾート地ですので、「お金があればもっと楽しい」とは思いますが、お金がなくてもそれなりに楽しめました。

まず、なんと言っても「天気が良い」(良かった)。

滞在中は一片の雲もなく晴れ渡り、常に鬱陶しい天気の英国から逃げて来た甲斐が大いにありました。

海はいかにも地中海といった感じで、ラムネのびんのような色をしており、マチスやシャガールの絵画が生まれるのもつくづく頷けるのでした。

レストランといえばパスタ、ピザがメインでフランス料理というよりはイタリア料理的でしたが、嬉しいことに安くてウマイのはナイスでした。

その他に気が付いたことといえば

①犬好きは英国人以上とみた。レストラン、バス、電車、店・・・どこにでも出入り可能のようで、混み合ったバスの中で大きなジャーマンシェパードが座席ひとつ分を占領していたのには、感心(?)した。
その代わり、街の中は犬のフンだらけ。

②女性は概してオシャレ。
特に目に付いたのは「毛皮」をまとった女性が多いこと。
最近は動物愛護の観点からも着る人が減ったとは思うが、ここはさながら毛皮ファッションショー。

③街のいたるところにカフェがあり、フランスなので皆「カフェオレ」なのかと思いきや、ほとんど皆といっていいほど「エスプレッソ」だったのは意外。
などなど。

そう!最後に事件が。

インフルエンザで年を越してしまったせいか、今年のワタクシ、どうやら一筋縄ではいかないようデス。

3日目の朝。外出するについては荷物が嵩張るので、パンツ、靴下、ズボン、ティーシャツといった着替えを大きなナイロンの袋にいれて、それをベッドの上に置いて出掛けました。

別に貴重品でもないし、そんな他人のパンツなぞ盗るやつはいないだろう、とタカをくくってイザ街へ繰り出しました。

戻ったのが遅かったため、部屋は既に消灯され他の約5人はイビキ・寝息をたてて寝ていました。

電気をつけるのも悪いなと思い、脱ぐものだけ脱いでサササ、とベットに滑り込みました。

翌朝起きて「さあ、シャワーでも浴びて着替えっか」とナイロンの袋をたぐり寄せると、妙に袋が小っちゃくなっちゃってます。

中を慌てて見ると、ズボンとティーシャツがありません。

「あらー、やられちゃったよぉ」とガックリきましたが(というかむしろそんな切羽詰った奴がいるのか、とそっちの方がオドロキでした)そんな置いとくほうが悪いと自分を戒め、朝食をとりに食堂へ。

脱力しつつ食事をしていると、目の前を通り過ぎて隣のテーブルに座ったイタリア人が「スゴーク似ている」ズボンを穿いています

「あらっ、ひょっとしてあれ、オレんじゃぁない?」と思い目を凝らしてはみるものの、「そんな取ったものを取った本人の前で穿かないだろう。いくらなんでも・・・」
「イカン、イカン。人を疑うのは。無くなったのは自分が悪いんだから」と忘れることに。

食事を終え部屋に戻る際に、これまた偶然にそのイタリア人が自分の前を階段を上っていきます。

そのズボンの裾を見て「!!」。

それは自分が裾上げしてもらったときの縫い目に他ならなかったのです。

いきなり喧嘩腰ってのもいただけない、と思いここはひとつ大人に。

笑顔で「あのサ、そのズボンサ、君のかな?ボクのだと思うんだけど。どうしたのそれ?」と聞くとイタリア語で色々言い訳を始めましたが、表情は「しまったっ」というのがアリアリ。

お互い言葉が通じず押し問答しても埒があかず、管理人を呼ぶためにその場を離れ、管理人と戻るとそのイタリア人は既にズボンを履き替え、僕の部屋にそれまで着ていた僕のズボンを投げ込んでありました。

管理人にティーシャツもあるはずだ、といって彼の部屋に入るとワタクシの愛しいティーシャツが棚の上に。

管理人は彼に「出て行ってくれ。警察を呼ぶぞ。」と言い渡し、一件落着となったのでした。

最初は笑顔での交渉でしたが、話しているうちに興奮してきて悪口雑言が出るわ出るわ。

しかも全て英語でですので、自分の語彙の豊富さに我ながら感心したのでした。

コレ、明らかに映画・TVの見すぎです。

次はフランス語で、などと夢は膨らみます。

そんなニースな旅でした。

(追伸)
ご心配かけましたインフルエンザですが、現在95%の回復で、思いのほかシツコクて驚いています。
相変わらず右耳が聞こえないのですが、医者に相談したところほっとけば治るとのこと。
病名は「Secretory otitis medial」と言われさっぱり分からなかったのでインターネットで調べたところ滲出性中耳炎だそうです。
インターネットって便利ですね。

2013年8月22日木曜日

2003年01月04日 ブルーな年明け


新年あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

さて、今回は少々長いですがお正月休みの暇つぶしに読んでいただければ幸いです。

「一年の計は元旦にアリ」てなことを申しますが、そうだとしますとこの一年、先が思いやられる波乱の幕開けの予感です。

今回の年末年始の身分は「100%学生」でしたので、与えられた2週間のクリスマス休暇、半分は遊んだとして、半分は勉強。

その遊びの部分はヨークに独りでいてもつまらないので、ケンブリッジ界隈の友人宅をクリスマス・イブから泊まり歩き、仕上げは毎年恒例の植物園内で気のおけない仲間たちと焚き火、BBQ、とし、元旦早々元気にヨークに戻ってくる、という計画でした。

しかしそこは一筋縄ではいかない、ままならない人生。


12月24日(火)
クリスマス・イブ。昼過ぎに約一週間分の着替え、寝袋などを車にのせ、一路ケンブ リッジを目指す。

曇天ながら気分が良く、快適な2時間半のドライブ。

かつての住まい「GWYDIR STREET」のビル君を訪ね、そのまま二人でパブへ繰り出す。

閉店時間まで4件ハシゴす。夜は寝袋に包まりビル君の部屋の床で。

12月25日(水)
クリスマス。ビル君と二人で、約50キロ離れたセント・オーバンズという街に住むビル君のお姉さん(リズ)の家を目指す。

リズの家にはビル君のご両親も既に到着し> ていて、お母さん(スーザン)はリズと二人でクリスマスのご馳走作りで忙しい。
 
お父さん(ジョージ)とビルと僕の3人で料理が出来るまでの間近所のパブで軽くやる。

夕方近く、ビル君家族に混ぜてもらいクリスマス・ディナー。

七面鳥、温野菜、ソーセージなどで満腹のあと、これでもかこれでもか、と大味のデザートがでてきて、もはや限界に近い。

恒例のクリスマス・プレゼント交換。

大したものではないが、大袈裟な包装を皆お構いなしにビリビリと破いて大騒ぎ。

僕は本3冊、皮の作業用手袋などもらう。
感謝。

夜は皆でTVを見て過ごす。
就寝はご両親はリズのベッド、リズはソファ、ビルと僕は寝袋で床に雑魚寝。

12月26日(木)
ボクシング・デー。

今日はビル家族に別れを告げ、サフォーク州に住む植物園で気の合ったデイブという高木・潅木セクションのリーダーの実家に向かう。

相当な田舎で、地図では容易に見つけられても、実際にはてこずる。

しかし、築200年という典型的サフォークの田舎の家は茅葺で家の中には味わいのある木の梁がめぐり、実に「良いお宅」。

初めて会うデイブのご両親、デイブの2人のお兄さんとその奥さん、あるいは彼女。

皆温かく、実に居心地良く過ごさせてもらう。

ここでもクリスマス・ディナーをご馳走になり、またしても超甘のクリスマスケーキをたらふく平らげる。

食後は皆で「ジェスチャー・ゲーム」などの古典的かつ家庭的ゲームで盛り上がる。 

夜は翌日仕事があるデイブ希望でケンブリッジ市内のデイブのお兄さん宅泊。

12月27日(金)
朝デイブを乗せ、植物園へ。

クリスマス期間のため通常より大幅に少ないメンバーながらも懐かしい面々に再会。

作業を手伝うか?といわれその気になるが、実は朝起きてから少々具合が優れない。

やんわりと断り、少々横になろうにも、植物園のソファは猫が愛用しているらしく、猫の毛だらけで「猫アレルギー」の僕としてはとても横になれない。

仕方なく、本を読んだりして安静にはしているものの「しんどさ」はつのっていく。

金曜のため15:30に仕事が終わり、今日の宿泊先であるケイトの家に彼女と向かう途中、デイブと遭遇しパブで軽く一杯、となる。

が、一杯では到底終わらず次、次、次・・・と結局16:00から22:00過ぎまで飲み続け、仕上げにインド料理屋にいくという、よろしからぬパターンへ。

この時点でデイブも家に帰ることを断念し、僕共々ケイトの家に。

家に着いたあともケイトはウィスキーのビンを取り出し勢いは止まらない。

僕は体調の限界を感じ、01:00に就寝。

二人は03:00過ぎまで飲みボトルを空けた模様。

12月28日(土)
本格的に体調不良。
のどが痛み、咳少々。

朝、元気なのはケイトのみで、デイブも風邪をひいたといって口数が少ない。

今日の午後は僕とデイブはやはり植物園の仲間、マークとヴィッキーの家に夕食に招待されている。

這ってでも行かねば。

デイブは一旦帰って体調を整えるといっていなくなる。

ケイトは街に買い物に行くというので、「14:00まで寝せてくれ」と頼み、誰もいない家でひたすら眠り、体調回復に努める。

14:00何とか起きて、ジョンを車で拾い、マークの家に。

今日の趣旨はマークが手作り料理をご馳走してくれるというもの。

空いた時間はジョンのビデオコレクションのお披露目会。

後からきたデイブもやはりかなり体調が悪そうで、風邪でトーンの低い僕とデイブ、ビデオの見せられすぎでトーンの低いマークとヴィッキーをよそに一人ハッピー独走態勢のジョン。

折角のご馳走ではあったが味わう余裕無し。

夜はマークとヴィッキーは二人の愛の寝室へ。

僕とジョンはそれぞれ寝袋に包まりひたすら眠る。

12月29日(日)
起きた時点で「かなり熱がある」ことを自覚。

なんとしても大晦日の焚き火には参加したいが、このままあと2日間休まらずに宙ぶらりん状態で乗り切るのは得策とは思えず、思い切って一旦ヨークに帰ることを決断。

ここで事故を起こしたのでは悲しすぎると、思いっきりの慎重運転で15:00になんとか無事に帰着。

自宅近くのスーパーを通りかかった際、「チョット待てよ」と立ち寄る。

冷蔵庫はカラなのを思い出す。

取り敢えず何日寝込むか分からず、かつ同居人は暫く誰もいないので、卵、牛乳、鶏肉、玉ねぎ、パン、ヨーグルト、ジュース、グレープフルーツ少々を無意識に買う。
空腹ではあったがシンド過ぎ、そのまま眠る。

12月30日(月)
とにかく鼻水が止まらず、夜中にも寝汗と鼻水で何度も起きる。

ティーシャツを何枚も替える。

洟のかみすぎか、右耳の聴力がほぼ失われ、かつ猛烈に痛む。

あまりの痛さに腰痛の時にと医者からもらった痛み止めを服用。

キリキリとした痛みはかなりのもので、思わず枕が涙で濡れてしまう。

そんな夜を過ごした朝だけに、「今日は医者に行く」と決心も固い。

昼にかつて登録してあった医院へ。

(英国では自分の登録医に診てもらうことになっており、一旦ケンブリッジに再登録した僕は、ヨークで改めてどこかに登録しなくてはならなかったのだが、これを普段健康なのを良いことに怠っていた)事情を説明して、登録をしたいというと「どうぞ」とスンナリと。

書類記入後、「今日診察して欲しいんだけど」というと、受付嬢は「明日の16:00しか空いてませんねぇ」とつれない返事。

ムッとしながらも、そうなんだからしょうがない、と諦め近所の薬局だ け紹介してもらい、「鼻水止め」の薬を買って帰り、眠る。

しかし、この午後の眠りの時点から事態が猛烈に悪化。

体温がグングンと上がっていく。

体温計が無いため、いったい何度体温があるのか計りようがないが、恐らく40度を超えたのではないだろうか。

熱がスゴイくせに寒気を感じガタガタと震えながら湯たんぽを胸に抱え、更に汗をかく。

とにかくこのままではヤバイ、と善後策をモーローとした頭で考える。

ああでもない、こうでもない、と考えた挙句、「救急車を呼う・・・」となる。

しかし、このまま担ぎ出されて入院などしたら、着替えは?歯ブラシは?戸締まりは?などと気になり始め着替えなどをリュックに詰めたりしている間に多少意識がハッキリしてきて、ビル君に電話で相談する。

医院に交渉して今日見てもらうのがいいでは?との冷静なご意見。

肝心の医院の電話番号が分からず、電話帳をめくるもとてもそんな細かい字、しかも英語を読む気力もなく、取り敢えず車に乗りその医院を目指す。

17:30、ヨカッタまだ開いている!!受付嬢に事情を説明しなんとか診てくれと懇願す。

が、むべもなく「無理です、明日来て下さい」とのこと。

ニャロー、という気持ちを抑え「それはご親切にどうも」と返すのが精一杯。

もめる元気も無い。

昼寄った薬局に再度寄り、「この熱を下げる薬をくれ」と解熱剤を手に入れほうほうのテイで自宅に戻り薬をのみ意識を失うが如く眠る。

12月31日(火)
大晦日。

夜中に相変わらず大汗をかいて何度も起きる。

が、解熱剤の作用か、昨日ほどの生命の危険は感じない。

熱のためか、薬のせいか頭がボーとして頭痛がする。

食欲がある気がしたので、まめまめしくご飯を炊いて半分は冷凍保存して、半分はおかゆにして梅干と食す。

味覚が狂っていて美味いのか、なんなのか分からない。

取り敢えずグレープフルーツを剥いてヨーグルトと食べたのは冷たくて美味しかった。

16:00、医者の予約の時間。

ニャロ、昨日の俺はもっともっと辛かったのだ!と主張。

分かりきったことだが「インフルエンザです」との診断。

「1週間で50%、2週間でやっと90%の回復でしょうかねぇ」と有難いんだか、そうじゃないんだか分からない診断で総所要時間8分。

8分だったら昨日楽勝で捻出できたんじゃないの?とその医院に対して大いなる不信を抱き、帰宅。

まだまだ、辛く、そのまま朝まで眠る。

1月1日(水)
世間は元旦。

しかしそれどころではない。

相変わらず汗をかき、洟をかみ、咳をし、身体の節々が痛む。

薬を服用し、湯たんぽを抱えひたすら眠る。

1月2日(木)
峠はどうやら越えた気がする。

しかし薬で押さえつけたものなのか、自己治癒なのか判断がつかず、恐る恐る薬をやめてみる。

夕方、空腹を感じ、この前のご飯を解凍し「とり雑炊」を作り食べる。

イケル。

1月3日(金)
朝、まずまずの目覚め。

相変わらずモーローとはしているが、これは寝込んでいたためと、今日から意識して「起きる生活へ」。

そういえば、夜中に眠たいのに胸がゾワゾワーとしてしばらく寝付けなかったことを思い出し、これを自分なりに「カルシウム不足」と判断。

一週間それらしきものを摂取していないことに気づき慌ててホット・ミルクをたて続けに2杯飲む。

単純。

自分の部屋は一週間換気もせず寝込んだためか「病の臭い」が充満していることに気づき、大々的に換気を行う。

外気の寒さが心地良い。

取り替えまくったティーシャツはもはや在庫が尽き、寝汗まみれのシーツ共々洗濯機へ。

一週間ぶりにシャワーを浴びる。

生きてこのシャワーを浴びれた感激に浸りつつ。(ちょっと大袈裟か)

よしっ!3日遅れたが2003年も元気に過ごすゾ。と遅ればせながらパワーが甦ってくる。

右耳が相変わらず遠いのが気になるが。

ヨシャッと無意味に何度も気合を入れる・・・・



2013年7月31日水曜日

2002年12月23日 「クリスマス」



金曜日にて学校は終了し、めでたく2週間のクリスマス休暇に突入しました。

街はクリスマスで浮かれ、プレゼントを買う人、食料を買う人、食事をする人などでごったがえし年間を通じで一番活気に溢れている気がします。

金曜日は僕も街に繰り出し、映画「ロード・オブ・ザ・リングス」を見て、ついでにブラブラしてクリスマス気分を味わってきました。
(あまのじゃくなので、ハリーポッターは絶対に見ないと決めております)

めでたいこと。

それは冬至が過ぎ、これからは日が徐々に長くなる方向に向かうことです。

日の出08:30、日の入15:40と7時間少々の日照時間でした。
これが更に北、シェトランド諸島に至っては日の出09:08、日の入14:58だったそうで、これは憂鬱な気分になります。

土曜日にはケンブリッジからビル君そしてその友人のスコットとその彼女アンの3人が遊びに来てくれ、久々にとことん飲みました。

彼らが到着したのは14時頃で、着くやいなや、荷物を僕の部屋に置き、「さあ、パブに行こう。オススメに連れて行ってくれ」といわれ、14時からパブが閉店する23時過ぎまで、はしごを計4軒、ビールを計11パイント(1パイント=0.57リットル)を飲み、仕上げに深夜営業のインド料理を食べ、自宅に戻ったのは深夜1時を回っていました。

僕は3軒目でかなりツラくなり、トイレで3回も吐いてしまいましたが、それでもメゲずに飲みつづけ、このツアーを成し遂げました。
ビルも珍しく、「きた」ようで、視点が定まらず、寄り目でフラフラしていました。

スコットは身長190センチ体重110キロ程の巨漢で、あまり堪えていない様子で、終始楽しげに飲み続け、その彼女も僕らと全く同じペースで飲み、顔色一つ変え ずニコニコしていたのには「底力」の違いを見せつけられた感じで、おそるべしっ、この巨漢カップル!!といった感じでした。

(因みにアンも170センチくらいで体重は僕よりあると思います)

自宅に戻り、スコットとアンはリビングの床に、ビルは僕の部屋の床に、それぞれ寝袋に包まり、眠りました。

この寝袋持参型のお泊りは、こちらではもはや常識化しているようで、女性のアンも いるから宿でも取ったほうが良いのか?というのは全くの杞憂で、ちゃっちゃっと服を脱ぎ寝袋に滑り込み、僕が大丈夫かしらん、と様子を伺いに行ったときには寝る体制万全でした。

かく言う僕もクリスマス・イブから元旦までは「寝袋」を抱えてケンブリッジの友人宅を泊まり歩く予定です。

「寝袋」、必需品と申せましょう。

他の3人の同居人たちも帰省し、今晩からは僕の城と化し、見たいTV番組を気兼ねなくノンビリと見ることができそうです。

TVは日本の正月ほどではないにせよ、通常とは異なる編成で、映画主体に特番が組まれており、独りでもあまり淋し思いをしなくても良いようになっております。

独りの「城」といえば!

今晩、明晩と、「奥飛騨温泉につかる」予定です。

これは温存していた「カネボウ 薬用入浴剤 旅の宿 にごり湯 奥飛騨」を使って存分に温泉気分を味わおうという壮大な計画。
普段はバス・トイレと同じ場所にあるため長湯などはナカナカしづらいのに加え、やはり何処か気を使うものですが、今回は誰もいないわけで、まさに「心底リラックス」するにはもってこいの大チャンスです。

「うーーっ」とか「あーーっ」とかせいぜい声をあげながら長湯をするつもりです。

今日は飲む気になれませんが(さすがに二日酔です)、明日であれば風呂につかりながらビールでも飲んじゃったりして、と楽しみは尽きません。

そんなクリスマス直前の模様をヨークからお伝えいたしました。