どうして「スバラシキ英国園芸ノススメ」なのか

ちょっと読んで 「あんまり面白くないなぁ」 と思った方。
騙されたと思ってしばしお付き合い下さい。

7年間の英国留学中にしたためたメールは300を越えました。
そしてこれが 「尻上がり的」 に面白くなっていくのです。

当初の初々しい苦学生の姿から、徐々に英国に馴染んでいく様子は100%ノンフィクションのリアルストーリー。

「スバラシキ英国園芸ノススメ」の旅はまだ始まったばかりです。

2012年4月25日水曜日

2001年06月18日 「ちょっと感動デス」



先週は例の押花ウイークでした。


通訳を頼まれ安請負をしたものの、JAPAN2001という国をあげての大きなイベントの一環であること、宣伝の凄さ、日本大使館なども絡んだりしてそのオフィシャル振りを知るにつれ「これはマズいことを引き受けちゃったゾ」と後悔することしきりでしたが、無情にも日は刻々と迫りついにその日を迎えたのでした。


日本から押花チームが月曜日に植物園にやってきました。


押花教室に合わせて展覧会も開催するのですが、その会場設営に駆り出され本業そっちのけの毎日でした。


僕は押花チームと植物園の間をとりもつ仕事をいつの間にか任されてまさに板ばさみでした。


「釘と金槌がいる」と言われては植物園側に理由を説明し道具を手配したり、「ディスプレイはこうしたい」と言われては植物園側に要望を伝えその許可に至るまでの交渉をしたりと植物園トレーニーとして想定していた仕事の域を越えて身を粉にして働いていました。


夜は夜で押花の大先生が食事をするのに良い場所を教えてくれと言われ接待さながらに夜のケンブリッジに繰り出しドップリと気疲れしてしまいました。
気が張っていたのと、気疲れしたこともあって普段は滅多にない頭痛におそわれ2日間ほどクタクタでした。


そして水曜日。
午前と午後それぞれ2時間づつのワークショップの本番で、これが疲れのピークでした。


それぞれのワークショップには20人づつの熱心な押花ファンのイギリス人が集まって先生と一緒に押花シール、ハガキ、色紙を作ります。


僕は「接着剤」「脱酸素剤」「乾燥剤」「静電気」といった普段あまり使わないが押花では必須の英単語を事前に準備して本番に臨みました。


フォーマルな場と聞かされていたので1年振りのネクタイ姿です。


いざ始まって舌が滑らかになるまで少々掛かりましたが全体的にまぁ上手くいったのではないかと思います。


でもタイミングやニュアンスを伝えるのが難しい場面もあって、先生がつまらない冗談を言ったときにそれをどう扱うか悩んでしまいました。


例えば押花の鮮度、色を保つために真空状態にするわけですが、そのためのポンプがない場合はストローを使って空気を吸いだしてくださいという説明のあとに「どうやってこれでよしというタイミングをはかるのですか?」と参加者が質問したところ大先生は「アナタの顔が赤くなったらです」と大真面目な顔で言うので内心「これっておじさんギャグ??」と思ってもこれをどう訳すかちょっと躊躇してしまいました。


「では皆さん席に戻って御自分でやってみてください」とうながされて皆真剣な表情で作業をします。


これまでの経験として英国では先生は生徒のところを回って「いいねぇ」「スバラシイ!」と褒めたりしてコミュニケーションをはかるものなのですが、大先生は不動の姿勢をつらぬいておりましたので、一介の通訳としてはいささか出しゃばり過ぎかとは思いましたが参加者のところを回っては「質問はありませんか?」と聞いて回り、ついでに「fantastic!」「lovely!」などと大袈裟に褒めてまわりました。


そんなわけで2回のワークショップは無事終了し、参加者を教室の出口で見送っていると「アナタの英語、分かりやすかったわよ。」と声を掛けてくれるおばさんが数人いました。


お世辞でもそう言っていただけると、これまで準備に充ててきた苦労も報われたような気がして、ちょっと味わったことのない感動がありました。


主はあくまでも大先生で、皆食い入るように先生の手先に注目していたのですが、説明をするのは僕なので、僕も押花アーティストだと勘違いしたフシもあります。


僕が「では席に戻って説明した順番どおりにやってみてください。」と言うと皆指示通りにマジメな表情で取り組んでいる様子を見て、僕のナンチャッテ英語でも一応通じるのネ、とホッとしたものです。


木曜日の夜にはレセプションがあって、日本大使館からも秘書官が来ていましたし、大学側からも著名な教授が来ていてオフィシャルな雰囲気のなか、ここでも押花の先生の横につけという指示で金魚のフンのようにウロウロしていました。


最後に先生が皆の前で英語でスピーチをしました。
これは予め準備した原稿を読み上げるので問題はないのですが、急遽追加で言いたいことがあるので頼むと土壇場でいわれ、格式高いゲスト50名が固唾を呑んで見守るなか「言い切ったモン勝ち」の精神でどうにか乗り切ったのでした。


そんな押花ウイークでしたが、不思議な達成感がありました。


面倒臭いとうっちゃってしまうことも可能でしたが、やったことが自分のためになった気がします。


また、押花がかくもビジネスになりうるという実態を目の当たりにして今後の自分の行く道にまたひとつの光が差した気がしたのでした。

2012年4月24日火曜日

2001年06月11日 「寒いです」



6月だってのにどうなっているんでしょうか。

お天気オタクのジョンが先週の木曜日に嬉しそうな顔をして「昨日の夜の最低気温が何度だったか当ててごらん。」と言ってきましたが、正解はナント!マイナス1.1℃でした。

なにも6月に氷点下はないだろうと思うのですが、それが現実ですし実際に寒いです。

そんな訳で天気はサッパリなのですが、それでも植物たちは夏本番に向けて日々成長しています。
花の盛りが一週間程度でめまぐるしく入れ替わるので週ごとに景色が違って見えます。

ここ2週間は外でひたすら植栽を続けて行っていました。

冬から早春まで温室で育ててきた苗を外にだしてやるのですが、簡単にいえば花壇の花を季節に合わせて植え替えるということです。
広い植物園の花壇から花壇へと次から次へと植えて2週間でざっと5000株以上は一人で植えたと思います。


植栽のようにかがんでする仕事を長時間行うと問題なのは腰です。

もともと腰痛持ちだったので以前の僕であれば2週間も朝から晩までかがみ仕事をしていたら数日間は寝込んでいたと思うのですが、最近は強くなってきたのでしょうか。

腰にちょっと疲れを感じるものの寝込むほどの痛みはありません。
あたかも田植機のように黙々と植えまくりました。

36になってもまだ進化し続けているゾォ!と太陽に向かって叫びたい気持ちです。

アパートの隣室のビル君は一週間休暇をとって地中海のマヨルカ島に行っていたようですが、そこで食中毒にあったのか原因不明の腹痛で帰ってきました。

本当に具合が悪そうでしたのでヨーグルト、くだもの、薬などを差し入れてあげました。

今日はいくらか回復したようでしたが、ここ数日間まともなものを食べていないと言うのでお腹にやさしい食べ物はなにかと考えてトリ雑炊を作ってあげました。
消化がよく、栄養があって、身体も暖まると3拍子揃ってはいましたが、果たしてそんなものが英国人の舌にあうのかは全くの未知数。

とりあえず「ジャパニーズリゾットね」といって差し出すと「ベリーグッド」と言ってフーフーしながら完食していました。

昨年の夏にヨークの学校で腰痛のために一人で全く身動きがとれず3日間飲まず食わずで心細かったところに、運よく発見され救出されたことがあるのですが、そのときに差し入れてもらったサンドイッチと果物がどれだけ有難かったことか。

今回は相手が違うもののイギリスへの恩返しといった気持ちでビル君に接していました。




2012年4月18日水曜日

2001年05月15日 「押し花」



先週は当地も気温25度という初夏を思わせる陽気が数日続き、ようやくこれで薄着で歩けると思ったのも束の間、今日からまた気温がグッと下がりぬか喜びに終りました。

さて今年は英国でJAPAN2001と称して各地で日本に因んだイベントが開かれています。

例えば来週はロンドンで日本から運んできた御神輿が出て「祭」が行われるのだそうで、これは是非アパートの隣人ビル君を連れて見に行こうかと思っています。

ケンブリッジの植物園でも6月に「The Art of OSHIBANA」と銘打って押し花教室が開かれることになっています。

講師を務めるのは日本で押し花の第一人者だという杉野さんという方。
彼とそのスタッフは準備と下見を兼ねて3月に一度ケンブリッジに来ていたので興味がありました。

植物園の最高責任者である教授からは押し花教室の通訳を頼まれたのですが、その時は出たところ勝負でいいや程度にタカをくくっていました。

ところが植物園に限らず街のいたるところにとても立派な押し花教室のチラシが置いてあって大々的に宣伝しているのを発見。
更に王立園芸協会の会報誌にも大きくその押し花教室のことを取り上げられているのを発見。

事の大きさを認識するにいたりました。
そして通訳など安請負してしまったことを後悔したのですがもはや後の祭。

大慌てで日本の担当者に連絡をとって、一体どんなことをするのか、どういう流れなのかといった資料を送ってもらい準備に取りかかりました。

送ってきた資料を見てビックリ。

ナント先方は「世界押花芸術協会」ですよ。
せめて日本押花協会とか、あるいは青梅市押花協会くらいにしておいてくれれば、などとその団体名の凄さに恐れ入ってしまったのでした。

そもそもワタクシは押花なんてこれぽっちも興味がないのになんでまた、というカンジです。

俄然被害者意識が盛り上がってきました。
まぁ愚痴っても始まらないので押花教室が開かれるその日までは「押花英会話」の習得に全力をあげて取り組む所存でございます。

どうなることやら、楽しみな気持ちが半分と、トホホという不安な気持ちが半分でしょうか。

恐らく爽やかなる笑える御報告ができるのではないかと思っていますがどうでしょう。



2012年4月10日火曜日

2001年05月09日 「買物ゲーム」


連休はいかがでしたか?

最近耳にしたニュースですが、英国で列車強盗をしたオジサンが南米で逃亡生活を送っていたらしいのですが「パブでビールが飲みたい」という望郷の念に駆られて逮捕覚悟で帰国して捕まったというのがありました。
パブでビールを飲むという行為が英国人にとってどういう深い意味があるのか、何となく分かる気がします。

さてこちらは5月だというのに相変わらず肌寒い毎日が続いています。
昨年の今頃は明らかにもっと暖かかったと記憶しているのですが、やはり異常気象なのでしょうか。

土曜日にアパートの隣室のビル君がスーパーマーケットに車で買物に行くけど一緒にどう?と誘ってくれました。

ところが彼の車に乗り込んで出発という段でエンジンが掛かりません。
どうやらバッテリーがあがってしまっているようで、日本のJAFに相当するRAC(Royal Automobile Club)に連絡をしてエンジンが掛かったのはそれから1時間後のことでした。

時刻は21:35。

スーパーは22:00で閉店します。

エンジンは掛かったもののエンジンを切ることなく少なくとも30分ほど走って充電する必要があったためスーパーの駐車場で一人が買物に走り一人が車で待機し、買物を終えたほうが今度は車の番をして・・・と超効率買物作戦を余儀なくされました。

まさかエンジンを掛けっぱなしで二人して買物に行ったら車は跡形もなくなっているでしょうし。

まさに苦渋の作戦です。

ビルは「オマエが先発で行け。時間は気にしなくていいから。まぁオレは明日でもゆっくり行けるし。」と言いますが額面通りに「アッそう」とも言えず、アパートからスーパーに向かう車の中で「野菜コーナーでアレを買って、肉売り場でコレを買って、あとはパンとミルク・・・」とイメージトレーニングをしてスーパーの駐車場に到着と同時にスーパーの入り口に向けて猛ダッシュです。

入り口ですかさず買物かごを手にして、イメージトレーニングで予行した通りに寸分の無駄もないしなやかな動きで買物を済ませました。

その所要時間はナント7分。

画期的スピードと申せましょう。
よくテレビ番組で制限時間以内に予算内の買物をするというのがありますが、まさにそれを地でいくカンジでした。

息を切らせて車に戻ると、今度はビルが血相を変えてスーパーに駆け込みます。

普段悠然とした男なので、あたふたするビルを見ていて可笑しかったです。

どうにか二人して無事に週末の食糧買出大作戦を遂行しホッとしました。

やっている本人としてはその時は無我夢中で必死でしたが、今こうやって振り返るとなんとも間抜けな買物ゲームでしたね。

何を土曜日の夜に大のオトナふたりが息を切らせてやっているのだか・・・。



2012年4月4日水曜日

2001年04月28日 「ビール祭り」



昨日ビール祭(Beer Festival)なるものに繰り出し、これが結構面白かったので謹んで御報告申し上げます。

アパートの隣室のビル君と近所のパブで飲んでいたときに、ビール祭というのがあってこれが絶対オモシロくてオススメなので今度ベリーセントエドモンズ(Bury St.Edmunds)であるビール祭に行こうよ、という誘いをいただきました。

このベリーセントエドモンズというのはケンブリッジから電車で40分ほど西に行ったところにある雰囲気の良い田舎町で、夕方仕事が終ってからビル君と出掛けました。

駅に降り立ってビール祭会場への行き方を駅員に尋ねると「ビール祭会場へはこの道を真っ直ぐ。そうね、20分も歩けば着くよ。でも帰りは倍の40分は掛かるだろうけどね。ガッハハハ。」と豪快に笑いながら教えてくれました。
どうやら帰りは酔っ払って千鳥足になるので倍以上時間が掛かると言いたかったらしく、これがイングリッシュ・ジョークというやつでしょうか。

教えに従って真っ直ぐ歩くと街の中心地の広場に出て、それに面した公民館が会場でした。

これからイヤってほどビールを飲むというのに、ビルはその会場の横にあるパブを指して「あれって英国で一番小さいパブらしいんだけど、せっかくだからあそこで一杯どう?」と言うので、ハーフパイントをウォーミングアップ代わりに飲み干し気合を入れていざ会場へ。

会場に入るには既に小さな列ができていて、入場料2ポンドを払い階段を上がって会場へ。
会場の入り口では更に1シートあたり4ポンドのビール回数券と、1パイントグラスのマイグラスを購入します。

このマイグラスはこのビール祭オリジナルでお土産に持って帰ることもできるし、返却すればデポジット2ポンドを返してくれます。

1パイントのこのグラスには丁度半分のあたりにハーフパイントの線が入っていて、自分の好きなビールの銘柄の樽まで行ってハーフパイントかワンパイントなのかを告げてその分のチケットを差し出すというシンプルな方式です。

どういったビールがあるのかというリストを握りしめ記念すべきビール祭第一歩がスタートです。

会場には31醸造所からそれぞれ3銘柄ほど出品されているのですが、それら全てを味わうのは肉体的に不可能なので、リストにある各ビールの説明を読んでだいたいの見当をつけてハーフパイントづつ頼みます。

幸いビルと二人で出掛けましたのでふたりで別の銘柄を頼んで回し飲みをすれば2倍の効率で色んなビールが味わえることになります。

味も色もアルコール度もマチマチで色んなビールで溢れています。

アルコール度数は3.4~9.6%と幅が広く、ホップの効いたもの、モルトの味が強いもの、フルーティーな味わいのものなどバラエティに富んでいます。
値段は一般的にアルコール度に比例しているようでした。

会場で知り合った酔っ払いのオジサンが飲んでいた9.6%のビールをちょっと分けてもらいましたが、ビールの概念を覆す味でした。

会場はおおむね酔っ払いが席巻しているのですが、それでも普段パブで見かけるように会話に熱中するひともいれば、ビールリストに何やら書き込みつつ真剣な面持ちでグラスを傾けるひとがいたりして観察していると飽きることがありません。

皆共通しているのはビール好きだということでしょうか。


会場の隅にはお土産コーナーがあって、コースター、ティーシャツ、傘、バッジ、タオルなどのビール関連ノベルティがところ狭しと並べてあり、僕はコースターのセットとティーシャツをついつい買ってしまいました。

自家製ビール醸造キットなるものもおいてあって、会場はまさにビール天国。

会場に到着して飲み始めたのが19:30で会場を出たのが21:50。
終バスを逃さないように時計を気にしつつ2時間20分で6パイントを飲み、ビルと回し飲みした結果24銘柄を味わうことができました。

しかし短時間でピッチをあげて飲んだため「ウーン、これはホップが効いている割にはまろやかで、どことなく硫黄っぽいが、しかしそれでいて・・・」と御託を並べていたのは最初の数杯で、あとはもう惰性で味は分からなくなっていました。

ビールを飲むだけのために時間とカネをかけてわざわざ繰り出したわけですが、それだけの価値は十分あったと満足して千鳥足で帰ってきました。

5月には地元ケンブリッジでビール祭があるとのことで今からかなり楽しみです。

ビール祭で言うところのビールとはエールビールを指しており、冬は重たく濃厚、夏は軽くてフルーティーといった具合に季節を反映させたり、地元のそれぞれの小さな醸造所が季節感を出しながら地域限定で出しているもので行った先々でその土地のビールを飲むというのは何よりの楽しみでもあります。

日本はゴールデンウイークでしょうか。
本当に良い季節になりました。
どうぞゴールドな1週間をお過ごしください。