土曜日の昼過ぎに普段はほとんど鳴ることのない電話が鳴りました。
「もしもしマサヤ?エリザベスだけど。明日ヒマ?良ければお昼ご飯を食べにこない?」と電話口の女性は言います。
「誰?エリザベスって??」と基本的かつとても重要な疑問がわきました。
ケンブリッジにエリザベスなんて知り合いはいません。
よくよく話を聞くと以前ヨークでニコルという女の子を介して会ったことのある人のようでした。
でもあまり記憶が定かではありません。
ニコルはスコットランド出身の奔放な女の子でヨークの学校で一緒でした。
僕がケンブリッジの植物園にいると知ると、知り合いがいるからと言って以前尋ねてきたことがあります。
そのとき彼女が泊まっていたのがこのエリザベスの家でした。
彼女らは同じ宗派の教会での知り合いらしく、言い換えればそれだけの関係のようでした。
ニコルがケンブリッジに来たときにエリザベスの家に招かれて食事もしたのですが、もはやすっかりそんなことは記憶にありません。
で、今回のお誘い。
しかも仲介役のニコルはいません。
電話を切ったあと一人悩みました。
そんなに親しいというわけでもないし、どういった会話をすればいいのか。
そもそもエリザベスって名前すらすぐに思い出せなかったのに、彼女の家族の名前は全く忘却の彼方です。
「今日は御招待いただきありがとうございます。で、アナタのお名前は?」などと聞けるはずもなく、かといって名前を呼ばないのはもっと失礼だし。
結局ニコルに連絡をとって、家族の名前を予習して彼女の家に向かいました。
しかし、一度会っただけの怪しげな東洋人を自宅に招くというその意図は何処にあるのだろうと考えをめぐらせました。
疑ってはいけませんが、映画「ミザリー」のように気が付いたら縛られてなどと考えないでもありませんでした。
ちょっと重要なのがその日が日曜日であり、お昼ということはサンデーランチであるという部分です。
伝統的な英国の家庭では日曜日は安息日でいつもよりもゆっくり朝寝して、軽い朝食のあと教会におもむき礼拝をして、帰宅後遅めの盛大な昼食をとり、家族でゆっくり団欒して夕食はホンの軽めにというのが典型的かつ伝統的な過ごし方です。
このサンデーランチのもつ意味合いはとても大きく、家族水入らずなのが基本と聞いたことがありましたので僕のような人間が行って本当にいいのかと再び不安になりました。
英国名物であるローストビーフ、ローストラム、ローストポークなどのロースト料理が振舞われるのは一般に週に1回この日曜日のお昼だけです。
その特別な状況を考えれば考えるほど不安と緊張が煽られるばかり。
手ぶらで行くわけにもいかず、とはいってもランチでアルコールというのもどうかと思案して手土産の定番であるワインを断念し、お菓子屋でトフィーというキャラメルのようなお菓子を購入して意を決して雨の中自転車を走らせました。
ずぶぬれになった僕をとても親切に迎えてくれて、タオルで身体を拭いているともう一人のゲストだというロンが現れました。「ヨカッタ、一人じゃなくて」とホッとして自己紹介するとロンも教会での知り合いだとのことでした。
ほどなくサンデーランチの準備が整い、皆でダイニングルームに着席し食事前にクリスチャンらしくお祈りがありました。
家長であるレオンがお祈りを捧げるのですが声が低くボソボソ言うので聞き取れません。
最後に「アーメン」と唱和して食事が始まりました。
ローストポークと温野菜の付け合せで、デザートにリンゴのクラムブルとアイスクリームという英国人にしてはアッサリとしたシンプルなものでしたがとても美味しかったです。
食事中は「どうしてこの国にきたのか」「何を今しているのか」「これからどうするのか」といった定番の質問に答えながらいろんな話をしていると、普段独りで黙々と食事をしているせいか、どことなく満ちた気分になっていきました。
そしてついにくるだろうなと予想しつつも恐れていた宗教の話題に。
僕はまったくの無宗教な無責任な男でして「どう思う?」「日本はどうなの?」なんて話を向けられると「ンー、日本は基本的には、アー、仏教国ですが、ウー、そのなんと申しますか物質主義と申しますか、ソノー、今の若い人のあいだでは・・・」などとシドロモドロもいいところで、改めてこの無宗教感覚というか無教養な自分を恥ずかしく思うのでした。
話が弾んで三時間ほどがアッという間に過ぎ、ロンが「そろそろ夕方の礼拝に行かねば。」といってお開きとなったのでした。
ケンブリッジはヨークに比べると都会で行き交う人々はどことなく冷たい印象をもっていたのですが、キリスト教の博愛精神のもと新たな友好の輪が広まったことはなんとも有難いことだと思います。
そんなサンデーの午後でした。
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