デイブ君とジャパニーズ・レストランで |
申し上げたように10日間留守にしていましたが、いよいよ最終的な引き払いをすべく、ヨークに戻りました。
戻って腰が抜けました。
というのは、この4人住まいのアパートは既に2人が出て行き、50代後半のおじさんと僕の二人住まいだったのですが、留守にする直前2人の女子大生が新たに入居してきました。
「女子大生と同じ屋根の下」・・・なにやら響き的には悪くないカンジもしないでもなくもないですが、とんでもございませんデス。
特にこの内の一人がこのアパート全体を完全に「アタシんち」化させてしまいました。
具体的には、自室はいうに及ばず居間、台所、浴室などをピンク、黄色、青などに塗りたくり、そのケバケバしさには脱帽モノです。
居間は皆の共有空間なはずですが、ソファなども自分好みのカバーを掛け、ロウソクを飾り、レイアウトを変え、個人のモノ、例えば靴やビデオ、雑誌などをそこらに撒き散らしてあります。
2人はそもそも友人らしく、一方の女の子は気にしていない様子。
カベにはジョージ・クルーニ、ブラッド・ピット、トム・クルーズ、ヒュー・グラントなどの写真を雑誌から切り取ったものをコラージュ風に貼ったお手製ポスターが飾られ、階段の手すりには、洗濯モノが所狭しと並んでいます。
「パンツとかブラジャーをこんなところに乾すなっ・・・・・・」と当世英国女子大生気質を目の当たりにし胸が悪くなってしまいました。
僕は一日でヘタってしまいました。
幸い木曜日の午前中で僕はこことはオサラバするのでいいのですが、「50代後半のおじさんよ、幸多かれっ!」
そんなことはさておき、ヨークから戻った晩に一足先に出ていったデイブ君から誘いがあり食事に出掛けました。
「ヨーク最後だろうから送別会をやろう」というなんとも思いやりのある言葉に少々感激いたしました。
彼はヨーク大学で化学の博士課程にあり、同居していたときは僕の卒論のつたない英語の手直しをしてもらったり、ホント助けてもらいました。
そんなスペシャルな晩に何を食べたかというと、「日本食」です。
つい最近ヨークにオープンしたジャパニーズレストランに行こうというので行ったのですが、期待通り不味くてガッカリしました。
ロンドン以外でこの手のジャパニーズレストランというのにまともなものはありません。
そもそも店員に日本人は一人もおらず、皆恐らく中国人だと思われます。
生の魚(刺身)を食べてみたいというデイブ君の要望に従い、彼には「刺身」「スシ弁当」、僕は「えび天ぷら」「チキンカツ弁当」を注文。
ハイ、と出てきた刺身をみて全身の力が抜けました。
恐らく切れる包丁を使っていないのか、はたまた切り方を知らないのか、「ちぎった」様なナマ魚がホンの少しだけでてきました。
見た目でサーモンと分かりましたが、イヤミも込めて「これは何ですか?」と店員に聞きますと、「サーモン・サヒミですぅ」。
一口どうだい?というデイブ君のススメで一口食べてみましたが、生臭くて食べられたもんじゃあありません。
これナマで食べられるサーモンだろうか?と不安指数がグーンと上昇します。
天ぷらも、チキンカツも自分で作った方が1000倍美味しいです。
「すまぬ、デイブ君よ」と自分が悪いのでもないのに謝りたくなってしまいました。
帰り道は一緒に途中まで歩き、最後に硬く握手をし互いの健闘を誓ったのでした。
そしてその翌朝が例の隣村のおばあさんの庭の手入れの最後の日。
引越し準備で忙しく「1時間」という約束で、丹念に芝を刈り込み、終えました。
例の「バイト代過少払い」の件以来は何ら問題はなく、最近はキッチリと払って貰っていました。
おばあさんには全く悪気はなく、あまり気にしないタイプだったというのが原因だったのでは、と想像します。
文句を言いたいのを「んっぐ」と飲み込んで、最終的には正解だったな、と今は思います。
おばあさんは最後に「サイン帖」を出してきて、「アナタのおかげで、とても良い庭になったわ。特に池の周りははこんなに賑やかに花が咲くことはなかったのに・・・・。ここにあなたの名前を書いていって。」というので、「MASAYA TATEBAYASHI / TOKYO JAPAN」と書いておきました。
本当ならチャンと住所を書くところでしょうが、未だ引越し先が決まっていないので。
そして「ハイ、これ」と貰ったバイト代は7ポンドではなく、10ポンド。
何やらTVドラマ北の国からで、父ゴロウから封筒に入った泥のついたお札を貰ったジュンの気分で、感動いたしました。
さて、これから一旦ケンブリッジに荷造り済みの荷物を運び込み、トンボ帰りでヨークに戻ります。
自分の小さい車では全て乗せ切らず、数回往復せねばならないのです。
ヨーク~ケンブリッジ往復約520キロ。安全運転いたします。
それではまた。
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