どうして「スバラシキ英国園芸ノススメ」なのか

ちょっと読んで 「あんまり面白くないなぁ」 と思った方。
騙されたと思ってしばしお付き合い下さい。

7年間の英国留学中にしたためたメールは300を越えました。
そしてこれが 「尻上がり的」 に面白くなっていくのです。

当初の初々しい苦学生の姿から、徐々に英国に馴染んでいく様子は100%ノンフィクションのリアルストーリー。

「スバラシキ英国園芸ノススメ」の旅はまだ始まったばかりです。

2011年9月14日水曜日

2000年09月30日 「立腹」



中学生だったころインドのボンベイに暮らしていました。

そのとき家のエアコンが動かなくなり父親が電気屋に修理を依頼したものの約束の時間はおろか約束の日に現れずかなり憤慨していたことを思い出します。
そんないい加減なことはインドというノンビリしたノープロブレムな国だからだろうと思っていました。

そしてケンブリッジに引越してきて、先進文明国であろうこの国でアパートに電話回線を開通させるという単純なことが全くはかどらない事態にほとほと疲れてしまいました。
堪忍袋の緒が切れそうですが、切ったら電話回線は永遠に繋がりません。

そもそも電話会社に依頼をする時点ですでに怪しかったのです。
大家から教えてもらった電話番号は「順番にお繋ぎしますのでそのままお待ちください。」と無味乾燥なテープが繰り返し流れるだけで、実際に繋がるまで延々20分以上待たねばなりません。

全然「少々のお待ち」ではありません。
当たり前ながら家に電話回線がないのでこの依頼の電話は公衆電話からしていて、その20分の待ち時間の間コトッコトッと小銭が落ちていきます。
かなりの小銭を用意しておかねばならず、順番を待つ間に小銭が尽きてまた最初から並びなおさねばならないこともしばしばでした。

どうにか申し込みまでこぎつけたものの、後日手紙で工事の日程をこちらの予定も顧みず一方的に水曜日の朝8時から11時の間にうかがいますといってきました。
平日は植物園優先ですので、工事の日程をずらしてもらう交渉をするのにまた20分テープを聞いてやっとの思いで土曜日の14時から17時の間という変更をとりつけて楽しみに待っていました。

待っている間に新しいアパートの住人であるケンブリッジ大学博士課程在学中のデイブ君が引越しの挨拶にきました。

「電話会社を待ってるんだ」と彼に言うと「気をつけたほうがいいよ。やつらにこの前すっぽかされたよ。」とイヤなことを言います。

まぁ大丈夫だろうと前向きに考えて、その間に洗濯をしたり、部屋の掃除をしたりして彼らを待ちましたが一向に現れません。
ついに約束の17時を過ぎて「ダメだこりゃ。まったく腹立つ!」と諦めた頃にはすでに貴重な土曜日が終ろうとしていました。

気分転換に買物にでかけ、夕食をこしらえてビデオを見終わった23:30に「この時間ならあまり順番を待たずに済むのでは」と淡い期待を持ちながら散歩がてら公衆電話から苦情と次の日程をとりつけるために電話をしました。
本来なら向こうから謝罪の連絡があってしかるべきなのに、なんでこんな夜中に外の公衆電話から貴重な時間をつかってこんなことをしているのかと思ったら無性に腹が立ってきました。

電話に出た男性担当者に「顧客サービス係を出せ」というと「私です」というので「今日は苦情があって電話をした。今日の14~17時に工事にくると言う約束だったので大事な予定を全てキャンセルして待っていたのに誰も来やしない。どうなってんのか?で、いつなら来れるのか?こっちも忙しい身でエラく迷惑しているのだ。」とよどみなく一気に不満を伝えると
「ケンブリッジ地域の担当者の電話番号を教えるので明日あらためて電話をしてそちらに聞いてください。こちらでは分かりかねます。」とアッサリしたものです。

日本であれば、はらわたが煮えくり返ってその場で電話を叩き切っているところですが、そんなことをしても電話回線は繋がらないのは明らかですし、この国の何処を頼ろうともこの調子であろうことは薄々気付いていましたので、グッと我慢して翌日再度交渉をすることにしました。
でも主張しないと誰も面倒をみてくれないので、毅然とした態度で臨まないと永遠に電話回線は繋がらないと思われました。
ナメられてはいけません。

というような状況で電話回線が繋がらないとこのメールも送れないので、それまでの間しばし書き溜めて回線開通のときにまとめてお送りします。
では、また。


そして今は明けて9月10日(日)です。
ケンブリッジ地域の担当者には朝8時から電話が繋がるというので新聞を買うついでに小銭を握りしめて公衆電話に向かいました。

電話口の担当者は「前の家での工事が長引いたんでしょう」とこともなげに言います。
「で、いつ今度は来てくれるんだい?」と核心に迫りました。

「2週間後の9月23日(土)ですね」と事もなげにシャーシャーと言ってのけるので「冗談じゃぁないよ。昨日だって大事な約束をして1日中待ったんだ。
なんとか来週の土曜日にこられるように手配してくれよ。」と食下がったものの「なんともしかねます。」と先方も譲りません。

もはやこれ以上の交渉は無理と判断し、2週間後の土曜日としました。

でもまた2週間後に現れないことが容易に想像できましたので「大丈夫だろうナ。約束出来んだろうナ。君の名前を念のために教えてくれ。」としつこく念を押して電話を切ったのでした。

このメールが9月中に届くことを祈りつつ。

更に今は日曜日の21時。
夕方散歩から戻ると玄関先で今度引越してきたエドと大家のジルというおばさんが立ち話をしていましたので、少々知恵を働かせて「昨日電話会社は来ることになっていたのですが現れなかったんですよ。今朝再交渉をして2週間後に来ることになったのですが、大変不便を被っていてあなたから何とか来週の土曜日に来てもらえるように交渉してもらえると有難いんですけど。」と泣きついてみたところ、「任せなさい!」とのこと。

この大家のおばさんは口から先に生まれたのでは??というくらいに口が減らず、とにかくよく喋るひとで、更になかなか自分の意見を曲げないタイプと踏んでいましたのでこの人を味方にして電話会社に交渉させたら通らないことも通るのでは?という期待がありました。

すると意外な展開が。

ふたりして電話のまえに座り込んでテープの音声を聞くこと25分。

ようやく電話が繋がるとジルは「繋がるまで20分も待ったんだけど、アナタのところではこれって当たり前のことなのかしら?」と開口一番先制パンチです。
「ナルホド。イヤミはこう言うのか。フムフム。」と感心して聞き入っていると僕が交渉したときのように「前の家で長引いたのでは」といったいい加減な答えではなく全く別の原因が判明したのでした。

このジルというおばさんは口が過ぎるので敵も多いようで、彼女の店子であるアパート隣の自動車修理のオヤジとうまくいっていないようで、彼はそのジルの店子である僕への協力は一切しないというフィロソフィーの持ち主のようです。

電話回線工事に必要な配電盤は彼の自動車修理工場の敷地内にあり、彼の立会いなく勝手に敷地内に入ることはならないと彼が電話会社に電話をしたためキャンセルになったとのことでした。

原因が分かってみると、どうも変な争いの間に巻き込まれた感じがしました。

今にして思えば、おばさんも決して100%親切心ではなくて、内心ひょっとしてという心当たりがあったので電話会社に連絡をしてくれたのではないかと思われます。
ともあれこんなことで自分が不便を被るのは迷惑な話で早い問題解決を心から願わずにはいられません。

しかしこのまま放っておいたら2週間後もまた誰も現れないってことだったのかと思うとなんともやり切れないものがあります。
自分の英語力ではまだまだこの国で生き抜けないということかと寂しくもありました。


・・・そしてようやく開通です。
かれこれ一ヶ月も掛かってしまいました。

電話回線を開通させるという単純なことながら本当に疲れました。
ともあれ晴れてこれからはメール送受信し放題ですので今後ともよろしくお願いいたします。

2011年9月10日土曜日

2000年09月30日 「近況デス」


いつの間にやら9月になってしまいました。

ケンブリッジでの新生活も1週間経ったところです。
今日の午後電話工事があって回線を開通させることになっており、このメールが晴れて新居からの記念すべき第一号メールになるかなと思っています。

腰痛がひどくなり、引越しの延期も検討しましたが大家と部屋の引渡し時間の約束やレンタカーの手配が済んでいたことなどスッカリ外堀が固まっていて変更は難しそうだったので痛み止めを飲んで引越しを敢行しました。

引越しといっても荷物は知れていて、小型車を借りてくれば簡単に全て収まるだろうとタカを括っていたのですが、結局後席を倒してギュウギュウに詰め込んでやっとどうにかという感じで、あわや乗り切らないのではとヒヤヒヤするほどこの一年間で荷物が増えていました。
思えばヨークに着いたときは洋服の入った段ボールがふたつ、大小ふたつのリュックサック、ラジカセ、ゴルフバッグのみだったのに。

決死の思いで腰の痛みをこらえつつ、寮の部屋のある3階からエッサエッサと荷物を降ろして全て車に詰め込んでヨークを後にしました。ケンブリッジの生活を終えたらまた一年後には帰ってくるとは分かっていても一抹の寂しさがありました。

ケンブリッジに向かう前にどうしてもヨークで最後にしておくべきこと、それはフィッシュアンドチップスを食べておくこと。

以前申し上げたように北と南では味が異なるため、是非この北の美味いフィッシュアンドチップスでヨーク生活を一旦締めくくろうという作戦でした。

ヨークからケンブリッジまではA1という国道をひたすら南下する約3時間の旅です。
ただ、腰の調子が優れず45分おきに車を止めてはストレッチをして時間が掛かったためケンブリッジに着いたのは18時を過ぎていました。

大家のジルというおばさんから鍵を貰ったのですが、このおばさんは異常なほどのおしゃべりで一旦話し出すと止まらなくなります。
こちらとしても確認したいことがあって「1」聞くと「19」くらい返ってきます。
そんな調子でしたので、彼女から解放されたのは21時をまわっていました。

それから荷物を部屋に搬入。
部屋は一階で通りに面しているため窓から荷物を運び入れることも可能で腰痛が心配だった僕としてはホッとしました。

そして休む間もなく買出しへ。

レンタカーを翌朝返すことになっていたので、これを最大限に活用しようという魂胆です。
郊外にTESCOという24時間営業のスーパーマーケットがあるので当面の食糧を買い込みました。

でも本当の目的は車のあるうちに嵩張って重たいビールを手に入れることでしたが、23時以降はアルコールを売らないらしく売り場にはロープがはってあり目的を果たさず引き返したのでした。

昔一軒家だったものを各部屋に鍵をつけて学生向けに貸しているといったタイプで、7人でのシェアになっています。
部屋は3.5×3.5メートルの四角い部屋でそこに本棚、ベッド、クローゼット、机、冷蔵庫、オーブンレンジ、洗面台がついています。

なにやら豪華な印象をもつかもしれませんが、とりあえずそれらがある、というだけですべて古くてオンボロで本格的苦学生の部屋といった印象です。
トイレ、シャワーはいずれも共同で1階にそれぞれ2個づつあります。

ベッドはあるのですが、布団、枕は自分で買うことになっており、用意していなかった僕はスエットシャツを重ね着して丸くなって寝たのでした。
寒かったこともあり、早起きしてビールを買い込み、布団、枕、テレビデオといったものを買いレンタカーを返してちょっと落ち着きました。

ヨークの寮の生活とは異なり、電話線も自室に引いてテレビ、ビデオと随分文明的な生活となりました。

テレビは当初その気はなかったのですが、電話回線を引く際にアパートが契約している新興電話会社のサービスとしてケーブルで100チャンネルを超える番組も廉価で見れるといわれてその気になってしまいました。

オリンピックも控えてますし。
好きな映画もアパートから5分の場所に大きなシネマコンプレックスがあってロケーションとしては素晴らしいのですが、料金がヨークのおよそ2倍の5.30ポンドもするため、ますますビデオ、ケーブルテレビにはまりそうです。

そして待望の自炊生活もスタート。
フライパン、鍋、まな板、包丁といった基本的な道具と調味料などを買い揃えて毎日自炊にいそしんでいます。
外食はヨークを離れたときのフィッシュアンドチップスが最後で以来一度もしていません。

スーパーで物色していると、牛肉が美味しそうだったので購入。
タマネギたっぷりをオリーブオイルで炒めてステーキ用の肉を投入し、更に赤ワインを入れた後水気がなくなるまで炒めて最後にハーブ、塩、コショウで味を整える・・・といった創作手探り料理もなかなかいけるものです。
その後牛肉の代わりにカモ肉でも試したのですが、自分で言うのもはばかれるほど美味でした。
料理って楽しいな、と新たな才能を発見した思いです。

普段のお昼も弁当を作って持っていきます。
この1週間はチェダーチーズをマヨネーズで和えて薄くスライスしたタマネギとハムを挟んだサンドイッチを作りましたがこれもなかなか。

アパートと植物園のほぼ中間に市営プールがあり、腰痛治療の意味も込めて通うようになりました。
料金は500円くらいですが、現在申請中の学割が使えるようになれば150円くらいになります。
日本のプールではやかましい諸規則もあまりないようで、水泳帽をかぶっている人も僅かですし、お化粧の厚い人、アクセサリーをたくさん着けている人、普通の眼鏡をかけて泳いでいる人などと様々な人種が見受けられ、お国が違うとこうも違うのかと興味深いものです。

相変わらず腰痛とたたかいながらもなんとか新生活がスタートしました。
テレビの導入など、なんとなく俗っぽい生活に近づいた感もありますが、ほどほどにやっていこうと思っています。

肝心の植物園についてはまた改めてお知らせします。
電話回線が自室にありますので、これまでと違って誰に気兼ねなく好きなときにメールの送受信が可能です。

では、また。


<これを書いたのが9月9日でした。本日晴れてこれを送信できるようになったのですが、日付は9月30日。電話工事の遅延が原因ですが、ほぼ一ヶ月メールが使えませんでした。>

2011年9月8日木曜日

2000年08月22日 「four seasons in a day」



東京は連日雷雨と聞いていましたが、最近はこちらも負けずに天候が不順で夕方雷雨がよく降ります。
とはいってもすぐに止むので大した被害はありませんが、それでもラジオを聴いていると「冠水のため通行止め」などと言っています。

不順というか、ときに狂っているのでは?と思うようなこともあります。

今朝は朝から大雨が降っておりました。

ガーデンデザインの課題を学校の製図室でやったのですが、あまりに外の雨音が激しいので目をやるとバラバラッと大粒の雹(ひょう)が降っています。
かと思えば昼にはカラッと晴れて、夕方には再び雷雨といっためまぐるしさ。

それにしても今日は寒いなぁと思っていたら夕方のラジオで、自分の英語が正しければですが、ヨークシャー州東部では雪が降ったと言っておりました。
製図する手を止めて思わず「なにーっ!?」と叫んでしまいました。

不順な英国の天候を「1日に4つの季節」という言い方をすることがありますが、この真夏の8月に雪が降ったとすればまさにそれは正しいということになります。

隣の芝は青くみえるといいますが、私個人的には夏は夏らしく「今日も暑いねぇ」といいながら冷えたビールを飲んでいるほうがシアワセだったりします。

2011年9月7日水曜日

2000年08月20日 「残暑お見舞い申し上げます」



残暑お見舞い申し上げます。

さて、本日は8月20日。
パスポートを見ますれば日本を出国したのがちょうど昨年の8月20日ということで一周年ということになります。時の経つのはいかにも早いものだと驚かされます。

出発したときには、一年間ヨークの園芸学校で学ぶということしか決めていなかったのですが、こうやって一年を過ぎても次のステップに向けてまだ英国にいるというも想像していなかったことです。
この一年間の成果を振り返ると、まずまずだったかなと思います。

園芸に関する勉強も当初は戸惑うことが多かったのですが、徐々に理解が伴ってついていけるようになりましたし、生活全般においても特に大きな問題もなく健康にこれたことは月並みではありますが何よりでした。
友人、先生など人に恵まれ、英国文化にも抵抗がなくスムーズにとけ込めたことは英国という国、ヨークという街に受け入れられたような気がして嬉しいものです。

9月からはケンブリッジ大学の植物園での生活が始まります。
折角のチャンスですのでより多くを吸収したいと思っています。

9月1日にはヨークからケンブリッジに引越しです。
新たな住まいは駅、街の中心地、植物園にいずれも徒歩10分程度の便利、だけどボロなアパートです。

ロンドンへも電車で約90分ですので英国にお越しの際には是非お声をかけてください。

一年経ちましてお蔭様で元気に楽しくやっておりますことを報告いたします。

2011年8月28日日曜日

2000年08月09日 「土足 vs 土禁」




日本では家にあがるときは玄関にて靴を脱いでスリッパなどに履きかえたりしますね。

英国でも最近はそのほうが清潔だということなのか、家の中では靴を脱ぐというのを何軒かのお宅で見てきました。

でもそのまま土足でドカドカと入りこむことも多くて、それに慣れていない僕は結構ドキドキしてしまいます。
クリーム色のように淡い色合いのキレイな絨毯に土足というのは気が引けるものです。

逆に日本人は異常に「靴離れ」が良いとでも申しましょうか。
例えば電車でおばさんが靴を脱いでくつろいでいたりというのは良く目にする光景です。

日本人は下足といった言葉がしめすように靴とは汚いものだという観念が根強く浸透している国民なのかなと思います。
結構ムチャするヤンキーなお兄ちゃんも愛車は土禁(土足禁止)にしているケースを見かけたりします。
欧米では想像するに土禁の車は存在しないでしょうね。

逆にコチラの方々はその辺の観念が希薄すぎるのではないかと思うことがあります。
電車の対座式のシートでは空いていれば靴のままその上に平気で足を投げ出している人を見かけることはしょっちゅうですし、寮で友人の部屋を尋ねると靴を履いたままベッドに寝そべっていたり。
日本人のわたくしといたしましてはかなり抵抗があります。

そんななか昨日の出来事。
寮の部屋を掃除してくれるおばさんがいて、日中部屋に入ってゴミ箱のゴミを片付けてくれたり、掃除機をかけてくれたりします。

昨晩部屋に戻ると手紙がありました。

「マサヤ 申し訳ないのだけど掃除機にあなたの靴ひもが吸い込まれて絡まってしまい、ご覧の通りちぎれてしまいました。
ゴメンナサイ。
弁償はしますので。
クリスティーヌ」

僕の園芸用のドロにまみれてひもの切れた靴が「机の上」にそのゴメンナサイ・メモとともに鎮座しておりました。

彼女は本当に気さくで良い人で、当然悪気ないのは分かるし、靴ひもはどうでもいいんですけどね。

なんかカラダの力が抜ける一件でした。

為参考(原文ママ)
Masaya.
 Your brown boot lace got caught up in hoover.
 I’m very sorry but if you can get some more I’ll pay for them.
Christine

2011年8月24日水曜日

2000年08月08日 「バーベキュー」



今日はガーデンデザインのクラスメイトのひとりが発起人となって彼女の家で皆が集まってバーベキューをしました。

家族同伴の参加者も多く、いつも学校では見られない表情が垣間見れて興味深かったです。

普段鼻柱の強いオバサンだなぁと思っていたら旦那様も負けていない感じでバランスがとれていたり、更にその子供もそうだったりして一人でウケていました。

「You’re joking!!」を口癖にするオバサンと「You know what I mean~」を連発するオバサンがいるのですが、その二人に一時挟まれて「この前×××は×××ってことに気付いたのよ、分かるでしょ・・・」「ウッソー!!」みたいな会話の応酬のさなかではなかなか落ち着きませんでした。

このオバサンの「You’re joking!!」は特に軽薄な感じがして耳障りで日本語で言う「ウッソー!!」と非常に似ている気がします。

バーベキューとはいってもとてもシンプルかつアッサリしたもので脂身の多い豚肉、ハンバーガーの冷凍パテ、スーパーのソーセージといった程度のもので、仕込みに何時間もかけて云々といったシロモノではありません。

庭の隅にテーブルがひとつ用意されて、その上にはサイドディッシュとしてオーブンで焼いたジャガイモ、中東風の野菜サラダ、チーズ、ピックルス、ポテトチップ、パンなどが。あとはビールやワインを飲みながらひたすら喋るというのがスタイルのようでした。

開始時間が13時で終了時間が15時と、これもアッサリしていました。

庭をデザインするときにバーベキューのためのスペース、設備を設けるか?という話は頻繁にでるのですが、英国人のバーベキュー好きをこうやって目の当たりにするとそれはとても重要な問題なのだと理解できました。

台所に比較的近い庭の隅に15人くらい座れるスペースがあると良いのだな、と勉強になりました。

日本ではこの夏の時期では蚊が多くてちょっと実用的とはいい難い気がしますが。

肝心のコースの先生が欠席でしたが、それはそれで普段の不満や悪口(とはいってもそんなに悪質なものではありませんが)を酒の肴に穏やかな日曜日の昼下がりでした。



2011年8月19日金曜日

2000年08月05日 「悪夢ふたたび・・・」

ヨークからケンブリッジに向かう列車から


昨日は日帰りでヨークからケンブリッジまで行ってきました。

目的は3つ。
①社会保険の申請に関して保険事務所で面接があった 
②アパート探し 
③自分の畑で育てた野菜を世話になった知人宅に届ける

9月からケンブリッジ大学の植物園での生活が始まります。
引越しの時には友人から譲ってもらった自転車を持っていきたいと思い、そのときの手間を減らすべく昨日は電車に自転車をのせて、知人宅に野菜を届けるついでにしばし預かってもらおうという作戦です。

よって寮を出てから目的地まで自転車を伴い、背負ったリュックには畑で収穫したタマネギ、エンドウマメ、ラディッシュなどを満載し、さながら戦時中の買出しといったかんじでした。
タマネギは新鮮なためかとてもニオイがきつくて、特に電車のなかではヒヤヒヤしました。

ケンブリッジの保険事務所は職安と機能が一緒になっているらしく、それっぽいいでたちの人たちが沢山相談にきていました。

相談カウンターは厳重なガラス張りになっていて、例えるならアメリカ映画でよく見かける囚人と面会するようなかんじと申しましょうか。
社会保険の面接は別室なのですが、順番を待つのは同じ待合わせ室で辺りを観察しているとカウンター越しに「今日125ポンド払わねぇとマズイんだよぉ。どうにかしてくれよぉ」と突っかかっているオジサンがいたりして厳重なガラス張りというのも頷けるのでした。

アパート探しは1日では決め難くてもう少し時間が掛かりそうです。

夕方、重い野菜をかついでケンブリッジ市内からおよそ8キロ離れた町の知人宅に野菜を届けて夕食を御馳走になりました。

そもそも彼が「会社を辞めてそういう道をすすむのも良いんじゃぁない?こういう園芸学校もあるよ。」と紹介してくれた張本人で、その彼に一年の成果を報告して自分の育てた野菜を食べてもらいたかったのです。

ヨーク行きの最終電車が19:57で、ケンブリッジ駅まで車で送ってもらいました。

ヨークとケンブリッジはなかなか不便に繋がっており、途中ピーターバラというところで乗り換えなくてはなりません。
乗り継ぎが悪くてピーターバラでは1時間待たねばならなかったので、迷わず近所のパブに行きました。
軽く飲んで頃合いをみて駅にもどると、モニターに「ヨーク行き:キャンセル」と出ています。
駅員に尋ねるとポイント故障だかなんだかで来ませんとアッサリ言い放ちます。
しかし代わりにヨークよりも北のニューカッスルに行く列車がくるのでそれに乗ってくださいとのことで一安心。

遅れてきた電車に乗ってヨークの手前の駅であるドンカスター駅についたころ猛烈な眠気が襲ってきました。
しばしウトウトしてハッと気が付き外をみると電車は止まっていてYorkという看板が見えました。

「ヤバッ!」と慌てて出口に走ったものの非情にも電車はゴトッゴトッと動き始めました。

万事休す。

しばらく頭の中が真っ白でしたが、どうにか我にかえり次の駅で降りるか、それともこのまま乗り続けるか善後策を考えました。

次の駅といっても山手線ではありませんので、ヨークからはかなり離れています。

しかも駅名も Northallerton と聞いたこともなければ、発音もできないような駅で、へたに下車すると本当に何もないところでエジンバラ野宿よりもツライことになりそうでした。

日中は天気もよく日帰りでしたので短パン、ポロシャツ、ウインドブレーカーという軽装であったので今度こそ野宿というわけにはいきません。

「そうだ。車掌に相談しよう!」

なんでこんな簡単なことを真先に気付かないのでしょうか。
そもそも当初予定していた電車がキャンセルになったからこんなことになった、くらいの言いがかりでもつけてやるくらいの気迫が必要だと気合を入れて相談しました。
車掌は時刻表を見て、無線でどこかに連絡して、出てきた答えが次のダーリントン駅で降りなさいでした。

そうすれば02:45にヨークに行く電車がくると言います。

悪夢再び。

最悪のシナリオである野宿は避けられそうですが、2:45ってその時点で2時間以上もあります。
ダーリントン駅に降りると案の定、店などはただの一軒も開いておらず誰もいやしません。
この寒い駅のホームにいるのも耐えられず、気持ちを前向きに切り換えて電車がくるまでの約2時間ダーリントンの町をウロウロと徘徊して寂しい時間を過ごしました。

結局その電車に乗って寮に戻ったのは午前4時でした。
2度あることは3度あると言いますが、もう結構です。


無人のダーリントン駅