どうして「スバラシキ英国園芸ノススメ」なのか

ちょっと読んで 「あんまり面白くないなぁ」 と思った方。
騙されたと思ってしばしお付き合い下さい。

7年間の英国留学中にしたためたメールは300を越えました。
そしてこれが 「尻上がり的」 に面白くなっていくのです。

当初の初々しい苦学生の姿から、徐々に英国に馴染んでいく様子は100%ノンフィクションのリアルストーリー。

「スバラシキ英国園芸ノススメ」の旅はまだ始まったばかりです。

2015年11月25日水曜日

2004年10月04日 「邂逅」



10月に入り、当地はめっきり秋めいてきました。

紅葉も一部の木々では盛りになっていたりして秋深しといった風情です。

日本では台風の影響で一部では桜が満開になった場所もあるとか。

専門家の話で「葉っぱが台風で散ってしまい、その後気温があがり、桜が春と勘違いしてオーキシン、ジベレリンといった成長ホルモンに影響を及ぼしたのでしょう・・・」などというコメントを目にしましたが、私が現在学んでいることの一部はこういった成長ホルモンの役割だったりするので大変興味深く、是非この目で10月に満開の桜を見てみたいものだと思ったりしておりました。

さて、英国に渡りかれこれ丸5年、銀行員を辞めて約6年が経ちます。

しばらくの間は「勘定が合わない・・・」などと青くなる夢をたまに見ては寝ながらにして全身が硬直したりしていましたが、時間の経過とともにそんな夢も見なくなってきました。

昨日、あるプレゼンテーションをするために必要な写真が見つからず、「確かどっかのフロッピーにいれた気がする」と手持ちのフロッピーをかたっぱしから開いていきました。

最近は大容量のフラッシュ・メモリなんて便利なものがあるので、フロッピーを使う機会がガクッと減り、手持ちのフロッピーはまさにお蔵入り状態でした。

そしてある一枚を開いたとたん・・・、期せずして6年振りの邂逅を果たすことになりました。

そのフロッピーには退職時に引継ぎとしてつくった様々な資料が入っていたのです。

「事務体制計画」だとか、あとは諸々具体的に顧客別に対応方法、ペンディング事項、日程事務などが綿々と綴ってあります。

そこにある顧客名などを眺めていると一種の懐かしさがこみ上げてきて、毎日スーツを着て通勤していた自分の姿など想い出し、なんとも狂おしい気分になり、こんなメールを書いてしまっている訳です。

しかし、自分の書いた引継ぎ書類なのに、専門用語(銀行用語)などの部分で、もはや理解できない、というか覚えていないことがかなりあるのには驚きです。

失った記憶に対する一抹の寂しさはありますが、そのころは「成長ホルモン」が云々などとはいっていなかったでしょうから、その後得たものとでチャラかなとも思います。

その書類をしばらく眺めて「結構マジメな銀行員だったんだ・・・」と妙に感心してしまったのでした。

それにしてもたった一枚のフロッピーがかくも多くの記憶を鮮明に呼び起こすとは、とても不思議な気分です。

そんな、秋の郷愁を綴ってみました。
どうぞお元気で。

(追伸 : この発見したフロッピーは元・銀行員のモラルに則り、守秘義務の見地からフォーマットしました)

2015年10月21日水曜日

2004年09月26日 「暖房点火・・・」


早くも9月後半。

現在当地は日の出06:52、日の入18:51、最高気温15度、最低気温9度と数字の上でもメッキリ秋らしくなってきました。

特に天気が良くても涼しいというか、ちょっと肌寒い感じで、我が家にもいつの間にか暖房がはいり、冬に向け一直線です。

近所のパブには早くも暖炉に火がくべられて秋を通り越して冬の風情です。

短パンでこの数ヶ月過ごしてきましたがそろそろ潮時のようです。

一応、意地もあって9月一杯はなんとしても短パンで乗り切ろうとは思っていますが。

夏の間にロンドン市内に出た際、日本食材店で「そーめん」を買ったのですが、買って一安心して、生来の貧乏性が頭をもたげて、そのそーめんはもったいなくてなかなか食べれずについにこの秋に突入してしまいました。

身から出た錆です。

寒くてそうめん気分ではとてもありませんが賞味期限が切れる前にこのそーめんを胃袋に納めようと思います。

ついでに言えば「冷やし中華」も一袋あるんです。

しかも賞味期限が今年11月のものが。

来夏までは待てそうにないので、「夏の味・秋の陣」を一人寂しく展開する予定です。

暑い盛りに食っておけば良かった・・・。

今僕は植物園で、バラのパーゴラの手入れをしていて、約一年間所属してた「ハーディー・デョイスプレイ」といういわば花壇などの面倒をみていたセクションから今度は高木、潅木といった「木」の面倒をみるセクションに10月から変わります。

キューガーデン内のきこりみたいなものですね。

一年生の一ヶ月に渡る「導入期間」も今月一杯で終了し彼らも10月から各セクションに散っていき、僕もこれから本格的2年生の生活が始まります。

毎週金曜日の20:00よりBBCで「A YEAR AT KEW」というキュー・ガーデンを一年がかりで追った12回シリーズの番組が放映中で、その第7、第9シリーズに僕もチョイとでているとのことで、果たしてどんなカンジで出るのか今からちょっと楽しみでもあります。

主役ではありませんので相当カットされてせいぜい10秒程度の
ものだと思いますが。

このTVシリーズに合わせてBBCから本も出版され、そこにもホンの少々写真が載っています。

別に自分が出版した本でもないし、自分が大きく載っている訳でもないのに、街中の本屋にこの本が並んでいるとチョッとドキドキしたりしてしまうのは小市民の証といったところでしょうか。

試験終了後約3ヶ月ダラダラとノンビリしてきましたが、そろそろレポートの締め切りなど気になりだして、学生本来の現実へと戻らねばなりません。

これと、この秋→冬へと加速していく風情になんとなくブルーになってしまう今日この頃です。

日本はこれからが一年のうちで良い季節ですね。

食欲の秋、芸術の秋・・・、どうぞ楽しい秋でありますよう。

では、また。

2015年8月23日日曜日

2004年09月13日 「秋到来・・・最近の映画の話など」



前略

昨日3年生の卒業式があり、月曜日から新入生を迎え、ワタクシはめでたく2年生になります。

キューの3年間で一番シンドイのが2年生、と兼々聞かされているのでこの先一年間、とても不安ではあります。

日本では3月、4月の桜の咲く頃が出会い、別れの季節ではありますが、英国ではこの秋という季節が節目となります。

昨年ドキドキして初日を迎えてから早一年か、と思うと残り2年間もアッという間でしょうね。

さて、昨日今日と急激に秋めいてきました。

具体的にいうと特に日没後に気温がグッと下がり、上着を着ないと寒いカンジです。

加えて日没も日ごと2分づつ短くなってきているようで何か寂しい気がします。

差し迫ったレポート・試験からは現在解放されているため、毎日のほほんと過ごしています。

数週間前にハマースミスというキューから自転車で15分ほど離れた繁華街にある映画館の会員になりました。

会員は毎月9.99ポンド(約2000円)の会費を銀行引き落としにして、あとは好きな時に好きなだけ上映中の映画が見れるというもの。

月に3回ほど見れば元が取れる計算です。

これまで
1.「スパイダーマン2」
2.「ボーン・スープリマシー」
3.「モーターサイクル・ダイアリーズ」
4.「ターミナル」
5.「スーパーサイズ・ミー」
6.「オープン・ウオーター」
と6本を見て元は取りました。

定額なので駄作だろうが、傑作だろうが暇があれば見てやろうという作戦です。
(さすがにキャット・ウーマンを見るほどのヒマは無かったですが・・・)

1、2、4はハリウッドの定番という感じで、まあこんなもんかというカンジですが3は良かったですよ。

二人の医学生が南米大陸をオンボロバイクで縦断しそこで起こ
る様々な出来事のお話で、南米の景色がとてもキレイで、行ってみたいという気持ちに駆られました。

5は30日間マクドナルドのメニューを3食食べ続けたらどうなるのか、といういわばドキュメントですが、これもなかなか楽しめました。

日本版で3食「松屋」で30日過ごしたらどうなるかというのも作れそうな気がします。

お米、生卵ご飯などに飢えている僕としてはチャレンジしてみたい気もしないでもありません。

そして6。
フクザツな映画でした。というのは映画そのものはとてもシンプルでお金もどうやら日本円にして1000万円程度しか掛かっていない低予算映画らしいですが、終り方がとても切なく虚しくて、どうやってこの映画を受け止めたものかチョッと悩んでしまうからです。(駄作のような気もするし、傑作のような気もするし・・・)

物語は夫婦のダイバーがサメがウヨウヨいる大海原に取り残されるという古典的なもので、サメを扱ったジョーズなどの展開を予想してあまり期待せずに見に行ったのですが、低予算だけあって特殊効果などはなく、シンプルな分とてもリアルでした。

ワタクシは映画評論家ではありませんので、あくまでも独断ですが。

映画館からの帰り秋風に吹かれながらペダルをこいで家路に着いたのでした。

添付写真は昨日の卒業式直前のもの。

卒業式故、3年生が主役ですが、一年生も「総合の主席」「植物生理学のテストでの最高得点者」「ベスト・プレゼンテーション」などに賞が与えられ、一緒に写真に収まったジム君(40歳。バリバリのゲイ)は植物生理学の最高得点をとり、ワタクシ(39歳。バリバリのストレート)は僭越ながらベスト・プレゼンテーション賞を受
賞しました。

二人してちょっとおめかしして、式直前に近所のパブで祝杯をあげているところです。

因みに総合の主席はサラ(39歳。バリバリのこれまたゲイ)がと
り、くしくもクラス高齢者が賞を独占したカタチになりました。

ネクタイなぞするのは一年に一度あるかないかですので貴重な画像と申せましょう。

2015年7月29日水曜日

2004年09月08日 「ポルチョギース」



碧い海、白い砂浜、抜けるような青空・・・・、そんな休暇を試験中から夢見ておりました。

先週月曜日がバンクホリデーといって休日で3連休だったため、これに4.5日の休暇をくっつけて7泊8日でポルトガル南部のアルガーべ地方に独りで出掛けてきました。

とはいっても相変わらずの貧乏旅行で、パソコンと向かい合うこと約3時間。

比較に比較を重ねた結果の最安飛行機、最安レンタカーを手配した以外はテント、寝袋持参で行先も決めずに気ままに海岸線をキャンプして過ごすというもの。

なんでこの半端な4.5日という休暇をくっつけたかといえば有給があとそれだけしか残っておらず、最安飛行機がこの半端な日程にピッタリくるからでした。

帰りは朝8時のポルトガル発の飛行機に乗り、ロンドン・ガトイック空港に11時。

それで午後1時から仕事をしようってんですから我ながらチョッと無理かなと一抹の不安はありましたが、英国のいい加減な交通システムには珍しく万事うまく事が運び、その日の午後には元気に植物園で働いておりました。

まさに奇跡的。

銀行員時代にこんな休暇の取り方をしていたらアホか、と一喝されまず実現はしなかったと思います。

さて、ポルトガル。

初めて行きました。

そのアルガーベ地方を一週間しか見ていないので全てを語るのは僭越というもの。

でも全体の印象はまず天気が毎日よろしく(夏期の月間平均降水量は1ミリ以下らしい)、地元の人たちの生活はとても慎ましく、英国人、ドイツ人の観光客がドッと押し寄せる場所、といったところでしょうか。

レストランのメニューにはポルトガル語、英語、ドイツ語の表記がしてありますし、地元不動産屋の店頭に張り出してある物件の価格が英ポンド表示だったりします。

日本人を含め、東洋人の姿はほとんど見かけず、キャンプ場でパスポートの提示を求められたときには「日本のパスポート、初めて見た」と言っておりました。

到着日はファロ空港の近くの街のはずれにあるキャンプ場に泊まり、街そして海岸を散策しましたが8月後半とはいえシーズン中の観光地。

自分の夢に描いた「人気のない砂浜」からは程遠く、翌朝サッサと撤収し「西へ向かえ」という本能に従って一気に西海岸まででました。

ここで3泊。

確かに人気は少かったものの、大西洋の荒々しい海で、波は高く、水温が低い、というこれまた理想とは相当ギャップがあります。

内、一日はモンチークというこの近辺では一番高い山、標高約900メートルに登ったりしました。

しかし、本当に日差しが強すぎて「これは危険」と感じて日陰を探しつつ歩いたり、休憩を頻繁にとりましたが、「オレも年をとったってことかしらん・・」とかつては太陽を求めて日差しに進んで出ていったことを思うとチョッと寂しくもありました。

夢のビーチにはどうやったら出会えるのか・・・。

このアルガーべ地方のどこかには絶対ある筈。

そこで思いついた作戦が絵葉書です。

絵葉書には理想に近いビーチが幾つか写っており、これに撮影地が記載されているのでこれを地図で探し、実際に足を運ぶ作戦です。

幾らかはマシ、という程度でそれでも理想とはなんか違います。


残り3日になったところで、ハガキできれいだった海岸の内のひとつに行き、そこで洞窟巡りのボートに乗りました。

イタリアの青の洞窟じゃあ・・・と思える(行った事ないので想像ですが)場所で、そこで舟から人気のまばらな素晴らしいビーチを発見し、船頭に聞いたところ歩いていけるとのことで早速行ってみました。

途中の道は険しく、勾配もきつい斜面をヨロヨロと降りていくとそこには、碧い海、白い砂浜、抜けるような青空・・・と夢のビーチが展開しておりました。

「これだっ。これなんだよ、探してたのは・・・」と早足で水辺に向かい、着ていたシャツと短パンを脱いで険しい道中で火照った身体を冷やすべく、海に飛び込みました。

低めの水温が心地よく、透明度の高い水がなんともよろしいカンジです。

ひとしきり涼んだところで、のどが渇いていることに気付き海から上がってリュックの中から水を出し、飲みながらあたりを改めて見渡して妙な違和感が・・・・。

ナント、そこはいわゆる「ヌーディスト・ビーチ」だったのです。

隠れ家的なビーチをいいことに、皆開放感からかスッポンポンの老若男女が日光浴、海水浴を堪能しています。

イヤ、正確には老若男女ではなく老男女で、しかもいわゆるイケメン・ヌーディストはおらず、ちょっと目のやり場に困るカンジです。

これが、ヌーディスト・ビーチってやつかぁー。いやービックリだなぁ。
と感心するばかりです。

別にきまりがある訳ではないので僕が脱ぐ必要はありません。

僕はかたくなに水着を着用していましたが、あたりをブラブラさせて歩くおじさんなどには困ったものです。

これって日本の公衆浴場に似てるなぁと思いました。

もセクシーさってのは隠れていて見えるか見えないか、きわどいのが良いのであって「どうだ」と見せられちゃうとどうにもこうにも興醒めですね。

そのヌーディスト・ビーチを後にして来た道を戻る際、その隠れ家的ビーチを取り囲むがけの茂みに、なんと双眼鏡を持って「のぞき」をしている輩を目撃しました。

分からんでもないけど、アレを見てうれしいかなぁ?と僕には理解できませんでした。

貧乏旅行の基本は宿代を削ることですが、食事だけは多少良いものをというのがポリシーです。

それも地元の人が行く、安くて美味しいレストランを探すのが前提で、これはもはや特技かもしれません。

ポルトガル、しかもこのアルガーべ地方は新鮮な魚介類が美味しいらしく、毎晩魚ばかり食べていました。

料理法はいたってシンプルで各種魚の塩焼きで、付け合せに
ジャガイモなどの温野菜と食べます。

やはりワタクシは生粋の日本人です・・・魚を食べていて、まず「オーイ、箸もってきてくれ」そして「オーイ、醤油ないのかぁ」
さらに「オーイご飯つけてよぉ」と切望することしきり。

鯛やいわしの塩焼きはナイフとフォークで温野菜で食べるより、お箸で醤油をかけてホカホカご飯でしょう、やっぱり。

朝は地元人がたむろする英語のさっぱり通じないカフェでコーヒーと豚肉のサンドイッチ(5ユーロ以内)、昼はビールとハンバーグなど(10ユーロ以内)、夕食は魚とワイン(20ユーロ以内)と一泊10ユーロのキャンプ場を泊まり歩く割にエンゲル係数の高い旅です。

それにしてもビールにしてもワインにしても安いので「呑まにゃソン」と使命感に燃えてしたたか呑みました。

飲み屋、レストランもイギリスとは異なり、夜遅くまで開いているので(英国のパブは23時で閉店です)、特に最終日は独りで1時過ぎまで飲んでいました。

これには理由があって、朝8時の飛行機ってことは朝6時には空港にチェックインせねばならず、レンタカーを返す手間などをふまえ5時起き。

そんなたった数時間眠るためだけにテントを張るのも面倒だし、かといってホテルに泊まるのももったいない、という結論に至り気分良く遅くまで飲んで車の中で仮眠し、朝5時に起き上がりガソリンスタンドで満タンにするついでに簡単な軽食をとり・・・、という完璧な作戦です。

コレ自分一人ゆえ可能な作戦なのであって、家族がいたり、彼女がいたりなんて場合「車で一泊ダ」は通じないでしょうね。

いや素晴らしきかな独り身。

そんな訳で久し振りに痛いほどの日差しを浴び、アッという間の一週間でした。

普段外仕事なのでそれなりに日焼けしていますが、それはいわゆる「ドカタ焼け」で顔、首、腕、足が黒く、お腹、背中などは真っ白でした。

こういったところに日光を当てるのはほぼ5年振りでしょうか。

日焼けしたお腹の皮を剥きながらこのメールを書いています。

早くも9月。

ポルトガルから戻るとオリンピックはもはや終っており、来週には3年生の卒業式、再来週には新入生が入ってきて、僕は2年生になります。

少しずつ、少しずつ現実へと帰っていきます・・・。


*写真一枚目はポルトガル版「青の洞窟」

*写真二枚目は理想とちょっと違う砂浜。これはヌーディスト・ビーチではありません。さすがにヌーディスト・ビーチで写真を撮る勇気はなかったです。



2015年6月10日水曜日

2004年08月21日 「5周年」


残暑お見舞い申し上げます。

日本はオリンピックのメダルラッシュに沸いている頃でしょうか。

ワタクシは現在テレビを所有していないため、インターネットの新聞上で「北島金2個め!」とか「長嶋ジャパン、格下の豪に敗れる!」てな記事を読んで結果だけは知っている、程度です。

いかんせん映像を見ていないことと、周りで騒いで盛り上がる人がいないことなどもあって、静かなものです。

それでも今回の卓球の福原愛のコメントにはシビレました。
「オリンピックは楽しめましたか?」
「別に楽しむために来たわけじゃあないですから・・・」
カッコいいですねぇ。

「イギリス生活は楽しめましたか?」
と仮に、帰国した暁に誰かに聞かれたとして
「別に楽しむために行っていた訳ではありませんので・・・」
などと応えたらキマる、でしょうか、それともイヤミな奴と嫌われるでしょうか。

嫌われそうなので「ええ、それなりに・・・」程度にしておこうかなと思います。

それなりどころか、相当楽しんじゃっている気もしなくもないですが・・・。

でも当初日本を旅立つときはホントそれくらいの覚悟でおりました。

「死んだ気で勉強するのダ」と気合を入れつつ、荷造りの際「ウーム、ゴルフバックはどうしようか・・・。

本場のゴルフコースってものもたまの息抜きには回ってみたい気もするし、イヤイヤ、ゴルフなんてする余裕は時間的にも、金銭的にも無いハズ。

遊びに行くわけじゃぁないんだから」などと一人であれこれ思案した挙句、ヒースロー空港に降り立ったときにはしっかりゴルフバックを右手に持っておりました。

因みに左手にはラジカセ、リュックの中にはラグビーのスパイクといった具合でしたので、我ながら言ってることとやってることが違うのには呆れてしまいます。

そんな青雲の志をして成田を飛び立ったのが1999年の8月20日でした。

すなわち昨日、丸5年が経ったわけで、この8月20日というのは自分にとってちょっと特別な日なのです。

まずは一年のコースをとる。で、その後はなんとかなる。

と全く深く考えずに出発し、当然にして翌年コース修了後に即帰国というケースも大いにあり得た訳ですが、こうやって薄氷を踏みながらここまで来てしまいました。

そして、現在のキュー・ディプロマ修了まであと2年。

改めて人生は筋書きのないドラマよのー、と腕組をしつつ頷いたりしてしまいます。

まあ、基本線は「楽しく」「健康に」ですので、それが満たされている自分は幸せと申せましょう。

現在試験も終わり、9月半ばまでは夏休みムードでリラックスできて大変ヨロシイです。

試験は結果が出て、全体的には満足のいくものでしたが、科目によっては「あんなにやったのに、この点数かぁ」と溜息がでるものもあり、一方で「あいつ試験前に大してやっていなかったのに、こんなに出来ちゃうのかぁ」と底力の違いを見せつけられたりで、初心に戻って残りの2年は死に物狂いで学ばにゃぁイカンと思っております。

昨年ヨークからキューに引っ越す際に、またまた「ハテ、このゴルフバッグはどうしよう?キューの3年間は厳しいと聞くし、ゴルフどころじゃあないだろう」と、ケンブリッジの友人宅の屋根裏に預けてきたのです。

ワタクシという人間は懲りない性格のようです。

そんな訳で日本出発の際34歳の青年は現在39歳の中年となり日々勉学に励んでおりますことをご報告申し上げます。

それでは、また。
タテバヤシ

追伸)
日本を発ったのは確かに8月20日。
しかしヒースローに着いたのは9月6日。

何故か?

マルコポーロ、もしくは大航海時代でもあるまいに、イギリスまでなんで17日間も掛かるのか?

答は、シンガポール航空を使い、シンガポール経由にした結果、シンガポールで2週間ちょっと羽を伸ばしてしまったからでした。

うっうっ、青雲の志は・・・・


2015年5月6日水曜日

2004年08月13日 「イレズミ」



残暑お見舞い申し上げます。

東京は夏日の記録だそうで、大変なことです。

さて今回は「イレズミ」のお話。

刺青は日本では伝統的に「ヤ○ザ」の証として認知されておりましたが、最近になって「タトゥー」などと横文字にして、渋谷のセンター街あたりで見掛ける「チーマー」(ってもういないのかな・・・)の肩口あたりに見掛けるようになりました。

若者の間ではファッションとして認識されたのでしょう。

英国には「ヤ○ザ」はいませんので、「イレズミ=危ない人」という認識は皆無で、ファッションとして定着しているように見受けられます。

かのベッカムも肩から腕からイレズミだらけです。

では、英国人はイレズミのデザインとして何を彫るか?

観察していると、幾何学模様、動植物などありますが、なんと言っても「漢字」が多いです。

それも「オイっ!意味分かってんのかっ!!」、「相当恥ずかしいゾ、それはっ!!」と諭したくなるケースが多いです。

漢字の構造、意味を分かってなくて、カタチだけ真似ている彫り物師が彫っている場合も多いのではないかと疑われるほどいい加
減な文字に出くわします。

かのベッカムの奥さん、ビクトリアはかつてのアイドルグループ「スパイスガール」の一員。

そのスパイスガールの元メンバーであるメラニーCという女性の肩には「女力」と彫ってあります。

まあ、いいっすけどね。

ヨークの学校付設のパブで飲んでいたときのこと。

話したこともない女の子が近づいてきて言いました。

「あなた中国人?日本人?」
「日本人だけど・・・」
「ちょっとお願いがあるんだけど。実はイレズミを彫ったんだけど、意味が分からなくて。ちょっと見てくれる?」

シャツの袖でもめくり上げて腕を見せるのかと思ったら、やおらズボンのチャックを下ろして内股のきわどいところをいきなり見せつけられました。

正直なところそれが何の字だったかは、それ以外の衝撃が強すぎてよく覚えていませんが、「スゲーなぁ、英国ヤングギャルは・・・」とたまげたことを覚えています。

それにしても消しゴムで簡単に消せる訳じゃないんだから、意味くらい100っぺん確認して彫れってーの、と説教しておけばよかったです。

そんな今回のイレズミ・エピソードの最後を飾るのは、この間のビアフェスティバルで見かけて、思わず怖いもの見たさで近づき接写した佳作。

ツルピカ頭の後頭部に、太陽のシンボル、その中心には「陽」とデカデカと彫ってあります。

なんか外人なんでサマになっている気がしますが、これが日本だったら皆振り返って腹を抱えて笑うよなーと思いました。

それにしても、ここまで近づくのが限界で、サッと撮ってサッと逃げました。

気づかれたら、ヤキを入れられそうなほど強面の御人でした。

念をおしておきますが、あくまでもこれは僕自身ではありませんので。

では、よいお盆をお過ごし下さい。

2015年3月20日金曜日

2004年08月08日 「暑中お見舞い申し上げます」


暑中お見舞い申し上げます。

東京では40度を記録したなどと聞いていますが、お元気でしょうか。

当地も涼しさがウリの国の筈ではありますが、さすがに最近は28度、29度あたりを行ったり来たりの日が続いています。

日本に比べればたいしたことはありませんが、それでもそれなりに湿度も高く不快といえば不快。

我がオンボロ車にはエアコンなんてものは付いていませんので、日中に車に乗る際は窓全開にして背中を背もたれにつけずにアクロバティックな姿勢で運転しています。

背中をつけると大量の汗をかいてしまいます。

そもそもこの国にはエアコンというものはあまり必要がなく、一般家庭にエアコンが付いているというのは稀ではないでしょうか。

車にしても「メルセデス」「サーブ」「ボルボ」あたりには付いているでしょうが、一般大衆車にはそんなものはありません。(でした)

しかし、ラジオに流れる車のCMを聞いてみると「エアコン標準装備デス」と謳う車が増えてきましたので、その辺で差別化を図ろうという魂胆だと思われます。

当然にして我が家にもエアコンなんてものはありませんので、現在は部屋の窓を全開でこれをしたためています。

さて、「試験が終わりましたぁ」などとメールを書いて一ヶ月以上経ちます。

試験が終わり、ドイツのボンに研修に出掛け、その後叔父叔母が来英、しばらくおいてその後ケンブリッジ大の植物園の仲間の結婚式、そして毎年恒例行事となったケンブリッジのフォークフェスティバル・・・・とまあなんだかんだと慌しくしていました。

その間メールを送ろうとしたところ、原因不明の送信不可能症候群に見舞われ、「送っても送っても送れない」困った状況に日々悶々としておりました。

この送信不可能症候群をロンドン在住の日本人のお医者様に相談したところ(シャレじゃありませんよ)、相談後約一週間たった今日解決法に関してアイディアを頂戴し、こうやって久し振りにメールを送ることが出来ている訳です。

ありがたや。

書くことはいろいろありそうなもんですが、ありすぎて何から書いたものやらですので、まずは最近のことをふたつ。

「ケンブリッジ・フォーク・フェスティバル」と「ロンドン・ビア・フェスティバル」。

フォークフェスティバルはケンブリッジに暮していたときの隣人ビル君とその仲間に誘われて3年前に行ったのがきっかけで、以来毎年恒例行事になっています。

今年が3回目(フェスティバル自体は今年40回目)で、木、金、土、日の4日間。

近所の広大な空き地が「キャンプ地」として提供され、僕らはここにテントを張り、朝起きて朝食をとった後、うだうだ、ゴロゴロと新聞を読んだり、早々とビールを飲んだりし、昼頃から会場に繰り出した後はひたすら呑み、無駄話をし、日光浴をし、演奏を聴く・・・。

これを4日間繰り返します。

食事は4日間屋台などのいわゆるジャンクフードで、さすがに4日目にはいささかゲンナリですが、なんのなんの。

日曜日の23:00頃にフィナーレとなり、そのままテントで最後の一泊をして、月曜にはいそいそと荷造りをし、久し振りにケンブリッジでノンビリしたいのを堪え車を飛ばしてキューまで戻ってきました。

その月曜日の夕方には今期最後の植物名の試験があったのです。

悲しきかな、学生。

ビアフェスティバルはつい昨日の話。

そもそもビアフェスティバルというのはCAMRA (Campaign For Real Ale)という地ビール振興会みたいな団体が主催しているもので、各地の地ビールを集めて開くビール祭りのこと。

各地で規模もまちまちであるのですが、このロンドンのオリンピアであるのが規模も最大(450種のビール!!)で「ウーム、一度は行ってみたいものだ・・・」とかねがね思っていたので、ついに念願かなったという訳です。

会場は「見本市」などが開かれる大型の体育館のような場所で、その場に酔払いが2000人以上はいたでしょうか。英国各地のビールをハーフ・パイント(284cc)を勘に頼って10杯程飲んだでしょうか。

440種飲み損ねてしまっているっ!

いつものことながら、味がちゃんと分かるのは最初の3杯くらいまでで後は、ご機嫌な酔っ払いのオッサンと化してしまうので困ったものです。

英国最大を謳うだけあって、ビールの品揃えもさることながら、関連グッズ(シャツ、小物、グラス、アンティーク品など)販売も充実しており、更に「パブ・ゲーム」(一回1ポンド払い、輪投げであるとか、積み木崩しだとかで点数により賞品が貰える)という、たわいもないゲームに興じたりムードは予想をはるかに超えたイイモンでした。

一緒に行ったクラスメートのクリスと二人で「閉店」まで堪能してきました。


普段の節約生活をよそにかなり散財した気がしますが、まあこんなのもたまにはよろしいかと。

ビア・フェスティバルの会場の写真とすっかり出来上がってしまったワタクシとクリス君の二人を暑中お見舞いがわりにお送りいたします。

暑い最中と思いますがどうぞお元気で。

では、また。

2015年2月13日金曜日

2004年06月24日 「よく頑張ったで賞」



ご無沙汰しております。

このメール、呑みながら書いております。

本日めでたく試験が終わりました。

加えて約3ヶ月間の集中講義期間も終了しました。

長かったです。疲れたです。

この3ヶ月間朝から夕方まで毎日同じ教室に閉じ込められ、同じメンツでズーっと過ごすというのはなかなかどうしてかなりストレス度合いの高いものがありました。

クラスメートとも侃侃諤諤やりあったりしたというのもすでにお知らせした通り。

仕上げとして試験があった訳です。

レポートなどで試験が省かれたものもあり、科目数はたったの3科目。

「たった」というのが正しいと思いますが、やる側としては一杯一杯でした。

「植物構造学」「植物分類学」「植物生理学」の3科目。

試験に向けた特製お手製カレンダーを作って気合を入れたのが5月31日。

そして本格的復習を始めたのが6月12日(土曜日)からで、週末はほぼ終日、平日は授業が終わってから寝るまで。

先週末がピークでした。

運動不足でモヤモヤする一方、ちっとも頭に整理して知識が入っていかないもどかしさで、「試験、大丈夫か?間に合うんか、こんなで??」と不安でしたが、なんとか乗り切りました。

これは習性なのでしょう。

なにかこうやって集中して勉強したり、作業したりしなければならない場合、自宅ではそれが出来ないのです。

サラリーマンのときも、週末に仕事を抱えてデニーズやロイヤルホストなどのファミリーレストランに繰り出し早朝からシコシコと仕事をしたもんですが、この方が何倍も集中できてはかどるのです。

今回は授業後の教室、週末の教室を使いました。

基本的にキューディプロマの生徒は学校校舎内に24時間自由にアクセスすることが許されており、毎日リュックに教材とチョコレート、バナナ、サンドイッチなどを詰め込んで、誰に気兼ねなくすることが出来ました。

実は僕の家は僕の前に、僕と入れ替えで卒業したジョンという学生が住んでいたのです。

彼はその年度の主席で、とにかくキレる人物。

彼とは同じ家に厄介になったよしみで何度か会って話をしたことがあり、今回試験勉強について何かアドバイスがあればくれ、といったところ懇切丁寧なアドバイスをしてくれました。

彼は元弁護士で、彼の頭脳をしてこんなに努力したのかぁと思うと、元ナンチャッテ銀行員の僕としてはかえって肩に力が入ってしまったのでした。

彼のメールの一文に「パブには行くのは我慢すること。試験が終わればいつでも行ける・・・」というのがあり、単純な僕は「ヨッシャ、禁酒だ。禁酒。」と6月12日から禁酒しました。

確かに酒を飲むと、記憶モノは全くダメですし、まあ良いや明日、明日、と全面ハッピーお気楽気分になってしまうので、緊張感を保つ意味で冷蔵庫からビールを撤去し、禁酒を誓ったのでした。

思えば過去およそ10年ほど、10日間以上も酒を断ったことなどありません。

コードです。

最初のうちは夕食時など、「ビール飲みたい・・・」と胸をかきむしられる思いでしたが、ここは「ペリエ」で我慢しました。

良いニュースとしては自分はアル中ではないと証明できたことでしょうか。手も震えませんでしたし。

この試験、過去英国に来て以来受けてきた試験とはかなり勝手が違って、思考、論理を問う問題が中心でした。

試験時間も植物構造学が3時間、分類学が午前2時間、午後2時間、生理学が2時間といった具合。

しかも「開始っ!!」と言われてから「終了っ!!」と言われるまで
書きっぱなし。

自分でもまあよくつたない英語で3時間も書けるもんだと感心しました。

本日試験終了後クラスメートとパブに昼から繰り出し久し振りに呑み、ホロ酔い気分で帰宅し、疲れと睡眠不足のためうたた寝をし、先ほど復活し、今朝学校に行く前に冷蔵庫に12日振りに詰め込んだビールを一本取り出しこのメールを書いていると言う次第。

あろうことか、大家は今朝から約4週間フランスに行ってしまい、再びタテバヤシ天下となりました。

試験も終わり、開放的な気分に加え大家がいない気楽さはなんともリラックスですね。

音楽もヘッドホンじゃなく聴いちゃったりして。

金曜日から6日間ドイツのボンに研修のためにクラス全員で繰り出します。

試験も終わり、慰労旅行みたいなもんで、僕はドイツビールを堪能しまくろうと今から楽しみです。

そんな訳で僕的には休み気分が高まってきました。

良い季節ですので羽を伸ばしまくってやろうと企んでいます。

サッカーの欧州選手権、ウインブルドンテニスと賑わっているもののあまり興味はありませんが、でも便乗しちゃおうと思っております。

それではまた。

2015年1月27日火曜日

2004年05月30日 「5月ゆく」



5月も残り数日となりました。

来週の月曜日がバンクホリデーのため3連休です。季節も英国では一番良い頃。

どこかへ繰り出したいのはヤマヤマですが、6月に控えた期末試験、及び諸々のレポート、小試験などで家でおとなしくしています。

気はかなり重いです。

以前お話したクラスでストレスを感じているという件。

まあ、なんとなくストレスはいまだに感じているものの(そんなストレス・フリーの生活なんてありえませんものね)、「大ストレス」は当の本人と大いに議論した結果なんとなく落ち着きました。

議論なんてエラそうなものではなくて、ただ「お前のここが気に入らん!!」「それは誤解!」「それじゃあ、これはどう説明すんだ?」などと声を大にしてしばらく言いたいことを言い合ったら溜飲が下がり、憑き物がとれたようにスッキリして、「ハテ、何に頭にきていたのだ?」と不思議なカンジでした。

その程度のストレスってことでしょうかね。

ここ数年間平和に過ごしてきているので、こういったストレスに対する抵抗力が落ちてきたのかもしれません。

ご心配をおかけしました。

さて「5月」はワタクシにとっては特別な月。
何を隠そう誕生月なのです。

例の庭仕事のバイトを頑張ったりしたので懐も多少暖かく、ここは何か特別なことをしようと。

以前回転寿司にいった話を、現在ロンドンにいる銀行員時代の元上司に話したところ、「セントポール大聖堂近くのレストランで土曜日のランチにはこれでもかっと刺身がのったチラシ寿司がうまいゾ!」とのアドバイスを貰い、ロンドン市街に繰り出したときに試したことがあります。

「確かにっ!」
これでもかとヤケクソ気味に刺身がのったチラシ寿司12ポンド(約2400円)は価値がありました。(メロン、茶碗蒸し、サラダ、味噌汁付)

会計をする際にレジの横にあったチラシに目が留まりました。

「土曜ランチ寿司20ポンド食べ放題。要予約」

おおおっ。
食べ放題ってことは無制限に食えるのだな、しかも寿司が。

「何か特別なときに来よーっと」とそのチラシを数枚頂戴したのですが、こんなに早く「特別な時」が訪れるとは・・・。

しかもチラシ寿司を食べにいったときのチラシが役に立つとは江戸っ子もビックリの粋な筋書き。

金曜日の夜に緊張気味に電話をしました。

「あのー、チラシを見たんですけど、明日寿司食べ放題」
「エエ、一人で。」と予約を完了。

土曜日。

予約時間12時に遅れないように張り切って自転車で自宅を出発。

天気もよろしく、気分良くサイクリングをこなして店に入ると、そこには10人ほどが座れるカウンターが。

板さんが一人で黙々と握っています。

以前にも申し上げた「日本度」はまずまず高いと、前回来たときに感じたのですが、黙々と握る板さんが「ナニ、シマショカー」と聞いてきて思わず腰が砕けました。

黙っていればそういう日本人も居るよなぁ、という風貌なのですが、喋ってしまうとバレバレです。

でも反射的に「中トロ」と言うと通じたみたいで慣れた手つきで握ってくれます。

ここで問題が発生。

10人の客に対し、板さん一人。

中トロ2カンを2秒で胃袋に収めてしまった僕は次の寿司までしばらく待たねばなりません。

このままでは徐々に満腹中枢が刺激されて食い放題敗北の図式が成り立ってしまいます。

イライラしていると、板さんも僕の殺気立った視線を感じたのでしょう、厨房からヘルプ君を連れてきました。

しかしこのヘルプ君はまだまだ修行中の身のようで、なんとも手つきがぎこちなく、一旦握った寿司をまな板の上でああでもない、こうでもないとカタチを整えたりしています。

文句言うよりは楽しまなくては、誕生日なんだし。

そして何より食わねば、と気分を切り替え、冷静に考えた挙句ある妙案を思いつきました。

1.視線は常に板さんへ。(腹減ってるの、と猛烈アピール)
2.注文は常に2品ずつ。(例:トロとアジ、あるいはヒラメとホタテなど)
3.一定のペースを守る

これにより、板さんに「あの隅っこの客は出したらスグに平らげちゃうのね」という意識をうえつける事に成功し、途切れの無い注文が可能になったのでした。

メニューにはさほどひねったものは無くありきたりのシンプルなものでしたが、約1時間15分限界まで食べて食べまくりました。

板さんが「ミソシル、イカカテスカー」と聞いてくれましたが、「結構です」とお断りしました。

味噌汁が入る余裕があればそこに寿司を入れようという姿勢を貫いた結果です。

「やっぱり日本人、寿司だよ寿司」と大満足して帰路に着きました。

そんな訳でついに、とうとう30代最後を迎えてしまいました。

身分は学生、独身、と世間の39歳に比べてしまうとかなり違和感があります。

でもこうやって美味しく食べれて、飲めて、やりたいことをやっているという点ではナカナカの幸せモンです。

最近の写真を添付いたします。

田舎道をリンゴを頬張りながら歩いております。

あいだみつを的ではありますが、人生マイペースでノンビリ歩きたいものだと・・・。

では、また。