どうして「スバラシキ英国園芸ノススメ」なのか

ちょっと読んで 「あんまり面白くないなぁ」 と思った方。
騙されたと思ってしばしお付き合い下さい。

7年間の英国留学中にしたためたメールは300を越えました。
そしてこれが 「尻上がり的」 に面白くなっていくのです。

当初の初々しい苦学生の姿から、徐々に英国に馴染んでいく様子は100%ノンフィクションのリアルストーリー。

「スバラシキ英国園芸ノススメ」の旅はまだ始まったばかりです。

2011年7月29日金曜日

2000年07月17日 「友人の話」


クラスも一緒で寮でもたまたま隣の部屋同士ということで仲良くなったロブ君の自宅に週末招待されました。

彼は僕よりもひとつ年下ですが、とてもモチベーションが高く、成績もかれがクラスでトップでした。
試験やレポートも彼に随分アドバイスしてもらいましたし刺激にもなりました。

また生活面でも現代英国人気質を身をもって教えてくれました。
秋から僕はケンブリッジ大学に行きますが、彼はエジンバラ大学に行って、来年このカレッジで再会しようと言っています。

昼にお父さんのクリスが車で迎えに来てくれて、彼の家で軽く昼食を御馳走になってからクリス、ロブと僕の3人でゴルフをし、夕食はお母さんのマギーのお手製ローストビーフを御馳走になってその晩は泊めていただきました。

翌日は朝食後彼の住む街Witherbyというこじんまりとして雰囲気のよろしい街を散歩し、家に戻りテレビを見つつ、昼食にピザを御馳走になって、昼過ぎに寮まで送って頂いたという2日間でした。

寮に戻ってあらためて有難いことだったと感激しています。

英国を紹介した本などによくあるように、夕食に招待されるのは特別なことであって、まして一泊まで招待していただいたこと。
そして家族全員でもてなしていただいたことに感激しました。

夕食は典型的な英国のもてなし料理なのだと思われるローストビーフ、ヨークシャープディング、ニンジン、ブロッコリーなどの温野菜、マッシュドポテトを頂いたのですが、本当に美味しかったです。
肉も柔らかくグレービーソースもインスタントではなくて自家製の本物ソースでした。
そんな味覚上の美味しさもさることながら心のこもったホスピタリティに感激したわけです。

食事をしながら、我々の授業の話、思い出深い先生の話、寮の不味い食事の話、日本の話などで大いに盛り上がり、普段の無味乾燥な食欲を満たすためだけの食事とは違うあたたかいひとときを過ごしました。

「こういう食事にお招き頂くのは特別のことと理解していますが、本当に美味しく、そして感激しています。」と言うと、
マギーが「そうね。日本の家庭でお客様をもてなすときにはどういうものを御馳走するのかしら?」と質問されてちょっと考え込んでしまいました。

気のおけない人とする家庭的な食事と言えば鍋ものかなと思って鍋の話をしました。
鍋であれば英国でも素材は揃いそうなので、帰国するまでになんとか鍋料理をふるまいたいものだと思いました。


ゴルフはクリスがメンバーになっているThe Alwoodley G.C.という先週トーナメントもあったという名門コースに連れていってもらいました。
コースはヒースが生い茂る典型的英国ゴルフコースでラフも深くて難しかったのですが、かろうじて100は切れて、クリスに迷惑がかからなくて良かったと胸をなでおろしました。

キャディはいなくて、自分でバッグを担ぐか、カートを引くか。
スタートはインから、アウトからという発想はないようで常に1番から。
自宅から車で10分ほどのところにコースはあって、料金もゲストで15ポンド程度。
18ホールを通して回り、あとは靴だけ履き替えてクラブハウスでビールを飲むといったかんじで、いろんな意味で無駄がないなぁと感心しました。

ロブの家は結構な邸宅で敷地はざっと200坪くらいでしょうか。
1920年に建てられた家だそうでそれを10年前に購入してリフォームしてキレイに使っています。

庭も芝がキレイに刈られて、通好みの植物が植わっているあたりかなりの園芸好きなのでしょう。


庭の隅にレンガ造りでパーゴラが備わった腰掛けるスペースがありました。
聞くとクリスがマギーの誕生日祝いに建てたものだとか。
昼過ぎからそこには陽があたる場所になっているらしく、午後はそこに腰掛けて紅茶でも飲みつつ本を読んだりするのだとか。
気が利いているよなぁと感心ばかりしていました。

ふと彼が日本に来たとして、果たしてどんなもてなしが自分に出来るのだろうかと考え込んでしまいました。
そんな2日間でした。

2011年7月24日日曜日

2000年07月13日 「禅問答」



畑についてもうちょっと。

以前自分の畑の花や野菜が愛おしくて根腐れするほど水をやってしまったという話をしたかと思いますが、
畑実習の主任先生が最近ボソッと

「みんな水を一生懸命やってるみたいだけど、オレならやらないな。
もともと野菜はナマケモノなのだ。
秋に畑に馬糞などを鋤き込んで土壌を改良しただろ。
アレによって畑の表面が乾いているように見えても実は数センチ下は潤っているのだ。
その潤いを求めて植物は根を広く深く広げてそれが逞しいニンジンになったりするのだ。
で、これ以上乾燥させては生育を妨げてしまうという、ここぞというタイミングで適量の水をやるものなのだ。」

と言うのを聞いて感心する一方、水をやりすぎた自分が恥ずかしく感じました。

「で、ここぞというタイミングはどうしたら分かるんでしょうか?」
と尋ねると
「それは自分でいろいろ考えて試すのだ。経験から学ぶのだ。」

となにやら坊主と和尚の会話のようでしたが、なにやら子育て、ペット飼育、植物栽培さらには恋愛などにも共通している人生の真理にも思えたのでした。

2011年7月23日土曜日

2000年07月12日 「畑その後」



言いようのない深い悲しみと虚無感に沈んでおります。

何かと申せば、畑あらしがあったのです。

そもそもの起こりは畑の評価のあった日の夜に学校の講堂で「Summer Ball」(夏の舞踏会)といって皆が着飾って深夜まで飲んで踊って騒いだ晩があったのですが、その晩に誰かが畑に侵入して畑を踏みつけたり花や野菜を引っこ抜いたりという事件がありました。

そのときは幸いにも僕の畑は被害にあわずにすみました。
当時クラスの皆は「ヒドイっ!!」とかなり憤慨したものですが、犯人も分からず手も足もだせませんでした。

その後学校の授業が終了するのにともなって、何人かは自分の畑から早々とレタスやソラマメなんかを収穫していくものもいました。

それは自分の畑で自分が育てたものだけにするのが人の道ってものですが、僕の畑をある日よくよく見てみると大きく育っていたソラマメがあらかた摘まれてしまっていました。

腹は立ったのですが、苗は無事だったのでまた育つだろうと前向きに考えて溜飲を下げました。

そして昨日。
雨の中ちょっと様子を見にいくと8個植えたレタスのうち育ちの良かった3個がなくなっていました。

全身の力が抜けて、めまいすら覚えました。

なんでこうなんでしょうか?
見つけたらぶっ飛ばしてやると思うものの終日畑にいるわけにもいかず手の施しようもありません。

育てているときはマメを鳩から守り、レタスにつくナメクジを取り去り、赤カブを好物とするウサギを追い、アブラムシを寄せつけないように腐心して丹精込めて育てた野菜の最大の敵が「人間」であるとは!

おお、神よ!!(ちょっと大袈裟か)

この悔しさは最近ちょっとない悔しさです。
夏休みの間この学校の寮に残るので引き続き水をやり雑草をとって、これから咲く花を愉しんで野菜の収穫もして・・・と楽しみにしていたのに残念です。

ヘンにこの畑に愛情を注ぎ過ぎたのかもしれません。
たかが畑、もっと気楽に考えれば。
いやーそんなことはないな。
やっぱり盗った人が悪いと断じる次第です。

悔しいッス。

2011年7月20日水曜日

2000年07月05日 「ガーデンデザインの話」


お話しておりますように授業のほとんどを終了して最終成績を待つのみとなりました。
寮でもポツポツ帰省する学生を見掛けるようになり、夏休みモードへと雰囲気が変わりつつあります。

しかしながら僕は一般のコースに加えてガーデンデザインのコースをオプションでとっているため、現在その課題に追われています。

こういった創造力を働かせなければならないことというのは一旦エンジンが掛かるとドッーっと進むのですが、それまでが結構大変だったりします。

現在取り掛かっているのがファイナルプロジェクトといってその名のとおり本コースの仕上げになるプロジェクトです。

「ファイナルに相応しい歯ごたえのあるやつを見つけてきた」先生が言うだけあって難しいです。

まず皆でマイクロバスに乗って現場の大きな個人邸に行って測量から始めました。

お金持ちのお宅らしく個人邸のくせして敷地の広さが1エーカー(ざっと1200坪!)もあります。
当初はそんなに広いとはつゆ知らずクライアントと台所で話をしながら見えた景色は庭ではなく近所の森だと思って眺めていました。

クライアントのおばさんと話していると「川に面しているのよ」と言うので、どこに川なんかあるかしらと目を凝らすと森の向こうに川らしきものが多少見え隠れします。

まさか!?と思っていたら見ていた森は今回のプロジェクトの対象地だったというわけです。

ちなみにその台所から川までざっと70メートルくらいありますでしょうか。
それを12人のクラスメートで手分けして測量したのですが、これが川に向かって相当勾配があって、雑草とぬかるんだ足元でなかなかはかどりません。

デザインといっても紙にデザインする作業は全体の半分ほどでしょうか。

あとは測量、それを紙に書けるように数値を検証しながら現場の枠図をつくる、植栽プラン作り、工事明細作り、仕様書作り、排水・散水システムの検証などに裂かれることが多く、「ガーデンデザイン」という言葉の響きからは随分かけ離れています。

英国人であればナルホドという常識的なことも僕にはそういうバックグランドがないので、工事明細作りや仕様書作りは正直言って半分くらいしか理解できていません。

デザインも平面図、立体図、断面図、植栽図、構造物仕様図など描かねばならないものが多くていつもくじけそうになります。

特に今回のように勾配のきつい場所のデザインは更に大変です。
デザインのクラスメートの友人も火曜日の夜はいつも憂鬱な気分になるとこぼしていました。

こんなメールを書いているというのは少々行き詰っているからでしょうか・・・。

2011年7月14日木曜日

2000年07月01日 「終了」

昨日畑の審査がありました。

1等賞に選ばれました。

感激です。

思えば昨年の秋コース開始と同時に3×8メートルの細長い畑を与えられ、前年度の生徒が残していった荒れ放題の畑を整地し、馬糞などの有機物を鋤きこむ一方で温室で苗の準備をし、耐寒性のある野菜は2月に直播きし、5月には温室から苗をだして畑に植え替え、雑草取りや水遣りといった世話をし、ついに昨日の評価の日に至ったわけです。

小学生のころアサガオ程度は育てたことはありましたが本格的に屋外で種から育てたのは初めてです。

当初は授業で行われる一連の作業の理由、理屈、用語もサッパリ分からなかったのですが、この一年で園芸全般に共通する原則を学んだ気がします。

そして毎日彼らに水をやったり、成長を確認したり、畑にでて雑草を取ったり、ナメクジを取り除いたりするうちに、なんとも言いようのない愛着がわいてきて3×8メートルに植わっている花や野菜たちが心から愛おしくなりました。

愛おしさが裏目にでた部分もあって、例えば水遣りでは「オマエ達、たっぷりやるからネー」と可愛さのあまり少々たっぷり過ぎて根腐れを起こしたこともありました。

僅かながらの経験ではありますが、教科書や授業の理論だけではカバーできない多くを学んだ気がします。

そんなわけで昨日の評価はひたすらに嬉しかったです。
一年間やってきたことが認められたわけですから。
夜はクラスの仲間と担任の先生とまたしてもパブに繰り出して浴びるほど飲みました。

そんなことで一年のコースを終えようとしています。

2011年7月13日水曜日

2000年06月27日 「腰」


最後のレポートも今日ですべて終わって後は畑を入念に仕上げる・・・計画していたら、この週末にあまりに熱心に草むしりをしていた結果かなり深刻な腰痛になってしまいました。

昨年の今頃も植木屋修業中に持病のヘルニアが再発し、謎の「名」鍼灸院に通ってなんとか回復したのですが、ここはヨーク。
鍼灸院があるわけもなくひたすら治まるのを待つしかありません。

寝返りするのもキビシイほどで寝ていても痛みで目が覚めてしまうほどです。

困りました。

歩いていてもヘッピリ腰でとてもカッコ悪いです。
とはいっても少しずつは快方に向かっているようなので水曜日の午後くらいからは畑に戻れると楽観的に思っているのですが。

試験などから解放されて心置きなく畑いじりができると思いきやなんたること。
何事もホドホドにということでしょうか。

では、次回は畑品評会報告をさせていただきます。

2011年7月10日日曜日

2000年06月22日 「夏至」


御無沙汰しております。お元気ですか。

昨日ようやく試験が終わりました。

合計8科目、4日間の試験でした。
毎度のことながら、試験そのものに対する準備に加えて設問を理解する準備、それを英語で表現する準備もしないと対応できないためドッと疲れました。

「×××について定義せよ」などというのは丸覚えするしかなくて、何度も何度も繰り返し紙に書いてカラダで覚えました。
あまりに覚えがよくないので、書いた紙を食ったろかと切羽詰ったものです。

ここ一ヶ月はレポートと試験勉強におわれほとんど寮から出ることがなかったので、この週末は久し振りにヨークの街の空気を吸ってこようかと思っています。

試験一週間前より「禁酒」を敢行していたため、試験から解放された昨日はクラスの友人3人と夕方5時から夜12時までパブに繰り出して浴びるほど飲みました。

その内の一人であるロブ君は酔って寮にもどると普段寮の若いやつらが深夜まで騒いでなかなか寝付けなかったので「今日はオカエシだ!」といって寮の廊下を大きな足音をたてて徘徊し、挙句にイスを廊下に投げつけてて日頃の鬱憤を晴らしていました。

学校は7月7日までなのですが、試験が終わった今となっては授業はほとんどなくて2つのレポートとガーデンデザインの課題を描くという程度です。

6月30日にはひとりひとりに与えられた畑の最終評価がくだります。
まだ寒いころから温室にて種まきをして愛情を注いできた花たちもいよいよ最終評価を受けるのかと思うと感慨もひとしおです。

審査の日には畑の縁の芝を刈り込み、畑の雑草を取り除いてピッカピッカの状態にします。
評価は学校の先生はもちろんですが外部からも審査員を招いてのビッグイベントになるとのこと。

花部門、野菜部門のふたつに分かれてそれぞれの部門で1~3位の賞が設けられていて、特に優勝となるとこちらの履歴書に書くだけの価値があるのだそう。
実は花部門にはかなり自信があって優勝を狙っております。

昨日6月22日は夏至で日没は21:30ころだったでしょうか。
夕食後にも畑仕事ができてとてもいい季節です。

花もこれからがベストシーズンですので学校が全て終ったらいろいろ見てまわろうと思っています。

一方で今日からまた冬に向けて日が短くなっていくのだなぁと思うと切なくもあります。
ともあれ無事に試験を終えてコースも終わりに近づき元気にやっておりますことを御報告申し上げます。

2011年7月9日土曜日

2000年04月28日 「雨降って地かたまる」


こんにちは。

イースター休暇も残すところわずかとなりました。

その後はさして外出もせずひたすら宿題、これまでの復習に真面目に取り組んでいます。
それにしても宿題はやってもやってもキリがないのでホトホト嫌になっちゃいます。

食堂もお休みのためスーパーマーケットで食パン、マーガリン、ハム、マスタードなどを買ってきて朝と昼は簡単なサンドイッチを作り、夜はパブに出かけたり、はたまたフィッシュアンドチップス、あるいはインスタント食品でしのいでいます。

最近はよく雨が降るのですが、一日中シトシトと降るのではなく夕立のようにパッと降ってサッと上がったり、もしくは細く細かいまとわりつくような雨が半日降ったりといった感じです。
そんな中、今日は久し振りに晴れ間が午前中広がったので学校の自分の畑にいって手入れをしておりました。

学校の中に8x3メートルの畑を与えられ、実際に花や野菜を育てるなかで実践的な園芸テクニックを習得し、かつそれらの評価を受けるというものです。

畑の半分で花、残り半分で野菜を育て、花の部分は小さいながらもデザインを施した「ガーデン」です。

野菜の半分は直播きで、半分は温室でしばし育てて霜害のおそれがなくなった頃に外に移植します。

畑は当初与えられたときには前年度の生徒の残した野菜や雑草が繁って荒れ放題だったのですが、それら全てを取り除き、耕して馬糞などの肥料を鋤き込み手間と暇をかけて今の形になりました。
手間を掛けていくうちに徐々に愛着が沸いてきて、ほぼ毎日畑に行って様子をみるのが日課になりました。

これまでこういったことが趣味だったとか、好きだったというわけでもないのに不思議なものです。
畑にはカメラを持参して、その成長に目を細めながらシャッターを切ります。
我が子の運動会にビデオを持っていって熱狂する親みたいなものでしょうか。

全て順調で平和かというと否で、直播したソラマメは芽を出したと思ったら鳩が食い散らかしていき、友人のソラマメは壊滅状態でした。その他リスやウサギたちもウロウロしていて英国に来た当初は「カワイイー」なんて思っていましたが、今はとんでもありません。
憎っくき敵ですので、見つけ次第大声で追いかけて追い払います。

最近の雨続きで雑草も増えたので、今日は心ゆくまで草むしりをしました。
「雨降って地固まる」とはよく言ったもので、畑の土の表面はこの雨で固く締まっており、植わっている植物を傷つけないように細心の注意を払いながら優しく土をHOEという鍬の一種でほぐしました。

植物を育てるときに土が固まってしまうのは空気や水分が浸透しなくて好ましくないのです。
仕上げに畑の縁の芝をピシッと刈り込んでオシマイ。

ここまで3時間。

気持ちよく働きました。

園芸セラピーというのがあるらしいのですが、これはもっともだなと思います。
自分の手でイチから育てていくというのは愛着もわけば責任感や他人の痛みなども分かることに繋がると確信できます。

明日はハロゲイトという街でフラワーショーがあるらしいので出かけようと思います。
5月には英国最大のチェルシーフラワーショーもあって花の季節本番です。

日本でも淡路島や神宮で大規模なフラワーショーがあるとのことで興味は尽きません。

春本番、お忙しいとは思いますがどうぞお元気で。

2011年7月8日金曜日

2000年04月20日 「ウェールズ旅日記」


前回が迷惑メールともとれる長編となってしまいましたので、今回はやや短めに趣向をかえてお送りします。

スコットランドから戻って荷解きもせずに、その翌日から4日間ウエールズに行ってきました。

これは学校のガーデンデザインの先生が主催したクラスの有志対象のもので、食事、宿泊、移動すべて込みで25ポンドという有難いツアーでした。
安いだけあってホテルに宿泊とはいかず「エコ・コテッジ」とでも申しましょうか、風力、水力、太陽発電に電力は頼り、トイレは汲み取り、シャワーは薪をたいて汲み置きした水を暖め、生ゴミはリサイクルという宿泊施設。

そこに男3人女5人、年齢も20代から60代までバランスよくかつユニークなグループで滞在しました。
色々見てまわった庭のことよりも、共同生活でみたイギリス人の食べ物についての話をしようと思います。

皆で何を作るのか?何を食べるのか?当事者でありながら第三者的な関心をもっていました。
初日カレー、2日目ピザ、3日目マカロニといった具合で、街中でみかけるレストラン同様の献立でした。

このインド料理、イタリア料理は本当にポピュラーでもはやイギリスの国民食として定着したと思われます。
中華もポピュラーですが、いざ自分達で料理するとなるとハードルが高いのだと思います。

料理の陣頭指揮をとったのが年齢不詳のポールというお兄さん。
髪はドレッドヘアーで最後に髪を洗ったのはいつかしらん・・・と心配になるくらいキワドイ雰囲気の人。
料理の手際は驚くほど素晴らしく感心させられましたのですが、「ウーン手は洗ったのかな?」という手で力いっぱいピザ生地をこねていました。

カレー、ピザ、マカロニのいずれにも投入された食材があります。

それは「TOFU」です。

ポールがしきりになにかを炒めているので聞くと「ジャパニーズ・トーフ」とのことで、普段自分が見掛けないだけのことで、どうやらそこそこポピュラーな食材のようでした。
しかしそのトーフはプリンプリンして柔らかいものではなく、ガッシリしていてそれこそ角に頭をぶつけると怪我をしそうなかんじのトーフでした。

冷奴のようにナマで食べるという発想はあまりないようで、炒めて肉風の味付けをして肉風の味と食感を目的としているようでした。
英国にはベジタリアンが多く、こうした肉代替料理はけっこう見掛けます。
そぼろ状に変わり果てた豆腐をカレーに投入してグツグツ煮たり、ピザの上にピーマンなんかと並べて食べるわけです。

いざ準備が整いこれから食べようというときに、蓄電レベルの低下という理由で照明が消えてローソクの下で楽しく食べたのでした。
皆「ウマイ、ウマイ」と言って食べていますが、僕としては全然塩気が足りなくて塩をふりながら微調整しつつ美味しくいただきました。

翌日の昼ゴハンはカレーライスのライスが余ったので「サラダライスを作りマース」とポールが張り切って再び腕をふるって生まれて初めての味を経験しました。

そもそもゴハンが日本とは違ってパサパサしているので生まれた発想だと思いますが、冷飯にレタス、ピーマン、トマトなどの生野菜を加えてオリーブオイルで和えて、さらにオレンジやリンゴといったフルーツが加わりオシャレにオリーブがのっかっています。

皆「ウマイ、ウマイ。ポール最高!」みたいなことを言っていますが、僕はマズイとは思いませんでしたけど決してウマイとは思えませんでした。

食事が終わり、せめて後片付けくらいは貢献せねばと食器洗いをしました。

おばさんも一緒だったのですが、以前から薄々気付いていたことですが、やはりこの国の大多数の人たちは食器を洗剤で洗うとそのまますすがずにタオルでふいてサッサカ片付けてしまいます。
「すすがないの?」と聞いても大丈夫大丈夫とニコニコしながらどんどん食器を棚にしまっていきます。
その横で先生が「コーヒー飲みたいんだけどこのカップはいいかな?」と泡のついたマグカップにインスタントコーヒーの粉を入れています。

食器洗いに限らずお風呂でも泡だらけのバスタブにつかった後は身体もすすがずに泡の身体をバスタオルで拭いてオシマイというのが西洋的入浴法だと聞いたことがあります。
どうやら「石鹸は食える」というのが文化のやうでございます。

甘いものも皆好きですね。
あんなに今食べたでしょってのに食後に紅茶とクッキーなんか食べています。

海岸に繰り出した天気の良い日の午後のこと。
パンにチェダーチーズを挟んだだけのサンドイッチとポテトチップというお弁当を食べたあと恒例のお菓子タイムになりました。
すると先生が「ジャミー・ドッジャーズ大会をしませんか、皆サン!」と力強く提案しました。

なんじゃそりゃ?

ジャミー・ドッジャーズというのは油っぽいクッキーに真っ赤なゼリー状のジャムが挟んであるイギリスの典型的庶民派クッキーです。
これをいっせーのせで食べ始めて誰が一番最後まで一枚のジャミー・ドッジャーズを食べ続けられるかという、まこともって他愛のないお遊びです。

参加者はクッキーを持って「始めっ!!」という掛け声でいっせいに少しづつクッキーを食べていきます。
ジャッジ役の先生も結構真剣で時計を見ながら「12分経過っ!!」とエラく気合が入っています。
食べ続けるのがルールなのでひたすら細かくリスのように口を動かしています。次々と選手が脱落するなか、ポールと20代の女の子の一騎打ちになり、結果女の子に軍配があがりましたが、ナント27分20秒も真剣にそんなことをしていました。

日本でも気の合う仲間達で泊りがけで出かけてゴハンを作ったり、酒を飲みながら延々と話をしたりしたことがありましたが、今回の旅はまさにそんなかんじであったかなと思います。
家族的で気持ちよく過ごせた4日間でした。

旅行記もこれでしばし打ち止めで、これからはイースター休暇でヒッソリとした寮にて禁欲的に勉学にいそしみます。

2011年7月2日土曜日

2000年04月19日 「スコットランド旅日記」

4月8日から5月1日まで約3週間のイースター休暇で、寮生はほぼ全員帰省してキャンパスはヒッソリと静まりかえっています。
僕は帰省しようもなく、このまとまった休みを有効活用しようと計画を立てています。

まずは8日から13日までモルトウイスキーで有名なスコットランド北部のハイランド地方をレンタカーで気ままにまわってきました。
僅か6日間でしたが、スコットランドへは初めてだったので全てが目新しく有意義でした。
色々とハプニングがあり話題に事欠かないのですがその全てを記すと大変な長さになってしまうので、エッセンスを取り出してお送りします。

基本コンセプトとしては「スコットランドらしい緩やかな山並みをドライブして途中庭園を見てまわる」で、はずせないのはエジンバラの王立植物園とゴルフの聖地セントアンドリュース・オールドコースの二箇所ということだけ決めて出発しました。

ヨークからエジンバラまでは電車、その先はレンタカーを借りるというプランです。
エジンバラはスコットランドの首都だけあって十分な都会でした。
堂々とした歴史を感じさせる街並みの一方でこりゃ東京か?というモダンな商業ビルもあってオノボリ気分を満喫しました。

宿は不本意ながら自分の足で探す時間がなくて観光案内所で「安けりゃ安いほうがイイ」といって紹介されたのが一泊12ポンドのホステルでした。
しかし案内所では紹介手数料5ポンドをシッカリ取られ「なんで12ポンドの宿に泊まるのに5ポンドも払わにゃならんのか!?」と憤懣やるかたない気分になりました。

このホステルでの滞在は「ステキ」な経験となりました。
まずはチェックインして部屋に通されると、その部屋は二段ベッドが8個備わったいわゆるタコ部屋です。
僕よりも先にチェックインしたと思しき人たちの大きなリュックサックがベッドの上に置いてありました。
僕も外出の際リュックを置いていきたかったのですが、パソコンを持ってきてしまったので部屋に置いていくわけにも行かず、大きなリュックを背負ったまま市内を散策することになったのでした。

ガイドブックによる事前の調査で市内の日本レストラン「ラーメンショップ・タンポポ」で親子丼を食べると腹を決めていました。
しかし実際に店に行ってみると、オヤジが暇そうに新聞を読んでいるのが外から見えてちょっと心変わりしてしまいました。
そのままタンポポを通過して重いリュックサックを背負って右往左往した挙句、またまたフィッシュアンドチップスに落ち着いたのでした。

ひとしきり街を歩いてホステルに戻ると部屋はほぼ満員になっていました。
男だけの部屋かと思いきや若いオネエちゃんグループがいたり、失業して家出をしてきたかような年配のオジサンもいます。
なんとも落ち着かなかったのですが疲れていたので早々に就寝しました。
夜中はいびき、歯ぎしり、寝言の大合唱。幸運にも耳栓をもっていたのでそこそこ寝れましたが6時半に部屋で一番に起きてホステルをあとにしました。

レンタカーは予めヨークで予約してきたので問題はないはずでしたが、実際は問題がありました。
予約のときは担当のオニイちゃんが「駅前で便利ですよぉ」なんてことを言っていたのに、それは駅は駅でもメインの大きな駅ではなく、徒歩25分もかかるさびれた駅の裏にありました。
雨の中25分トボトボと歩きながら「今度あのオニイちゃんに会ったらなんと文句を言ってやろうか」と考えていたら到着しました。

チェックインすると「お客様の予約した車はあいにく御用意できていませんが1クラス上の車を追加料金なしでご利用いただけます」とのこと。
なんで予約した車が用意できていないなんてことを平気で言うのでしょうか。
予約した意味がありません。
でも彼らの怠慢のおかげで1クラス上の韓国車「現代」でスコットランドをまわることになりました。

エジンバラからセントアンドリュース、クリーフ、オーバン、フォートウイリアムス、ネス湖、インバネス、バラター、パースとまわったのですが、言い換えると一旦東海岸にでてスコットランドを横断して西海岸へ、さらに北上しネス湖でまた今度は東海岸に抜け、のち南下しウイスキー蒸留所のひしめくあたりをまわって帰ってきたということになります。

ハイランドは緩やかな山並みがどこまでも続く丘陵地帯で、あたりには森、湖がばかりです。
北上するにつれ天候も厳しくなり、ときおり雪も降りました。景色を見ていて感じるのは日本との共通点です。
ところどころ北海道のようであり、関越道でスキーに行くときに見かける山並みのようであり、はたまた信州のようでもあり。
異なるのは家屋の形とあたりが羊であふれていることでしょうか。

正直なところ3日間も運転すると少々飽きてきました。
庭はナショナルトラストの庭、民間の庭と幾つかみましたが、まだ庭のシーズンには早いのか、それともやる気がないのか、あまり胸がときめきませんでした。


庭という人工的な造作物よりも自然のほうがこのスコットランドでは魅力があると悟るのにさほど時間は掛かりませんでした。
ただエジンバラ王立植物園は見ごたえがありました。
植物コレクションも見事なものでモクレン、シャクナゲなどが満開でしばし見入ってしまいました。
以前の自分であれば見向きもしなかったでしょうが、人は変われば変わるものです。
写真も200枚以上撮ったと思います。

3日目。その日の宿を探すべく車を走らせていました。
スコットランドは緯度が高いこともあり4月上旬の今暗くなるのが21:00頃で、あまり早く宿を決めて落ち着くよりも明るいうちに行けるところまで行って程良いところで宿を確保するほうが効率が良いと決めました。

この旅を通じて改めて僕の中にかなりの節約魂が根付いていると実感しました。
旅にでるときには普段は節制しているけど、たまの旅行くらいは美味いものを食べて庭のキレイな快適な宿に泊まってやろうと思っていたのに実際はフィッシュアンドチップス、シシケバブ、サンドイッチといったファストフードに終始しておりました。
宿にしても「一泊20ポンド以内」という節約重視の目安がいつの間にか自分の中に出来上がっていて、それを超える勇気がありませんでした。

その日も幾つかの宿を当たってみたのですが、「一泊27ポンドだよ」「ちょっと考えさせてください。また来ます。」なんてことを繰り返しているうちに日はどっぷりと暮れてしまいました。
そんなおり目に入った看板に「ホステル7.50ポンド」の文字が。

これだ!車を走らせました。
途中看板には「ここから11キロ先」とあり側道に入って車一台やっと通れるくらいの狭い道が続きます。
あたりは暗く民家ひとつ見当たりません。
車を運転しながら宮沢賢治の「注文の多い料理店」を思い出しながら、今晩オレはどうなるんだろうと少々不安になっているとようやくほのかな光が。

そこはホステルとはいっても山小屋のような雰囲気で先客として男性客3人が酒盛りをしていました。
3部屋あるうちの一部屋をまるまる一人で使っていいとのことで、ことのほか快適な宿となったのでした。

酒盛りをしていた3人に合流し話を聞くと、1週間このホステルを拠点として石垣の修理をする仕事をしにきているとのことで話がはずみ深夜まで一緒に盛り上がりました。
彼らに日本人だと誰を知っているかと聞いてみると「ナカター」という返事がスグに返ってきました。
他には?と尋ねると、「ミツビシ、トヨタ・・」ってそれは人の名前じゃないだろっていう回答がよせられ大笑い。

朝は自炊でしたが、このホステルの目玉サービスは「タマゴ食べ放題」ということらしく一応タマゴ二つの目玉焼きを作りましたが、それ以上は食べられるものではありません。
腹ごしらえのあと気分よくその宿を後にしました。
安くてほどほど快適、そして楽しい話相手にも恵まれ最高の宿でした。

丁度ここで腕時計の電池が切れるというハプニングに見まわれて文字通り時間にとらわれない旅と化していったのでした。


ネッシーで有名なネス湖にも立ち寄りました。
ネッシーという名物があるというのは観光資源的見地からはとても価値があるのものだと感じました。
実在しないというネッシー目当てに多くの観光客が押し寄せ、ネッシーセンターもあればネッシーティーシャツなどの各種ノベルティも沢山ありました。
日本であればネッシー手形、ネッシー饅頭、ネッシー提灯などが売られそうなそんな盛り上がりです。

ネス湖にさしかかる手前の道路で黄色の蛍光色のジャケットを着た警官に止められました。
警官は僕が東洋人であることを一瞥して「しまったなぁ」という表情でスピードガンを僕に見せながら「スピード違反です。ここは30マイルの制限域ですが42マイル出ていました。観光ですか?」とのこと。
「そうなんですかぁ。気付きませんでした。本当に申し訳ない。」とエラく恐縮すると、先方も国際免許を持った日本人に違反切符を切るのが面倒臭いといった感じで「これからはユックリと運転してくだサーイ」と幸運にも放免されたのでした。

泊まってみたい理想のホテルというのが自分のなかにはありました。
牛や羊を飼っている牧場の宿、山の中の一軒家的宿です。
ありそうでなかなか理想的と合うものは見つかりませんでした。
しかし最後の晩に神様は味方しました。

夕方、小雪の舞う山道を走っていると川にかかる橋がとてもいい具合に弧を描いて、いかにもスコットランドという風情でした。
思わず車を止めて眺め入っていると橋を越えた川辺に一軒の建物があり小さくHOTELとあります。
車をそのまま置いて歩いて建物に近づくとおばさんが出てきたので泊まれるか交渉をしたら大丈夫だとのこと。

その外観が石組みでできた建物は恐らく1800年代あるいはそれ以前のものでしょう。
部屋に通されるとダブルベッドとシングルベッドがあるゴージャスな部屋でした。
案内された階下には居間があって暖炉がパチパチと静かな音をたてており、窓からは脇を流れる川と山の稜線が見えるとてもかんじの良い宿でした。
そこにも先客がひとりいて、彼はここの常連客のサンディという老人でした。

彼はロンドン郊外に住んでいて休みにはここを頻繁に訪れて山歩きとフライフィッシングを愉しみ、暖炉にあたりながらウイスキーを舐めつつ本を読むのだそうです。
絵に描いたようなライフスタイルで悔しくなってしまうほど。

そういえば表にとまっていたレンジローバーは彼のものだったのでしょう。
普段は都会で働き週末にこういったところでノンビリするという英国人エリートの優雅さを垣間見た思いです。
彼の御馳走でスコットランド特産シングルモルトウイスキーをいただきながら話が弾んだのでした。
朝食も食べきれないほどのボリュームで宿泊費全て込みで20ポンドとほぼパーフェクトな宿に思えましたが決定的な欠点がありました。

寝室が寒いのです。

部屋がいたずらに広いせいでしょうか、暖房はほとんど効いていません。
最初に部屋に案内されたときに主人が電気毛布の使い方を説明してくれた理由がやっと分かりました。
その電気毛布も日本の電気毛布のように微妙な温度調節が出来るような洒落たものではなくて「ON」と「OFF」のみ。
このONがこれまた激しくONなのです。
熱くて寝れなくてスイッチを切るのですが、電気毛布を使うことを前提としているためか掛け布団が極薄なのです。
寒くてON熱くてOFF寒くてON熱くてOFF・・・と一晩中繰り返し、大抵の環境では寝れる自信はあったのですがこの日は睡眠不足でした。

わずか6日間でしたが「そうだよなぁ旅ってやっぱり良いもんだよなぁ」と思える充実した旅でした。
もっともっと書きたいことはあるのですがきりがないのでこの辺で切り上げます。
最後にスゲェなぁということがあったのでそれを記してオシマイに。

旅を終えてエジンバラからヨークに向かう列車のなか。
隣には体格のよろしい20代のイギリス人女性が座っていました。
彼女はスックと立ち上がり席を離れて食堂車からインスタントグラタンを買ってきました。

よい香りがあたりにたちこめ、彼女はそれをハフハフ言いながら美味しそうに食べています。
気にせずに車窓から景色を眺めていると、彼女の新たな行動に気付き目をやりました。
彼女は袋の中から炭酸飲料とキットカットをとりだして、キットカットをかじってはグラタンを頬張り炭酸飲料で流し込むというエゲツない食べ方を披露してくれました。
道理で体格がいいのね、とうなずくことしきりでした。