どうして「スバラシキ英国園芸ノススメ」なのか

ちょっと読んで 「あんまり面白くないなぁ」 と思った方。
騙されたと思ってしばしお付き合い下さい。

7年間の英国留学中にしたためたメールは300を越えました。
そしてこれが 「尻上がり的」 に面白くなっていくのです。

当初の初々しい苦学生の姿から、徐々に英国に馴染んでいく様子は100%ノンフィクションのリアルストーリー。

「スバラシキ英国園芸ノススメ」の旅はまだ始まったばかりです。

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2016年3月10日木曜日

2004年10月23日 「パリ不思議体験の記」


前略

先週末に月、火とくっつけて3泊4日でパリに行ってきました。

実は一ヶ月ほど前に高校時代の後輩の女の子から「パリに行きますが会いませんか?」とメールが来て、かねがね「パリには行かねば」という気持ちがあったので、「OK!パリで逢いましょう」となりました。

その彼女は相当な歌舞伎ファンで現在パリで行われている市川海老蔵の襲名披露を見るためだけに遥々やってきた模様。

なんていったって土曜日の夜来て日曜日に歌舞伎を観て月曜日の昼過ぎには帰っちゃいましたから。

「時間が許せば一緒に見に行きませんか?」というので、時間は許すけどチケット代が許せばネ、とかえしたところマアマア手の届く範囲でしたのでパリにて歌舞伎初体験をいたしました。

そもそもミュージカルなどは必ず途中で寝てしまうタイプなので、「歌舞伎なんて大丈夫か?」という不安がありましたが、開演前に彼女の熱心な解説で予習をした結果、かなり楽しんでしまいました。

というか、面白かったですし、日本人であることを誇りに感じたりして。

つくづく自分の教養の無さに嫌気はさしましたが。

当たり前ですが、ホンモノの歌舞伎。

ホンモノの日本文化。舞台、流れてくる音楽など、日本で過ごした小さい頃をフト想い出してムショーに懐かしくなりました。

というのは僕の祖父がこういったのが好きでテープなどを流して聞いていたのでそれを想い出したこと。

さらに、小学生の頃見ていたNHKの「新・里見八犬伝」の舞台に
多少通づるところがあったこと、などで一気に胸がきゅーっとなってしまいました。

舞台の上にはフランス語で字幕が出る仕組みになっていてフランス人にも分かるようになっています。

日本語の字幕も出せばいいのに・・・。

演目は①鳥辺山心中②口上③鏡獅子で、口上はフランス語を交えてで、「にらみ」なども初めてナマで見ました。

隣に座った彼女が「ニラまれると良い事があるんですよ」なんて解説してくれて、「おおー、こっちニラまないかなぁー」とこぶしを固め
て期待したりしましたが、どうやら視線はあさっての方を向いていた気がします。

更にパリ在住のやはり高校時代の後輩(といっても全く面識無し)も合流し、中近東でよくあるシーシャという水タバコを体験したり、その後ベトナム料理屋でフォーという麺を食べたり、DIMEという日本の雑誌にある「前頭葉刺激地帯」という記事で見かけたことのあるミドリという和食屋で寿司を食べたり、「一体オレは何処にいるのだ?日本か、パリか、ベトナムか、はたまた中近東か??」ととても不思議な気分でした。

加えてこの高校時代の後輩の女の子たちは、確かに同時期に同じ学校、寮にいたことは事実ではありますが、それほどというか全く親しかった訳でもないのにこうやってフランスの空の下で時を越えて再会を果たすというのはとても不思議なものがありました。

さて、宿は相変わらず貧乏旅行でパリにてテントを張りキャンプしました。

初日は様子があまり分からず夜中にかなり寒い思いをしましたが、翌日以降は装備も整えてそれなりに快適なキャンピング・ライフでした。
因みに一泊11ユーロ也。

一方、その日本から来た後輩の女の子とは彼女のホテルのロビーで待ち合わせしましたが、それはそれは豪勢なホテルでたまげてしまいました。
因みに一泊300ユーロ也。

彼女が帰った後はかねてからの「やらねばリスト」に長期間登載してあった「モネの庭訪問」を果たすこととなりました。

これはジベルニーというパリから電車で約1時間いったところにあり、モネが創作活動をした家があり、併設の庭には彼が描いて有名になったハスが浮かぶ池のある庭があります。

この庭に対する期待があまりにも大きかったため、現物を見てかなりガッカリしてしまいました。

彼の絵でみるから良いのであって、庭としてのレベルはあまり高くないと感じました。

例えば鉢植えの鉢はテラコッタではなく、既成のプラスチックの鉢ばかりです。

更に日本人観光客のツアースポットになっているようで、次から次へと観光バスが日本人団体を連れてきます。

「スミマセーン、シャッター押してもらえますかぁ?」とおばさんに言われシャッターを押したのがキャノンのイクシーなるデジカメ。

液晶モニターがバカでかく、ボディーが驚くほど薄く、「いまどきのイクシーってこんななのかっ!?いいなー。しいなー」と自分のレンガ、もしくは豆腐一丁のようなデジカメを見て切に思いまし
た。

凄いですね、日本のテクノロジーって奴は。

家の中も見学できるようになっており、モネが収集した広重などの浮世絵のコレクションが圧巻です。

特に歌舞伎を観た直後で、妙に日本伝統文化鑑賞モードが異常に高くなっているときでしたので、庭そっちのけで浮世絵を堪能しました。

これ一枚をくすねて、テレビ東京のお宝鑑定にだしたら幾らつくだろうか・・・などと下世話なことを考えておりました。

最後に。

イギリス人はフランス人が嫌いで、フランス人はイギリス人が嫌い。というのは一般論ですが、やはりそうかな、と。

というのは英語で話しかけても本当に冷たいものでした。

道に迷ってもあまり親切には教えてくれません。

明らかに分かっているのに英語では答えてくれませんでした。

フランスなんだからフランス語で、というのは当然のスジではありますが、困ってるんだから答えてくれたっていいじゃんサ、とかなりカチンときました。

これは都会だからでしょうね。

田舎ではあまりこういう経験はしませんでした。

写真を2枚。

一枚はなにやら怪しげな、水タバコ喫茶で水タバコに耽るワタクシ。因みにワタクシは喫煙しませんが後輩が「私もタバコは吸いませんが水タバコは大丈夫です。絶対楽しめます」と説得され恐る恐る吸ってみたところこれが本当に楽しめました。

二枚目はパリの夕暮れ。セーヌ川沿いにエッフェル塔が見えます。ロンドンの方が庶民的で好きですね。

ではまた。



2015年7月29日水曜日

2004年09月08日 「ポルチョギース」



碧い海、白い砂浜、抜けるような青空・・・・、そんな休暇を試験中から夢見ておりました。

先週月曜日がバンクホリデーといって休日で3連休だったため、これに4.5日の休暇をくっつけて7泊8日でポルトガル南部のアルガーべ地方に独りで出掛けてきました。

とはいっても相変わらずの貧乏旅行で、パソコンと向かい合うこと約3時間。

比較に比較を重ねた結果の最安飛行機、最安レンタカーを手配した以外はテント、寝袋持参で行先も決めずに気ままに海岸線をキャンプして過ごすというもの。

なんでこの半端な4.5日という休暇をくっつけたかといえば有給があとそれだけしか残っておらず、最安飛行機がこの半端な日程にピッタリくるからでした。

帰りは朝8時のポルトガル発の飛行機に乗り、ロンドン・ガトイック空港に11時。

それで午後1時から仕事をしようってんですから我ながらチョッと無理かなと一抹の不安はありましたが、英国のいい加減な交通システムには珍しく万事うまく事が運び、その日の午後には元気に植物園で働いておりました。

まさに奇跡的。

銀行員時代にこんな休暇の取り方をしていたらアホか、と一喝されまず実現はしなかったと思います。

さて、ポルトガル。

初めて行きました。

そのアルガーベ地方を一週間しか見ていないので全てを語るのは僭越というもの。

でも全体の印象はまず天気が毎日よろしく(夏期の月間平均降水量は1ミリ以下らしい)、地元の人たちの生活はとても慎ましく、英国人、ドイツ人の観光客がドッと押し寄せる場所、といったところでしょうか。

レストランのメニューにはポルトガル語、英語、ドイツ語の表記がしてありますし、地元不動産屋の店頭に張り出してある物件の価格が英ポンド表示だったりします。

日本人を含め、東洋人の姿はほとんど見かけず、キャンプ場でパスポートの提示を求められたときには「日本のパスポート、初めて見た」と言っておりました。

到着日はファロ空港の近くの街のはずれにあるキャンプ場に泊まり、街そして海岸を散策しましたが8月後半とはいえシーズン中の観光地。

自分の夢に描いた「人気のない砂浜」からは程遠く、翌朝サッサと撤収し「西へ向かえ」という本能に従って一気に西海岸まででました。

ここで3泊。

確かに人気は少かったものの、大西洋の荒々しい海で、波は高く、水温が低い、というこれまた理想とは相当ギャップがあります。

内、一日はモンチークというこの近辺では一番高い山、標高約900メートルに登ったりしました。

しかし、本当に日差しが強すぎて「これは危険」と感じて日陰を探しつつ歩いたり、休憩を頻繁にとりましたが、「オレも年をとったってことかしらん・・」とかつては太陽を求めて日差しに進んで出ていったことを思うとチョッと寂しくもありました。

夢のビーチにはどうやったら出会えるのか・・・。

このアルガーべ地方のどこかには絶対ある筈。

そこで思いついた作戦が絵葉書です。

絵葉書には理想に近いビーチが幾つか写っており、これに撮影地が記載されているのでこれを地図で探し、実際に足を運ぶ作戦です。

幾らかはマシ、という程度でそれでも理想とはなんか違います。


残り3日になったところで、ハガキできれいだった海岸の内のひとつに行き、そこで洞窟巡りのボートに乗りました。

イタリアの青の洞窟じゃあ・・・と思える(行った事ないので想像ですが)場所で、そこで舟から人気のまばらな素晴らしいビーチを発見し、船頭に聞いたところ歩いていけるとのことで早速行ってみました。

途中の道は険しく、勾配もきつい斜面をヨロヨロと降りていくとそこには、碧い海、白い砂浜、抜けるような青空・・・と夢のビーチが展開しておりました。

「これだっ。これなんだよ、探してたのは・・・」と早足で水辺に向かい、着ていたシャツと短パンを脱いで険しい道中で火照った身体を冷やすべく、海に飛び込みました。

低めの水温が心地よく、透明度の高い水がなんともよろしいカンジです。

ひとしきり涼んだところで、のどが渇いていることに気付き海から上がってリュックの中から水を出し、飲みながらあたりを改めて見渡して妙な違和感が・・・・。

ナント、そこはいわゆる「ヌーディスト・ビーチ」だったのです。

隠れ家的なビーチをいいことに、皆開放感からかスッポンポンの老若男女が日光浴、海水浴を堪能しています。

イヤ、正確には老若男女ではなく老男女で、しかもいわゆるイケメン・ヌーディストはおらず、ちょっと目のやり場に困るカンジです。

これが、ヌーディスト・ビーチってやつかぁー。いやービックリだなぁ。
と感心するばかりです。

別にきまりがある訳ではないので僕が脱ぐ必要はありません。

僕はかたくなに水着を着用していましたが、あたりをブラブラさせて歩くおじさんなどには困ったものです。

これって日本の公衆浴場に似てるなぁと思いました。

もセクシーさってのは隠れていて見えるか見えないか、きわどいのが良いのであって「どうだ」と見せられちゃうとどうにもこうにも興醒めですね。

そのヌーディスト・ビーチを後にして来た道を戻る際、その隠れ家的ビーチを取り囲むがけの茂みに、なんと双眼鏡を持って「のぞき」をしている輩を目撃しました。

分からんでもないけど、アレを見てうれしいかなぁ?と僕には理解できませんでした。

貧乏旅行の基本は宿代を削ることですが、食事だけは多少良いものをというのがポリシーです。

それも地元の人が行く、安くて美味しいレストランを探すのが前提で、これはもはや特技かもしれません。

ポルトガル、しかもこのアルガーべ地方は新鮮な魚介類が美味しいらしく、毎晩魚ばかり食べていました。

料理法はいたってシンプルで各種魚の塩焼きで、付け合せに
ジャガイモなどの温野菜と食べます。

やはりワタクシは生粋の日本人です・・・魚を食べていて、まず「オーイ、箸もってきてくれ」そして「オーイ、醤油ないのかぁ」
さらに「オーイご飯つけてよぉ」と切望することしきり。

鯛やいわしの塩焼きはナイフとフォークで温野菜で食べるより、お箸で醤油をかけてホカホカご飯でしょう、やっぱり。

朝は地元人がたむろする英語のさっぱり通じないカフェでコーヒーと豚肉のサンドイッチ(5ユーロ以内)、昼はビールとハンバーグなど(10ユーロ以内)、夕食は魚とワイン(20ユーロ以内)と一泊10ユーロのキャンプ場を泊まり歩く割にエンゲル係数の高い旅です。

それにしてもビールにしてもワインにしても安いので「呑まにゃソン」と使命感に燃えてしたたか呑みました。

飲み屋、レストランもイギリスとは異なり、夜遅くまで開いているので(英国のパブは23時で閉店です)、特に最終日は独りで1時過ぎまで飲んでいました。

これには理由があって、朝8時の飛行機ってことは朝6時には空港にチェックインせねばならず、レンタカーを返す手間などをふまえ5時起き。

そんなたった数時間眠るためだけにテントを張るのも面倒だし、かといってホテルに泊まるのももったいない、という結論に至り気分良く遅くまで飲んで車の中で仮眠し、朝5時に起き上がりガソリンスタンドで満タンにするついでに簡単な軽食をとり・・・、という完璧な作戦です。

コレ自分一人ゆえ可能な作戦なのであって、家族がいたり、彼女がいたりなんて場合「車で一泊ダ」は通じないでしょうね。

いや素晴らしきかな独り身。

そんな訳で久し振りに痛いほどの日差しを浴び、アッという間の一週間でした。

普段外仕事なのでそれなりに日焼けしていますが、それはいわゆる「ドカタ焼け」で顔、首、腕、足が黒く、お腹、背中などは真っ白でした。

こういったところに日光を当てるのはほぼ5年振りでしょうか。

日焼けしたお腹の皮を剥きながらこのメールを書いています。

早くも9月。

ポルトガルから戻るとオリンピックはもはや終っており、来週には3年生の卒業式、再来週には新入生が入ってきて、僕は2年生になります。

少しずつ、少しずつ現実へと帰っていきます・・・。


*写真一枚目はポルトガル版「青の洞窟」

*写真二枚目は理想とちょっと違う砂浜。これはヌーディスト・ビーチではありません。さすがにヌーディスト・ビーチで写真を撮る勇気はなかったです。



2014年1月28日火曜日

2003年07月19日 「3年ノーサンバランドへ」



どうやら夏休みシリーズの様相を呈してきましたが、今回はイングランド北東部のノーサンバランド地方(Northumberland)へ、ケンブリッジの植物園のジョンとマークの3人で「パフィン」という風変わりな海鳥を見に出掛けておりました。

言い出しっぺはジョンで、「パフィンをこのビデオにおさめたいのだ」という要望に従い、マークと僕はこの地方はパフィンは別としても海も山もいける風光明媚な場所なので「行こう行こう」と盛り上がり実現しました。

マークは彼女のヴィッキーを置いてきての3泊4日の旅で、主導権を握られている彼としては大英断の旅です。

天気オタクのジョンが「この4日間は保証するっ!!」と宣言しただけに4日間とも快晴。

海鳥を見る遊覧船ツアー、田舎道のハイキング、庭園巡り、そして仕上げは地元のパブでご当地ビール・・・と4日間はアッという間に過ぎたのでした。

海鳥を見るツアーでナショナル・トラスト所有のファーン島(Farne Island)に上陸すると、そこにはおびただしい海鳥が巣を作り子育てをしています。

子供を守らんかなと、我々の頭をツツキに鳥たちが襲いかかってきます。

最初にビデオ撮影に夢中なジョンが頭をつつかれた時はマークと僕は二人して腹を抱えて笑っていたのが、そのうちにそんな余裕がなくなるくらいに激しい猛攻撃。

船上でガイドが「帽子をかぶることをオススメします」と言っていた意味がようやく身をもって理解できました。

今回もジョンはみせてくれました。

「キャンプはねぇ・・・」と尻込みしていたくせに、初日の夜の天気が良く快適だったことに加え、神秘的な満月と宵闇のなんとも幻想的な空が気にいったようで、毎朝「今日もここにしよう」と自らキャンプ料金を管理人に払いに行っていました。

「いいねぇ、キャンプ。オレも大分アウトドアのベテランに見えるだろう?」とまあ現金なものです。

しかし、彼にとって致命的な大問題がキャンプ生活には隠されていたのです。

それは「バッテリー」。

彼のビデオ狂い振りは時に閉口モノですが、それはバッテリーあってこそ。

通常は3つの予備バッテリーを使い分け一日を凌ぐのですが、3泊4日は無理です。

「どうすんだろうね」とマークと話していたら、ジョンはスックと立ち上がり充電器を握りしめ、やおらお隣のキャンピングカーで来ていたおばさんに、「これ充電してもらえませんか?」。

マークと僕はのけぞってしまいましたが、キャンプ場の人々というのはえてして気さくで、「いいわよ、いいわよ」とジョンをキャンピングカーに招き入れたのでした。

キャンピングカーの窓越しに僕とマークに向かってガッツ・ポーズを見せるジョン。

僕らは更にのけぞってしまいました。

翌朝、ベーコンとタマゴで朝食等といって前日にスーパーで買い出してあったものを料理しようとしたところ、「燃料買い忘れた!!」とジョン。

マークと僕は、朝食諦めモードになったところ、ジョンが再びナベを抱えて、隣のキャンピングカーに。

「火を貸してくれませんか?」といって、見事にベーコンとタマゴを料理してきてしまいました。

様子を見に来たおばさんが、紅茶も差し上げましょうか?と言ってくれマークと僕は大恐縮しつつ「ハイ」と答えると、ジョンは「コーヒーがあったら、コーヒーの方が良いんですが。」

結局、紅茶、コーヒーなどをすすりつつ、美味しい朝食ではありましたが。



そんな笑いの絶えない旅で、一人旅もいいけどこうして気の置けない友人と楽しく旅をするっていうのも良いモンです。

僕はこれからケンブリッジに向かい、土曜日は温室の責任者のロブと奥さんのモニカと3人でサンドイッチで行われている「全英オープン」を観にいきます。

日曜日はそのロブの誕生日で、奥さんのモニカがロブに内緒でパーティーを企画しているとのこと。

来週一杯は、約一年振りにケンブリッジの植物園で働くことになっています。

トレーニーとしての期間を終え、もうこの植物園で働くことは無いだろうと思っていたのに、短期間とはいえ再び皆と働けるということで今からワクワクしています。

あとは引越しです。

この4年間で荷物がおびただしく増えていることに驚かされます。
取りあえずモノゴトを前に進めることが大切だと言い聞かせつつ。
それでは、また。

写真は
1.ホーリー島 (ボートを切って倉庫に。この発想がステキ)
2.朝食準備中
3.英国園芸史上の巨匠、ジーキル女史による植栽とされる庭



2014年1月14日火曜日

2003年07月05日 「独り湖水地方へ」



スコットランドから戻り、洗濯をし、テント・寝袋を陰干し、間もなく今度は湖水地方に3泊4日で遊びに行ってきました。

何故、焦ったように遊んでいるかというと、今月一杯でヨークを引き払ってしまうと、この英国北部はかなり遠い場所となるからです。

今回の湖水地方は片道寄り道しつつノンビリ行ってもヨークからは3時間。

ガソリンも途中で給油せずにいけます。

日本でもかなり名の知れた観光地ですが、観光の中心地ウィンダミアは避けて、コニストンに2泊、ケズウィックに1泊しました。

起床し、洗顔すると村の喫茶店でフル・イングリッシュの朝食をとり(フライド・エッグ、ベーコン、ソーセージ、ビーンズ、トマト、トースト等)、当日の行動計画を練ります。

今回のテーマは「山歩き」。

朝食後、リュックに雨具、ミネラルウオーター、サンドイッチ、バナナ、チョコレート、双眼鏡、カメラなどを搭載し、18時過ぎまで毎日ひたすら山、谷を歩きまくりるというもの。

幸いに天気に恵まれ、初日以外は汗だくで山を満喫しました。



下山するとテントに戻り、ケチなシャワーを浴び一日の汗を流し、地元のパブへ。

前調査でこの地には1998年の全英最優秀ビールに選ばれた「コニストン醸造所のブルーバード」という地ビールがあると判明していたので、なんとしてもこれを飲むと意気込んで繰り出しました。

適度な運動の後、そして山の良い雰囲気も手伝って、夏風のフルーティーなこのビールはかなり美味しかったです。

ここでビールと一緒にパブで夕食にも手を出したいところですが、現在は超・緊縮財政ですので贅沢は許されず、テントに戻りパン、コールスロー、ワインをやりつつ、日が暮れるまで本、新聞を読む、といったパターンでした。

山歩きのいいところは、「気さくな山男・山女」に会うとういうことでしょうか。

すれ違うたびに挨拶を交わすのは言うに及ばず、立ち止まって話し込むことともシバシバで、これが結構楽しかったです。

特に、チャンとした地図を持っていなかったので、二股路などで「ウーム、右か、左か・・・」と悩んでいるようなときには、ホント親切に教えてくれます。

逆に僕が「コレは××で・・・」と植物のことを教えてあげると、「へー、何でそんなこと知ってるんだい?」と不思議な東洋人だったようです。

しかし、出会ってそういうやり取りをするのは、大抵50代、60代の熟年夫婦で、若い女の子のグループなどには出会わなかったです。

「キャー、お花のことそんなに詳しいんだぁー、もっともっと教えてー」・・・なんてね。

路に迷いそうになっていると前方から短パン、ポロシャツの頭の禿げたおじいさんが通りかかり、これまた親切に教えてくれました。

聞くと、定年になりこの湖水地方に居を移し、老後を山を歩いて過ごしているのだとか。

「じゃ、楽しみたまえ」と颯爽と歩き去ったその老人、カッコ良かったです。

分もああなりたいと憧れちゃいましたね。

そんな訳で、起き、食い、歩き、飲み、寝る、というシンプルな休暇、満足度はかなり高いです。

明日は例の隣村のおばあさんの庭の手入れをして「お小遣い」を少々稼ぎ、来週はケンブリッジのビル君と合流し、ロンドンにコンサートなどを観にいく予定です。

そして来週末は、ケンブリッジからジョン、とマークという二人が遊びに来て3人でイングランド北部のノーサンバランド地方に「パフィン」という風変わりな海鳥を見にいこうといっています。

こんな調子でカレンダーを見ると遊びの予定で、「ビッシリ」です。

一方、4人で暮らしていた我がアパートも既に2人が出て行き、現在50代のおじさんと二人暮らしです。

このおじさんとはあまりウマが合わないので、それが僕の「外出」に拍車をかけているともいえますが。

いずれにしても引越し準備もボチボチ始めねばなりません。

日本は梅雨時の鬱陶しい季節でしょうか。どうぞ体調万全でお元気で。

では、また。
写真は「ひたすら歩いた、快晴の湖水地方」の様子です。



2013年12月31日火曜日

2003年06月29日 「独りスコットランドへ」

6月も終了目前。

学校もつつがなく終了し(最終結果はまだきいていませんが)、これまで鎖につながれた犬が解き離れたかのように、6泊7日でスコットランドに遊びに行っていました。

これまでの最北到達地点は「インバネス」まででしたが、今回は最北端へ。 

DURNESSという西からJOHN O'GROAT’Sという東までをメインに道中気ままに寄り道する、というもの。

前半2日は気温も上がらず、霧雨が降り続くサエない天気でしたが、その後はまさに幸運としかいいようのない好天に恵まれ、この北の地をタンノーしたのでした。

一番の出費は何と言ってもガソリンで、普段でもバカ高い(リッター、約147円)のに辺境だけあってリッター約168円もします。

しかしこれはいかんともしがたく諦め、宿代を削りました。

とはいっても、これはこれで楽しく、なんら苦にならず安上がりでOKなのですが。

け惜しみではなく。

6泊の内4泊はキャンプ場でテント生活、2泊はテントでの寝方のコツがつかめなかったのと長時間の運転で腰が痛くなったのでホステルにといった具合で6泊しめてのお値段がザッと6600円。

現在ではテントでの快適睡眠術を体得しましたので全行程テントOK、となると一泊あたり600~1000円でどこでも行けるということです。

これは有り難い。


スコットランドのこの北の地方はいわゆるハイランド地方と言われるところで緩やかな山を想像していたのですが、それはもちろんのこと海岸には所々に白砂の「一体ここは何処??」という素晴らしいビーチが点在し、人影もまばらで一日中何もせず、ビールを飲みつつ、新聞や本を読んだりしてゴロゴロ過ごしたりしておりました。

レがしたかったんだよ、と独り頷きつつ平和なひとときでした。

中でもDURNESSという村は海岸が平和でキレイで気に入り、3日間滞在しました。

いて5キロほどの岬まで行くと紺碧の海が広がり、その岸壁には海鳥の巣が沢山あり、バードウオッチングを楽しめます。

ここには「英国本島最北部」というゴルフ場があり、夕方17:00からは割引料金なので17:00から21:40頃まで独りでバッグを担いで1.8ラウンドしました。

気取らず気さくなゴルフ場で、「正直箱」に名前を書いた封筒にプレー料金10ポンドを入れてあとは好きなだけ回るというもので、コースは最上級とは言い難いながらも景色もよく、十分楽しめました。



この辺は北緯59度(推定)、日没は22:30ながらその後24時を過ぎても薄ら明るく、そのまま4時頃には日が昇るといった具合で「準白夜」を体験しました。

にテントで風が強いながらも晴れた日は風の音で夜中に起きてテントの外を覗くと夜中なのに明るいという、「ハテ、飲みすぎたかしらん」と不安になることもシバシバ。

旅ではニュージーランド、オーストラリア、南アフリカなどから来たという人と話す機会がありましたが、皆様お国言葉(お国訛り)で時々何を言っているのかサッパリ分からなくなります。

同じ英語でもこんなに違うとはオドロキです。

英語目的で海外留学したいと考える場合は行き先の選定がとても大切な気がしました。

見かける外国のナンバープレートは例外なく「ドイツ」「オランダ」の2カ国で、普段良く見かけるフランス、イタリア、スペインのナンバーは皆無だったのも印象的でした。

南ヨーロッパの人にはやはりここは遠すぎるのでしょう。

一週間はアッという間に過ぎそうで、「そろそろ帰るか」とヨークを目指しつつ、有名庭園があれば立ち寄り、ウイスキーの蒸留場があれば見学し、美味しそうなフィッシュアンドチップス屋があれば食し、としている中で、スコットランドの東海岸を走っているとゴルフ場の看板を見つけ、値段が折り合えばと思いズカズカとキャ
ディーマスターのところに押しかけ聞きました。

それはおばさんで、「ここはヴィジターOKなの?」と聞くと「ええ、でもハンディキャップの提示をお願いしています」と言います。

「なんか敷居高そー」と少々おじけつつも、会話が途切れてはイカンと思い「ってことはハンディを証明しないと回れないんだ」というと「オフコース」と一言。

なんか高慢な態度にムッとし、また来ますとそこを離れました。

後になって、さる観光案内所で「スコットランド・ベスト20ゴルフ場」という本を立ち読みしたら、ナント「第3位」。

1位はセントアンドリュース、2位が昨年のTHE OPEN開催地ミューフィールドですから、立ち読みしつつ赤面しましたね。

様子を聞くだけとは言いつつも短パン、サンダルでキャディマスターのところに押しかけた訳ですから。

「無知とは恐るべし」と。

因みにそれでも1ラウンドが70ポンドらしいですから、日本のゴルフ場に比べればなんてことはないですネ。

更に因みに「値段が折り合えば」と僕が言ったのは「10ポンド前後」を指しており、遥かに及びませんが。

そんな訳で6泊7日でトータル2500キロを走破し、昨晩無事に帰ってまいりました。

このテントを使った安上がり英国を見て回る旅は季節が良く、学校も終わり時間が自由な今が「旬」ですので、これに留まることなく来週は出来れば「湖水地方」に繰り出すか、と思案中です。

そんな夏休みの幕開けです。

結局大家との交渉が成立し、ここヨークには7月末まで滞在することになりました。

荷造りも徐々に始めねばなりません。

解き放たれた犬のように遊び始めた一方で、冷凍庫を点検したところ、冷凍保存した「ご飯」「カレー」「マーボー豆腐」「野菜」「ひき肉」などがゴソゴソと出てきて、これを配分よろしく7月末までに処分していかないとなりません。

食費が浮いて助かりますが、なにやら「骨を埋めて大満足し、あとでそれをサッパリ忘れてしまった犬」のような気分です。

それでは、また。


添付の写真は
1.DURNESSの海
2.準白夜、24:30
3.我が寝床
デス。



2013年8月30日金曜日

2003年01月19日 「ニース」



銀行員だったときのこと。

とある会社にて、経理担当部長と話をしている最中に、競合銀行の若い担当者が来て鉢合わせになったことがあります。

彼の差し出した名刺の名前の上に「中小企業診断士」とタイトルがついていました。

「若いのにやるじゃないの」(当時の自分も十分若かったとは思いますが)という敬意と、「カッコええじゃあないの」という単純な感情が沸き、「あんなお子様みたいなのが取れる資格なら、オレも取っちゃおうじゃあないの」と意気込んで、早速通信教育を申し込んだものの、思ったより手強いのと、スグに飽きがきて毎月届く教本は封すら開けずに埃をかぶる結末を迎えたのでした・・・・。

さて、この度週末を利用して先週の土曜日から火曜日まで南フランスはニースに3泊4日で一人旅をきめてまいりました。

特に目的があったわけではなく、たまたま格安航空券を見つけたので、ショボいイギリスの天気から開放されて気分転換が出来れば、という軽い気持ちで出掛けました。

ニースとはいっても「貧乏旅行」ですので宿泊はモチロン「ユースホステル」です。

因みに一泊朝食付で13ユーロ。

そこで上智大の学生に出会ったのが今回の旅の収穫だったと申せましょう。

夜、食堂でフランス人とフランス語をペラペラと喋る東洋人の若者を目にしましたが、よもや彼が日本人とはつゆ知らず。

後で話を聴くと「大学の一般教養でフランス語をとり、興味があった」「かれこれフランスを放浪して一ヶ月で脳は完全にフランス化している」とのこと。

そんなんで喋れちゃうモンなの?って感じでしたが。

大学2年を終えたところで、一年休学して英国のニューカッスル大に私費留学し、これから帰るのだとか。

その話と彼のフランス語を聴いて、「若いのにやるじゃないの」という敬意と、「カッコええじゃあないの」という単純な感情が沸き、「あんなお子様みたいなのが、そんな短期間で喋れるんだったら、オレも喋っちゃおうじゃあないの」と意気込んでヨークに戻り、イの一番に学校の図書館に行き、「BREAKTHROUGH FRENCH」とかいうテープ3巻付の教材を借りてきて早速勉強を開始。

オレはやるっ!!と今のところはモチベーションはかなり高いですが、どうなりますやら。

そんなフランス語やるくらいなら、花の名前のひとつでも覚えろって感じでしょうか。

でも、ヨーロッパの非英語圏に行くといつも思うのは「ああ、喋れたらなぁ」ということですので、フランス語で少しでも意思疎通できればスイス、カナダなんかでもいいでしょうし、同じラテン語圏という意味ではスペイン語、イタリア語あたりにも応用が利くのでは?と思うのですが、どうでしょう。

さて、話を戻すと、ニースはアルファベットで綴ると「NICE」、ナイスも「NICE」で、じゃあ「ニースはナイスなところか?」というと、自分の答えとしては「まあナイス」です。

基本的に高級リゾート地ですので、「お金があればもっと楽しい」とは思いますが、お金がなくてもそれなりに楽しめました。

まず、なんと言っても「天気が良い」(良かった)。

滞在中は一片の雲もなく晴れ渡り、常に鬱陶しい天気の英国から逃げて来た甲斐が大いにありました。

海はいかにも地中海といった感じで、ラムネのびんのような色をしており、マチスやシャガールの絵画が生まれるのもつくづく頷けるのでした。

レストランといえばパスタ、ピザがメインでフランス料理というよりはイタリア料理的でしたが、嬉しいことに安くてウマイのはナイスでした。

その他に気が付いたことといえば

①犬好きは英国人以上とみた。レストラン、バス、電車、店・・・どこにでも出入り可能のようで、混み合ったバスの中で大きなジャーマンシェパードが座席ひとつ分を占領していたのには、感心(?)した。
その代わり、街の中は犬のフンだらけ。

②女性は概してオシャレ。
特に目に付いたのは「毛皮」をまとった女性が多いこと。
最近は動物愛護の観点からも着る人が減ったとは思うが、ここはさながら毛皮ファッションショー。

③街のいたるところにカフェがあり、フランスなので皆「カフェオレ」なのかと思いきや、ほとんど皆といっていいほど「エスプレッソ」だったのは意外。
などなど。

そう!最後に事件が。

インフルエンザで年を越してしまったせいか、今年のワタクシ、どうやら一筋縄ではいかないようデス。

3日目の朝。外出するについては荷物が嵩張るので、パンツ、靴下、ズボン、ティーシャツといった着替えを大きなナイロンの袋にいれて、それをベッドの上に置いて出掛けました。

別に貴重品でもないし、そんな他人のパンツなぞ盗るやつはいないだろう、とタカをくくってイザ街へ繰り出しました。

戻ったのが遅かったため、部屋は既に消灯され他の約5人はイビキ・寝息をたてて寝ていました。

電気をつけるのも悪いなと思い、脱ぐものだけ脱いでサササ、とベットに滑り込みました。

翌朝起きて「さあ、シャワーでも浴びて着替えっか」とナイロンの袋をたぐり寄せると、妙に袋が小っちゃくなっちゃってます。

中を慌てて見ると、ズボンとティーシャツがありません。

「あらー、やられちゃったよぉ」とガックリきましたが(というかむしろそんな切羽詰った奴がいるのか、とそっちの方がオドロキでした)そんな置いとくほうが悪いと自分を戒め、朝食をとりに食堂へ。

脱力しつつ食事をしていると、目の前を通り過ぎて隣のテーブルに座ったイタリア人が「スゴーク似ている」ズボンを穿いています

「あらっ、ひょっとしてあれ、オレんじゃぁない?」と思い目を凝らしてはみるものの、「そんな取ったものを取った本人の前で穿かないだろう。いくらなんでも・・・」
「イカン、イカン。人を疑うのは。無くなったのは自分が悪いんだから」と忘れることに。

食事を終え部屋に戻る際に、これまた偶然にそのイタリア人が自分の前を階段を上っていきます。

そのズボンの裾を見て「!!」。

それは自分が裾上げしてもらったときの縫い目に他ならなかったのです。

いきなり喧嘩腰ってのもいただけない、と思いここはひとつ大人に。

笑顔で「あのサ、そのズボンサ、君のかな?ボクのだと思うんだけど。どうしたのそれ?」と聞くとイタリア語で色々言い訳を始めましたが、表情は「しまったっ」というのがアリアリ。

お互い言葉が通じず押し問答しても埒があかず、管理人を呼ぶためにその場を離れ、管理人と戻るとそのイタリア人は既にズボンを履き替え、僕の部屋にそれまで着ていた僕のズボンを投げ込んでありました。

管理人にティーシャツもあるはずだ、といって彼の部屋に入るとワタクシの愛しいティーシャツが棚の上に。

管理人は彼に「出て行ってくれ。警察を呼ぶぞ。」と言い渡し、一件落着となったのでした。

最初は笑顔での交渉でしたが、話しているうちに興奮してきて悪口雑言が出るわ出るわ。

しかも全て英語でですので、自分の語彙の豊富さに我ながら感心したのでした。

コレ、明らかに映画・TVの見すぎです。

次はフランス語で、などと夢は膨らみます。

そんなニースな旅でした。

(追伸)
ご心配かけましたインフルエンザですが、現在95%の回復で、思いのほかシツコクて驚いています。
相変わらず右耳が聞こえないのですが、医者に相談したところほっとけば治るとのこと。
病名は「Secretory otitis medial」と言われさっぱり分からなかったのでインターネットで調べたところ滲出性中耳炎だそうです。
インターネットって便利ですね。

2013年2月3日日曜日

2002年04月10日 「アムステルダムのことなど」



行ってきました、オランダ、アムステルダム。

なかなか良い旅、そして色んな意味で事前の想像を超える街でした。

「フロリアード2002を見る」「キューケンホフ公園でチューリップを見る」「ゴッホ美術館で3枚のひまわりを見る」という当初の目的は全て達成してきました。

たった2泊3日の出来事ですので、ここは一つ時系列的に旅を追ってみようかと思います。

出発は土曜日の午前3時10分のバスに乗るところから始まります。

使用飛行場はスタンステッド空港といってケンブリッジからはバスで50分という便利な所にあり、欧州向け格安飛行機が主に離発着するところです。

飛行機は7:20発。

その為のチェックインを2時間前の5:20にしようと思うと、時間が時間だけにこんなベラボウに早い時間となるのです。

ともあれ予定していた飛行時間60分よりも10分早くオランダに舞い降り、改めて近い国だと思い知りました。

事前調査で空港からフロリアード会場までのバスが出ていることは分かっていたので、荷物も少ないことなのでそのまま直行しました。



しかし、この日はこの6ヶ月にわたる花博の開催初日にあたっており、コンピューターシステムの不具合とやらで発券システムがうまく起動せず、チケット売り場にはイライラした人達の長蛇の列が。

もちろん日本人も沢山いました。

恐らくツアーを組んでやってきたのでしょう、僕の数人前にそのツアー・コンダクターが「これではキツキツの日程が更にキツキツに・・・」と焦燥と苛立ちの表情で列に加わっていました。

いざ入場するにも、買った券を改札機に入れてそれをコンピューターが識別して・・・となるはずが、そんなものは全く役に立たず、脇の非常用通路から入っていきます。

入って、しばらく歩いて、気がついたのですが、とてつもなく「寒い」のです。

天気は上々で快晴なのですが、風が強く気温が低く、恐らく2、3度でしょうか。

リュックの中から着れるもの全て引っ張り出して着てみましたがどうにもいけません。

首をすぼめながらの視察となりました。

そして、更にしばらく歩いて気がついたのですが、このフロリアード、とてつもなく「つまらない」のです。

これ、大問題です。

「10年に1度」「園芸王国オランダ会場」とか煽るわりにサッパリです。

♪なーんでか。(こうやってギターひいてるオジさんいましたね)

自分が思うに、

1.ショーの目的、コンセプトがハッキリしていない。
 一応、feel the art of nature とそれらしいタイトルは掲げてあるのですが、なんとも曖昧。
 園芸なのか、農業なのか、環境問題なのか、家族憩いスペースなのか・・・

2.ハコ(会場)が中味に比して大きすぎて、無駄が多い

3.砂を大量に運び込んで作ったというピラミッド(高さ100フィートですから約30メートルですか)にも登ってみても何がある訳でもなく、そしてこれが果たして博の趣旨とどう関係があるのか

4.一番いただけないのが、展示物などの解説のほとんどがオランダ語を押し通していること。
 ナンダこれは?と解説に目をやるもサッパリ分からずで、世界中からの来場を見込んでいるんでしょうから、もうちょっとナントカして欲しい

5.細かくは、トイレの設置場所が少なすぎ、階段の勾配がきつすぎ且つ幅が狭すぎ、売店が日本の温泉街のお土産屋のよう、パンフレット類が貧弱・・・・

とまあ、あまり良いことはありませんでした

それでも14時頃まで一通り見学して、次の目的地「ゴッホ美術館」へ。

これは、いつだかの朝日新聞のインターネット版を見ていたら、「3枚のひまわりが1ヶ所に集まるのは初めてのこと」とあり、なんとなく見てみたいと思っていたのですが、着いてビックリ、物凄い長蛇の列が美術館の回りに出来ており、そのままUターンしてきてしまいました。

これには後日談があり、手持ちのガイドブックによると美術館は18時までとあり、諦めたのですが翌日改めてダメ元でいってみると、列は解消されているのに加えて開館時間は金、土、日は21時までと知りノンビリと出来ました。

日本語による音声ガイドも無料で、フムフムと頷きつつジックリと見れました・・・・。

とここまで書いたところで、フト、この調子でダラダラ書くのもセンスがないような気もし、読むほうも疲れるのでは、と思い一旦筆をおくこととしますが、どうでしょうか。

前半(といっても初日の夕方までしかきていませんが)終了ということで。
頭を冷やして、後半をお送りいたします。





2012年7月31日火曜日

2001年11月23日 「スペイン後日談」



以前のバルセロナ話にちょっと付け足しです。

今回の旅行でジョンの、というか英国人の実質主義みたいなものを肌身で感じました。

これはジョンがたまたまそうなのかもしれませんが、当たらずとも遠からずだと思います。

まず彼はファッションには全く興味はなく「庭仕事」「天気」「株投資」「養蜂」「ポイントがたまるスーパーでの買物」「旅行」「ワイン」「チーズ」といったものに関心が注がれています。

自分は日本人であり、これまで日本で暮らしてきて日本人らしい画一的な価値観が知らず知らず染み付いているようなのですが、ジョンといるとその違いに気付かされます。

着るものにはブランド品は見当たらず質素そのものです。

暖かくて身体を守れれば良しといったかんじです。

ワイン、チーズというと何となくお洒落な印象を持つかもしれませんが、それは日本でお洒落なものとして広がったというか広げた人がいるからだと思いますが、こちらでのそれはもっと実質的なもので、まずもって一本ン万円のワインなどは滅多にお目にかかれません。

ジョンとよくワインを買いに行きますが、彼がウーンウーンと悩んでいるのはいつも4ポンド以下のワインです。

これはスゴク高くて良いワインだと自慢していたのが13ポンドでしたから。

今回は3泊4日の旅ということでかなり駆け足だったものの、随所に英国人らしい落ち着きというかゆったり感を発揮していました。

朝食もさっさと食べてホテルを一刻も早く出ることがこれまでの僕の発想でしたが、彼は毎朝1時間半くらいかけてゆっくりと食べながら昨日の面白かったこと、今日の行動予定などについて話をしたり新聞を読んだりととにかく余裕なのです。

夕刻も一旦ホテルに戻ってシャワーを浴びた後すぐに夕食のために外出するのかと思いきや、ホテルの部屋のバルコニーに椅子を持ち出して優雅にワインを一杯、といった具合です。

寸暇を惜しんでより多くの名所を飛び回る日本人の観光スタイルとはかなり隔たりがあります。
どちらが良いとは一概に言えませんが、このジョンという男からはまだまだ学ぶことがある気がしてなりません。


バルセロナ往復に使った格安飛行機ですが、注意深く新聞広告などを見ているとロンドン→タブリン片道1ポンドなんていうものもあります。

どうしたらこういうことが可能なのかわかりませんが、とにかく実在します。

ただし片道ですので復路が結構高かったり、その他に条件がついたりします。
当然空港利用税は含まれていません。

せっかく英国にいるのだからこういった格安飛行機を使ってより多くのヨーロッパの国を見たいものだと思います。

バルセロナから戻る際に飛行場でチェックインを済ませてソファーに座っていると、「GO」という今回利用した格安飛行機が着陸するのが見えました。

時間は午前10:35。

これは僕らがバルセロナ往路に乗ってきたのと同じパターンの飛行機です。

そして僕らが乗る復路の出発予定時刻は11:15。

すなわち着陸して乗客・荷物を降ろしてから次の乗客・荷物をのせて離陸するまでがナント40分ということです。

機内清掃などもなされているとは思われず、席にビスケットのこぼれカスが落ちていたのもうなずけたのでした。

機内誌によるとロンドン、バルセロナ間の飛行時間が2時間。
登載可能燃料が2万リットル。
1時間あたりの燃料消費が3千リットル、ロンドン、バルセロナ往復でも1万2千リットル。

ということは当初から機体整備、燃料補給は見込まずにトンボ帰りを意図したフライトスケジュールになっているということです。
恐らくパイロットも客室乗務員も交代無しでしょう。

更に想像するに1日にロンドン~バルセロナは2便づつあるので機体は一旦ロンドンに戻ると夕方の運行までの4時間で整備、燃料補給をする無駄のないハードスケジュールなのではないかと思われます。

乗員も2往復だったらこれはスゴイですが、さすがにそれはないでしょうが。

今や全盛の格安飛行機には色々と面白い舞台裏がありそうです。

そんなバルセロナ後日談でした。




2012年7月16日月曜日

2001年11月20日 「スペイン・バルセロナへ」



はてさてこの度はスペイン南部バルセロナに植物園のお天気オタクのジョンと二人で3泊4日で行ってまいりました。

茲許ヨーロッパ各国向けの格安飛行機各社が派手に格安戦争を繰り広げております。

今回はジョンが「信じ難いバーゲンだ!バルセロナ往復40ポンドだぞ!!」とエラく興奮して旅行を提案してきたので、僕としても一人旅よりは2人で行ったほうが何かと経済的なのでそれにのっかって旅が実現しました。

因みに40ポンドはザッと日本円で7000円くらいでしょうか。

それでロンドン⇔バルセロナ往復できるとはまさにバーゲン。

更に因めばバーゲンという単語はジョンがこの世で一番好きな言葉です。

これが噂のジョン なんと同じ年!


二人してとくにバルセロナで何がしたいということは無く、普通に観光してウマイものが食べれて楽しくできれば良いやという気楽な旅でした。

飛行機を決めて宿はジョン任せにしたところ普段のケチケチ・ライフスタイルに反してて一泊41ポンドの3ツ星ホテルを確保したとの報告がありました。

一泊の宿代が往復の飛行機代よりも高いとは少々納得がいかない部分もありましたが、これは結果的には良かったです。
ホテルのロケーションがほぼ街のド真ん中で、夜更かしのスペイン体質に合っていました。

部屋は節約のためにシングル×2ではなくツイン×1で。
事前にジョンが「オレはいびきをかくけどいいか?」と言うので耳栓を持参しました。

格安飛行機だけあってとても不便な時間の飛行機で、出発が朝7:15、チェックインが2時間前の5:15、それに間に合うようにケンブリッジを4:00のにバスで出発といった具合で、まだ星がまたたく時間に家をでました。

バルセロナ到着後は市内観光バス2日券というものを購入して市内の名所巡りを時間の許す限りしたのですが、あろうことか大雨、大風の荒天となってしまいました。

傘をさすのもはばかれるほどの荒れ具合で、オマケに気温も7度とさえません。

せっかく地中海の温暖な太陽を期待してきたのにケンブリッジとたいして変わらない寒さです。


強風で倒れてしまったヤシの木を見つけて「オレを撮ってくれ」と得意なジョン

バルセロナといえばガウディの建造物が有名です。
正直なところあまりそれらに関心はなかったのですがイザ実物を見てみると「コリャすげぇや」と感心するやら圧倒されるやら。

他に類を見ない物凄いオリジナリティで行って実物を見る価値は大であるかと思われます。

今回の旅はジョンという人間を知る旅であったといっても過言ではありません。

彼のような人物を私はかつて知りません。

他に類を見ないオリジナリティという点ではガウディに負けていません。

まず天気オタクだけあって、今回の荒天には大興奮、大喜びで、こちらがビショビショになって辟易としているときに一人で嬉々としていました。

翌日の地元の新聞は荒天を伝えるものばかりでしたが、彼は「これは良い記録だから」と言って新聞の売店でスペイン語も読めもしないのに全ての新聞を立ち読みして、一番劇的な写真が掲載されている新聞をおみやげに買っていました。

新聞スタンドで店員の嫌な視線をものともせず新聞を立読みするとは根性があります。

更に「ガイドブックによるとバルセロナの動物園には白いゴリラがいるらしい。そいつをどうしても見たいのだ。」と言い出し、風に吹き飛ばされそうになりながらようやく動物園にたどりつくと「荒天につき閉園」と看板がでていて本当に悔しそうでした。

そんなに白いゴリラが見たかったのかと、こっちがビックリです。

実物の白ゴリラが見られず看板で満足するジョン

荒天で動物園が閉園であったり、ケーブルカーが運休したりしてやることがないと思ったら大間違いで、「マサヤ、海岸に波を見にいこう。凄いものが見れるに違いない。」と言います。


渋々海岸に行ってみますと、海岸には高波が押し寄せ想像したとおり荒れに荒れていました。

彼は心底嬉しそうな笑顔で写真を撮りまくっていました。


かなりシリアスな高波にもめげず写真を撮りまくるジョン

お互い潮で顔面がしょっぱくなるまでそこにいて、そろそろ場所を変えようとしたところ、雨が強まったので近所のレストランに避難して軽食を注文した後も席には戻らず立ったまま店の玄関から外の荒れ具合を熱心にいつまでも見ていました。


ここまでいくとスゴイ奴と感心するしかありますまい。

今回の最大の問題点はふたりしてスペイン語がちんぷんかんぷんだったということです。

観光地バルセロナでありますから英語でオッケーだとタカを括っていたのですが、思ったように意思疎通ができません

タパスという小皿料理とワインという希望のパターンを貫くにはせめてメニューを理解できる程度のスペイン語力が必要なように思えました。

英語が通じる観光客をあてこんだレストランは美味しいとは言い難く、地元の人で溢れる美味しいレストランは英語が通じないといった具合です。

注文をとりにきたウエイターにアレコレ必死の思いで注文して、「なーんでこんな簡単な英語が分かんねーんだ、アイツらは!!」と憤ってしまいましたが、冷静に考えればここはスペインなんだからこっちがスペイン語を話すべきなのでしょうね
全体的にお値段は低め、お味はヨロシクて満足できました。

毎食会計を済ませるたびに「××ペセタだってさ、バーゲンだな!こりゃ。マサヤ!!」とニンマリするジョンの笑顔が今でも鮮明に思い出されます。

一日の行動を終え、夕食前にシャワーを浴びるためにホテルに戻り、ジョンが先にシャワーを浴びました。

間髪を入れず僕が続いて入りシャワーからでてくると小さなベランダに部屋のイスを出して、そこに腰掛けてどこで仕入れてきたのか赤ワインを優雅に飲んでいます。

僕はてっきり彼が着替えも済ませスグにでも夕食に出掛けられる体制にあるかと思っていたのです。

別に悪いことではありませんが、限られた時間で出来るだけ沢山のものを見よう、沢山のことをしようという発想に支配されていた僕は彼が悠然とワインを飲んでいるのをみて衝撃を受けました。

こんなスタイルもあるのだなぁ、と勧められたワインを飲みながら深く考えさせられてしまいました

初めてのバルセロナはガウディに唸り、フラメンコに感激し、タパスに舌鼓を打ち、ワインに酔い、ジョンの言動・行動に笑い、とても楽しいものでした。

これでスペイン娘とロマンスのひとつでもあれば文句はありませんが、ジョンと「バーゲンだ!!」と喜んでいるうちは夢のまた夢でしょうか。

そして日本人としてイギリスとスペインを比べずにはいられなかったのですが、愛すべきイギリスではありますが何となく「努力の足りない国」という気がしてしまいました。

うまく表現しづらいのですが、イギリスという国は進歩に対してとても臆病な国だと感じました。



どこでこんなものを買ってきたのか?ジョンが買ってきたソンブレロでひとしきり盛り上がる

バルセロナからケンブリッジに戻ったのは土曜日の昼の3時頃。


何故といって隣町のイーリーの大聖堂で行われる聖歌隊のコンサートを見るためでもあったのですが。


バルセロナの低い天井で熱気に溢れた情熱的なフラメンコを観た翌日に高い天井の寒い大聖堂でコートにくるまり手をさすりながら聞く聖歌。

静と動。

なんともいえない対比がそこにありました。