どうして「スバラシキ英国園芸ノススメ」なのか

ちょっと読んで 「あんまり面白くないなぁ」 と思った方。
騙されたと思ってしばしお付き合い下さい。

7年間の英国留学中にしたためたメールは300を越えました。
そしてこれが 「尻上がり的」 に面白くなっていくのです。

当初の初々しい苦学生の姿から、徐々に英国に馴染んでいく様子は100%ノンフィクションのリアルストーリー。

「スバラシキ英国園芸ノススメ」の旅はまだ始まったばかりです。

2013年9月8日日曜日

2003年02月16日 「週末」



まだまだ寒い毎日でしょうか。

こちらも朝は霜が降りてあたりが真っ白だったりするものの、スノードロップ、クロッカスなどは既に花を咲かせ、スイセンなども土からニョキニョキと顔を出し花をつけるのも時間の問題かと思われ、春間近、いや既に春到来ともいえる風情がここそこにうかがえたりします。

最近は試験、レポートに終われ、学生らしく忙しくしています。

金曜日には「土の構成」という試験があり、20年振りに化学記号なども思い出しつつ、土の酸化、酸性化、などについてやりました。

そもそも化学は中学、高校時より大の苦手で、当時は授業中に意識を失うこともしばしばでしたが、37歳になって17歳の時と同じことを言っていられませんので必死でした。

しかも英語なので、もう丸覚えするしかなく、こんなことなら20年前にちゃんとやっとけばよかったと後悔することしきり。

当然辞書もひいてはみるものの、「Ferric=第二鉄の」「Ferrous=第一鉄の」などとなっていて、何のことやらサッパリ分からんデスので、丸覚えですが、何度も復習しているうちに、単語それぞれは置いておいて、理屈は分かった気がします。

よって試験は会心の出来でございました。
ハッハッハ。

現在は「卒論」に追われております。

卒論は最終的にはまだまだ締め切りは先なのですが、「中間報告」が今月24日で、それまでにある程度仕上げねばならず、毎日ヒーヒー言っています。

タイトルは「英国における日本庭園の実際」みたいなもので、導入部として日本庭園の歴史、日本庭園の定義などに触れるのですが、ここでも中学高校以来、日本史を振り返ったりして、頭から湯気が出そうです。

そもそも中学・高校の時から日本史は大の苦手課目で(ってオマエに得意課目はあったのか??と突っ込まれそうですが。アッ、体育!)、「イイクニ作ろう鎌倉幕府」位しか知りません。

安土桃山時代、鎌倉時代、江戸時代など名前は聞いたことがあり
ますが、何となく江戸は最近だろうなくらいのモンで、どれが先で順番はどうなってるのかも怪しいというか知らない始末。

それを英語で論じようってんですから、我ながら太てぇ野郎だ、と感心します。

まず自分で理解せねばなりませんので、本を読むわけですが、これが「英語」で、よもや日本の歴史を英語で学ぶことになろうとは。

こんなことなら中学時代マジメにやってればよかったと後悔しっ放しです。

もし自分に子供がいたら、お父さんのこの体験を伝えマジメに勉強するよう説いて教えたいものだと思います。

2月1日~9日までの1週間は、前期終了に付休みだったのですが、どこにも出掛けず、自宅もしくは学校の図書館にこもりきりで、今何とか70%の仕上がりです。

度の週末はケンブリッジから友人が2人泊まりで遊びに来るので、それまでに仕上げるべく、この週末も篭りきりで、レポートに勤しんでいるという訳です。

しかし、昨日からラグビーの6カ国対抗戦が始まり、その初日ということで13:30から「イタリア対ウエールズ」、16:00から「イングランド対フランス」のTV中継があり、リビングのソファをTV前にレイアウトし直し、ビール、ポテトチップスなどをふんだんに準備し、一人で大いに盛り上がってしまいました。

息抜きも必要だ、ウムウム・・・と。

そして、今日日曜日は「やるぞ、やるぞ、仕上げるぞっ」と朝も早くから起き上がり机に向かうも、行き詰まるとこうやってメールなんか書いちゃったりする訳です。

オッ、そろそろレポートの世界に戻らねばなりませぬ。

ニースに行ったり、ジョンと遊んだり、「遊び」の部分を主体にお知らせしておりましたが、本業はかくの如く勤勉な学生であることを謹んでご報告申し上げる次第です。

写真は格闘中の散らかってる自室。

これは資料と、レポート構成・進行を管理している紙を床に広げているところで、計算された配置と申せましょう。

2013年8月30日金曜日

2003年01月19日 「ニース」



銀行員だったときのこと。

とある会社にて、経理担当部長と話をしている最中に、競合銀行の若い担当者が来て鉢合わせになったことがあります。

彼の差し出した名刺の名前の上に「中小企業診断士」とタイトルがついていました。

「若いのにやるじゃないの」(当時の自分も十分若かったとは思いますが)という敬意と、「カッコええじゃあないの」という単純な感情が沸き、「あんなお子様みたいなのが取れる資格なら、オレも取っちゃおうじゃあないの」と意気込んで、早速通信教育を申し込んだものの、思ったより手強いのと、スグに飽きがきて毎月届く教本は封すら開けずに埃をかぶる結末を迎えたのでした・・・・。

さて、この度週末を利用して先週の土曜日から火曜日まで南フランスはニースに3泊4日で一人旅をきめてまいりました。

特に目的があったわけではなく、たまたま格安航空券を見つけたので、ショボいイギリスの天気から開放されて気分転換が出来れば、という軽い気持ちで出掛けました。

ニースとはいっても「貧乏旅行」ですので宿泊はモチロン「ユースホステル」です。

因みに一泊朝食付で13ユーロ。

そこで上智大の学生に出会ったのが今回の旅の収穫だったと申せましょう。

夜、食堂でフランス人とフランス語をペラペラと喋る東洋人の若者を目にしましたが、よもや彼が日本人とはつゆ知らず。

後で話を聴くと「大学の一般教養でフランス語をとり、興味があった」「かれこれフランスを放浪して一ヶ月で脳は完全にフランス化している」とのこと。

そんなんで喋れちゃうモンなの?って感じでしたが。

大学2年を終えたところで、一年休学して英国のニューカッスル大に私費留学し、これから帰るのだとか。

その話と彼のフランス語を聴いて、「若いのにやるじゃないの」という敬意と、「カッコええじゃあないの」という単純な感情が沸き、「あんなお子様みたいなのが、そんな短期間で喋れるんだったら、オレも喋っちゃおうじゃあないの」と意気込んでヨークに戻り、イの一番に学校の図書館に行き、「BREAKTHROUGH FRENCH」とかいうテープ3巻付の教材を借りてきて早速勉強を開始。

オレはやるっ!!と今のところはモチベーションはかなり高いですが、どうなりますやら。

そんなフランス語やるくらいなら、花の名前のひとつでも覚えろって感じでしょうか。

でも、ヨーロッパの非英語圏に行くといつも思うのは「ああ、喋れたらなぁ」ということですので、フランス語で少しでも意思疎通できればスイス、カナダなんかでもいいでしょうし、同じラテン語圏という意味ではスペイン語、イタリア語あたりにも応用が利くのでは?と思うのですが、どうでしょう。

さて、話を戻すと、ニースはアルファベットで綴ると「NICE」、ナイスも「NICE」で、じゃあ「ニースはナイスなところか?」というと、自分の答えとしては「まあナイス」です。

基本的に高級リゾート地ですので、「お金があればもっと楽しい」とは思いますが、お金がなくてもそれなりに楽しめました。

まず、なんと言っても「天気が良い」(良かった)。

滞在中は一片の雲もなく晴れ渡り、常に鬱陶しい天気の英国から逃げて来た甲斐が大いにありました。

海はいかにも地中海といった感じで、ラムネのびんのような色をしており、マチスやシャガールの絵画が生まれるのもつくづく頷けるのでした。

レストランといえばパスタ、ピザがメインでフランス料理というよりはイタリア料理的でしたが、嬉しいことに安くてウマイのはナイスでした。

その他に気が付いたことといえば

①犬好きは英国人以上とみた。レストラン、バス、電車、店・・・どこにでも出入り可能のようで、混み合ったバスの中で大きなジャーマンシェパードが座席ひとつ分を占領していたのには、感心(?)した。
その代わり、街の中は犬のフンだらけ。

②女性は概してオシャレ。
特に目に付いたのは「毛皮」をまとった女性が多いこと。
最近は動物愛護の観点からも着る人が減ったとは思うが、ここはさながら毛皮ファッションショー。

③街のいたるところにカフェがあり、フランスなので皆「カフェオレ」なのかと思いきや、ほとんど皆といっていいほど「エスプレッソ」だったのは意外。
などなど。

そう!最後に事件が。

インフルエンザで年を越してしまったせいか、今年のワタクシ、どうやら一筋縄ではいかないようデス。

3日目の朝。外出するについては荷物が嵩張るので、パンツ、靴下、ズボン、ティーシャツといった着替えを大きなナイロンの袋にいれて、それをベッドの上に置いて出掛けました。

別に貴重品でもないし、そんな他人のパンツなぞ盗るやつはいないだろう、とタカをくくってイザ街へ繰り出しました。

戻ったのが遅かったため、部屋は既に消灯され他の約5人はイビキ・寝息をたてて寝ていました。

電気をつけるのも悪いなと思い、脱ぐものだけ脱いでサササ、とベットに滑り込みました。

翌朝起きて「さあ、シャワーでも浴びて着替えっか」とナイロンの袋をたぐり寄せると、妙に袋が小っちゃくなっちゃってます。

中を慌てて見ると、ズボンとティーシャツがありません。

「あらー、やられちゃったよぉ」とガックリきましたが(というかむしろそんな切羽詰った奴がいるのか、とそっちの方がオドロキでした)そんな置いとくほうが悪いと自分を戒め、朝食をとりに食堂へ。

脱力しつつ食事をしていると、目の前を通り過ぎて隣のテーブルに座ったイタリア人が「スゴーク似ている」ズボンを穿いています

「あらっ、ひょっとしてあれ、オレんじゃぁない?」と思い目を凝らしてはみるものの、「そんな取ったものを取った本人の前で穿かないだろう。いくらなんでも・・・」
「イカン、イカン。人を疑うのは。無くなったのは自分が悪いんだから」と忘れることに。

食事を終え部屋に戻る際に、これまた偶然にそのイタリア人が自分の前を階段を上っていきます。

そのズボンの裾を見て「!!」。

それは自分が裾上げしてもらったときの縫い目に他ならなかったのです。

いきなり喧嘩腰ってのもいただけない、と思いここはひとつ大人に。

笑顔で「あのサ、そのズボンサ、君のかな?ボクのだと思うんだけど。どうしたのそれ?」と聞くとイタリア語で色々言い訳を始めましたが、表情は「しまったっ」というのがアリアリ。

お互い言葉が通じず押し問答しても埒があかず、管理人を呼ぶためにその場を離れ、管理人と戻るとそのイタリア人は既にズボンを履き替え、僕の部屋にそれまで着ていた僕のズボンを投げ込んでありました。

管理人にティーシャツもあるはずだ、といって彼の部屋に入るとワタクシの愛しいティーシャツが棚の上に。

管理人は彼に「出て行ってくれ。警察を呼ぶぞ。」と言い渡し、一件落着となったのでした。

最初は笑顔での交渉でしたが、話しているうちに興奮してきて悪口雑言が出るわ出るわ。

しかも全て英語でですので、自分の語彙の豊富さに我ながら感心したのでした。

コレ、明らかに映画・TVの見すぎです。

次はフランス語で、などと夢は膨らみます。

そんなニースな旅でした。

(追伸)
ご心配かけましたインフルエンザですが、現在95%の回復で、思いのほかシツコクて驚いています。
相変わらず右耳が聞こえないのですが、医者に相談したところほっとけば治るとのこと。
病名は「Secretory otitis medial」と言われさっぱり分からなかったのでインターネットで調べたところ滲出性中耳炎だそうです。
インターネットって便利ですね。

2013年8月22日木曜日

2003年01月04日 ブルーな年明け


新年あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

さて、今回は少々長いですがお正月休みの暇つぶしに読んでいただければ幸いです。

「一年の計は元旦にアリ」てなことを申しますが、そうだとしますとこの一年、先が思いやられる波乱の幕開けの予感です。

今回の年末年始の身分は「100%学生」でしたので、与えられた2週間のクリスマス休暇、半分は遊んだとして、半分は勉強。

その遊びの部分はヨークに独りでいてもつまらないので、ケンブリッジ界隈の友人宅をクリスマス・イブから泊まり歩き、仕上げは毎年恒例の植物園内で気のおけない仲間たちと焚き火、BBQ、とし、元旦早々元気にヨークに戻ってくる、という計画でした。

しかしそこは一筋縄ではいかない、ままならない人生。


12月24日(火)
クリスマス・イブ。昼過ぎに約一週間分の着替え、寝袋などを車にのせ、一路ケンブ リッジを目指す。

曇天ながら気分が良く、快適な2時間半のドライブ。

かつての住まい「GWYDIR STREET」のビル君を訪ね、そのまま二人でパブへ繰り出す。

閉店時間まで4件ハシゴす。夜は寝袋に包まりビル君の部屋の床で。

12月25日(水)
クリスマス。ビル君と二人で、約50キロ離れたセント・オーバンズという街に住むビル君のお姉さん(リズ)の家を目指す。

リズの家にはビル君のご両親も既に到着し> ていて、お母さん(スーザン)はリズと二人でクリスマスのご馳走作りで忙しい。
 
お父さん(ジョージ)とビルと僕の3人で料理が出来るまでの間近所のパブで軽くやる。

夕方近く、ビル君家族に混ぜてもらいクリスマス・ディナー。

七面鳥、温野菜、ソーセージなどで満腹のあと、これでもかこれでもか、と大味のデザートがでてきて、もはや限界に近い。

恒例のクリスマス・プレゼント交換。

大したものではないが、大袈裟な包装を皆お構いなしにビリビリと破いて大騒ぎ。

僕は本3冊、皮の作業用手袋などもらう。
感謝。

夜は皆でTVを見て過ごす。
就寝はご両親はリズのベッド、リズはソファ、ビルと僕は寝袋で床に雑魚寝。

12月26日(木)
ボクシング・デー。

今日はビル家族に別れを告げ、サフォーク州に住む植物園で気の合ったデイブという高木・潅木セクションのリーダーの実家に向かう。

相当な田舎で、地図では容易に見つけられても、実際にはてこずる。

しかし、築200年という典型的サフォークの田舎の家は茅葺で家の中には味わいのある木の梁がめぐり、実に「良いお宅」。

初めて会うデイブのご両親、デイブの2人のお兄さんとその奥さん、あるいは彼女。

皆温かく、実に居心地良く過ごさせてもらう。

ここでもクリスマス・ディナーをご馳走になり、またしても超甘のクリスマスケーキをたらふく平らげる。

食後は皆で「ジェスチャー・ゲーム」などの古典的かつ家庭的ゲームで盛り上がる。 

夜は翌日仕事があるデイブ希望でケンブリッジ市内のデイブのお兄さん宅泊。

12月27日(金)
朝デイブを乗せ、植物園へ。

クリスマス期間のため通常より大幅に少ないメンバーながらも懐かしい面々に再会。

作業を手伝うか?といわれその気になるが、実は朝起きてから少々具合が優れない。

やんわりと断り、少々横になろうにも、植物園のソファは猫が愛用しているらしく、猫の毛だらけで「猫アレルギー」の僕としてはとても横になれない。

仕方なく、本を読んだりして安静にはしているものの「しんどさ」はつのっていく。

金曜のため15:30に仕事が終わり、今日の宿泊先であるケイトの家に彼女と向かう途中、デイブと遭遇しパブで軽く一杯、となる。

が、一杯では到底終わらず次、次、次・・・と結局16:00から22:00過ぎまで飲み続け、仕上げにインド料理屋にいくという、よろしからぬパターンへ。

この時点でデイブも家に帰ることを断念し、僕共々ケイトの家に。

家に着いたあともケイトはウィスキーのビンを取り出し勢いは止まらない。

僕は体調の限界を感じ、01:00に就寝。

二人は03:00過ぎまで飲みボトルを空けた模様。

12月28日(土)
本格的に体調不良。
のどが痛み、咳少々。

朝、元気なのはケイトのみで、デイブも風邪をひいたといって口数が少ない。

今日の午後は僕とデイブはやはり植物園の仲間、マークとヴィッキーの家に夕食に招待されている。

這ってでも行かねば。

デイブは一旦帰って体調を整えるといっていなくなる。

ケイトは街に買い物に行くというので、「14:00まで寝せてくれ」と頼み、誰もいない家でひたすら眠り、体調回復に努める。

14:00何とか起きて、ジョンを車で拾い、マークの家に。

今日の趣旨はマークが手作り料理をご馳走してくれるというもの。

空いた時間はジョンのビデオコレクションのお披露目会。

後からきたデイブもやはりかなり体調が悪そうで、風邪でトーンの低い僕とデイブ、ビデオの見せられすぎでトーンの低いマークとヴィッキーをよそに一人ハッピー独走態勢のジョン。

折角のご馳走ではあったが味わう余裕無し。

夜はマークとヴィッキーは二人の愛の寝室へ。

僕とジョンはそれぞれ寝袋に包まりひたすら眠る。

12月29日(日)
起きた時点で「かなり熱がある」ことを自覚。

なんとしても大晦日の焚き火には参加したいが、このままあと2日間休まらずに宙ぶらりん状態で乗り切るのは得策とは思えず、思い切って一旦ヨークに帰ることを決断。

ここで事故を起こしたのでは悲しすぎると、思いっきりの慎重運転で15:00になんとか無事に帰着。

自宅近くのスーパーを通りかかった際、「チョット待てよ」と立ち寄る。

冷蔵庫はカラなのを思い出す。

取り敢えず何日寝込むか分からず、かつ同居人は暫く誰もいないので、卵、牛乳、鶏肉、玉ねぎ、パン、ヨーグルト、ジュース、グレープフルーツ少々を無意識に買う。
空腹ではあったがシンド過ぎ、そのまま眠る。

12月30日(月)
とにかく鼻水が止まらず、夜中にも寝汗と鼻水で何度も起きる。

ティーシャツを何枚も替える。

洟のかみすぎか、右耳の聴力がほぼ失われ、かつ猛烈に痛む。

あまりの痛さに腰痛の時にと医者からもらった痛み止めを服用。

キリキリとした痛みはかなりのもので、思わず枕が涙で濡れてしまう。

そんな夜を過ごした朝だけに、「今日は医者に行く」と決心も固い。

昼にかつて登録してあった医院へ。

(英国では自分の登録医に診てもらうことになっており、一旦ケンブリッジに再登録した僕は、ヨークで改めてどこかに登録しなくてはならなかったのだが、これを普段健康なのを良いことに怠っていた)事情を説明して、登録をしたいというと「どうぞ」とスンナリと。

書類記入後、「今日診察して欲しいんだけど」というと、受付嬢は「明日の16:00しか空いてませんねぇ」とつれない返事。

ムッとしながらも、そうなんだからしょうがない、と諦め近所の薬局だ け紹介してもらい、「鼻水止め」の薬を買って帰り、眠る。

しかし、この午後の眠りの時点から事態が猛烈に悪化。

体温がグングンと上がっていく。

体温計が無いため、いったい何度体温があるのか計りようがないが、恐らく40度を超えたのではないだろうか。

熱がスゴイくせに寒気を感じガタガタと震えながら湯たんぽを胸に抱え、更に汗をかく。

とにかくこのままではヤバイ、と善後策をモーローとした頭で考える。

ああでもない、こうでもない、と考えた挙句、「救急車を呼う・・・」となる。

しかし、このまま担ぎ出されて入院などしたら、着替えは?歯ブラシは?戸締まりは?などと気になり始め着替えなどをリュックに詰めたりしている間に多少意識がハッキリしてきて、ビル君に電話で相談する。

医院に交渉して今日見てもらうのがいいでは?との冷静なご意見。

肝心の医院の電話番号が分からず、電話帳をめくるもとてもそんな細かい字、しかも英語を読む気力もなく、取り敢えず車に乗りその医院を目指す。

17:30、ヨカッタまだ開いている!!受付嬢に事情を説明しなんとか診てくれと懇願す。

が、むべもなく「無理です、明日来て下さい」とのこと。

ニャロー、という気持ちを抑え「それはご親切にどうも」と返すのが精一杯。

もめる元気も無い。

昼寄った薬局に再度寄り、「この熱を下げる薬をくれ」と解熱剤を手に入れほうほうのテイで自宅に戻り薬をのみ意識を失うが如く眠る。

12月31日(火)
大晦日。

夜中に相変わらず大汗をかいて何度も起きる。

が、解熱剤の作用か、昨日ほどの生命の危険は感じない。

熱のためか、薬のせいか頭がボーとして頭痛がする。

食欲がある気がしたので、まめまめしくご飯を炊いて半分は冷凍保存して、半分はおかゆにして梅干と食す。

味覚が狂っていて美味いのか、なんなのか分からない。

取り敢えずグレープフルーツを剥いてヨーグルトと食べたのは冷たくて美味しかった。

16:00、医者の予約の時間。

ニャロ、昨日の俺はもっともっと辛かったのだ!と主張。

分かりきったことだが「インフルエンザです」との診断。

「1週間で50%、2週間でやっと90%の回復でしょうかねぇ」と有難いんだか、そうじゃないんだか分からない診断で総所要時間8分。

8分だったら昨日楽勝で捻出できたんじゃないの?とその医院に対して大いなる不信を抱き、帰宅。

まだまだ、辛く、そのまま朝まで眠る。

1月1日(水)
世間は元旦。

しかしそれどころではない。

相変わらず汗をかき、洟をかみ、咳をし、身体の節々が痛む。

薬を服用し、湯たんぽを抱えひたすら眠る。

1月2日(木)
峠はどうやら越えた気がする。

しかし薬で押さえつけたものなのか、自己治癒なのか判断がつかず、恐る恐る薬をやめてみる。

夕方、空腹を感じ、この前のご飯を解凍し「とり雑炊」を作り食べる。

イケル。

1月3日(金)
朝、まずまずの目覚め。

相変わらずモーローとはしているが、これは寝込んでいたためと、今日から意識して「起きる生活へ」。

そういえば、夜中に眠たいのに胸がゾワゾワーとしてしばらく寝付けなかったことを思い出し、これを自分なりに「カルシウム不足」と判断。

一週間それらしきものを摂取していないことに気づき慌ててホット・ミルクをたて続けに2杯飲む。

単純。

自分の部屋は一週間換気もせず寝込んだためか「病の臭い」が充満していることに気づき、大々的に換気を行う。

外気の寒さが心地良い。

取り替えまくったティーシャツはもはや在庫が尽き、寝汗まみれのシーツ共々洗濯機へ。

一週間ぶりにシャワーを浴びる。

生きてこのシャワーを浴びれた感激に浸りつつ。(ちょっと大袈裟か)

よしっ!3日遅れたが2003年も元気に過ごすゾ。と遅ればせながらパワーが甦ってくる。

右耳が相変わらず遠いのが気になるが。

ヨシャッと無意味に何度も気合を入れる・・・・



2013年7月31日水曜日

2002年12月23日 「クリスマス」



金曜日にて学校は終了し、めでたく2週間のクリスマス休暇に突入しました。

街はクリスマスで浮かれ、プレゼントを買う人、食料を買う人、食事をする人などでごったがえし年間を通じで一番活気に溢れている気がします。

金曜日は僕も街に繰り出し、映画「ロード・オブ・ザ・リングス」を見て、ついでにブラブラしてクリスマス気分を味わってきました。
(あまのじゃくなので、ハリーポッターは絶対に見ないと決めております)

めでたいこと。

それは冬至が過ぎ、これからは日が徐々に長くなる方向に向かうことです。

日の出08:30、日の入15:40と7時間少々の日照時間でした。
これが更に北、シェトランド諸島に至っては日の出09:08、日の入14:58だったそうで、これは憂鬱な気分になります。

土曜日にはケンブリッジからビル君そしてその友人のスコットとその彼女アンの3人が遊びに来てくれ、久々にとことん飲みました。

彼らが到着したのは14時頃で、着くやいなや、荷物を僕の部屋に置き、「さあ、パブに行こう。オススメに連れて行ってくれ」といわれ、14時からパブが閉店する23時過ぎまで、はしごを計4軒、ビールを計11パイント(1パイント=0.57リットル)を飲み、仕上げに深夜営業のインド料理を食べ、自宅に戻ったのは深夜1時を回っていました。

僕は3軒目でかなりツラくなり、トイレで3回も吐いてしまいましたが、それでもメゲずに飲みつづけ、このツアーを成し遂げました。
ビルも珍しく、「きた」ようで、視点が定まらず、寄り目でフラフラしていました。

スコットは身長190センチ体重110キロ程の巨漢で、あまり堪えていない様子で、終始楽しげに飲み続け、その彼女も僕らと全く同じペースで飲み、顔色一つ変え ずニコニコしていたのには「底力」の違いを見せつけられた感じで、おそるべしっ、この巨漢カップル!!といった感じでした。

(因みにアンも170センチくらいで体重は僕よりあると思います)

自宅に戻り、スコットとアンはリビングの床に、ビルは僕の部屋の床に、それぞれ寝袋に包まり、眠りました。

この寝袋持参型のお泊りは、こちらではもはや常識化しているようで、女性のアンも いるから宿でも取ったほうが良いのか?というのは全くの杞憂で、ちゃっちゃっと服を脱ぎ寝袋に滑り込み、僕が大丈夫かしらん、と様子を伺いに行ったときには寝る体制万全でした。

かく言う僕もクリスマス・イブから元旦までは「寝袋」を抱えてケンブリッジの友人宅を泊まり歩く予定です。

「寝袋」、必需品と申せましょう。

他の3人の同居人たちも帰省し、今晩からは僕の城と化し、見たいTV番組を気兼ねなくノンビリと見ることができそうです。

TVは日本の正月ほどではないにせよ、通常とは異なる編成で、映画主体に特番が組まれており、独りでもあまり淋し思いをしなくても良いようになっております。

独りの「城」といえば!

今晩、明晩と、「奥飛騨温泉につかる」予定です。

これは温存していた「カネボウ 薬用入浴剤 旅の宿 にごり湯 奥飛騨」を使って存分に温泉気分を味わおうという壮大な計画。
普段はバス・トイレと同じ場所にあるため長湯などはナカナカしづらいのに加え、やはり何処か気を使うものですが、今回は誰もいないわけで、まさに「心底リラックス」するにはもってこいの大チャンスです。

「うーーっ」とか「あーーっ」とかせいぜい声をあげながら長湯をするつもりです。

今日は飲む気になれませんが(さすがに二日酔です)、明日であれば風呂につかりながらビールでも飲んじゃったりして、と楽しみは尽きません。

そんなクリスマス直前の模様をヨークからお伝えいたしました。

2013年7月10日水曜日

お知らせ&お詫び


現在、英国に出張しております。
今回は約1ヶ月と期間も長く、その間「スバラシキ英国園芸ノススメ」のアップができない状態です。

充電したのち再開いたしますので、いましばらくお待ちください。
ご迷惑をお掛けしますが何卒よろしくお願いいたします。

2013年6月21日金曜日

2002年12月15日 「ツイていない話」


試験が終わったから、という訳ではないのですがちょっと「書く」モードになっています。

ツイていない話。

こちらでは車の盗難(車両そのもの、車上荒し共々)が多いため、防衛策を各々が講じている様子。

一番一般的なのが「ハンドル・ロック」でハンドルにゴッツイつっかえ棒を通して鍵を掛けるというもの。

これには色んな形があるようで、ハンドルに鉄棒を通す一般的なものに加え、ハンドルごと大きな鉄の円盤で覆いハンドルを握れなくするもの、ギアとサイドブレーキを鉄棒で繋ぎ鍵を掛けるものなどマチマチです。

ハンドルを鉄の円盤で覆うのを最初に見たときにはその大袈裟さに、ひとり込み上げる笑いを禁じえなかったものです。

更に日本では駐車違反の際に最近見かけるようになったクランプ(タイヤに鉄の足かせをはめるもの)を自ら施す人もいます。

何もそこまでやらなくても・・・、と思う反面、そこまでやらないとダメなの?と不安になります。

造園業者や各種工事の作業車には工具が乗っているためコレを狙う輩も多いようで(工具をすぐにどこかに売っぱらうのでしょう)、そういったバンには通常の鍵に加え、外側に溶接した金具に南京錠を掛けていたりします。

僕も一番一般的なハンドルロックを施しています。

車上荒しで一番多いのが「カーステレオ」のようで、大きく分けて2つの防衛策があるようです。

①カーステレオの操作パネルだけがパコッと外れて持ち歩けるようになっている。

つまり駐車の度に自分の車のカーステレオを持ち歩くというもの。日本でこんなのは見たことも聞いたことも無かったので、初めてこれをみたときは感心するやら、あきれるやらでした。

②カーステレオを誤操作すると1000ボルトの高電圧が流れ撃退するというもの。

コレはウソです。

ホントの②は
②4桁の暗証番号を打ち込むようになっている。

これは普段必要ないのですが、仮に車上荒しがカーステレオを車から引き抜いた場合、一旦カーステレオに対してすべての電源供給はストップしますね、これで再度電源を入れたときに4桁の暗証番号を入れるというもの。

さて前置きが長くなりました。

先日、学校から颯爽と車で帰ろうとしたとこと、ウンともスンともいいません。

スモールランプをつけっぱなしにしたため、バッテリーがあがってしまった為と判明。

慌てずにAA(日本のJAFみたいなもの)に電話をして問題は速やかに解決されました。

しかし!!ここで問題が起きました。

バッテリーがあがって、一旦電源がストップしたカーステレオは「4桁の番号を入れたしっ」と生意気に点滅しています。



僕はこの車を中古車屋から買いましたが、そんな番号は聞いていません。

中古車屋のオヤジに電話をかけて聞くも知らぬとのこと。

後日「フォード」の工場に行って聞くと、番号は調査出来るが費用は「16ポンド」とのこと。

加えて、トランクの鍵が硬くなり、「硬いなー」と思っているうちに更に硬さを増し、ついには自分の鍵ではトランクが開かなくなってしまっていたので、コレも修理した場合幾ら掛かるのか聞いたところ最低65ポンドは掛かるとのこと。

ステレオが聞けなくても、トランクが開かなくても、「車は走る」わけですので、悩んだ結果現在は問題を放置したままとなっています。

しかし、自分の車の自分のカーステレオなのに、「ご主人様に対してその態度は何だっ!!」とカーステレオ君に怒鳴ってみても虚しいばかり。

スモールランプのつけっ放しはイカンですが、これも通常であれば「ライト点灯状態で鍵を抜くとピーーッと警告音が鳴る」のですが、気紛れな奴で鳴ったり、鳴らなかったりするのです。

この一大事には無言でご主人様が授業に繰り出すのを見守ってくれたという訳です。

ちぇっ。


2013年6月10日月曜日

2002年12月14日 「師走模様」


今日ひとつ試験がありました。そしてそれを終え今安らぎに浸っているところです。

そう、最近はもっぱら学業に専念する毎日でした。

今日の試験は「Plant Science」という科目で、内容としては植物の構造、受粉のメカニズム、各細胞の働きなど細かにやるのですが、これらは植物園にいた際に細切れに学んだことで、それが今回授業を通じて「体系化」されていくのが楽しくて、楽しみにしている授業です。

「おおっ、アレはこれと結びつくのか。ナルホドっ!!」とこれまでの細切れの知識がひとつに繋がっていく喜びというのがあります。

しかし、試験となると事情は少々異なります。
点を取って結果をださにゃぁなりませんから。

当然にして全てが英語ですので、「花弁」「雄弁」「葉身」「托葉」「葉柄」「単葉」「主脈」「側脈」「頂小葉」「互生」「対生」「輪生」「頭状花序」「散形花序」「総状花序」「穂状花序」「集散花序」「円錐花序」「散房花序」「尾状花序」「雌雄異株」「虫媒花」「両性花」「鋸歯」「花冠」「奇数羽状複葉」・・・・といった日本語でも「?」なことを英語で覚えねばならず、これはチト大変です。

とは言ってもそもそも日本語でこういったことを知らないので、訳すことは無駄と悟り、これはこのまま憶えるようにしています。

上記の用語は日本の本を参考にしましたが「なるほどー、こう言うのかぁ・・・」とビックリあーんど溜息です。

まあ、そんな訳で学生らしく勉学にエネルギーを注いでおります。

最近の自分としてのグレートなニュースとしては「鍋を買った」でしょうか。

これまで自分の愛用していた鍋は直径が18センチ位のテフロン加工がしてあるフツーの鍋でした。

これでトンカツも揚げれば、ご飯も炊く、さらにチリ・コン・カルネも作る・・・と大活躍の必需品でした。

しかし、安物だけに最近は底のテフロンが剥がれて料理に混ざり、思わぬ隠し味を演出するようになり、これはイカンと思い切って鍋を新調することにしました。

また同様の鍋を買ったのでは、近々にまた底が剥がれてまた買い換え・・・となる気がして(コレを安物買いのゼニ失いとでも表現するのでしょうか)、今回は奮発して「おフランス製」のル・クルーゼという鍋を購入いたしました。



これは鋳物ホーローの鍋で、恐ろしく重たく持っているだけで筋肉トレーニングとなるようなシロモノですが、その分熱伝導に優れなんでも美味しく出来るのだとか。

この鍋の優れているもうひとつの点は、フタはそのままフライパンとして使える、ということです。

せいぜい18センチですから、たいしたことは出来ませんが、しかしそれは親子丼やカツ丼を作るにはピッタリのサイズ。

週末恒例のパンケーキも小ぶりの奴がバンバン焼けてしまいます。

思わず頬ずりしたくなる愛おしさです。

今日は「麻婆豆腐丼」を作って食べました。

この前、リーズというヨークから40キロくらい離れた大都市を散策した折に発見した「東洋食材店」で豆腐と豆板醤を購入して、この機会を伺っておりました。

そして以前、妹がこちらに来た際に持ってきた雑誌「オレンジページ 3/2号 男の大好きごはん」の25ページにあるこの麻婆豆腐丼を参考に自分なりにヒネリを加えながら作ってみたという訳。

「豆板醤のピリリとした辛味がクセになりそう。温かいご飯たっぷりかけてめしあがれ。」の宣伝文句通りにたっぷりと食べました。

因みに、たっぷり作りすぎ、とても独りで一晩で消費しきれず、クセになろうがなるまいが、明日の晩も「たっぷり」の麻婆豆腐丼です。

東京でも雪が降り、暮れらしく寒くなってきたことと思います。

当地も、毎年申し上げているように12月21日の冬至に向け日照時間が大変短くなってきております。

日の出08:18、日の入15:49とか言ってますので、これで天気が悪いとなればお天道様を拝めるのは一日の内数分程度といったところでしょうか。

学校は12月19日で終わり、それから約2週間の休暇です。

「クリスマスをいかに過ごすか」

これは毎年の大命題です。

基本的にイギリス人はクリスマスは家族でノンビリと過ごすということになっていますので、家族のいない僕としては独りで過ごすというのが自明の理ではありますが、有難いことに、「クリスマスはどうするの?よければウチにおいでよ」とアチコチから声を掛けてもらい、幸いなことに独りで過ごすことにはならなさそうです。

クリスマス頃からケンブリッジに下り(ケンブリッジはヨークからすると大分南にあります)、毎年恒例となったビル君の実家を皮切りに、寝袋を抱えてアチコチを泊まり歩いて、大晦日は植物園でこれも恒例となった焚き火をして年を越す予定です。

そんな暮れ模様です。

お忙しいでしょうが、どうぞ風邪などひかれずにお元気で。