どうして「スバラシキ英国園芸ノススメ」なのか

ちょっと読んで 「あんまり面白くないなぁ」 と思った方。
騙されたと思ってしばしお付き合い下さい。

7年間の英国留学中にしたためたメールは300を越えました。
そしてこれが 「尻上がり的」 に面白くなっていくのです。

当初の初々しい苦学生の姿から、徐々に英国に馴染んでいく様子は100%ノンフィクションのリアルストーリー。

「スバラシキ英国園芸ノススメ」の旅はまだ始まったばかりです。

2014年5月27日火曜日

2003年09月20日 「ニャンニャン」


「やってみなはれ」と始めてみたネコちゃんとの共同生活。

ここにきて、はやり白旗を振ることとなりそうです。

どうもクシャミがとまらなかったり、ノドに違和感があったり、なーんか調子が悪く、「これは本格的に調子を崩す前にテを打たねば」という思いが強くなりました。

とはいえコトは「出ます」「そうですか」と単純ではなく、デリケートな問題を含んでいます。

まず、本件はキューの学生担当セクレタリーからの紹介ですので、彼女に迷惑が掛かってはいけませんので、まず彼女に事情を話し了解を得ました。

次に現在フランスの別宅に行っている大家さんとの交渉。

何せ彼女達は、この怪しげな日本人に鍵から何から一切預けて約一ヶ月も家を留守にしている程、僕を信用してくれちゃっているのです。

そして、彼女達の胸の中には僕がこれから3年間居てくれる、という暗黙の期待がある訳です。

そんな状態で、「アノー、実はですねぇ、ネコがですねぇ・・・」と言い出すのはかなり躊躇いがあります。

でも、強くならなきゃ!と気合を入れて明日日曜日に帰ってくる大家さんに対して真摯にお話し合いを進めるべく、現在シナリオを頭の中に描いているところです。

エサやるだけなんだから大丈夫なんじゃん?とタカを括っていたものの、家の中を歩き回った挙句、ネコの毛をくっつけて自室に戻るわけで、部屋をネコ出入り禁止にしたところで、無菌とはいえません。

ジョギングから帰ってきて、「さあ、フッキンでもするかっ」と床に寝転ぼうにも、「待てよ、この床は・・・」と腹筋運動も出来ず、「ヨーシ、徹底的に掃除機をかけて、ネコの毛を排除するのダ」とブンブン掃除機をかけたところ、かえってモウモウとネコの毛が舞って逆に返り討ちにあってしまう始末。

ちょっとツライかな、と。

さらに大家との話し合いが円満に進んだ場合、次の住まいを探さねばなりませんが、現在既に2件ほどアタリをつけました。

1件目は自転車で15分くらい離れたところで家賃が現在の約3分の1と驚愕の安さですが、実はこれは家に庭がついていて、この庭の手入れが条件になっています。

もう1件はケンブリッジの隣の部屋のビル君のお母さんの親友のご近所。

ビル君の家族とはとても仲良くさせて頂いており、彼のお母さんからはキューに受かったという話をした時点より「住む場所に困ったら相談しなさい」と言われており、早速困ってしまう事態に陥り相談した次第。

そのお母さんの親友にこの前事情を話しに会いに行きましたが、とても協力的で、「近所に心当たりがあるから聞いておいてあげる」とのこと。

タテバヤシ、色々な方々に支えられて生きております。

そんな訳で、まだまだ落ち着かないロンドン新生活です。

2014年5月6日火曜日

2003年09月13日 「一週間経過」



前略。

一週間が瞬く間に過ぎていきました。

ぎこちない初日から数えて、徐々にクラスの仲間とも打ち解け、改めて皆キラ星のごとくの経歴を持って集まったと知るに至り、圧倒され、果たしてオレは場違いなのでは??と不安になります。

自分がとてつもなく小さく思えて「あーあ・・・」と溜息も出ます。

今日は自分の園芸に関するバック・グラウンドを皆の前でプレゼンする日だったのですが、思えば自分の園芸的バック・グラウンドは日本での半年の植木屋経験とあとは英国に来てからのものに過ぎず、まだまだビギナーの部類なのです。

それに引き換え、皆かなりの経験があり、それに相当する教育も受けてきているのです。

高校、大学と胸を張って「やった」と言えるのはラグビーだけですので、今更にマズイなと。

まあ、言っても始まりませんので、今後頑張ります。

こんな自分でも輝く時はあるもので、昨日「クロッグ&エプロン レース」というイベントがありました。

これは毎年一年生が走る伝統の競技で、底の硬い木靴を履いて、エプロンをかけて植物園の中の約400メートルの直線を走りきり、誰が一番早いかというのを競うもので、「こんなときにしか活躍は出来ん」と気合を入れた結果、ブッチギリで優勝いたしました。

一番若いのが19歳ですから、その倍生きてるおじさんとしての意地ですね。


その模様は例のBBCのカメラも熱心に追っていて、レース後には勝利者インタビューをBBCから受けました。

歴代の勝利者の名前を彫り込んだトロフィーを受け取り、2003年の勝利者として歴史に名前を残すこととなりました。


子供の運動会でよく足がもつれて転倒したりするお父さんを見かけますが、僕もそんな年頃ではあるものの、「まだまだイケるっ!!」と一安心。

クソー、今子供がいたら子供に自慢しちゃうのに。
ちぇっ。

因みに翌日は筋肉痛でツライかなぁ、と予想していたら、左にあらず。

どこも痛くも痒くもなく、「日頃の心掛けよのー」とまたまた安心。

一方、講義も「土壌学」「植物体系学」「植物生理学」「植物解剖学」などのアカデミックな講義も徐々に始まり、化学の元素記号を憶えたり、アップアップです。

こんなことなら高校時代にもっと真剣に勉強していればよかったと後悔しきり。

なにしろ自分の人生において5段階評価の最低「1」を取ったのは後にも先にも高校時代の生物だけです。

これはひとえに「遺伝」が不出来だったからですが、キューの2年目にはその「遺伝」があり、今からドキドキです。

今日は我々学生をサポートしてくれる担当のバーバラというおばさんから「こんなのあるけど、どう?」と聞かれたのが、植物園内で入場料などのお金を数える人を職員の中で募集しているというのがあり、元銀行員としてうってつけのバイトということで二つ返事で引き受けました。

金勘定、得意です。

盛り沢山の毎日、何もかもが新しい毎日。

刺激的でなかなかイイモンです。

まずは健康で、楽しみつつ、苦しみつつ無事一週間を終えましたことをご報告いたします。