どうして「スバラシキ英国園芸ノススメ」なのか

ちょっと読んで 「あんまり面白くないなぁ」 と思った方。
騙されたと思ってしばしお付き合い下さい。

7年間の英国留学中にしたためたメールは300を越えました。
そしてこれが 「尻上がり的」 に面白くなっていくのです。

当初の初々しい苦学生の姿から、徐々に英国に馴染んでいく様子は100%ノンフィクションのリアルストーリー。

「スバラシキ英国園芸ノススメ」の旅はまだ始まったばかりです。

2013年5月9日木曜日

2002年09月26日 「新生活のことなど」


気が付けば9月も残り少々。

引っ越してきてから3週間です。
3週間で良いこと、悪いこと、色々見えてきました。

まず新居については、満足度70%でしょうか。

ほぼ大筋では気に入っているものの(既にセントラル・ヒーティングが稼動し、とても良いカンジです)若干の不満があります。

大きくは2つで、まず第一は「気を遣うこと」です。

他に3人の英国人と同居しているのですが、自分の部屋以外でかなり気を遣うことがあります。

ケンブリッジでは狭く限られていながらもシャワー、トイレ以外はほぼ全ての設備が自分の部屋にあったので、何時、何を料理して、TVを見ながら食べようが、それは全く自由だったのですが、今度はキッチン、ダイニングが共同なので、他の3人と鉢合わせないように気を遣ったりする訳です。

TVがダイニングにあるので、誰かが大ボリュームでTVを見ている横で、黙々と食べなくてはならなかったり。

同居人は
①化学の博士課程(20代後半)
②史学の博士課程(50代半ば)
③法学の修士課程(20代後半)
と、かなりのインテリ揃いです。因みに全て男性。

問題は②のオジサンで、「自己中心的」「慇懃無礼的」「努力型勤勉家的」といった感じの御仁です。

初めて会ったのは、自分が夕食をダイニングで食べている時で、普通に初対面としての挨拶を交わし、そのままスッカリ話し込んでしまいました。

一応、「君は・・・についてどう思う?」と聞いてくるものの、真面目に答えていても全然人の話は聞いておらず、こちらが話し終えるや、怒涛の如く話しを延々と続けます。

初対面だったので、「人が話してるのにモノを食うのも失礼かしらん」などと小心振りを発揮していたら、スッカリ料理は冷めて、食欲も失せておりました。

ある時は、うどんを作りダイニングで食べようとしたところ、そのオジサンがくだらないドラマを熱心に見ていたので、「つるつると音を立てて食べるのは英国ではマナー違反かしらん」などと、堂々とつるつるすればいいものを、これまた小心振りを発揮し、むぐむぐとうどんを食べた日には味も素っ気もございませんでした。

だったら自分の部屋で食えばいじゃぁないか、という声も聞こえそうですが、何となくそれは「負け」という気がして、食事はあくまでもダイニングでとこだわりがあった訳です。

が。
今は勝ちも負けもなく、気がねなく美味しく食べたいじゃぁないの、ともっぱら自分の部屋で食事をするようになりました。

そして開き直りというか、もっと大胆にというか、料理したいときに食べたいモノを好きなようにと発想を変えました。

ええ、これからはうどんだろうが、そばだろうが「つるつるっー」と食べますよ。 

思うに彼らはそんなことイチイチ気にしちゃあいないのです。
気の遣い損ってところです。

食べてる間に話しかけられても②のオジサンの場合であれば「フンフン」と相槌を打つに留め、議論の類は一切パスしますよ。

ハッハッ。

パンケーキ(日本ではホットケーキ)が好きで、ケンブリッジにいたときも毎週日曜日の朝はパンケーキの日と決めていましたが、こちらヨークに来てヨカッタこととして、「パンケーキが美味しくなった」という事が、驚きの事実として挙げられます。

これまでは、粉を卵と牛乳で溶く時に大型のスプーンでぜーぜー言いながら攪拌していたのですが、この共同キッチンに「泡立て器」を発見し、早速使ってみたところ、ダマにならず完璧に粉・卵・牛乳がまさに三位一体に混ぜ合わさるためか、気のせいではなく確実にお味がアップしてしまい、ビックリです。

不満その2は、隣人関係でしょうか。

現在車を所有し、それは家の前の通り(道路幅、車3台分。

すなわち両側に駐車し、あと車がやっと通れる幅)に停めて良いということになっているのですが、いざ車を停めてみるとその前の家のオジサンが出てきて「ここへは停めてはならん、娘がくるのだ」とスゴイ恐い顔をして言ってきます。

「そんな公道なんだから空いていれば停めたモン勝ちでしょうが」と思いつつも、来た早々に摩擦を生じるのもイヤなので、チッと思いつつも満面の笑顔で「オッケー、ノー・プロブレムよ」と車を動かすようにしています。

どうやら駐車スペースを巡っては、下宿人と住人との間でこれまでも色々あったようで、それは事前に思いもよらなかったことです。



家探しの時はなにせ、カビがはえず、暖かい部屋、しか頭になかったですから。

肝心の学校は。

実はそもそも戻る予定だったコースよりも更に一つランクを上げちゃぁどうだ、と担任から言われ、そうすることにしました。

そもそも戻る予定だったコースは1年目に取っていたものよりも当然難度は高いのですが、言われてカリキュラムをヨクヨク見てみると、とても簡単に見え、僭越ながら、「知らず知らずの内にパワーアップしていたのかっ、オレはっ」と少々嬉しくなりました。ホントかな?

コースを変更した結果、当初よりも学校の始る日が1週間延びたため、先週の金曜日から3日間、美しい海岸線で知られる西ウエールズに気分転換に行って来ました。

珍しく3日間とも天気に恵まれ、青く輝く海を眺めつつ、サンドイッチを頬張り、新聞を読み、ビールを飲み、うたた寝をし・・・、とまあノンビリした休暇でした。

宿泊は貧乏学生ですので、金曜日は車の中で寝袋。

深夜1時過ぎにパトロール中の警官2人組に懐中電灯に照らされ職務質問を受ける羽目に。

ビックリ、というか当たり前か、話す前から「ケンブリッジから来たのか」と図星だったのは、サスガ警察と感心しましたね。

実はヨークからなんですけど、「ハァ、そうです」と答えておりました、

車の中は安いながらも寝心地最低だったため、土曜日はユース・ホステルへ。

ワタクシ、ユースホステル会員なので慣れたものです。

寝床を確保した後は御当地ビールを求めて繰出しのでした。

勉強してんのかっ!と言われそうですが、学校が本格始動するのが来週からで、そうなるとウンウンと唸りつつの1年間になるので、少しは良いか、と。


日本もそろそろ本格的秋の訪れでしょうか。

こちらも、日照時間が格段に短くなって来て、長く寒い冬の予感です。

あと1ヶ月もするとサマータイムが終了し、TV・ラジオなどからは「クリスマスまであと何日」などという話題が中心となります。

まずは無事に新生活をスタートしましたことを御報告申し上げます。

それでは、また。



2013年4月26日金曜日

2002年09月06日 「引越のことなど」


9月。

お知らせしましたように水曜日に無事ヨークに引っ越しました。

土曜に荷物を全て車に積み込み、そのまま4泊ケンブリッジの友人宅を泊まり歩き、しばしケンブリッジ、ロンドン界隈をゆっくり歩いておりました。

学校は来週の火曜日からで、それまでは、ヨークの新しい部屋で独りになり、どことなくセンチメンタル、かつメランコリックな気分でいます。


引越し。

これはなかなかドラマチックでしたね。

2年間住んだGWYDIR STREET(ぐぅわいだぁ すとりーと)は、ビル君という隣人に恵まれ、ケンブリッジ内でも指折りのパブが2件も近くにあり、街の中心地まで徒歩15分、植物園徒歩15分、駅徒歩10分と、とにかくアクセスが良く、馴染みのパン屋、新聞屋、カフェもできて、気に入っておりました、2点を除いては。

その2点とは。
①部屋が結露し、そこにカビがはえること
②大家のおばちゃん(ジル)が極度のおしゃべりなこと

①は特に冬に室温と外気温の差で起きると思われますが、その結露を煽ったのは、僕 が電気代をケチって暖房(電気ヒーター)のスイッチを限界まで入れなかったかもしれません。

2年間に渡り育て上げた「カビ君」たちはタンスの裏、チェストの裏、本棚の裏、TVの裏などに広がり、最後には凄惨を極めておりました。
(記録として写真もとってありますが、食事中のことも考慮して添付はやめておきます)

ここで大家のジルとのカケヒキがあったのですが、このカビに加え、「電気代」「市民税」「敷金」を絡めつつ説明せねばなりますまい。

電気代」とは、2000年9月に入居した際、ジルが言うには「本来は部屋に備え付けてあるメーターがゼロになったら、コインを入れてメーターを巻き上げるのだけど、この部屋は壊れているので、今一緒に目盛りを読み合わせして、後で清算しましょう。」といって一緒に目盛りの数字を読み上げ、それをメモしてありました。

14ヶ月後の2001年11月上旬に「1度電気代を払ってもらおうかしら」といって、再び数字を読み合わせると、その数時は逆に減っていて電気代請求の根拠がなくなってしまいました。

ジルは「困ったわねぇ。じゃあ月平均10ポンドってことで良いわ」とアッサリ言うのですが、こちらとしては「冗談じゃあございません」デス。

普段、苦学生、ケチケチ学生を標榜するワタクシとしては、電気ヒーターは電気代がかさむとして、膝には寝袋、上半身はダウン、頭にはニット帽で過ごし、寝るときもマイナス7度対応の寝袋で過ごしてきたのに、それを「平均」などという一言で片付けて欲しくはないっ、と訴えたところ、そこで電気代の件は頓挫してしまいました。

そのことを隣人ビル君とパブでビールを飲みつつ話すと、「でも、お前は毎日料理するだろ、暖房だって全く使わない訳じゃあないし。それはお買い得かもよ」と言われ、ジルに13ヶ月分として130ポンドの小切手を送りました。

電気代は調査する、といったそれ以来、今後どうするかも決めないまま、その件についてはまったく音沙汰がなくなりました。


「市民税」
これは日本の固定資産税と市民税の中間にあたる気がしますが、まあ、家一軒ごとに課税され、大家はそれを店子の数で割って請求してくるのだと思います。

ある日、あるところで「学生は市民税は払わなくていい」と小耳に挟み、大いに興奮しました。

2年分の約300ポンド、払うと払わないでは雲泥の差があります。

ある日、ジルに出くわした際、市民税の件にことが及び「僕は学生なので払わなくて良いと思うのですが・・・」というと、ジルの顔色がササーッと変わり、「イイエ、あなたの今の身分は学生ではないから払う義務があるのよっ!」と、かなり攻撃的に言ってきました。

実際、本件は小耳に挟んだ程度で、市役所に行って確認せねば、と思っていたので、確認前に議論するのは得策とは思えず、その場をなんとかつくろい別れました。

しかしその時に「This kind of argument is getting us nowhere」と言ったところ「アーギュメントですって?!、これはカンバセーションよっ!!」とジルの興奮した鼻息で3メートル程飛ばされそうになりつつ、「英語なんて嫌いだよ、クソっ」と情けなくなりました。

その後、市役所、無料市民相談所、などで相談したところ、払う払わないは大家と店子の間の取り決めだということで、決定打が見つからないまま、悶々としていましたが、あの口から先に生まれてきたようなジルに議論、しかも英語で勝てるはずもなく、諦めかけていたところ・・・・。

なんと救世主となったのは、隣室のビル君でした。

彼は普段から交流しているので、僕の事情を分かっていて、ジルにうまく取り入って、学校側から僕が学生である旨の手紙を貰えればそれで放免するとのことで、拍子抜けするほどアッサリ解決してしまいました。

その時にビルが言うには「ジルが、部屋をでるまでにカビをふき取れ、と言っていたぞ」とのことでしたが、「何で、オレが?」と突っぱねようとしたところ、「敷金の事があるだろ。やっぱり出来るだけキレイにした方が良いよ」と説得され、暇を見つけては、ゴム手袋とマスクをして、英国版カビキラーで、シューッシューッ、ゴシゴシとしてはみたものの、2年間に渡り育ってしまったカビはそんなものでは落ちません。

でも、「何でこんなこと・・・」と涙ぐみつつも出来るだけのことはしました。

そして、事態は更にフクザツになりますが、僕の部屋がカビだらけの状態だったためかどうかは知りませんが、9月からの入居者が決まらずにいたところ、ある日植物園の同僚のマークが「実は急な事情が出来て部屋を探してるんだけど、オマエの部屋見せてくれない?」と言われ、表事情、裏事情も全て説明して見せた所、かなり切羽詰っていたようで、ナント翌日大家と契約してしまいました。

かくして、僕が8月31日に車でマークの家に荷物を取りに行き(マークは車がないので)、そのまま僕の部屋にめでたく入居する、という、当初想像だにしない結末となりました。

一番喜んだのは大家のジル。

なんてったって家賃の取りもれがない無駄の無い見事な家賃リレーのバトンタッチとなった訳ですから。

最後は、部屋を雑巾で拭き、掃除機をかけてマークに引渡しをしましたが、やおらジルが部屋に入ってきて、「カビは拭いたのか」「洗面台は洗ったのか」等といろいろ「ケチ」を付けてきました。

想像はしていましたが、敷金「238ポンド」から幾らか取ろう作戦です。

結果的には、
①電気代は昨年払った130ポンドで放免
②カビを含め部屋の掃除代50ポンドを敷金から差引
で話が付きました。

市民税が浮いたこと、電気代も実質過去約半年が浮いたことで、溜飲はかなり下がったものの、このオバチャンともう2度と会わなくて良いのかと思うと、それが何よりです。


後日談を幾つか。

(壱) 「さらばっGWYDIR STREETよ!」と意気込んで出発したものの、その晩から宛てにしていた友人の家の電話番号が、引越しのドサクサで見つけられず、結局その晩は、「また来たよ、GWYDIR STREET・・・」とビル君の部屋の床で寝袋で1泊したこと。

(弐) マークは新しく入居したものの、大家はやはり部屋の全面的な塗り替えが必要だと思ったらしく、塗装が完了するまでの3日間何処かで寝泊まりしてくれと言われ、話が突然だったマークは最初の1泊はユース・ホステルに泊まったのだとか。

当然、代金は大家持ちながら、「申し訳無いっ、マーク君!!オレが変な部屋を紹介したばかりに・・・」と少し罪悪感が。

そして、水曜日の午後からこのヨークの住人となりました。

部屋探しの段階で第一条件が「セントラル・ヒーティングがあり、カビの恐れがないこと」だっただけに、今度は暖かい冬が送れそうです。

どうなりますやら。

日本はこれからかなり良い季節じゃあないでしょうか。

どうぞ、去りゆく夏を惜しみつつ、来るべき秋を元気に満喫下さい。

それでは、また。



2013年4月12日金曜日

2002年08月21日 「2002年・夏」



残暑お見舞い申し上げます。

と書いておきながら、こちらは申し訳ないですが1年の内で一番良い季節です。

英国の夏は、日照時間が長く、湿度は低く、数々の花が次から次へと見頃を迎え、冬の鬱陶しさとは対照的に過ごしやすく、良い季節です。

湿度が低いというのがカギだと思いますが、街中でクーラーのある施設はスーパーか大型の本屋くらいのもんで、車に至ってはよほどの高級車でない限りエアコンはついていません。

朝晩は少々冷えこむこともあって、朝の通勤時間帯などにはダウンジャケットを羽織っている人を見かけたりもします。(これはちょっと着すぎ、と思って見ていますが)

実際、夜中には10度を切ることもあるので油断は出来ません。

今日は8月20日。
丁度3年前の今日、成田を発ったのですが、「丸3年かぁ」と思うと長いような、短いような、不思議な感覚にとらわれます。

とにかく自分の中では記念日。
密かに祝杯をあげます。

さて、8月。僕も少々夏休みらしいことを幾つかしてみました。

第一は「北海で泳いだ」こと。

北海と大袈裟に言ったって、そもそもイギリスの東部は北海に面しているのでそれほど鼻息を荒げて言うほどのことはありませんが。

でも「北海油田」なーんていってイメージで沸くのは寒々しくかつ荒々しい海で、ここで泳ぐというのは一生の記念になるのでは?と思って決断した次第。

アパートの隣の部屋のビル君の実家に誘われて遊びにいった際、海岸まで徒歩5分ということで夕方に散歩がてら出掛けました。

するとビル君が「泳ぐぞ」と言って、スルスルと着ているものを脱ぎ、短パンいっちょうで、「入水時には少々の気合と勢いが必要なのだ。後から付いて来い」と、ヨロヨロと走って海に入りました。

海の中から「来いヨー、気持ちイイぜっ!!」と手を振るので、ためらいつつも試したところ冷たい海水の返り討ちにあい、即引き返しガタガタと震えておりました。

「そうやって風にあたるから余計に寒いんだよ、慣れれば海の中の方が暖かいゾ」と ビルは言うし、夕方とはいっても既に19:30を回り、相当日が西に傾いた状況ではサッサと一泳ぎして、早々にここを引き上げた方が得策に思え、意を決し入水しました。

まあ、慣れれば少しはマシではありましたが、回りを見渡したって日中ならまだしもそんな時間に泳いでる人は1人も見当たらず、海岸ではコートを着て犬の散歩をしている人達がニヤニヤしてこちらを見ています。

海から上がって裸足で、短パンからポタポタと海水をしたたらせつつ家路についたのでした。

そんな訳で北海スイミングのデビューを飾りました。


第二は「フォーク・フェスティバル」。

これもビル君の企画で、ケンブリッジで毎年夏開かれる「フォーク・フェスティバル」にビル君の友人達と繰出しました。

これは木曜日~日曜日までの計4日間通して行われる、英国最大のフォークフェスティバルで、毎日昼頃から野外コンサートが始まり、深夜12時頃に終わり、その会期中は近所の大きな空地で4泊キャンプ生活をする、というもの。

これはかなりメジャーなイベントで、英国中ならずもアメリカやヨーロッパ各国から熱心なファンが来てのお祭り騒ぎの4日間です。



そういう人のためのキャンプ場なのですが、僕らはスグに帰れる場所に家がありながら敢えてテント生活を選択し、浮世離れした4日間を過ごしました。

会場には3つのテント・ステージがあり、そこに入れ替わりで色んなバンドが出てきます。

観客は見たいバンドを見れば良くて、あとの時間は会場内でビールを飲み、芝生でゴロゴロして過ごします。

ビル君の友人達と総勢7~10人のグループで、既に以前のビア・フェスティバルなどで知った顔も何人か含まれていました。

ビア・フェスティバルで見かけた・・・、という一抹の不安が的中し、初日は「フォーク・フェスティバル」なんだか「ビア・フェスティバル」なんだか分からない程飲んでしまい、何のバンドを見たのか皆目記憶に無く、その反省から2日目からは朝の内に見たいバンド、ステージなどを決めて、のんべえ達とは別行動を意識してとるようにしました。

事前に出演者リストを見たときは、知っているバンドはただの一つだけ(因みにチャンバワンバで、「果たしてこれはフォークなのかっ??」と疑問)で、「果たしてこれで楽しめるのか!?」と不安では有りましたが、ナンノナンノ実際に見て聞くとこれは良いモンでした。


「フォーク」というだけあって、基本的にはギター、バイオリン、バンジョー、アコーディオンなどの素朴なもので、「アイリッシュ風味」「スコティッシュ風味」「デキシーランド・ジャズ風味」「ゴスペル風味」・・・と色んな風味が混じった素朴な音楽をリラックスして楽しんだのでした。

今回の発見は「The Be Good Tanyas 」(カナダ、バンクーバー出)、「IndigoGirls」(アメリカ、アトランタ出)の2組で、「良い音楽に出会ったっ!!」と大満足して、その場でCDを購入し、以来毎日ズッと聞いています。

特に後者は僕が知らなかっただけで、アメリカなどでは相当メジャーらしく、植物園にいるアメリカ人のベンにその話をしたら、「ナニーッ!!インディゴ・ガールズを生で見たのか!!」と頭を抱えるほど興奮する始末。

この2組、オススメです。

丸4日間、屋台メシを食い、ビールを飲み、音楽に酔い、テントで寝る、そんな「食う、寝る、遊ぶ」の4日間でした。

そして、最近は我が菜園が収穫絶頂期を迎えており、ほぼ毎日ニラを使って健康的に過ごしております。

自分が育てた野菜はやはりウマイもの。毎日食べ続けても飽きません。

ニラは収穫しても後から後から新芽を吹くので、食べても食べても追いつきません。植物園の連中にもお裾分けして好評を頂戴しております。

更に、かぼちゃも収穫期で煮物、かぼちゃポタージュなどを作り、これも秀逸の出来。

煮物などは「煮崩れしないように面取りして・・・」等と主婦的テクニックも駆使し、マズマズなんじゃあないでしょうか。

そんな夏を過ごしています。

が、そんなケンブリッジ生活もいよいよ残り2週間を切りました。

引越しもボチボチ始めました。

この2年間で思いの他、所持品が増えたことは驚きに値します。

冷蔵庫、冷凍庫なども中を見つつ、8月31日の引越しまでに片付けるように計算をしつつ料理しております。

引越し、新居、などに付いては語ることが多く、またの機会にお知らせします。

暑い夏、どうぞ健康第一でお元気でお過ごし下さい。
それではまた。





2013年3月22日金曜日

2002年07月22日 「131th the open」




第131回全英オープンゴルフがスコットランドのミュアフィールドでありました。

英国に来て以来、毎年見に行っている自分としては恒例行事となり、今回が3回目になります。

一昨年は2日間現地観戦し、1晩野宿。

昨年は4日間現地観戦し2晩車で寝て、1晩ホテル。

今年は少々作戦を変えて、現地へは1日だけとしました。

これは、入場料が結構高いこと、終日観戦すると随分と消耗すること、といった経済的にも肉体的にも負担が大きいことがあげられます。

そして朝から晩までひたすら忍耐強く良い場所を確保してトイレも我慢してストイックに観戦したところで所詮はTV中継が1番良い場所で見れるというのは、いかんともしがたい事実。

そこで今年は初日(木曜日)は夜TVにてダイジェスト観戦、2日目は休みをとって朝からBBCで完全中継されるTVを9時から19時半まで10時間半TV観戦、3日目は現地に足を運び観戦、最終日はTVで仕上げる、といったプラン。

現地へ足を運ぶというのは英国に折角いるのだから、その機会を活かさないテはない、という理由からですが、それだけのことはあって会場の雰囲気、そして何といっても世界のトップランカーたちが自分の目の前でプレーするというのはまさに夢のようです。

今年行って良かったと思ったのは「グレッグ・ノーマン」を生で見れたことでしょうか。

これまでの2大会では見なかったので、生を見て改めてスイングの早さにビックリでした。

帽子からはみ出た金髪といい、独特の雰囲気を持っていてカッコ良いっ! !さすがシャークとホレボレしておりました。

この雰囲気を持っているというのはスター選手にのみ備わっているものなのでしょう。

今回プレー・オフにもつれたアーニー・エルス以外の3人は、ここまで残る実力はあっても、その「雰囲気」という後光は全くさしていなかった気がします。

僕がミュアフィールドに見に行ったのは土曜日です。

植物園の温室の責任者ロブが一緒に行きたいというので、この日は深夜2時に彼の家に迎えに行き2:30にケンブリッジをでました。

ケンブリッジからミュアフィールドまで片道350マイル(約560キロ)、現地の駐車場に車を停めたのは出発からキッカリ6時間後の朝8時半でした。

この日は生憎の天気で、朝は小雨程度でしたが、徐々に天候は崩れていきました。

ロブと相談した結果、7番グリーン横の「やぐら」であれば7番のパット、8番のティーショット、はたまた双眼鏡で6番グリーン、11番のフェアウエーが見れるということで10時から席を確保してその場所で17時半まで7時間半粘ったのでした。

しかし、この日の天気は最悪で、コレが7月か?という位気温が下がり、雨が殴りつけるように横から降りつけ、強風が吹き荒れるといった具合です。

15時頃に、あまりの寒さでロブに「天気の回復の兆しも無いし、そろそろ退散しない?」とギブアップのサインを送ったのですが、「イヤ、オレは初めての経験で大変興奮していて、何としても最終組まで見届けたいのだ」と言うので、それに従わざるをえなくなりました。

寒かろう、天気はスコットランドだけにアテにならなかろう、と想定し、用意したシャツ、ラグビージャージ、フリース、そして上下のゴアテックスの雨具を着込み、更にフリースの手袋、帽子を使っても!!・・・・寒くて、寒くてツライ観戦となってしまいました。

いでたちは「ゴルフ観戦」というよりむしろ「スキーもしくはスノボ」といったところです。

吐く息は白く、なんとも季節感を欠いた状況に。

その日の荒天はやはり少々異常だったらしく、かのタイガー・ウッズもプロデビュー以来の自己最低スコア「81」を叩き、双眼鏡で覗いた丸山茂樹の手にはオレンジ色のホカロンが見えるほど。

17時半にやっとのことで最終組、エルスと丸山が通過していくと、ロブと二人して震えながら車に戻り、暖房全開でしばし放心状態でした。

手は寒さの為か、小指と薬指がしびれるというか感覚が麻痺していました。

しかし、スコットランド人はこういうのに慣れているのか、中には傘もささずびしょ濡れになりつつ、何事でもないようにジッと観戦しているツワモノモがいたり、ゴルフ好きの彼氏に誘われて来ちゃったの的な女のコの足元がサンダルだったり、短パンのお兄さんがいたり、同じ人間でこうも違うのは不思議、と感心するやら、呆れるやらでした。

18時にゴルフ場を後にし、途中近所の街で食事をして再び350マイルの道のりをひたすら南下し、ケンブリッジに戻ったのは深夜1過ぎでした。

まあ、植物園の連中からはスコットランド日帰り観戦について「クレイジー」「自殺行為」と言われていましたが、事故もなく無事に帰ってこれたのは何よりでした。

2013年3月13日水曜日

2002年06月24日 「夢のあと」



ワールド・カップ、すごい盛り上りですね。

開催国ともなると、それは格別だと思いますし、日本が決勝トーナメントに出たとなると、その過熱ぶりも想像に難くありません。

しかし・・・、今や日本も、イングランドも姿を消してしまいました。

こちらでは、それまでは「9月11日」以降のアメリカかっ?!という位、家の軒からはイングランド国旗が垂れ下がり、車にはミニ国旗が飾られ、それはスゴイ盛り上りでした。

ただ、日本との時差の関係で、TVの中継時間が朝7時半、昼12時半と何とも盛り上りにくい時間帯であったことは、イギリス人の不満であったようです。

この前の金曜日はブラジル×イングランドの試合がこちらの午前7時半からあり、勝手に3連休にしちゃったツワモノもかなりいたようで、午前中は試合でヒッソリ、午後は敗戦ニュースでヒッソリ、と普通じゃあなかったです。

イングランドの敗戦はGKのシーマン選手のミスと見なす意見が多く、新聞などでは「シーマンのヘアスタイル(ポニーテール)を嫌い、マゲを落とす人が絶えない」などと冗談のような記事も目にしたりします。
僕自身は冷静に傍観していたという感じでしょうか。

①そもそもサッカー・ファンではない
②ラグビーのワールドカップで悔しい思いをした
③TVがあろうことか先々週の金曜日に壊れた
というあたりが理由です。

それでも、ダイジェストなんかで日本の躍進振りを見たりするにつけ、多少の興奮は覚えましたが。

理由その②は解説が必要で、1999年にイギリスでラグビーのワールドカップがあり、僕は昼の「日本×西サモア」という試合をウエールズまで見にいってました。

その日の夕方に「ニュージーランド×どこか」の試合があり、これは見逃せないっ!!と力んだものの、当時僕はTVを持っておらず、観戦するとすれば最寄のパブでと思いつき、まさに車をぶっ飛ばしてウエールズからヨークに舞い戻りました。

大型スクリーンのあるパブに着くと、既に多くの人が集まりビール片手に相当盛り上っています。

よっしゃーと僕もビールを片手に中継時間を待ちました。
そして、中継時間にTVに移ったものは・・・・・

「サッカー」ですよ。

ラグビーは「ワールドカップ」ですよ。

そのサッカーは普通の通常のただの「サッカー」ですよ。

一気に力が抜けましたね。

しかし、店を変えると言ったってアテもなく、よしんばあったとて車で20分とかです。

諦めかけたそのときに皆が大型スクリーンに向かう、まったく逆の方向に小さなTVがついていて、そこに「ニュージーランド×なんとか」が映っているのを発見。

「おおっ」とその画面にかぶりつきましたが、その店内で僕一人だけが皆と逆の方向を向いて、音声すら流れないラグビーを見る、という辛酸をなめたのでした。


そもそもイングランドではサッカーが圧倒的な人気でラグビーはボチボチ。

サッカーは庶民向け、ラグビーは少々インテリ向けという暗黙の仕切りがあり、圧倒的に労働階級が多い訳ですから、どこでもサッカー、サッカーとなる訳です。

これがウエールズに行くと、インテリ×庶民、ブルーカラー×ホワイトカラーという仕切りではなく「ラグビーは信仰」となります。

ここが大きな違い!!

よって、ウエールズではサッカーなんか流してるパブはほぼ皆無で、ラグビーの試合さえあれば「ラグビー」となります。

何が言いたいかというと、ラグビーのワールドカップでそんな思いをしたので、「誰がサッカー如きのワールドカップ如きに熱如きをいれられようか如き」ということです。

まあ、屈折してるのは承知なんスけどね。でも、普段サッカーって言ってるわけでもないのにいきなり「サッカー・ファン」にはなれませんもの、やっぱり。

そもそも「オフサイド」を知らないんスから。
にわかファンを気取るのもはばかれる気がします。

理由③もこれはとんだハプニングです。

金曜日、夕食後ノンビリとTVを見ていたら「ブツッ」という変な音がした後、にわかに焦げ臭い香りがたち込めました。

それ以来、ウンともスンともで、今度修理屋に持って行かねばなりません。
当然金が掛かりますし、最悪の場合TVを諦めるか、新調するしかありません。(このケースが濃厚と読んでいますが)

ベッカム人気は日本でスゴイらしいですね。
確かにカッチョええです。
ベッカムブームが起きるあたり、いかにも日本、頷くことしきりです。

しかし、日本のサッカーを見ていて、首を傾げちゃったのは、どーして皆普通の髪じゃあないのか、ということ。

茶、金、赤・・・とまあカラフルで、何かヘンでしたね。

見慣れないせいか、かなり違和感がありました。

あと、周囲のイギリス人から必ず聞かれるのは、「何で日本人がイングランドのユニフォーム着て、イングランドの国旗を振って、顔にイングランドのペイントをしてまで、応援してるの?」ということです。

「ごもっとも」という感じで、これの逆はありえませんもの。

「お祭り気分なんじゃないの?楽しきゃイイのって国民性は確かにあるし」と答えていますが、どうなんでしょうか。

開催前はまだまだ先の話と思っていたワールド・カップ。もう終わりが近くなりました。

個人的な次なるビッグなスポーツイベントは、今年もやってきました「THE OPEN」で、今年は現地へは1日だけ。

ケンブリッジ⇔スコットランド日帰り強行作戦を練っています。

それでは、また。

2013年3月6日水曜日

カモ親子




御無沙汰しております。

いつの間にやら既に6月に突入しました。

今世間のもっぱらの話題は何と言っても「ワールド・カップ」でしょうか。

当地は日本との時差の関係でTV中継が午前中、もしくはお昼過ぎとなるためにパブでビールを飲みつつ仕事を気にせずに盛り上る、という環境ではないながらも、それなりの盛り上りを見せています。

今日はイングランドVSアルゼンチンの試合があり、報道によると5人に1人が仕事を休んでTV観戦したのだとか。

中継は昼12:30からで、僕は昼休みの間だけTVを見ました。

植物園でも半休をとる者が数人いて、それを見た責任者が特別に「一時間休」をとっても良いということになりました。

これは昼休みと、この一時間休をくっつけるとTV中継を全て見れるという計らいで、その一時間分はセクションのリーダーと打ち合わせた上でどこかで穴埋めれば良い、というもの。

ここぞ、という輩が続出し、午後は静かな植物園でした。

僕は昼休み中の前半にイングランドが得点した所を見て、仕事に戻りましたが、まあそんな程度で十分です。

夜にはハイライト、ダイジェストなどが目白押しなので、何も無理しなくてもと思ってしまいます。

夜7時頃のニュースで「では、現地の××レポーターを呼んでみましょう」といって元気そうにTVに移る日本に出張中のイギリス人レポーター。

しかし、こちらの夜7時は日本の午前3時ですよ。日中は取材、明け方まで本国へのTV中継に付き合って、さぞや大変だろうと同情してしまいます。

別の話題としては、恐らく日本にはあまり伝わらなかったかもしれませんが、先週末は女王陛下の即位50周年記念で世間は土~火までの4連休。

毎日、記念コンサート、イベントなどがあり、国内は大変な盛り上りでした。

特に月曜にあったバッキンガム宮殿での記念ポップコンサートでは、往年のイギリス・ポップスの大御所がゾクゾクと出てきて、特にエリック・クラプトンとクイーンのギタリスト、ブライアン・メイがギターを弾き、フィル・コリンズがドラムを叩き、ポール・マッカートニーがキーボードを弾きつつ歌うなんてのを見ると、もう言葉も出ない、シビレ具合です。

これらのイベントを見ていて思ったのは、英国王室は日本の皇室に比べ庶民に身近な印象を持ちました。

天皇即位記念コンサートがあったとして、皇居を使って、宇多田ヒカルや浜崎あゆみが歌うことはあまり現実的ではないですし。

さて、題名の「カモ親子」ですが、5月中旬頃にここそこに見かけるカモの出産(というか産卵→孵化)シーズンだったようで、あちこちで可愛らしいカモ親子を見かけるようになりました。

植物園内にも何組かの親子がいるのですが、その中の1組は人見知りもせずにエサを求めて園内を闊歩して、いわば園内のアイドルのような存在になりました。

しかし。

この親子、生まれた時は11羽の子カモがいたはずなのに11→8→6→4→3と徐々にその数が減っていき、現在はたった3羽の子カモとなってしまいました。

これが自然界のオキテというものなのでしょうか。カラス、キツネ、ネコなど天敵が多くその数が減っていくことは必然ながらも、今日も元気にエサを求めて行進する親子を見ながら、世の無常を感じずにはいられないのでした。

そんな訳で、ケンブリッジ生活も残り3ヶ月を切ってしまいました。

一抹の寂しさを禁じえない一方、やることが多くて地に足がつかない毎日です。

日本は梅雨間近で鬱陶しい天候でしょうか。

どうぞお元気で。

ではまた。

2013年2月18日月曜日

2002年05月6日 「ままならぬお家探し」


ゴールデン・ウィークも終盤。如何お過ごしでしょうか?

さて、私としてはこの週末は金曜日に休みをとり、金、土と2日間ヨークに出掛け、9月からの宿探しをしておりました。

これ、なかなか思ったようにいかずかなり気持ちがブルーになりました。

1年目のようにキャンパス内の寮に入るのは容易いのですが、ここは若者が多い分騒がしく少々辟易しておりました。

更に値段がその分格安ならまだしも、結構な値段がするので、それなら街で部屋を借りた方がよかろうという計算です。

ついては幾つかの条件をもって部屋探しに臨んだのですが、その第一条件は安いこと。

現在のケンブリッジが毎月ザッと5万(光熱費、雑費抜き)ですので、それよりも安く。

そして、なんといっても譲れないのが「暖かい」こと。

もう2年間のケンブリッジの寒い、湿っぽい暮らしにはホトホト嫌気がさしていましたので、「セントラル・ヒーティング」のある部屋。

これを元にあまり贅沢はいえない部屋探しをはじめました。

街の不動産屋は高いので、ヨーク大学のつてから学生向けの宿のリストを入手し、片っ端から電話しました。

当初は、「駐車場がないからダメ」とか、「立地が良くないからダメ」などとマーカーペンで見当をつけていたのですが、イザ電話をして大家さんに面談を申し込もうとしても、そのほとんどが「4部屋4人向け」などという表示で、大家さんとしては個々に貸すのではなくて、一軒を丸ごとグループに貸そうとしているケースばかりで、「独りなんですが・・・・」と言ったとたんに断られるケースがほとんどで、選り好みしている場合じゃあないと悟り、片っ端からの電話作戦となった訳です。

日中の連絡先しかない先なんかもあったりして、もう植物園も半日休ませてもらっての集中架電作戦です。

そのような交渉は当然全て英語なのですが、見も知らぬ人にいきなり電話をかけて自分の事情を 分かってもらって、面談にこぎつけるというのは本当にストレスでした。

6時間以上電話を掛け続けている最中に、フト銀行員時代のボーナス時期の電話勧誘のことなど思い出しておりました。

そんなことを経て、金曜日に4件5物件、土曜日に3件3物件の予約をとりつけました。

しかし!!イザ物件を見てみると、自分の理想からはかけ離れたものがほとんどで、気持ちがどんどんと沈んでいきます。

若いドラ息子とその友人が住む荒れ放題の家の一部屋だったり、モノ凄くクセのありそうな大家さんと同居だったり、物件は素晴らしく平和な田舎の村にあり環境は抜群といえるが、村にはパブはおろか店も一軒もなく、バス停まで歩いて15分、ヨークの街からは20キロ離れているとか、部屋が恐ろしく狭いとか・・・・。


初日にあまりに強烈な体験をしたため、金曜日の夜は悲しくなり、思わず枕が涙で濡れそうでした。

そして、ケンブリッジの自分のショボい部屋が何となく素晴らしい部屋に思えてきました。

そんな中、2日目の2件目に「これだっ!!」という物件に巡り会えることができました。

これもグループ貸しが前提の大家さんを口説いて面談にこぎつけた先だったのですが、実際に見て全ての面において現状(ケンブリッジ)を上回ると思え、大家さんに「スグにでも契約したいのですが」とすがりました。

しかし、ひとつ気になるのは契約期間が「2002年7月1日~2003年6月30日」となっていることです。

当然来年の6月末には出なきゃならないでしょうし、実際の入居は9月1日ながら家賃は7月から払わなければならないことです。

まあ、とりあえず肝心なのは契約することで、その後のことはまたゆっくり考えようという楽天作戦です。

これをケンブリッジに戻って隣の部屋のビル君に話したら「7月から週末の別荘が出来たってことじゃん」となんとも他人事のお気楽なことを申しておりましたが。

そんな訳で何とか9月からの住処が見つかりそうです。

4人のグループというところに割り込んだので、他の3人がどういう人達になるのかは大変興味のあるところです。

基本的にヨーク大学の学生を対象にしているので、ひょっとするとヨーク大学の女子大生3人組ということもあるかもしれません。
そうしたら、オジさん困っちゃウ。

そんな脳天気なことを言いつつも金曜日の夜、本当にあわや枕が涙で濡れそうになったのは宿探しが難航したことよりも、むしろ「8月でケンブリッジを去るのか」という、もともと分かり切ったことが俄然現実味を帯びてきたことです。


年前の9月にヨークから引っ越してきた時は、ヨークが恋しくて、ケンブリッジなんて・・・などと思っていましたが2年近く暮らす内に友人、知人が増え、行きつけのパン屋、パブ、新聞屋など街にも馴染んできて、とても快適な暮らしをしていることに改めて気付いた次第です。

まあ、英国滞在全てを含め、この生活は永遠には続かないとは分かっていても、これだけ愛着のわいたケンブリッジから引っ越すのか、と思うとなんともセンチメンタルな気分です。

当地は明日月曜日はバンク・ホリデーといって国民の休日にあたっており、世間は3連休です。

が、そんなセンチメンタルな気分を味わった矢先、早く植物園にいって皆に会いたいものだ、とヘンな感じです。

5月の連休の頃は季節も良く気持ちの良い日が続くのではないかと思います。

どうぞ、楽しい連休をお過ごし下さい。