どうして「スバラシキ英国園芸ノススメ」なのか

ちょっと読んで 「あんまり面白くないなぁ」 と思った方。
騙されたと思ってしばしお付き合い下さい。

7年間の英国留学中にしたためたメールは300を越えました。
そしてこれが 「尻上がり的」 に面白くなっていくのです。

当初の初々しい苦学生の姿から、徐々に英国に馴染んでいく様子は100%ノンフィクションのリアルストーリー。

「スバラシキ英国園芸ノススメ」の旅はまだ始まったばかりです。

2015年6月10日水曜日

2004年08月21日 「5周年」


残暑お見舞い申し上げます。

日本はオリンピックのメダルラッシュに沸いている頃でしょうか。

ワタクシは現在テレビを所有していないため、インターネットの新聞上で「北島金2個め!」とか「長嶋ジャパン、格下の豪に敗れる!」てな記事を読んで結果だけは知っている、程度です。

いかんせん映像を見ていないことと、周りで騒いで盛り上がる人がいないことなどもあって、静かなものです。

それでも今回の卓球の福原愛のコメントにはシビレました。
「オリンピックは楽しめましたか?」
「別に楽しむために来たわけじゃあないですから・・・」
カッコいいですねぇ。

「イギリス生活は楽しめましたか?」
と仮に、帰国した暁に誰かに聞かれたとして
「別に楽しむために行っていた訳ではありませんので・・・」
などと応えたらキマる、でしょうか、それともイヤミな奴と嫌われるでしょうか。

嫌われそうなので「ええ、それなりに・・・」程度にしておこうかなと思います。

それなりどころか、相当楽しんじゃっている気もしなくもないですが・・・。

でも当初日本を旅立つときはホントそれくらいの覚悟でおりました。

「死んだ気で勉強するのダ」と気合を入れつつ、荷造りの際「ウーム、ゴルフバックはどうしようか・・・。

本場のゴルフコースってものもたまの息抜きには回ってみたい気もするし、イヤイヤ、ゴルフなんてする余裕は時間的にも、金銭的にも無いハズ。

遊びに行くわけじゃぁないんだから」などと一人であれこれ思案した挙句、ヒースロー空港に降り立ったときにはしっかりゴルフバックを右手に持っておりました。

因みに左手にはラジカセ、リュックの中にはラグビーのスパイクといった具合でしたので、我ながら言ってることとやってることが違うのには呆れてしまいます。

そんな青雲の志をして成田を飛び立ったのが1999年の8月20日でした。

すなわち昨日、丸5年が経ったわけで、この8月20日というのは自分にとってちょっと特別な日なのです。

まずは一年のコースをとる。で、その後はなんとかなる。

と全く深く考えずに出発し、当然にして翌年コース修了後に即帰国というケースも大いにあり得た訳ですが、こうやって薄氷を踏みながらここまで来てしまいました。

そして、現在のキュー・ディプロマ修了まであと2年。

改めて人生は筋書きのないドラマよのー、と腕組をしつつ頷いたりしてしまいます。

まあ、基本線は「楽しく」「健康に」ですので、それが満たされている自分は幸せと申せましょう。

現在試験も終わり、9月半ばまでは夏休みムードでリラックスできて大変ヨロシイです。

試験は結果が出て、全体的には満足のいくものでしたが、科目によっては「あんなにやったのに、この点数かぁ」と溜息がでるものもあり、一方で「あいつ試験前に大してやっていなかったのに、こんなに出来ちゃうのかぁ」と底力の違いを見せつけられたりで、初心に戻って残りの2年は死に物狂いで学ばにゃぁイカンと思っております。

昨年ヨークからキューに引っ越す際に、またまた「ハテ、このゴルフバッグはどうしよう?キューの3年間は厳しいと聞くし、ゴルフどころじゃあないだろう」と、ケンブリッジの友人宅の屋根裏に預けてきたのです。

ワタクシという人間は懲りない性格のようです。

そんな訳で日本出発の際34歳の青年は現在39歳の中年となり日々勉学に励んでおりますことをご報告申し上げます。

それでは、また。
タテバヤシ

追伸)
日本を発ったのは確かに8月20日。
しかしヒースローに着いたのは9月6日。

何故か?

マルコポーロ、もしくは大航海時代でもあるまいに、イギリスまでなんで17日間も掛かるのか?

答は、シンガポール航空を使い、シンガポール経由にした結果、シンガポールで2週間ちょっと羽を伸ばしてしまったからでした。

うっうっ、青雲の志は・・・・