どうして「スバラシキ英国園芸ノススメ」なのか

ちょっと読んで 「あんまり面白くないなぁ」 と思った方。
騙されたと思ってしばしお付き合い下さい。

7年間の英国留学中にしたためたメールは300を越えました。
そしてこれが 「尻上がり的」 に面白くなっていくのです。

当初の初々しい苦学生の姿から、徐々に英国に馴染んでいく様子は100%ノンフィクションのリアルストーリー。

「スバラシキ英国園芸ノススメ」の旅はまだ始まったばかりです。

2011年9月30日金曜日

2000年10月05日 「近況 ベーシック編」


早いものでもう10月です。

当地での生活も1ヵ月が過ぎ、ようやくどうにか軌道にのってきたように思います。

ケンブリッジ大学植物園はケンブリッジの街の中心からほど近くに位置し、広さはおよそ16ヘクタール。
そこに温室、ロックガーデン、テーマ別花壇、森などがあります。

僕はここでトレーニーとして高山植物、研究用植物、高木・潅木、温室植物、草本といったそれぞれのセクションを4週間ごとに転々としながら実際にそれらの手入れ、世話をしながら実技を通して園芸全般を学んでいきます。

現在は高山植物とロックガーデンの担当で、毎日水をやり、球根類の鉢替えをし、ディスプレイの変更といったことをしています。

その中にさまざまなタイプのシクラメンがあるのですが、原種のそれは花屋の店先にならぶ大柄なそれとはことなり淡いピンクのとても小さなものが多く、柄にもなく「カワイイなぁ、これ。」とつぶやきながら水をやっている自分がいます。


通常は朝8:00始業、16:45終業で、ティータイムといって休憩が午前と午後にそれぞれ1回ずつ、そして一時間のランチタイムがあります。

パターンとしては日本での植木屋修業のときと似ています。

植木屋のときは明けても暮れても缶コーヒーでしたが、こちらでは明けても暮れても紅茶です。

皆朝食を皆とってこないのか、朝10時のティータイムにはサンドイッチ、バナナ、リンゴ、チョコレートなどまぁ良くお召し上がりになります。
午後のティータイムにも巨大なキャラメルをかじっていたりして、これが習慣として身に付いたらスゴイ体型になってしまうのではないかと不安です。

僕は朝型なので5時頃には起床し、コーヒーを飲みつつインターネットでニュースをながめ、シャワーを浴びてお弁当を作って朝食をとって7:40に家をでます。

植物園までは自転車で10分。
帰りは残業などは一切なく、夕食の買物をしたりして家に戻るとシャワーを浴びてビールを飲みつつ夕食をこしらえ、寝るまでは勉強したりテレビを観たりといった生活パターンです。

残業はないと言いましたが、本当にみんなドライで終業である16:45に跡形もなく消え去っています。

日中の作業では軍手のように手袋をしている人があまりいないため、僕もならって素手で作業をして、家では食器洗いなどの水仕事でガサガサ荒れ放題の手になってきました。

手は専用のブラシで一生懸命洗っているのですが、汚れが落ちるのには限界があるようです。
でも料理を終えた後は手がその前よりもキレイになっているのを見て、この汚れはいわゆる隠し味になったのだなと理解するようにしています。

そんなところが最近のベーシックな生活の様子です。
秋本番、良い季節かと思います。

どうぞお元気で。



2011年9月19日月曜日

2000年10月10日 「もうヒヤヒヤ」


お蔭様で電話は通じるようになり、メールも送れ、テレビも見られるといったモダンな文明生活に突入しました。

自分専用の電話回線を引いたのをいいことにメールの設定はそのままに、インターネットのみ最近こちらで流行りの無料プロバイダ「フリーサーブ」をインストールすることにしました。

電気屋の店頭に置いてあった無料CD-ROMを使ってインストールを試みたのですがうまくいきません。

無理にこのフリーサーブを使う必要はないので諦めたところ、デスクトップは全てフリーサーブに入れ替わってしまっています。

うろたえました。

何故ならそれは手続きが完了できていないので使えず、従来のプロバイダもそれが邪魔しているようで使えない、とういうことで何も使えない状態になってしまったからです。

相当焦って考えられる全ての方法を試し、挙句に日本のソニーのカスタマーセンターに国際電話しても解決しませんでした。

残る手段はフリーサーブへ問い合わせること。
こんな込み入った内容を電話でしかも英語で相手に伝え、さらにそれに対する英語で話される解決法を正しく理解するというのは至難の業と思われ電話する前から諦めモードでした。
想像力と集中力を総動員したものの問題解決には至らず「ううっ。せっかく全ての環境が整ったってのに・・・。」と相当へこんでしまいました。

最終的にはこの無料CD-ROMを配っていた電気屋の開店と同時にパソコンを持参し「この店で一番パソコンに詳しい人と話がしたい。」と頼んで出てきたお兄さんに経緯を説明し、泣きついてどうにか復旧できたというわけです。

荒療治としてパソコンの中身を初期化するという手はありましたが、これまでの記録が全て吹っ飛んでしまいますので、それだけはなんとか避けたいと必死でした。
メール、インターネットなど便利ではありますが、繋がなければパソコンはただの箱だってことがこの一ヶ月身にしみて理解できました。

さてさて早くも10月。

良い季節ですね。
こちらでは早くも落葉樹は紅葉し始めて落ち葉が目立つようになってきました。

どうぞお元気で。

2011年9月14日水曜日

2000年09月30日 「立腹」



中学生だったころインドのボンベイに暮らしていました。

そのとき家のエアコンが動かなくなり父親が電気屋に修理を依頼したものの約束の時間はおろか約束の日に現れずかなり憤慨していたことを思い出します。
そんないい加減なことはインドというノンビリしたノープロブレムな国だからだろうと思っていました。

そしてケンブリッジに引越してきて、先進文明国であろうこの国でアパートに電話回線を開通させるという単純なことが全くはかどらない事態にほとほと疲れてしまいました。
堪忍袋の緒が切れそうですが、切ったら電話回線は永遠に繋がりません。

そもそも電話会社に依頼をする時点ですでに怪しかったのです。
大家から教えてもらった電話番号は「順番にお繋ぎしますのでそのままお待ちください。」と無味乾燥なテープが繰り返し流れるだけで、実際に繋がるまで延々20分以上待たねばなりません。

全然「少々のお待ち」ではありません。
当たり前ながら家に電話回線がないのでこの依頼の電話は公衆電話からしていて、その20分の待ち時間の間コトッコトッと小銭が落ちていきます。
かなりの小銭を用意しておかねばならず、順番を待つ間に小銭が尽きてまた最初から並びなおさねばならないこともしばしばでした。

どうにか申し込みまでこぎつけたものの、後日手紙で工事の日程をこちらの予定も顧みず一方的に水曜日の朝8時から11時の間にうかがいますといってきました。
平日は植物園優先ですので、工事の日程をずらしてもらう交渉をするのにまた20分テープを聞いてやっとの思いで土曜日の14時から17時の間という変更をとりつけて楽しみに待っていました。

待っている間に新しいアパートの住人であるケンブリッジ大学博士課程在学中のデイブ君が引越しの挨拶にきました。

「電話会社を待ってるんだ」と彼に言うと「気をつけたほうがいいよ。やつらにこの前すっぽかされたよ。」とイヤなことを言います。

まぁ大丈夫だろうと前向きに考えて、その間に洗濯をしたり、部屋の掃除をしたりして彼らを待ちましたが一向に現れません。
ついに約束の17時を過ぎて「ダメだこりゃ。まったく腹立つ!」と諦めた頃にはすでに貴重な土曜日が終ろうとしていました。

気分転換に買物にでかけ、夕食をこしらえてビデオを見終わった23:30に「この時間ならあまり順番を待たずに済むのでは」と淡い期待を持ちながら散歩がてら公衆電話から苦情と次の日程をとりつけるために電話をしました。
本来なら向こうから謝罪の連絡があってしかるべきなのに、なんでこんな夜中に外の公衆電話から貴重な時間をつかってこんなことをしているのかと思ったら無性に腹が立ってきました。

電話に出た男性担当者に「顧客サービス係を出せ」というと「私です」というので「今日は苦情があって電話をした。今日の14~17時に工事にくると言う約束だったので大事な予定を全てキャンセルして待っていたのに誰も来やしない。どうなってんのか?で、いつなら来れるのか?こっちも忙しい身でエラく迷惑しているのだ。」とよどみなく一気に不満を伝えると
「ケンブリッジ地域の担当者の電話番号を教えるので明日あらためて電話をしてそちらに聞いてください。こちらでは分かりかねます。」とアッサリしたものです。

日本であれば、はらわたが煮えくり返ってその場で電話を叩き切っているところですが、そんなことをしても電話回線は繋がらないのは明らかですし、この国の何処を頼ろうともこの調子であろうことは薄々気付いていましたので、グッと我慢して翌日再度交渉をすることにしました。
でも主張しないと誰も面倒をみてくれないので、毅然とした態度で臨まないと永遠に電話回線は繋がらないと思われました。
ナメられてはいけません。

というような状況で電話回線が繋がらないとこのメールも送れないので、それまでの間しばし書き溜めて回線開通のときにまとめてお送りします。
では、また。


そして今は明けて9月10日(日)です。
ケンブリッジ地域の担当者には朝8時から電話が繋がるというので新聞を買うついでに小銭を握りしめて公衆電話に向かいました。

電話口の担当者は「前の家での工事が長引いたんでしょう」とこともなげに言います。
「で、いつ今度は来てくれるんだい?」と核心に迫りました。

「2週間後の9月23日(土)ですね」と事もなげにシャーシャーと言ってのけるので「冗談じゃぁないよ。昨日だって大事な約束をして1日中待ったんだ。
なんとか来週の土曜日にこられるように手配してくれよ。」と食下がったものの「なんともしかねます。」と先方も譲りません。

もはやこれ以上の交渉は無理と判断し、2週間後の土曜日としました。

でもまた2週間後に現れないことが容易に想像できましたので「大丈夫だろうナ。約束出来んだろうナ。君の名前を念のために教えてくれ。」としつこく念を押して電話を切ったのでした。

このメールが9月中に届くことを祈りつつ。

更に今は日曜日の21時。
夕方散歩から戻ると玄関先で今度引越してきたエドと大家のジルというおばさんが立ち話をしていましたので、少々知恵を働かせて「昨日電話会社は来ることになっていたのですが現れなかったんですよ。今朝再交渉をして2週間後に来ることになったのですが、大変不便を被っていてあなたから何とか来週の土曜日に来てもらえるように交渉してもらえると有難いんですけど。」と泣きついてみたところ、「任せなさい!」とのこと。

この大家のおばさんは口から先に生まれたのでは??というくらいに口が減らず、とにかくよく喋るひとで、更になかなか自分の意見を曲げないタイプと踏んでいましたのでこの人を味方にして電話会社に交渉させたら通らないことも通るのでは?という期待がありました。

すると意外な展開が。

ふたりして電話のまえに座り込んでテープの音声を聞くこと25分。

ようやく電話が繋がるとジルは「繋がるまで20分も待ったんだけど、アナタのところではこれって当たり前のことなのかしら?」と開口一番先制パンチです。
「ナルホド。イヤミはこう言うのか。フムフム。」と感心して聞き入っていると僕が交渉したときのように「前の家で長引いたのでは」といったいい加減な答えではなく全く別の原因が判明したのでした。

このジルというおばさんは口が過ぎるので敵も多いようで、彼女の店子であるアパート隣の自動車修理のオヤジとうまくいっていないようで、彼はそのジルの店子である僕への協力は一切しないというフィロソフィーの持ち主のようです。

電話回線工事に必要な配電盤は彼の自動車修理工場の敷地内にあり、彼の立会いなく勝手に敷地内に入ることはならないと彼が電話会社に電話をしたためキャンセルになったとのことでした。

原因が分かってみると、どうも変な争いの間に巻き込まれた感じがしました。

今にして思えば、おばさんも決して100%親切心ではなくて、内心ひょっとしてという心当たりがあったので電話会社に連絡をしてくれたのではないかと思われます。
ともあれこんなことで自分が不便を被るのは迷惑な話で早い問題解決を心から願わずにはいられません。

しかしこのまま放っておいたら2週間後もまた誰も現れないってことだったのかと思うとなんともやり切れないものがあります。
自分の英語力ではまだまだこの国で生き抜けないということかと寂しくもありました。


・・・そしてようやく開通です。
かれこれ一ヶ月も掛かってしまいました。

電話回線を開通させるという単純なことながら本当に疲れました。
ともあれ晴れてこれからはメール送受信し放題ですので今後ともよろしくお願いいたします。

2011年9月10日土曜日

2000年09月30日 「近況デス」


いつの間にやら9月になってしまいました。

ケンブリッジでの新生活も1週間経ったところです。
今日の午後電話工事があって回線を開通させることになっており、このメールが晴れて新居からの記念すべき第一号メールになるかなと思っています。

腰痛がひどくなり、引越しの延期も検討しましたが大家と部屋の引渡し時間の約束やレンタカーの手配が済んでいたことなどスッカリ外堀が固まっていて変更は難しそうだったので痛み止めを飲んで引越しを敢行しました。

引越しといっても荷物は知れていて、小型車を借りてくれば簡単に全て収まるだろうとタカを括っていたのですが、結局後席を倒してギュウギュウに詰め込んでやっとどうにかという感じで、あわや乗り切らないのではとヒヤヒヤするほどこの一年間で荷物が増えていました。
思えばヨークに着いたときは洋服の入った段ボールがふたつ、大小ふたつのリュックサック、ラジカセ、ゴルフバッグのみだったのに。

決死の思いで腰の痛みをこらえつつ、寮の部屋のある3階からエッサエッサと荷物を降ろして全て車に詰め込んでヨークを後にしました。ケンブリッジの生活を終えたらまた一年後には帰ってくるとは分かっていても一抹の寂しさがありました。

ケンブリッジに向かう前にどうしてもヨークで最後にしておくべきこと、それはフィッシュアンドチップスを食べておくこと。

以前申し上げたように北と南では味が異なるため、是非この北の美味いフィッシュアンドチップスでヨーク生活を一旦締めくくろうという作戦でした。

ヨークからケンブリッジまではA1という国道をひたすら南下する約3時間の旅です。
ただ、腰の調子が優れず45分おきに車を止めてはストレッチをして時間が掛かったためケンブリッジに着いたのは18時を過ぎていました。

大家のジルというおばさんから鍵を貰ったのですが、このおばさんは異常なほどのおしゃべりで一旦話し出すと止まらなくなります。
こちらとしても確認したいことがあって「1」聞くと「19」くらい返ってきます。
そんな調子でしたので、彼女から解放されたのは21時をまわっていました。

それから荷物を部屋に搬入。
部屋は一階で通りに面しているため窓から荷物を運び入れることも可能で腰痛が心配だった僕としてはホッとしました。

そして休む間もなく買出しへ。

レンタカーを翌朝返すことになっていたので、これを最大限に活用しようという魂胆です。
郊外にTESCOという24時間営業のスーパーマーケットがあるので当面の食糧を買い込みました。

でも本当の目的は車のあるうちに嵩張って重たいビールを手に入れることでしたが、23時以降はアルコールを売らないらしく売り場にはロープがはってあり目的を果たさず引き返したのでした。

昔一軒家だったものを各部屋に鍵をつけて学生向けに貸しているといったタイプで、7人でのシェアになっています。
部屋は3.5×3.5メートルの四角い部屋でそこに本棚、ベッド、クローゼット、机、冷蔵庫、オーブンレンジ、洗面台がついています。

なにやら豪華な印象をもつかもしれませんが、とりあえずそれらがある、というだけですべて古くてオンボロで本格的苦学生の部屋といった印象です。
トイレ、シャワーはいずれも共同で1階にそれぞれ2個づつあります。

ベッドはあるのですが、布団、枕は自分で買うことになっており、用意していなかった僕はスエットシャツを重ね着して丸くなって寝たのでした。
寒かったこともあり、早起きしてビールを買い込み、布団、枕、テレビデオといったものを買いレンタカーを返してちょっと落ち着きました。

ヨークの寮の生活とは異なり、電話線も自室に引いてテレビ、ビデオと随分文明的な生活となりました。

テレビは当初その気はなかったのですが、電話回線を引く際にアパートが契約している新興電話会社のサービスとしてケーブルで100チャンネルを超える番組も廉価で見れるといわれてその気になってしまいました。

オリンピックも控えてますし。
好きな映画もアパートから5分の場所に大きなシネマコンプレックスがあってロケーションとしては素晴らしいのですが、料金がヨークのおよそ2倍の5.30ポンドもするため、ますますビデオ、ケーブルテレビにはまりそうです。

そして待望の自炊生活もスタート。
フライパン、鍋、まな板、包丁といった基本的な道具と調味料などを買い揃えて毎日自炊にいそしんでいます。
外食はヨークを離れたときのフィッシュアンドチップスが最後で以来一度もしていません。

スーパーで物色していると、牛肉が美味しそうだったので購入。
タマネギたっぷりをオリーブオイルで炒めてステーキ用の肉を投入し、更に赤ワインを入れた後水気がなくなるまで炒めて最後にハーブ、塩、コショウで味を整える・・・といった創作手探り料理もなかなかいけるものです。
その後牛肉の代わりにカモ肉でも試したのですが、自分で言うのもはばかれるほど美味でした。
料理って楽しいな、と新たな才能を発見した思いです。

普段のお昼も弁当を作って持っていきます。
この1週間はチェダーチーズをマヨネーズで和えて薄くスライスしたタマネギとハムを挟んだサンドイッチを作りましたがこれもなかなか。

アパートと植物園のほぼ中間に市営プールがあり、腰痛治療の意味も込めて通うようになりました。
料金は500円くらいですが、現在申請中の学割が使えるようになれば150円くらいになります。
日本のプールではやかましい諸規則もあまりないようで、水泳帽をかぶっている人も僅かですし、お化粧の厚い人、アクセサリーをたくさん着けている人、普通の眼鏡をかけて泳いでいる人などと様々な人種が見受けられ、お国が違うとこうも違うのかと興味深いものです。

相変わらず腰痛とたたかいながらもなんとか新生活がスタートしました。
テレビの導入など、なんとなく俗っぽい生活に近づいた感もありますが、ほどほどにやっていこうと思っています。

肝心の植物園についてはまた改めてお知らせします。
電話回線が自室にありますので、これまでと違って誰に気兼ねなく好きなときにメールの送受信が可能です。

では、また。


<これを書いたのが9月9日でした。本日晴れてこれを送信できるようになったのですが、日付は9月30日。電話工事の遅延が原因ですが、ほぼ一ヶ月メールが使えませんでした。>

2011年9月8日木曜日

2000年08月22日 「four seasons in a day」



東京は連日雷雨と聞いていましたが、最近はこちらも負けずに天候が不順で夕方雷雨がよく降ります。
とはいってもすぐに止むので大した被害はありませんが、それでもラジオを聴いていると「冠水のため通行止め」などと言っています。

不順というか、ときに狂っているのでは?と思うようなこともあります。

今朝は朝から大雨が降っておりました。

ガーデンデザインの課題を学校の製図室でやったのですが、あまりに外の雨音が激しいので目をやるとバラバラッと大粒の雹(ひょう)が降っています。
かと思えば昼にはカラッと晴れて、夕方には再び雷雨といっためまぐるしさ。

それにしても今日は寒いなぁと思っていたら夕方のラジオで、自分の英語が正しければですが、ヨークシャー州東部では雪が降ったと言っておりました。
製図する手を止めて思わず「なにーっ!?」と叫んでしまいました。

不順な英国の天候を「1日に4つの季節」という言い方をすることがありますが、この真夏の8月に雪が降ったとすればまさにそれは正しいということになります。

隣の芝は青くみえるといいますが、私個人的には夏は夏らしく「今日も暑いねぇ」といいながら冷えたビールを飲んでいるほうがシアワセだったりします。

2011年9月7日水曜日

2000年08月20日 「残暑お見舞い申し上げます」



残暑お見舞い申し上げます。

さて、本日は8月20日。
パスポートを見ますれば日本を出国したのがちょうど昨年の8月20日ということで一周年ということになります。時の経つのはいかにも早いものだと驚かされます。

出発したときには、一年間ヨークの園芸学校で学ぶということしか決めていなかったのですが、こうやって一年を過ぎても次のステップに向けてまだ英国にいるというも想像していなかったことです。
この一年間の成果を振り返ると、まずまずだったかなと思います。

園芸に関する勉強も当初は戸惑うことが多かったのですが、徐々に理解が伴ってついていけるようになりましたし、生活全般においても特に大きな問題もなく健康にこれたことは月並みではありますが何よりでした。
友人、先生など人に恵まれ、英国文化にも抵抗がなくスムーズにとけ込めたことは英国という国、ヨークという街に受け入れられたような気がして嬉しいものです。

9月からはケンブリッジ大学の植物園での生活が始まります。
折角のチャンスですのでより多くを吸収したいと思っています。

9月1日にはヨークからケンブリッジに引越しです。
新たな住まいは駅、街の中心地、植物園にいずれも徒歩10分程度の便利、だけどボロなアパートです。

ロンドンへも電車で約90分ですので英国にお越しの際には是非お声をかけてください。

一年経ちましてお蔭様で元気に楽しくやっておりますことを報告いたします。