どうして「スバラシキ英国園芸ノススメ」なのか

ちょっと読んで 「あんまり面白くないなぁ」 と思った方。
騙されたと思ってしばしお付き合い下さい。

7年間の英国留学中にしたためたメールは300を越えました。
そしてこれが 「尻上がり的」 に面白くなっていくのです。

当初の初々しい苦学生の姿から、徐々に英国に馴染んでいく様子は100%ノンフィクションのリアルストーリー。

「スバラシキ英国園芸ノススメ」の旅はまだ始まったばかりです。

2012年7月22日日曜日

2001年11月23日 「3枚のトンカツ」



お天気オタクのジョンによりますと明朝はなんでもマイナス3度まで気温が下がるとのことで、温室の換気用の小窓を全て閉めて帰ってきました。


お天気オタクと何やら個人的な趣味レベルのようですが、植物園としては彼の発言を重視していて、こうやって窓を閉めて帰れという指示が上のほうからくるあたり大したもののような気がします。


さて帰宅したあと何をするか、今日はちょっとした計画がありました。


名付けて「3枚のトンカツ作戦(豚汁付き)」です。


何度か申し上げているように最近は自分の畑で採れるネギ、ニラをはぼ毎日食べていているのですが、いい加減に体臭がニラっぽくなってきたような気がして少々の不安を感じておりました。


そんな中、寒くなってきたことだし何かカラダが暖まるものはと考えたところ「豚汁」というナイスなアイディアがひらめきました。
ネギも使えるし、他の野菜も摂取できる理想的な料理と申せましょう。


高速道路のサービスエリアの食堂などにも豚汁定食があるくらいですから、それだけで十分なおかずになりうるという気がしましたが、ここはひとつ豪華にトンカツも揚げてみようということに。


順調に支度は進み、初めて作るわりには豚汁なんて出色の出来です。


豚、ニンジン、サツマイモ、タマネギといったシンプルな具を加えて仕上げに刻みネギと七味を振って出来上がりです。


味見をしつつ「うーん、オレって天才かも」と悦に入り、いよいよメインディッシュのトンカツへ。


トンカツはこれまでも何回か作っているので手馴れたものです。


ただ問題は自分の部屋はそもそも料理をするという前提で設計されていないということです。


つまり換気扇というものがないわけです。


これまでの経験から部屋にある服は全てクローゼットに格納し、部屋にひとつだけある窓を全開にして料理開始。


僕の部屋は1階でその窓は往来に直に面しているので行きかう人々が覗いていくのですが、そんなことは気にしちゃいられません。


頭のなかはトンカツと豚汁のことで一杯です。


トンカツを揚げる鍋も小さいので、一枚づつまめまめしく揚げていきます。


一枚、また一枚と揚げていくうちに、かなりの煙が立ち込めて部屋のなかの視界がかなり下がってきました。


もうちょっとで3枚目のトンカツが揚がるというときに「ピピピピッッッ!!!」というけたたましい音が部屋のどこかからしました。


これは最近大家のおばちゃんが設置した火災報知機です。


とてもシンプルな報知機で「煙がでてまっせー」と知らせてくれるだけで、消防署に直結していたり、スプリンクラーが水を撒いたりするといった気の利いたことは一切してくれません。


やっとトンカツが揚がってこれから香ばしいサクサクの出来立てを食べようって時に。


音だけはイッチョ前に大きく、まったく鳴り止まないので「どうしよう」とオロオロしながら、まず大家に電話をしたところ留守。


次にアパートのメンテナンスをするおっちゃんのところに電話をすると奥さんがでて「今食事中だから30分したら掛けなおして」とつれない返事。


この国は車の盗難が多く、車に警報機をつけてある車が多いのですが誤作動も多く、警報機がなったところで「また鳴ってらぁ」という程度にしか思っていないことは承知していたので、チョットうるさいけどこのままでは折角のトンカツが冷めてしまうと思われ、警報を無視することにしました。


耳栓を両耳に突っ込んでトンカツを食べ始めました。


するとアパートの2階に住む、かの天才ホーキング博士の助手をかつてしていたというスチュワートが、まさにこの警報機の音で目が覚めたという寝起きの不愉快そうな顔で「どうした?」と訪ねてきました。


警報機を止められずに困っていると言うと、彼がゴニョゴニョと警報機をいじってやっと鳴り止んだというわけです。


食事中もまだ部屋の中は煙でかすんでいましたが、部屋の窓を開けたままでは明朝マイナス3度になるという冷気が入り込んできて、折角のトンカツを一気に冷却してしまいますので、窓を閉じて煙にややむせながら食事をしました。


3枚のトンカツは1.5枚は今晩のおかずに、0.5枚はカツサンドにして明日のお弁当に、最後の1枚は明日の夜にカツ丼にという割振りをして、トンカツを最大限に味わおうという男のロマン漂う壮大な作戦です。


トンカツ、豚汁とまさに本格的トンカツ屋の味に満足しつつ、煙とニオイが充満する自分の部屋で「オレは何をしているのだ?」という疑問もわかないでもありませんでした。


できればもうちょっと優雅に落ち着いて食べたいものです。


「トンカツを揚げて食べました。」といえばそれだけのお話ですが、劇的といえば劇的なトンカツ話でしたのであえてお知らせした次第です。

2012年7月16日月曜日

2001年11月20日 「スペイン・バルセロナへ」



はてさてこの度はスペイン南部バルセロナに植物園のお天気オタクのジョンと二人で3泊4日で行ってまいりました。

茲許ヨーロッパ各国向けの格安飛行機各社が派手に格安戦争を繰り広げております。

今回はジョンが「信じ難いバーゲンだ!バルセロナ往復40ポンドだぞ!!」とエラく興奮して旅行を提案してきたので、僕としても一人旅よりは2人で行ったほうが何かと経済的なのでそれにのっかって旅が実現しました。

因みに40ポンドはザッと日本円で7000円くらいでしょうか。

それでロンドン⇔バルセロナ往復できるとはまさにバーゲン。

更に因めばバーゲンという単語はジョンがこの世で一番好きな言葉です。

これが噂のジョン なんと同じ年!


二人してとくにバルセロナで何がしたいということは無く、普通に観光してウマイものが食べれて楽しくできれば良いやという気楽な旅でした。

飛行機を決めて宿はジョン任せにしたところ普段のケチケチ・ライフスタイルに反してて一泊41ポンドの3ツ星ホテルを確保したとの報告がありました。

一泊の宿代が往復の飛行機代よりも高いとは少々納得がいかない部分もありましたが、これは結果的には良かったです。
ホテルのロケーションがほぼ街のド真ん中で、夜更かしのスペイン体質に合っていました。

部屋は節約のためにシングル×2ではなくツイン×1で。
事前にジョンが「オレはいびきをかくけどいいか?」と言うので耳栓を持参しました。

格安飛行機だけあってとても不便な時間の飛行機で、出発が朝7:15、チェックインが2時間前の5:15、それに間に合うようにケンブリッジを4:00のにバスで出発といった具合で、まだ星がまたたく時間に家をでました。

バルセロナ到着後は市内観光バス2日券というものを購入して市内の名所巡りを時間の許す限りしたのですが、あろうことか大雨、大風の荒天となってしまいました。

傘をさすのもはばかれるほどの荒れ具合で、オマケに気温も7度とさえません。

せっかく地中海の温暖な太陽を期待してきたのにケンブリッジとたいして変わらない寒さです。


強風で倒れてしまったヤシの木を見つけて「オレを撮ってくれ」と得意なジョン

バルセロナといえばガウディの建造物が有名です。
正直なところあまりそれらに関心はなかったのですがイザ実物を見てみると「コリャすげぇや」と感心するやら圧倒されるやら。

他に類を見ない物凄いオリジナリティで行って実物を見る価値は大であるかと思われます。

今回の旅はジョンという人間を知る旅であったといっても過言ではありません。

彼のような人物を私はかつて知りません。

他に類を見ないオリジナリティという点ではガウディに負けていません。

まず天気オタクだけあって、今回の荒天には大興奮、大喜びで、こちらがビショビショになって辟易としているときに一人で嬉々としていました。

翌日の地元の新聞は荒天を伝えるものばかりでしたが、彼は「これは良い記録だから」と言って新聞の売店でスペイン語も読めもしないのに全ての新聞を立ち読みして、一番劇的な写真が掲載されている新聞をおみやげに買っていました。

新聞スタンドで店員の嫌な視線をものともせず新聞を立読みするとは根性があります。

更に「ガイドブックによるとバルセロナの動物園には白いゴリラがいるらしい。そいつをどうしても見たいのだ。」と言い出し、風に吹き飛ばされそうになりながらようやく動物園にたどりつくと「荒天につき閉園」と看板がでていて本当に悔しそうでした。

そんなに白いゴリラが見たかったのかと、こっちがビックリです。

実物の白ゴリラが見られず看板で満足するジョン

荒天で動物園が閉園であったり、ケーブルカーが運休したりしてやることがないと思ったら大間違いで、「マサヤ、海岸に波を見にいこう。凄いものが見れるに違いない。」と言います。


渋々海岸に行ってみますと、海岸には高波が押し寄せ想像したとおり荒れに荒れていました。

彼は心底嬉しそうな笑顔で写真を撮りまくっていました。


かなりシリアスな高波にもめげず写真を撮りまくるジョン

お互い潮で顔面がしょっぱくなるまでそこにいて、そろそろ場所を変えようとしたところ、雨が強まったので近所のレストランに避難して軽食を注文した後も席には戻らず立ったまま店の玄関から外の荒れ具合を熱心にいつまでも見ていました。


ここまでいくとスゴイ奴と感心するしかありますまい。

今回の最大の問題点はふたりしてスペイン語がちんぷんかんぷんだったということです。

観光地バルセロナでありますから英語でオッケーだとタカを括っていたのですが、思ったように意思疎通ができません

タパスという小皿料理とワインという希望のパターンを貫くにはせめてメニューを理解できる程度のスペイン語力が必要なように思えました。

英語が通じる観光客をあてこんだレストランは美味しいとは言い難く、地元の人で溢れる美味しいレストランは英語が通じないといった具合です。

注文をとりにきたウエイターにアレコレ必死の思いで注文して、「なーんでこんな簡単な英語が分かんねーんだ、アイツらは!!」と憤ってしまいましたが、冷静に考えればここはスペインなんだからこっちがスペイン語を話すべきなのでしょうね
全体的にお値段は低め、お味はヨロシクて満足できました。

毎食会計を済ませるたびに「××ペセタだってさ、バーゲンだな!こりゃ。マサヤ!!」とニンマリするジョンの笑顔が今でも鮮明に思い出されます。

一日の行動を終え、夕食前にシャワーを浴びるためにホテルに戻り、ジョンが先にシャワーを浴びました。

間髪を入れず僕が続いて入りシャワーからでてくると小さなベランダに部屋のイスを出して、そこに腰掛けてどこで仕入れてきたのか赤ワインを優雅に飲んでいます。

僕はてっきり彼が着替えも済ませスグにでも夕食に出掛けられる体制にあるかと思っていたのです。

別に悪いことではありませんが、限られた時間で出来るだけ沢山のものを見よう、沢山のことをしようという発想に支配されていた僕は彼が悠然とワインを飲んでいるのをみて衝撃を受けました。

こんなスタイルもあるのだなぁ、と勧められたワインを飲みながら深く考えさせられてしまいました

初めてのバルセロナはガウディに唸り、フラメンコに感激し、タパスに舌鼓を打ち、ワインに酔い、ジョンの言動・行動に笑い、とても楽しいものでした。

これでスペイン娘とロマンスのひとつでもあれば文句はありませんが、ジョンと「バーゲンだ!!」と喜んでいるうちは夢のまた夢でしょうか。

そして日本人としてイギリスとスペインを比べずにはいられなかったのですが、愛すべきイギリスではありますが何となく「努力の足りない国」という気がしてしまいました。

うまく表現しづらいのですが、イギリスという国は進歩に対してとても臆病な国だと感じました。



どこでこんなものを買ってきたのか?ジョンが買ってきたソンブレロでひとしきり盛り上がる

バルセロナからケンブリッジに戻ったのは土曜日の昼の3時頃。


何故といって隣町のイーリーの大聖堂で行われる聖歌隊のコンサートを見るためでもあったのですが。


バルセロナの低い天井で熱気に溢れた情熱的なフラメンコを観た翌日に高い天井の寒い大聖堂でコートにくるまり手をさすりながら聞く聖歌。

静と動。

なんともいえない対比がそこにありました。











2012年7月3日火曜日

2001年10月21日 「Anthrax」


Anthraxとは何ぞや?
トヨタの新しい車の名前か、はたまた新しい毛生え薬の名前か。

シンキングタイム・・・。

ハイ、正解は今話題の「炭ソ病」です。(ソは変換不能)

9月11日以来、テレビ・ラジオのニュースそして新聞などはテロに関する話題が中心です。
職場やパブで世間話するにもある程度こういう単語を知らないと会話が成り立たない状況です。

Anthraxなんて学校で習わなかったなぁとボヤいても始まりません。

一方自分の生活は呑気そのものです。

今日は土曜日ですが植物園の休日当番だったので午前中一杯は温室で水をやっていました。

最近は急速に秋から冬へと向かっており、日の出7:33日の入17:57と日の長さが著しく短くなってきました。
これがピークの冬至には16時前には暗くなるのですから気が重いです。

今日は午後から6カ国対抗ラグビーのテレビ中継があるので、それに間に合うように買物をして帰宅してテレビの前に缶ビールを並べて準備万端で観戦しました。

試合のあとホロ酔いのままそのままベッドに横になりうたたねをして目が覚めると・・・。アパートの前に駐車してあった僕の車のフロントガラスに駐車違反の切符が貼ってあります。

普段爪に火を灯す思いで節約生活を送っているというのになんたること。

泣く泣く罰金30ポンドを週明けに払わねばなりません。

最近は植物園内に許可をもらってある自分の小さな畑でネギとニラが収穫期を迎えており食卓はかなり楽しいことになっています。

あと2~3週間で霜が降りるようになると思いますので、それまでに何とか食べつくそうと思って連日ネギとニラづくしです。

「オイ、最近ネギとニラばっかりじゃないか。」
「だってアナタがつくったんじゃない。」
「それにしたって限度ってものがあるぞ。見ろよ、このネギの量。ちょっとはサ加減ってものがあるだろ。」
「そんなこと言ったって、今日採れたものは新鮮な今日のうちに使ったほうが良いと思って・・・。シクシク。」
「何も泣くこたぁないじゃないの。分かった、オレが悪かった。」
などという会話が今にも聞こえそうなタテバヤシ家の食卓です。

あと新しいことといえば齢36にして新競技に着手することにいたしました。

それはボートです。

ボートといっても横山やすしの競艇のボートではありませんよ。

8人、4人、2人もしくは1人で漕ぐボートです。

ケンブリッジ大学対オックスフォード大学のレガッタは有名ですが、ここイギリスはボート発祥の国で盛んですし、いかにもケンブリッジらしく、かつ来年ヨークに戻ってからも続けられそうで興味がありました。

見るからにボートマンのパブのオヤジさんに相談したところ今度クラブを紹介してくれることになりました。

果たしてどのくらいできるものなのか分かりませんが、今期目標のひとつである「運動量を増やす」には合致しているので良いかなと思っています。

練習後にみんなで飲みに行くのは別の今期目標である「酒量を減らす」には逆行してしまいますけど。

ボートを通じて新しい友達が増えればそれもまた楽しいものです。

冬に向けてまっしぐらですが、あと2~3週間は紅葉も楽しめそうですので機会を見つけて紅葉狩りに出掛けようと思っています。食欲の秋、どうぞ食べ過ぎにご注意を。



2012年6月28日木曜日

2001年10月06日 「車購入始末記」




唐突ですが車を買いました。

現在の貧乏学生の身分では車などはいささか分不相応ではありますが、買ってしまいました。

この国に来た目的のひとつにより多くの庭園を見てまわるというものがあるのですが、多くの庭園は「車ナシでどうやったらここに来られるの?」というくらい辺鄙なところにあります。

これまではレンタカーを借りたりしていたのですが、それもかなりの出費でこれなら安い中古車が十分買えると踏んだのです。

別にオネエちゃんを助手席に乗せて遊ぼうというわけではなく、あくまでも学術的要請に迫られてのことで自己投資と言えましょう。

そんなわけで「車を買うゾ!」と決意したのが今年の1月頃で、それからかれこれ9ヶ月の長い道のりを経て今日に至るわけです。

まずはどうやって車を手に入れるかが問題でした。

①新車 ②知人・友人から ③個人間売買仲介専門誌 ④正規ディーラー直営中古車センター ⑤町の中古車屋
考えられる全てを詳細に検討した結果⑤を選択。

そして予算、車そのもの(メーカー、年式、走行距離、主設備など)、保険、税金など考えうる限り多角的に研究を重ねる日々でした。

これにしようと決断の一歩手前まで何度いったことでしょうか。

試乗の度に雨漏りがしたり、ワイパーが動かなかったり、オイル漏れがあったり、値段が折り合わなかったり・・・。

自分でもビックリしたのは、中古車屋のオヤジと一緒に試乗したとたんに雨も降ってないのに屋根からドバドバと室内に雨漏りがしたときです。

僕とオヤジの膝はビッショリで「こんな車は買えないよ。」と言うと、オヤジは笑いながら「大丈夫、大丈夫」と繰り返します。

僕は真剣に買おうと思っていただけにそのふざけた態度にちょっとカチンときて「可笑しくないぞ」と言って精一杯なめたらイカンぜよ光線を放ってやりました。

そんな紆余曲折を経て結果的にはフォードの6年落ちの小型車にしました。

これも試乗したときには前輪付近から異音はするし、時計は壊れているといった具合で相当迷いましたが、中古で探している限りは「完全な車」は望めないというのは分かっていましたので、最終的にはこれで妥協しました。
9ヶ月も悩んでイヤになっちゃったというのもありますが。

お蔭様で英国での車をめぐる事情にはかなり明るくなり、最近では車を見ただけで「アレはざっと××ポンド」と値踏みまで可能になりました。
もはや特技の域ですね。

なにも中古車を買ったくらいで大袈裟な・・・という声も聞こえてきそうですが、自分にとっては超ビッグな買物で震えがきましたのでちょっと御報告する次第です。

金額的には車としては大したことはないのですが、自分の小切手では信頼してもらえず、銀行振り出しの小切手を用意したというあたりに特別振りがうかがえます。

大きくお金が動くといえば普通は結婚、自宅購入といったあたりでしょうけど、いずれも僕には縁がなさそうなので車というのは我が人生で一番デカイ買い物ということになりますね。

そしてこの辺りで「ハハーン」ときたら相当鋭いですね。
この車の購入は前節「寝袋」と見事なまでにリンクするのです。

庭巡りはかなり遠方に繰り出すこともありうるのですが、僕は車内で寝袋を使って寝て宿代を浮かせようという壮大な構想を持っているのです。

宿代がおよそ一泊あたり6000円くらいでしょうか。

これが丸々浮いてしまうのですから、その節約効果は絶大と申せましょう。

「ナーンダ車なんか買っちゃって結構贅沢してるんじゃない」と思われたらとんでもございません。
贅沢転じて節約となる、でございます。

かくして晴れて車のオーナーになりましたからには安全運転にて全国庭巡り行脚作戦を華々しく決行しようと決意を固くした次第です。



2012年6月24日日曜日

2001年10月03日 「Cool」




近所のパブの暖炉には早くも灯が入り秋から冬へと急速に季節は進んでいるように思われます。


9月は何といってもNYテロ事件で世間は大揺れでした。


9月14日には植物園でも午前11時から3分間黙祷を捧げました。


テレビは相変わらすこればかりです。


こちらでは9月から新年度でして僕もケンブリッジ生活2年目を迎えるにあたり「勉強量を増やす」「運動量を増やす」「酒量を減らす」といういわば「2増1減作戦」を目論んだのですが、フタをあけてみれば全てがその逆の方向へと向いてしまうというなんとも情けない1ヶ月でした。


現在植物園では高山植物とロックガーデンの担当なのですが、9月から新たにトレーニーとして加わったベン(正式名=ベンジャミン・キャロル シカゴ出身)とペアを組んで仕事をしています。


アメリカ出身の彼と終日一緒にいると「米語」と「英語」の違いに気付かされ、ときにはそのあまりの違いに大笑いしてしまいます。


彼の口からでるアメリカン・アクセントの英語は「Cool !」「Oh my god !」のオンパレードです。


イギリス人も言わないことはないですが、その頻度が違います。


抑揚、強弱などを変えて使い分けているようです。


例のNYの貿易センタービルに飛行機が突っ込む瞬間、中継の音声はひたすら「Oh my god !」ではなかったでしょうか。


「Cool !」は「カッコエエ!」とか「シブイ!」という意味なんでしょうが、彼といるともうなんでもかんでもCoolです。


今日は温室内で作業をしていたら珍しい花のつぼみを見つけて「That’s cool man!!」と興奮するのでこっちはちょっと力が抜けました。
女子高生がなんでもかんでも「かっわいいー」と言うのと似てますでしょうか。


あと9月のトピックスとしては「例の寝袋に究極のオプションを追加した」というのがあります。


申し上げておりますように日に日に気温が下がってきましたので試しに寝袋を試してみたところ、ことのほか快適で一人悦に入っておりました。


その話を隣室のビルとパブで飲んでいるときに話したらば、「そんなに頻繁に使うのならライナーを買ったらいいんじゃぁない?」というアドバイスをしてくれました。


これは言わば寝袋のシーツみたいなもので、汚れたらこれだけ洗えばキレイになり寝袋は長持ちするというスグレ物です。


なぜ究極かといえば、このライナーには色んな素材があるのですが、この度は奮発してシルクにしたからです。


早速試してみたところ最高の肌触りでシビレました。


ベン風に言えばCool!!でしょうか。


普段が節約、貧乏生活なのにシルクに包まり眠るとはお城に住む王子のようでなんとも贅沢じゃあございませんか。


そんなわけで野望は大きく、結果は小さくという9月でしたが早くも10月の到来です。


落葉樹はボチボチと紅葉を始めました。


これから約1ヶ月半はオータム・カラーといって紅葉がとてもキレイな季節です。


毎日カメラを抱えて日々の変化を追いかけています。


同時に日照時間も12月21日の冬至に向けてグングンと短くなり、なんとも憂鬱な気分です。


まぁ今年は寝袋様がこの憂鬱さを和らげてくれるとは思いますが・・・。

2012年6月15日金曜日

2001年09月23日 「元気です」



気が付けば秋深しといった風情で随分と冷え込むようになってきました。

NYの件で今もそうですが、大揺れの9月となりました。

丁度事件当日は母とその友人が日本から遊びにきていて、ロンドンまでオペラを見に出掛けていました。

終日外出していたので、事件を知ったのはロンドンからケンブリッジに戻る電車を待つキングスクロス駅構内のパブのテレビから流れるニュースでした。

繰り返し流される映像があまりに現実離れしているので、口を開いたままテレビを見ておりました。

知人、友人も何人かNYにいるため心配だったのですがどうやら皆無事のようです。

これからいったいどうなるんでしょうか。
普段自宅と植物園の往復という平和このうえない生活を繰り返しているので、連日のテレビ報道はあたかも映画を見ているようです。

さて、このまえ林望という人の本を読みました。

ケンブリッジに滞在していたときのことを綴ったエッセーですが、そのなかで彼はケンブリッジに滞在中にルーシー・ボストンという児童書作家のマナーハウスにホームステイしたことを「英国一恵まれた日本人」と自負しています。

植物園に僕と同じくトレーニーのケイトという33歳の女の子がいます。

彼女は突然バリカンで髪の毛をバッサリ切ってきたり、獣医の彼氏と山に行って怪我をしたときに彼に麻酔なしで彼に縫合してもらったり、どこか野生的なそれでいてちょっと魅力的な女性です。

彼女に今度僕の母親が来るので観光名所巡りをすると言うと「じゃぁうちの母親の家に来たら?」と言います。

「うちは色んな日本人が来るわよ。」と言うので「実家はB&Bかなにかなの?」と聞くと「そうじゃぁないんだけど・・・。プロフェッサー・ハヤシって知ってる?」と言われハッとしました。

彼女の名前がケイト・ボストンだったことを思い出しました。

でもルーシー・ボストンが母親という年齢でもないし、ルーシーは既に他界されたと思っていましたので更に聞くとケイトはルーシーの孫だというのです。

エッセーに出てくるルーシー・ボストンのマナーハウスはルーシーの娘であるケイトの母親が住んでいるとのこと。

それを聞いて「ウッヒャー!」とたまげたものです。

すきっ歯で手巻タバコをくゆらせながら「シッシッシッ・・・」と歯の間から息を漏らせながら笑うその姿からは、そんなスゴイおばあさんの孫には見えないのですがねぇ。



2012年6月11日月曜日

2001年09月04日 「秋・・・でしょうか」


早いもので9月になりました。
こちらでは9月が新学期ということになっていて、8月末に去るもの、9月に来るものと人の入替えがあります。

私も植物園で2年生になりました。

悲喜交々でございます。

現在住んでいるGWYDIR STREETという場所は駅、繁華街、植物園にそれぞれ徒歩10~15分とまずまず好立地で、近所には行きつけのパブ、パン屋、新聞屋があってまずまず気に入っています。

アパートの隣人ビル君は今となってはかけがえのない友人です。

しかし、このアパートの大問題は冬季の寒さと湿気です。

英国の典型的な暖房設備であるセントラルヒーティング設備がないので、部屋ごとに電気ヒーターをつけるのですが、効果はイマイチだし電気を相当食うので貧乏学生としては心休まらないわけです。
そこに加えて1800年代に建てられたこのボロアパートは断熱材といった気の利いたものは一切施していないために、部屋の壁が結露してそこにカビが生えるというおぞましさです。

この前大雨が降った際、ケーブルテレビが映らなくなり、電話にてテレビ会社に苦言を呈したところ、電話口のオペレーターが「私の言うとおりにやってみてください。まずケーブルを壁から抜いてみてください・・・。」という指示に従って、普段は机の影に隠れているケーブルを抜くために机をずらしたところ、壁にビッチリとカビが生えていて思わずのけぞってしまいました。


この冬場の寒さと湿気にはホトホト嫌気がさしておりましたので、実は植物園に「植物園内付設のコテッジに移りたい」と希望を出しておりました。

このコテッジは植物園の温室を暖めるボイラーと熱源を共にしているため、冬場でも確実に24時間暖かいのです。
洗濯物も即乾燥です。

しかしこのコテッジは毎年9月に入ってくる新入生に優先権があり、わずか2部屋は大抵スグに埋まってしまいます。

僕は希望は出したものの、新入生の希望がなかった場合にのみ引越しとなるということでまさに日々祈る思いでした。

結論としては、あっさりと希望者が2名に達し、僕は引き続きこの寒さと湿気と共にもう一度冬を越さねばならなくなったのでした。
我が部屋にては寝るときに暖房を切るのですが、ひどいときは吐く息が白くなるほどです。

コテッジの件があまり期待できないと悟った、とある日に街のアウトドア屋にて「セール」の文字が目に留まり、ホンのちょっとだけ安くなっていた寝袋を衝動買いしてしまいました。

寝袋は昨年「夏1シーズン用」というのを買って普段布団の上に掛けて使ったりしていたのですが、それとて焼け石に水。

よって今回は「3シーズン対応」「適応温度マイナス7度」という強力なやつを手に入れました。

まだこれを使うにはチト早いとは思いましたが、はやる心を抑えきれず、部屋で早速この寝袋に包まってみました。

さすがにマイナス7度まで耐えうるだけあってむせ返るほどの暑さです。
とても現段階ではこれでは眠れずクルクルと巻いてしまいました。
来る寒さにおびえつつも、これでどこか楽しみというフクザツな自己満足にひたりました。

アパートでも人の入替えがあり、僕の向かいの部屋も9月1日に新しい住人が来ると大家のオバちゃんから聞いていたので、引越しの気配を感じて挨拶に行くとそこにいたのはギャビンという見覚えのある男性でした。

昨年このアパートに僕が引越してきたときに、大家のオバちゃんが所有する近所の別のアパートで見かけた男性です。

そのときは丁度そのギャビンのいるアパートに父親に付き添われた若い女の子が部屋を見に来ていたのですが、付き添いの父親が「こんな若い男2人が住むアパートに娘を入れて大丈夫か」という顔をしていましたが、その父親の表情をみた大家のオバちゃんが僕の耳元でこんなことを言いました。

「あのお父さん、ここの男の子2人のこと心配しているみたいだけど、そんな心配はいらないのよ。」
「エッ?どうしてです?」
「だって、あの2人はゲイなのよ。彼女には興味がないはずよ。うふふっ。」

うふふっ・・・て、そのときの一人が僕の部屋のお向かいに引越してきたわけです。

この国はゲイにとてもオープンで随分慣れてきましたが、それでもときどき驚かされます。

口説かれたり、襲われたりすることはないのは分かっていてもナンカ複雑な気分でした。

まぁオバちゃんも口から先に生まれたのでは?というほどお喋りなオバちゃんですので、情報の信憑性にはいささか疑問が残りますが、確かめようもなく、また、確かめたところでどうなるものでもなく、ってところです。

そんな9月の始まりです。