どうして「スバラシキ英国園芸ノススメ」なのか

ちょっと読んで 「あんまり面白くないなぁ」 と思った方。
騙されたと思ってしばしお付き合い下さい。

7年間の英国留学中にしたためたメールは300を越えました。
そしてこれが 「尻上がり的」 に面白くなっていくのです。

当初の初々しい苦学生の姿から、徐々に英国に馴染んでいく様子は100%ノンフィクションのリアルストーリー。

「スバラシキ英国園芸ノススメ」の旅はまだ始まったばかりです。

2013年5月27日月曜日

2002年11月13日 「ヨークより」


現在11月12日、午後1時半。
自室にて紅茶を飲みつつこれをしたためています。

当初の予定では日曜日の13:00に成田を発つ予定でしたが、急遽搭乗予定の飛行機が「キャンセル」になり成田に一泊し、昨晩ヨークに戻りました。(成田発ルフトハンザ、ミュンヘン経由マンチェスター行き)

13時の飛行機に乗るために日曜日は8時に自宅を出発し、チェックイン後は「最後の寿司&ビール」にて有終の美をキメ、あとは帰るのみという段で「機体整備のために出発が遅れます」というアナウンスが入り、まもなく「本日の便は欠航いたします」とアッサリとキャンセルになってしまいました。

イギリスの電車などではよくあることで、慣れてしまったためか「フーン」という程度でしたが、乗客のなかには「どないしてくれるんやっ!」と大騒ぎする輩も。

いくらわめいたからって飛行機は飛びませんですヨ。

それでもどうしても、という人がいて、耳をそばだてていると
「一旦シンガポールに飛んでもらいます」(フムフム)
「そしてフランクフルト行きに乗ってもらいます」(ナルホド)
「さらにフランクフルトでミュンヘン行きに乗り換える方法が考えられますが」(ホホー)
「総飛行時間は約27時間となります」(シェーッ!!)

飛ばない理由は「オイル漏れ」だそうで、部品は日本に無く、香港から取り寄せるケース、フランクフルトから取り寄せるケースで、いずれにしても日曜日出発は絶望的となり空港で事態収拾となるまでの約7時間足止めをくったのでした。

まあ、オイル漏れが整備中に見つかってヨカッタと。

これが北極圏を飛んでる最中でしたらちょっとタイヘンなことになります。

特に急ぐ理由も見当たらないので、配られた「1000円のミール券」でカレーを食べボーっとしておりました。

音楽でも聴いて暇をつぶそうにも、仮眠して体力を温存しようにも「重大アナウンス」を聞き逃してはなりませんので、ボーっとするしかありません。

アッ、ここぞとばかり売店の雑誌を片っ端から立ち読みしまくりましたね。

そして、ようやく手配されたホテルに移動するにも、出国手続きを済ませ、ビル君あてのタバコのお土産を免税で買っていた僕は、「出国取消し手続き」「免税品の一時預かり」などをし、ホテルについたのは18時近かったです。

この時のパスポートのスタンプは良い記念になるのでは。

だってなかなかあることじゃあないでしょうから。

翌朝8時発というフライトスケジュールのようで、朝6時にホテル発との連絡があり、最後の夜を夕食券で刺身・天ぷらの和食を食べ(ご飯も3杯おかわり)、ちびまるこちゃん、サザエさんなどの日曜日の番組を堪能し(今回帰国期間中はあまりの忙しさでTVはほとんど見ていませんでしたので)、浴槽にバッチリとお湯をはり、湯船に漬かり、湯上りに「サッポロビール」を飲み気分よく寝たのでした。

帰りの飛行機では食事と食事の間にお腹が減った人のために、ギャレーには「おむすび」などの軽食があるのですが、これを3つほどガメてきて、ヨークの自宅についたのが20時過ぎで疲れ果てていたので、このおにぎりとインスタント味噌汁で今回の帰国プロジェクトを締めくくったのでした。

成田~ミュンヘンが11時間40分、ミュンヘン~マンチェスターが2時間、マンチェスター~ヨーク(電車)が1時間50分、ミュンヘンでの乗り換え待ち時間が2時間半。

成田を飛び立ったのが日本時間の08:00.ヨークの家に着いたのが20:00.現在日本と英国の時差が9時間ですので、総所要時間21時間ですか・・・。

もうしばらくイイです。

今朝のヨークは小雨がまじり相変わらず肌寒い感じです。

パンも牛乳もタマゴも切らしていたので、買い物に出ると2週間前にはあった筈の落葉樹の葉がほとんど落ちてしまっていて、とんでもなく長い期間日本にいたのでは?と錯覚するほどです。

サマータイムも不在期間中に終わり、一時間進んだ時計を戻したりして現実へと戻っていきます。

今回の帰国は当初計画以上にやることが多くなり、結果皆さんにお会いする時間すら捻出できない不本意な帰国となってしまいました・・・。

申し訳ありませんでした。

今回の帰国は以前お知らせしたかと思いますが、
①祖父の三回忌
②世田谷の自宅、退去の為の荷造り
③ジョンの世話
がメインで、特に予想以上に②が最後の最後まで難航し、二進も三進もいかなくなってしまいました。

③も詳細は追ってお知らせしますが、タイミング的には「ズラして欲しかった・・・」というのが偽らざるところです。

もうちょっと「くつろぎ帰国」がしたいと切に思っており、また近々そういう機会を作って帰ろうと思っていますので、そのときにはまたよろしくお願いします。


2013年5月16日木曜日

2002年10月12日 「日本」


今週あたりからかなり寒くなってきました。

もはや暖房なくしてはツライ感じです。

日照時間もグングンと短くなり、長くて鬱陶しい冬はもうすぐそこといった風情です。

日本はこれからしばらくは1年で一番過ごしやすい季節でしょうか。

紅葉が美しく、食べ物も美味しい・・・・。

そんな良い季節を遠くから羨ましがるもなんなので、チョット帰ることにしました。

具体的には10月27日から11月10日までの2週間です。

とはいっても「祖父の三回忌」「家庭の事情」が主な目的で、2週間完全休暇というよりは忙しい毎日になりそうですが、それでも久し振りの日本、今からコーフンしています。

しかも植物園のジョンが「お前が帰るなら、その機会を何故見逃せようか!」と彼も日本行きを決心した模様で、日程は多少違うのですが、それでも来日するようで、彼の面倒も少し見なければなりません。



都合があえば皆様にもお会いできればと思っています。

帰る前に締め切りの近いレポートを片付けて、と学生らしい態度で準備を進めております。

それでは、また。



2013年5月9日木曜日

2002年09月26日 「新生活のことなど」


気が付けば9月も残り少々。

引っ越してきてから3週間です。
3週間で良いこと、悪いこと、色々見えてきました。

まず新居については、満足度70%でしょうか。

ほぼ大筋では気に入っているものの(既にセントラル・ヒーティングが稼動し、とても良いカンジです)若干の不満があります。

大きくは2つで、まず第一は「気を遣うこと」です。

他に3人の英国人と同居しているのですが、自分の部屋以外でかなり気を遣うことがあります。

ケンブリッジでは狭く限られていながらもシャワー、トイレ以外はほぼ全ての設備が自分の部屋にあったので、何時、何を料理して、TVを見ながら食べようが、それは全く自由だったのですが、今度はキッチン、ダイニングが共同なので、他の3人と鉢合わせないように気を遣ったりする訳です。

TVがダイニングにあるので、誰かが大ボリュームでTVを見ている横で、黙々と食べなくてはならなかったり。

同居人は
①化学の博士課程(20代後半)
②史学の博士課程(50代半ば)
③法学の修士課程(20代後半)
と、かなりのインテリ揃いです。因みに全て男性。

問題は②のオジサンで、「自己中心的」「慇懃無礼的」「努力型勤勉家的」といった感じの御仁です。

初めて会ったのは、自分が夕食をダイニングで食べている時で、普通に初対面としての挨拶を交わし、そのままスッカリ話し込んでしまいました。

一応、「君は・・・についてどう思う?」と聞いてくるものの、真面目に答えていても全然人の話は聞いておらず、こちらが話し終えるや、怒涛の如く話しを延々と続けます。

初対面だったので、「人が話してるのにモノを食うのも失礼かしらん」などと小心振りを発揮していたら、スッカリ料理は冷めて、食欲も失せておりました。

ある時は、うどんを作りダイニングで食べようとしたところ、そのオジサンがくだらないドラマを熱心に見ていたので、「つるつると音を立てて食べるのは英国ではマナー違反かしらん」などと、堂々とつるつるすればいいものを、これまた小心振りを発揮し、むぐむぐとうどんを食べた日には味も素っ気もございませんでした。

だったら自分の部屋で食えばいじゃぁないか、という声も聞こえそうですが、何となくそれは「負け」という気がして、食事はあくまでもダイニングでとこだわりがあった訳です。

が。
今は勝ちも負けもなく、気がねなく美味しく食べたいじゃぁないの、ともっぱら自分の部屋で食事をするようになりました。

そして開き直りというか、もっと大胆にというか、料理したいときに食べたいモノを好きなようにと発想を変えました。

ええ、これからはうどんだろうが、そばだろうが「つるつるっー」と食べますよ。 

思うに彼らはそんなことイチイチ気にしちゃあいないのです。
気の遣い損ってところです。

食べてる間に話しかけられても②のオジサンの場合であれば「フンフン」と相槌を打つに留め、議論の類は一切パスしますよ。

ハッハッ。

パンケーキ(日本ではホットケーキ)が好きで、ケンブリッジにいたときも毎週日曜日の朝はパンケーキの日と決めていましたが、こちらヨークに来てヨカッタこととして、「パンケーキが美味しくなった」という事が、驚きの事実として挙げられます。

これまでは、粉を卵と牛乳で溶く時に大型のスプーンでぜーぜー言いながら攪拌していたのですが、この共同キッチンに「泡立て器」を発見し、早速使ってみたところ、ダマにならず完璧に粉・卵・牛乳がまさに三位一体に混ぜ合わさるためか、気のせいではなく確実にお味がアップしてしまい、ビックリです。

不満その2は、隣人関係でしょうか。

現在車を所有し、それは家の前の通り(道路幅、車3台分。

すなわち両側に駐車し、あと車がやっと通れる幅)に停めて良いということになっているのですが、いざ車を停めてみるとその前の家のオジサンが出てきて「ここへは停めてはならん、娘がくるのだ」とスゴイ恐い顔をして言ってきます。

「そんな公道なんだから空いていれば停めたモン勝ちでしょうが」と思いつつも、来た早々に摩擦を生じるのもイヤなので、チッと思いつつも満面の笑顔で「オッケー、ノー・プロブレムよ」と車を動かすようにしています。

どうやら駐車スペースを巡っては、下宿人と住人との間でこれまでも色々あったようで、それは事前に思いもよらなかったことです。



家探しの時はなにせ、カビがはえず、暖かい部屋、しか頭になかったですから。

肝心の学校は。

実はそもそも戻る予定だったコースよりも更に一つランクを上げちゃぁどうだ、と担任から言われ、そうすることにしました。

そもそも戻る予定だったコースは1年目に取っていたものよりも当然難度は高いのですが、言われてカリキュラムをヨクヨク見てみると、とても簡単に見え、僭越ながら、「知らず知らずの内にパワーアップしていたのかっ、オレはっ」と少々嬉しくなりました。ホントかな?

コースを変更した結果、当初よりも学校の始る日が1週間延びたため、先週の金曜日から3日間、美しい海岸線で知られる西ウエールズに気分転換に行って来ました。

珍しく3日間とも天気に恵まれ、青く輝く海を眺めつつ、サンドイッチを頬張り、新聞を読み、ビールを飲み、うたた寝をし・・・、とまあノンビリした休暇でした。

宿泊は貧乏学生ですので、金曜日は車の中で寝袋。

深夜1時過ぎにパトロール中の警官2人組に懐中電灯に照らされ職務質問を受ける羽目に。

ビックリ、というか当たり前か、話す前から「ケンブリッジから来たのか」と図星だったのは、サスガ警察と感心しましたね。

実はヨークからなんですけど、「ハァ、そうです」と答えておりました、

車の中は安いながらも寝心地最低だったため、土曜日はユース・ホステルへ。

ワタクシ、ユースホステル会員なので慣れたものです。

寝床を確保した後は御当地ビールを求めて繰出しのでした。

勉強してんのかっ!と言われそうですが、学校が本格始動するのが来週からで、そうなるとウンウンと唸りつつの1年間になるので、少しは良いか、と。


日本もそろそろ本格的秋の訪れでしょうか。

こちらも、日照時間が格段に短くなって来て、長く寒い冬の予感です。

あと1ヶ月もするとサマータイムが終了し、TV・ラジオなどからは「クリスマスまであと何日」などという話題が中心となります。

まずは無事に新生活をスタートしましたことを御報告申し上げます。

それでは、また。



2013年4月26日金曜日

2002年09月06日 「引越のことなど」


9月。

お知らせしましたように水曜日に無事ヨークに引っ越しました。

土曜に荷物を全て車に積み込み、そのまま4泊ケンブリッジの友人宅を泊まり歩き、しばしケンブリッジ、ロンドン界隈をゆっくり歩いておりました。

学校は来週の火曜日からで、それまでは、ヨークの新しい部屋で独りになり、どことなくセンチメンタル、かつメランコリックな気分でいます。


引越し。

これはなかなかドラマチックでしたね。

2年間住んだGWYDIR STREET(ぐぅわいだぁ すとりーと)は、ビル君という隣人に恵まれ、ケンブリッジ内でも指折りのパブが2件も近くにあり、街の中心地まで徒歩15分、植物園徒歩15分、駅徒歩10分と、とにかくアクセスが良く、馴染みのパン屋、新聞屋、カフェもできて、気に入っておりました、2点を除いては。

その2点とは。
①部屋が結露し、そこにカビがはえること
②大家のおばちゃん(ジル)が極度のおしゃべりなこと

①は特に冬に室温と外気温の差で起きると思われますが、その結露を煽ったのは、僕 が電気代をケチって暖房(電気ヒーター)のスイッチを限界まで入れなかったかもしれません。

2年間に渡り育て上げた「カビ君」たちはタンスの裏、チェストの裏、本棚の裏、TVの裏などに広がり、最後には凄惨を極めておりました。
(記録として写真もとってありますが、食事中のことも考慮して添付はやめておきます)

ここで大家のジルとのカケヒキがあったのですが、このカビに加え、「電気代」「市民税」「敷金」を絡めつつ説明せねばなりますまい。

電気代」とは、2000年9月に入居した際、ジルが言うには「本来は部屋に備え付けてあるメーターがゼロになったら、コインを入れてメーターを巻き上げるのだけど、この部屋は壊れているので、今一緒に目盛りを読み合わせして、後で清算しましょう。」といって一緒に目盛りの数字を読み上げ、それをメモしてありました。

14ヶ月後の2001年11月上旬に「1度電気代を払ってもらおうかしら」といって、再び数字を読み合わせると、その数時は逆に減っていて電気代請求の根拠がなくなってしまいました。

ジルは「困ったわねぇ。じゃあ月平均10ポンドってことで良いわ」とアッサリ言うのですが、こちらとしては「冗談じゃあございません」デス。

普段、苦学生、ケチケチ学生を標榜するワタクシとしては、電気ヒーターは電気代がかさむとして、膝には寝袋、上半身はダウン、頭にはニット帽で過ごし、寝るときもマイナス7度対応の寝袋で過ごしてきたのに、それを「平均」などという一言で片付けて欲しくはないっ、と訴えたところ、そこで電気代の件は頓挫してしまいました。

そのことを隣人ビル君とパブでビールを飲みつつ話すと、「でも、お前は毎日料理するだろ、暖房だって全く使わない訳じゃあないし。それはお買い得かもよ」と言われ、ジルに13ヶ月分として130ポンドの小切手を送りました。

電気代は調査する、といったそれ以来、今後どうするかも決めないまま、その件についてはまったく音沙汰がなくなりました。


「市民税」
これは日本の固定資産税と市民税の中間にあたる気がしますが、まあ、家一軒ごとに課税され、大家はそれを店子の数で割って請求してくるのだと思います。

ある日、あるところで「学生は市民税は払わなくていい」と小耳に挟み、大いに興奮しました。

2年分の約300ポンド、払うと払わないでは雲泥の差があります。

ある日、ジルに出くわした際、市民税の件にことが及び「僕は学生なので払わなくて良いと思うのですが・・・」というと、ジルの顔色がササーッと変わり、「イイエ、あなたの今の身分は学生ではないから払う義務があるのよっ!」と、かなり攻撃的に言ってきました。

実際、本件は小耳に挟んだ程度で、市役所に行って確認せねば、と思っていたので、確認前に議論するのは得策とは思えず、その場をなんとかつくろい別れました。

しかしその時に「This kind of argument is getting us nowhere」と言ったところ「アーギュメントですって?!、これはカンバセーションよっ!!」とジルの興奮した鼻息で3メートル程飛ばされそうになりつつ、「英語なんて嫌いだよ、クソっ」と情けなくなりました。

その後、市役所、無料市民相談所、などで相談したところ、払う払わないは大家と店子の間の取り決めだということで、決定打が見つからないまま、悶々としていましたが、あの口から先に生まれてきたようなジルに議論、しかも英語で勝てるはずもなく、諦めかけていたところ・・・・。

なんと救世主となったのは、隣室のビル君でした。

彼は普段から交流しているので、僕の事情を分かっていて、ジルにうまく取り入って、学校側から僕が学生である旨の手紙を貰えればそれで放免するとのことで、拍子抜けするほどアッサリ解決してしまいました。

その時にビルが言うには「ジルが、部屋をでるまでにカビをふき取れ、と言っていたぞ」とのことでしたが、「何で、オレが?」と突っぱねようとしたところ、「敷金の事があるだろ。やっぱり出来るだけキレイにした方が良いよ」と説得され、暇を見つけては、ゴム手袋とマスクをして、英国版カビキラーで、シューッシューッ、ゴシゴシとしてはみたものの、2年間に渡り育ってしまったカビはそんなものでは落ちません。

でも、「何でこんなこと・・・」と涙ぐみつつも出来るだけのことはしました。

そして、事態は更にフクザツになりますが、僕の部屋がカビだらけの状態だったためかどうかは知りませんが、9月からの入居者が決まらずにいたところ、ある日植物園の同僚のマークが「実は急な事情が出来て部屋を探してるんだけど、オマエの部屋見せてくれない?」と言われ、表事情、裏事情も全て説明して見せた所、かなり切羽詰っていたようで、ナント翌日大家と契約してしまいました。

かくして、僕が8月31日に車でマークの家に荷物を取りに行き(マークは車がないので)、そのまま僕の部屋にめでたく入居する、という、当初想像だにしない結末となりました。

一番喜んだのは大家のジル。

なんてったって家賃の取りもれがない無駄の無い見事な家賃リレーのバトンタッチとなった訳ですから。

最後は、部屋を雑巾で拭き、掃除機をかけてマークに引渡しをしましたが、やおらジルが部屋に入ってきて、「カビは拭いたのか」「洗面台は洗ったのか」等といろいろ「ケチ」を付けてきました。

想像はしていましたが、敷金「238ポンド」から幾らか取ろう作戦です。

結果的には、
①電気代は昨年払った130ポンドで放免
②カビを含め部屋の掃除代50ポンドを敷金から差引
で話が付きました。

市民税が浮いたこと、電気代も実質過去約半年が浮いたことで、溜飲はかなり下がったものの、このオバチャンともう2度と会わなくて良いのかと思うと、それが何よりです。


後日談を幾つか。

(壱) 「さらばっGWYDIR STREETよ!」と意気込んで出発したものの、その晩から宛てにしていた友人の家の電話番号が、引越しのドサクサで見つけられず、結局その晩は、「また来たよ、GWYDIR STREET・・・」とビル君の部屋の床で寝袋で1泊したこと。

(弐) マークは新しく入居したものの、大家はやはり部屋の全面的な塗り替えが必要だと思ったらしく、塗装が完了するまでの3日間何処かで寝泊まりしてくれと言われ、話が突然だったマークは最初の1泊はユース・ホステルに泊まったのだとか。

当然、代金は大家持ちながら、「申し訳無いっ、マーク君!!オレが変な部屋を紹介したばかりに・・・」と少し罪悪感が。

そして、水曜日の午後からこのヨークの住人となりました。

部屋探しの段階で第一条件が「セントラル・ヒーティングがあり、カビの恐れがないこと」だっただけに、今度は暖かい冬が送れそうです。

どうなりますやら。

日本はこれからかなり良い季節じゃあないでしょうか。

どうぞ、去りゆく夏を惜しみつつ、来るべき秋を元気に満喫下さい。

それでは、また。



2013年4月12日金曜日

2002年08月21日 「2002年・夏」



残暑お見舞い申し上げます。

と書いておきながら、こちらは申し訳ないですが1年の内で一番良い季節です。

英国の夏は、日照時間が長く、湿度は低く、数々の花が次から次へと見頃を迎え、冬の鬱陶しさとは対照的に過ごしやすく、良い季節です。

湿度が低いというのがカギだと思いますが、街中でクーラーのある施設はスーパーか大型の本屋くらいのもんで、車に至ってはよほどの高級車でない限りエアコンはついていません。

朝晩は少々冷えこむこともあって、朝の通勤時間帯などにはダウンジャケットを羽織っている人を見かけたりもします。(これはちょっと着すぎ、と思って見ていますが)

実際、夜中には10度を切ることもあるので油断は出来ません。

今日は8月20日。
丁度3年前の今日、成田を発ったのですが、「丸3年かぁ」と思うと長いような、短いような、不思議な感覚にとらわれます。

とにかく自分の中では記念日。
密かに祝杯をあげます。

さて、8月。僕も少々夏休みらしいことを幾つかしてみました。

第一は「北海で泳いだ」こと。

北海と大袈裟に言ったって、そもそもイギリスの東部は北海に面しているのでそれほど鼻息を荒げて言うほどのことはありませんが。

でも「北海油田」なーんていってイメージで沸くのは寒々しくかつ荒々しい海で、ここで泳ぐというのは一生の記念になるのでは?と思って決断した次第。

アパートの隣の部屋のビル君の実家に誘われて遊びにいった際、海岸まで徒歩5分ということで夕方に散歩がてら出掛けました。

するとビル君が「泳ぐぞ」と言って、スルスルと着ているものを脱ぎ、短パンいっちょうで、「入水時には少々の気合と勢いが必要なのだ。後から付いて来い」と、ヨロヨロと走って海に入りました。

海の中から「来いヨー、気持ちイイぜっ!!」と手を振るので、ためらいつつも試したところ冷たい海水の返り討ちにあい、即引き返しガタガタと震えておりました。

「そうやって風にあたるから余計に寒いんだよ、慣れれば海の中の方が暖かいゾ」と ビルは言うし、夕方とはいっても既に19:30を回り、相当日が西に傾いた状況ではサッサと一泳ぎして、早々にここを引き上げた方が得策に思え、意を決し入水しました。

まあ、慣れれば少しはマシではありましたが、回りを見渡したって日中ならまだしもそんな時間に泳いでる人は1人も見当たらず、海岸ではコートを着て犬の散歩をしている人達がニヤニヤしてこちらを見ています。

海から上がって裸足で、短パンからポタポタと海水をしたたらせつつ家路についたのでした。

そんな訳で北海スイミングのデビューを飾りました。


第二は「フォーク・フェスティバル」。

これもビル君の企画で、ケンブリッジで毎年夏開かれる「フォーク・フェスティバル」にビル君の友人達と繰出しました。

これは木曜日~日曜日までの計4日間通して行われる、英国最大のフォークフェスティバルで、毎日昼頃から野外コンサートが始まり、深夜12時頃に終わり、その会期中は近所の大きな空地で4泊キャンプ生活をする、というもの。

これはかなりメジャーなイベントで、英国中ならずもアメリカやヨーロッパ各国から熱心なファンが来てのお祭り騒ぎの4日間です。



そういう人のためのキャンプ場なのですが、僕らはスグに帰れる場所に家がありながら敢えてテント生活を選択し、浮世離れした4日間を過ごしました。

会場には3つのテント・ステージがあり、そこに入れ替わりで色んなバンドが出てきます。

観客は見たいバンドを見れば良くて、あとの時間は会場内でビールを飲み、芝生でゴロゴロして過ごします。

ビル君の友人達と総勢7~10人のグループで、既に以前のビア・フェスティバルなどで知った顔も何人か含まれていました。

ビア・フェスティバルで見かけた・・・、という一抹の不安が的中し、初日は「フォーク・フェスティバル」なんだか「ビア・フェスティバル」なんだか分からない程飲んでしまい、何のバンドを見たのか皆目記憶に無く、その反省から2日目からは朝の内に見たいバンド、ステージなどを決めて、のんべえ達とは別行動を意識してとるようにしました。

事前に出演者リストを見たときは、知っているバンドはただの一つだけ(因みにチャンバワンバで、「果たしてこれはフォークなのかっ??」と疑問)で、「果たしてこれで楽しめるのか!?」と不安では有りましたが、ナンノナンノ実際に見て聞くとこれは良いモンでした。


「フォーク」というだけあって、基本的にはギター、バイオリン、バンジョー、アコーディオンなどの素朴なもので、「アイリッシュ風味」「スコティッシュ風味」「デキシーランド・ジャズ風味」「ゴスペル風味」・・・と色んな風味が混じった素朴な音楽をリラックスして楽しんだのでした。

今回の発見は「The Be Good Tanyas 」(カナダ、バンクーバー出)、「IndigoGirls」(アメリカ、アトランタ出)の2組で、「良い音楽に出会ったっ!!」と大満足して、その場でCDを購入し、以来毎日ズッと聞いています。

特に後者は僕が知らなかっただけで、アメリカなどでは相当メジャーらしく、植物園にいるアメリカ人のベンにその話をしたら、「ナニーッ!!インディゴ・ガールズを生で見たのか!!」と頭を抱えるほど興奮する始末。

この2組、オススメです。

丸4日間、屋台メシを食い、ビールを飲み、音楽に酔い、テントで寝る、そんな「食う、寝る、遊ぶ」の4日間でした。

そして、最近は我が菜園が収穫絶頂期を迎えており、ほぼ毎日ニラを使って健康的に過ごしております。

自分が育てた野菜はやはりウマイもの。毎日食べ続けても飽きません。

ニラは収穫しても後から後から新芽を吹くので、食べても食べても追いつきません。植物園の連中にもお裾分けして好評を頂戴しております。

更に、かぼちゃも収穫期で煮物、かぼちゃポタージュなどを作り、これも秀逸の出来。

煮物などは「煮崩れしないように面取りして・・・」等と主婦的テクニックも駆使し、マズマズなんじゃあないでしょうか。

そんな夏を過ごしています。

が、そんなケンブリッジ生活もいよいよ残り2週間を切りました。

引越しもボチボチ始めました。

この2年間で思いの他、所持品が増えたことは驚きに値します。

冷蔵庫、冷凍庫なども中を見つつ、8月31日の引越しまでに片付けるように計算をしつつ料理しております。

引越し、新居、などに付いては語ることが多く、またの機会にお知らせします。

暑い夏、どうぞ健康第一でお元気でお過ごし下さい。
それではまた。





2013年3月22日金曜日

2002年07月22日 「131th the open」




第131回全英オープンゴルフがスコットランドのミュアフィールドでありました。

英国に来て以来、毎年見に行っている自分としては恒例行事となり、今回が3回目になります。

一昨年は2日間現地観戦し、1晩野宿。

昨年は4日間現地観戦し2晩車で寝て、1晩ホテル。

今年は少々作戦を変えて、現地へは1日だけとしました。

これは、入場料が結構高いこと、終日観戦すると随分と消耗すること、といった経済的にも肉体的にも負担が大きいことがあげられます。

そして朝から晩までひたすら忍耐強く良い場所を確保してトイレも我慢してストイックに観戦したところで所詮はTV中継が1番良い場所で見れるというのは、いかんともしがたい事実。

そこで今年は初日(木曜日)は夜TVにてダイジェスト観戦、2日目は休みをとって朝からBBCで完全中継されるTVを9時から19時半まで10時間半TV観戦、3日目は現地に足を運び観戦、最終日はTVで仕上げる、といったプラン。

現地へ足を運ぶというのは英国に折角いるのだから、その機会を活かさないテはない、という理由からですが、それだけのことはあって会場の雰囲気、そして何といっても世界のトップランカーたちが自分の目の前でプレーするというのはまさに夢のようです。

今年行って良かったと思ったのは「グレッグ・ノーマン」を生で見れたことでしょうか。

これまでの2大会では見なかったので、生を見て改めてスイングの早さにビックリでした。

帽子からはみ出た金髪といい、独特の雰囲気を持っていてカッコ良いっ! !さすがシャークとホレボレしておりました。

この雰囲気を持っているというのはスター選手にのみ備わっているものなのでしょう。

今回プレー・オフにもつれたアーニー・エルス以外の3人は、ここまで残る実力はあっても、その「雰囲気」という後光は全くさしていなかった気がします。

僕がミュアフィールドに見に行ったのは土曜日です。

植物園の温室の責任者ロブが一緒に行きたいというので、この日は深夜2時に彼の家に迎えに行き2:30にケンブリッジをでました。

ケンブリッジからミュアフィールドまで片道350マイル(約560キロ)、現地の駐車場に車を停めたのは出発からキッカリ6時間後の朝8時半でした。

この日は生憎の天気で、朝は小雨程度でしたが、徐々に天候は崩れていきました。

ロブと相談した結果、7番グリーン横の「やぐら」であれば7番のパット、8番のティーショット、はたまた双眼鏡で6番グリーン、11番のフェアウエーが見れるということで10時から席を確保してその場所で17時半まで7時間半粘ったのでした。

しかし、この日の天気は最悪で、コレが7月か?という位気温が下がり、雨が殴りつけるように横から降りつけ、強風が吹き荒れるといった具合です。

15時頃に、あまりの寒さでロブに「天気の回復の兆しも無いし、そろそろ退散しない?」とギブアップのサインを送ったのですが、「イヤ、オレは初めての経験で大変興奮していて、何としても最終組まで見届けたいのだ」と言うので、それに従わざるをえなくなりました。

寒かろう、天気はスコットランドだけにアテにならなかろう、と想定し、用意したシャツ、ラグビージャージ、フリース、そして上下のゴアテックスの雨具を着込み、更にフリースの手袋、帽子を使っても!!・・・・寒くて、寒くてツライ観戦となってしまいました。

いでたちは「ゴルフ観戦」というよりむしろ「スキーもしくはスノボ」といったところです。

吐く息は白く、なんとも季節感を欠いた状況に。

その日の荒天はやはり少々異常だったらしく、かのタイガー・ウッズもプロデビュー以来の自己最低スコア「81」を叩き、双眼鏡で覗いた丸山茂樹の手にはオレンジ色のホカロンが見えるほど。

17時半にやっとのことで最終組、エルスと丸山が通過していくと、ロブと二人して震えながら車に戻り、暖房全開でしばし放心状態でした。

手は寒さの為か、小指と薬指がしびれるというか感覚が麻痺していました。

しかし、スコットランド人はこういうのに慣れているのか、中には傘もささずびしょ濡れになりつつ、何事でもないようにジッと観戦しているツワモノモがいたり、ゴルフ好きの彼氏に誘われて来ちゃったの的な女のコの足元がサンダルだったり、短パンのお兄さんがいたり、同じ人間でこうも違うのは不思議、と感心するやら、呆れるやらでした。

18時にゴルフ場を後にし、途中近所の街で食事をして再び350マイルの道のりをひたすら南下し、ケンブリッジに戻ったのは深夜1過ぎでした。

まあ、植物園の連中からはスコットランド日帰り観戦について「クレイジー」「自殺行為」と言われていましたが、事故もなく無事に帰ってこれたのは何よりでした。

2013年3月13日水曜日

2002年06月24日 「夢のあと」



ワールド・カップ、すごい盛り上りですね。

開催国ともなると、それは格別だと思いますし、日本が決勝トーナメントに出たとなると、その過熱ぶりも想像に難くありません。

しかし・・・、今や日本も、イングランドも姿を消してしまいました。

こちらでは、それまでは「9月11日」以降のアメリカかっ?!という位、家の軒からはイングランド国旗が垂れ下がり、車にはミニ国旗が飾られ、それはスゴイ盛り上りでした。

ただ、日本との時差の関係で、TVの中継時間が朝7時半、昼12時半と何とも盛り上りにくい時間帯であったことは、イギリス人の不満であったようです。

この前の金曜日はブラジル×イングランドの試合がこちらの午前7時半からあり、勝手に3連休にしちゃったツワモノもかなりいたようで、午前中は試合でヒッソリ、午後は敗戦ニュースでヒッソリ、と普通じゃあなかったです。

イングランドの敗戦はGKのシーマン選手のミスと見なす意見が多く、新聞などでは「シーマンのヘアスタイル(ポニーテール)を嫌い、マゲを落とす人が絶えない」などと冗談のような記事も目にしたりします。
僕自身は冷静に傍観していたという感じでしょうか。

①そもそもサッカー・ファンではない
②ラグビーのワールドカップで悔しい思いをした
③TVがあろうことか先々週の金曜日に壊れた
というあたりが理由です。

それでも、ダイジェストなんかで日本の躍進振りを見たりするにつけ、多少の興奮は覚えましたが。

理由その②は解説が必要で、1999年にイギリスでラグビーのワールドカップがあり、僕は昼の「日本×西サモア」という試合をウエールズまで見にいってました。

その日の夕方に「ニュージーランド×どこか」の試合があり、これは見逃せないっ!!と力んだものの、当時僕はTVを持っておらず、観戦するとすれば最寄のパブでと思いつき、まさに車をぶっ飛ばしてウエールズからヨークに舞い戻りました。

大型スクリーンのあるパブに着くと、既に多くの人が集まりビール片手に相当盛り上っています。

よっしゃーと僕もビールを片手に中継時間を待ちました。
そして、中継時間にTVに移ったものは・・・・・

「サッカー」ですよ。

ラグビーは「ワールドカップ」ですよ。

そのサッカーは普通の通常のただの「サッカー」ですよ。

一気に力が抜けましたね。

しかし、店を変えると言ったってアテもなく、よしんばあったとて車で20分とかです。

諦めかけたそのときに皆が大型スクリーンに向かう、まったく逆の方向に小さなTVがついていて、そこに「ニュージーランド×なんとか」が映っているのを発見。

「おおっ」とその画面にかぶりつきましたが、その店内で僕一人だけが皆と逆の方向を向いて、音声すら流れないラグビーを見る、という辛酸をなめたのでした。


そもそもイングランドではサッカーが圧倒的な人気でラグビーはボチボチ。

サッカーは庶民向け、ラグビーは少々インテリ向けという暗黙の仕切りがあり、圧倒的に労働階級が多い訳ですから、どこでもサッカー、サッカーとなる訳です。

これがウエールズに行くと、インテリ×庶民、ブルーカラー×ホワイトカラーという仕切りではなく「ラグビーは信仰」となります。

ここが大きな違い!!

よって、ウエールズではサッカーなんか流してるパブはほぼ皆無で、ラグビーの試合さえあれば「ラグビー」となります。

何が言いたいかというと、ラグビーのワールドカップでそんな思いをしたので、「誰がサッカー如きのワールドカップ如きに熱如きをいれられようか如き」ということです。

まあ、屈折してるのは承知なんスけどね。でも、普段サッカーって言ってるわけでもないのにいきなり「サッカー・ファン」にはなれませんもの、やっぱり。

そもそも「オフサイド」を知らないんスから。
にわかファンを気取るのもはばかれる気がします。

理由③もこれはとんだハプニングです。

金曜日、夕食後ノンビリとTVを見ていたら「ブツッ」という変な音がした後、にわかに焦げ臭い香りがたち込めました。

それ以来、ウンともスンともで、今度修理屋に持って行かねばなりません。
当然金が掛かりますし、最悪の場合TVを諦めるか、新調するしかありません。(このケースが濃厚と読んでいますが)

ベッカム人気は日本でスゴイらしいですね。
確かにカッチョええです。
ベッカムブームが起きるあたり、いかにも日本、頷くことしきりです。

しかし、日本のサッカーを見ていて、首を傾げちゃったのは、どーして皆普通の髪じゃあないのか、ということ。

茶、金、赤・・・とまあカラフルで、何かヘンでしたね。

見慣れないせいか、かなり違和感がありました。

あと、周囲のイギリス人から必ず聞かれるのは、「何で日本人がイングランドのユニフォーム着て、イングランドの国旗を振って、顔にイングランドのペイントをしてまで、応援してるの?」ということです。

「ごもっとも」という感じで、これの逆はありえませんもの。

「お祭り気分なんじゃないの?楽しきゃイイのって国民性は確かにあるし」と答えていますが、どうなんでしょうか。

開催前はまだまだ先の話と思っていたワールド・カップ。もう終わりが近くなりました。

個人的な次なるビッグなスポーツイベントは、今年もやってきました「THE OPEN」で、今年は現地へは1日だけ。

ケンブリッジ⇔スコットランド日帰り強行作戦を練っています。

それでは、また。