どうして「スバラシキ英国園芸ノススメ」なのか

ちょっと読んで 「あんまり面白くないなぁ」 と思った方。
騙されたと思ってしばしお付き合い下さい。

7年間の英国留学中にしたためたメールは300を越えました。
そしてこれが 「尻上がり的」 に面白くなっていくのです。

当初の初々しい苦学生の姿から、徐々に英国に馴染んでいく様子は100%ノンフィクションのリアルストーリー。

「スバラシキ英国園芸ノススメ」の旅はまだ始まったばかりです。

2011年12月31日土曜日

2000年12月24日 「進展」



まだ100%決定ではないので気が早いのですが、事態に少々進展がありましたのでお知らせします。


植物園にやってきて3ヶ月経ったところで、植物園の統括者と面接があり、その席で「もしよければもう1年ここに残らないか?」という話がありました。


ケンブリッジに来て以来、毎日とても充実していて学ぶことも多く、恵まれた環境であることに本当に自分は果報者だと思っていたので、更にもう一年ここにいさせてくれるというのは夢のような話でした。


一方、ケンブリッジのあとにヨークの学校に戻り、これまでよりもひとつ上級のコースをとって園芸の勉強を完結させたいという気持ちは変わっておらず、学校に相談をしてみると一年延長することは問題ないという返事をもらいました。
よってもう一年ケンブリッジに留まり、その後あらためてヨークに戻るということになりそうです。


となると、日本に帰るのは早くて2003年の秋ということになりますか。


行き当たりばったり人生の真骨頂といったかんじですが、滅多にできる経験ではないのでなんとかやってみようと思います。


現実にはビザの問題をまず解決せねばならず、決して容易な道ではありません。


最悪のシナリオとしてはビザがおりずに植物園の延長を断念しなければならないという場合があります。


まずは事態進展の御報告まで。


2011年12月30日金曜日

2000年12月23日 「クリスマス強化週 初日のことなど」


今日は天皇誕生日。


僕にとってはフツーの土曜日でしたが今日からクリスマスの25日を除いて1月5日までは無休で植物の面倒をみることになります。


これは決してネガティブな意味ではなく、むしろ世間の喧騒をよそに静かで平和な植物園で植物の世話をしながら21世紀を迎えるというのはシアワセなことです。


今日は通常通りまだ薄暗い午前8時から温室で水をやって、廊下の掃き掃除をしたり、森の小道を歩きやすいように整備したり、排水溝にたまった落ち葉を取り除いたり、斧で薪をわったりして、少々早めの14時に仕事を終えました。


その足で市民プールでゆっくり泳いで、それからクリスマスショッピングのため街に繰り出しました。
とはいってもそんなに大袈裟な買物ではなく、単に夕食の食材を買いにいっただけなのですが。


マーケットにてムール貝が目に留まったので買ってしまいました。


1キロで3ポンド。


一人ではとても一度に食べられる量ではないためふたつに分けて今日はネギ、生クリーム、ニンニク、バターで軽く煮込んで、明日はシンプルに白ワイン蒸しにするつもりです。
楽しみ。


最近は毎週土曜日は朝7:30に近所で新聞を買って、パン屋でクロワッサンを買うというのが決まりになっています。


このパン屋でクロワッサンが焼きあがるのが決まって7:30なのでその焼きたてを狙って行くわけです。
さすがに毎日ですとカロリー過多なので週に1回のお楽しみにしています。


パン屋のおばさんも毎週辺りも暗いうちから新聞片手にクロワッサン2個を買っていく僕のことをすぐに覚えてくれて、最近は「おはよう」と挨拶すると黙ってクロワッサンを2個袋に入れてくれるようになりました。


土曜日の新聞というのはお値段が平日の2倍の60ペンスしますが、とても充実していて本紙、旅行、金融、週末、テレビガイド、小雑誌などがついてきます。
これを一週間かけてノンビリ読むと丁度良いのです。


植物園の友人達に聞くとクリスマスは基本的には自宅で家族とノンビリ過ごすのだそうですが、だいたいテレビでクリスマス特番を見ながらゴロゴロするのが常だとのこと。


日本で紅白歌合戦を見たり、駅伝、サッカー、かくし芸などの特番を見ながらゴロゴロするのと変わらないということのようです。


新聞の付録のテレビガイドを見るととにかく映画が多いのに気付きます。
おもだったところで「LAコンフィデンシャル」「インディペンデンスデイ」「101匹わんちゃん」「タイタニック」「ダイヤルMを回せ」「007三ダーボール作戦」「フェイスオフ」「サイコ」と目白押しで、皆さんこういったテレビを見ながら七面鳥やクリスマスプディングを食べて大きいカラダをさらに大きくさせる計画なのだなと想像します。


僕もテレビガイドに赤ペンでマークをして準備に余念がありませんが。


明日はクリスマスイブ。
ケンブリッジ大学のキングスカレッジは教会音楽がととても素晴らしいと聞きます。


なかなか難しいとは思うのですが、せっかく近所ですのでダメもとで教会に行ってクリスマスキャロルが聴けないものか試してみようと思います。

2011年12月29日木曜日

2000年12月21日 「年の瀬」



今日は冬至でした。
外が明るくなるのも遅かったですし、暗くなるのも早かったです。


でも明日からは少しづつ日が延びていくのかと思うとなんとなく嬉しいものです。


さて植物園は来週のクリスマスを控え休暇を取る人が増えてきました。


来週はほとんど誰もいなくなるくらい最低限のスタッフで水遣りなどの最低限の仕事をすることになります。


僕はとくに帰省する家があるわけでもなく、家族がいるわけでもないのでクリスマスから正月にかけての出勤を志願しました。


この期間は本当にノンビリしたもので、加えて特別手当もつくのでやらないテはないと思います。


スタッフには「今年も終わりだから」「クリスマスだから」となんとも怠惰なムードが広がっていて、それを咎める人もおらず、お昼時は近所のパブに行って皆で昼食をとるようになりました。


スープ、パン、サンドイッチ、ジャガイモなどシンプルなものですが、そこにビールを注文します。


年末に蕎麦屋にいくとスーツを着たサラリーマンが赤い顔をして昼間から打ち上げをしているようなものでしょうか。


こちらの人たちはお酒に強いためか顔色も変えずさりげなく「ウン、もう一杯ネ」と美味しそうに飲んでいます。
僕も美味しそうに飲むことに関しては負けていないと思うのですが、顔にすぐでてしまうのでちょっと気恥ずかしいのです。


寒い中でのアルコールは身体が暖まって良いな、と思ったもののトイレが近くて困ったものです。


もう今年も終わりかぁ、などと特に意味もなくため息が出てきます。


そんなわけで今年も残り10日となりました。


どうぞお元気で。

2011年12月28日水曜日

2000年12月15日 「飲み会 in ロンドン」



火曜日は植物園を休んでケンブリッジ大学とオックスフォード大学の試合をロンドン郊外まで見にいってきました。


平日の午後2時にキックオフということで、一体誰を観客として想定しているのか?はやり両大学の学生か?といぶかしく思っていました。


ロンドンのウォタールー駅から乗った電車には学生のみならず働き盛りのおじさん達も結構な数混じっていたりして「お仕事は大丈夫ですか?」と尋ねたくなるほどでした。


イングランドラグビーの聖地トイッケナムへは今回が初めてで、その荘厳さにただ圧倒され感動しました。


両校の選手が手入れの行き届いたグランドに入場し、イングランド国歌が流れたときは日本人でありながらもジーンときてしまいました。


試合そのものは学生の試合なのでインターナショナルレベルには及ばないのですが、独特の雰囲気は大いに楽しめました。


最近は暇があればケンブリッジ大学のグラウンドで試合を見ていましたので、ケンブリッジを応援して盛り上がりました。


試合前にスタジアム横のショップでレプリカジャージを買いました。
ケンブリッジのものを買うのがスジですが、水色と白のストライプであまりカッコ良くないので、紺色で王冠が胸に輝くオックスフォードのジャージを買ってしまったのは御愛嬌です。
これを着てケンブリッジの街を歩くのはやや抵抗がありますが。


銀行時代の同期で仲の良い友人がロンドン支店にいるので、試合のあと折角ロンドンまで来たので会わないか、と声を掛けておいたところ、丁度東京から他の同期が出張できているのでついでに同期会をしようということになりました。


ピカデリー近辺の中華料理店で総勢7名の同期会が開催され、ずうずうしくも参加してきてしまいました。


皆パリッとしたスーツを着ているのですが、僕だけジーパン、フリース、リュックサック、ひげ面の山男風情で少々肩身が狭かったです。


中華料理なぞ食べるのは本当に久し振りで、あまりの美味しさに聞き役に徹しパクパクと食べました。


一人が「ここは結構安いんだよ。大体30~40ポンドでこれだけ出るんだから。」というのを耳にして一気に心拍数が上がりました。


普段40ポンドの食事などしたことがありません。
つい最近あった食別宴のクリスマスパーティーのコースディナーですら18ポンドでしたし。
飲みに行って食べてもせいぜい15ポンド以内でしょうか。


でも冷静に日本円に換算すればざっと7000円くらいですから、日本でちょっと飲みにいって「ハイ、一万円オールで」なんていっていた感覚でいえば安いのでしょうが、この一年半でワタクシの金銭感覚は限りなく英国人に近づいているのだなと感じました。


思えばサラリーマンのころはその辺のこだわりがなさ過ぎでしたので、これは自分にとっては良かったなと思います。


ありきたりの言い方ですが「お金の有難み」とでも言いましょうか。
1ポンド、いえ10ペンスにこだわった今のこの生活がいつか役に立つ日が来るのではないか、などと勝手に思っています。


銀行を辞めて2年経とうというのにこういった場に誘ってくれるというのは本当に有難いとしみじみ思います。


そんな師走の飲み会inロンドンでした。

2011年12月27日火曜日

2000年12月10日 「師走」



早いもので2000年も残り20日間となりました。
暮れの仕事の追い込み、そして忘年会とお忙しくされていることと思います。


当方は特に変わったこともなく平穏に植物園と家を往復する毎日を過ごしています。


世間的にはクリスマスでして、ラジオではクリスマスソングが流れ、街はクリスマスショッピングをする人で活気に溢れています。


普段日曜は休業をうたう店もどうやら12月に限って開けるところもあるようです。
街には電飾、大小のクリスマスツリーが飾られていますが、それほどたいしたものではありません。


この週末にアパートの隣室のビル君が「車で買物に行くけど一緒に来るかい?」と誘ってくれたので渡りに舟とばかりについていきました。
彼と行くのは街のはずれにある大きなスーパーマーケットで、車であればビールのまとめ買いなどもできるので助かります。


「オモシロイもの見せるよ。」と言って帰り道にちょっと寄り道して見せてくれたのが300メートル離れた先からでも認識できるほどド派手な電飾で家と庭をうずめた「全身メリークリスマス」なオメデタイお家でした。


しかもその配色が何やらヒンズー教のお祭を髣髴させるようなもので、見ているこちらが照れてしまうほど派手なもの。


ビルが「電気代が相当かかるだろうなぁ」とボソッと口にしたのですが妙に頷けました。


そのビルが「クリマスはどうするの?」というので、「ン、別に。普段通り植物園かな。」と答えると、
「我らのアパートには8人が住んでいるけどクリスマスにアパートにいるのはオマエだけになるぞ。よければオレの実家に来てノンビリ過ごしてもいいのヨ。」
と有難い申し出をしてくれました。


実は有難いことに僕が一人寂しくクリスマスを迎えることを心配してくれてクリスマスに来ないかと声を掛けてくれている英国人が現時点でビルを含めて7人もいて、思わぬ「タテバヤシ人気」にどうしたものかと思っていたところだったのです。


折角のクリスマスというスペシャルな時期のお誘いなのでお断りするのも悪いし、かといってカラダはひとつだし。
有難いことです。


一人でクリスマスを過ごす場合にはいつもより上等な肉を買って、いつもより上等なワインをあけて、英国らしくクリスマスプディングなんか食べちゃって、とにかくちょっと贅沢をしていつもより「上等な」気分を満喫すればいいかなという計画でした。
それでも充分シアワセかな、と。


来週はイベントが盛沢山で、火曜日にヴァーシティマッチといってケンブリッジ大学対オックスフォード大学のラグビーの試合がロンドン郊外のイングランドラグビーの聖地、トィッケナムであるので植物園を休んで見にいきます。


金曜日仕事が終ってからはヨークの学校にいって友人達と飲もうという段取りになっており、レンタカーを飛ばして遠路遥々飲みにいってきます。


当然フィッシュアンドチップスを満腹食べることも目的のひとつです。


そんな師走模様です。
どうぞ風邪などひかれませんように。

2011年12月19日月曜日

2000年11月23日 「会議紛糾」



今日植物園で午前中のお茶の時間のあとに所属セクションの打ち合わせがあるとのことでメンバー6人が残りました。


議題は「新植物園構想について」。


なにやら大袈裟ですが、来る2007年を目処に新管理棟を建て、そこに総合的植物園の英知を結集するという構想があり、これをリーダー会議で話し合ってきてそれを我々下々のスタッフに知らせるのが主な内容でした。


はっきり申し上げて2007年には僕ら1年契約のトレーニーはこの植物園にいるはずもないのですが、それでも味噌っかす扱いせずにちゃんと輪に入れてくれるというのは有難いことです。


続いて議題は現在の当セクションの問題点に移りました。


そのセクションは「草本セクション」と「分類花壇セクション」に二分され、前者はドイツ人女性アン、後者はイギリス人男性ジョンがリーダーです。
そして我々下々のものがそのどちらで働くかは明確な色分けがされていないため、その日によってアンとジョンが話し合ってそれぞれの作業内容に応じて二人の間をいったりきたりしているというわけです。


アン、ジョンどちらが上ということもなく並列な関係であるため、意志伝達経路がバラバラでお互いに不具合があるようでした。


ときとして彼らをすっ飛ばして植物園の責任者じきじきに我々に指示が飛んできたりして話は更にややこしくなります。
アンもジョンもコミュニケーションがうまくとれないことと、仕事に追われている感があってストレスを感じているようでした。


話が盛り上がってきてついにアンとジョンがお互いの仕事の進め方に不満を言い始めて、一気に緊迫した雰囲気になってきました。
とはいってもお互い罵倒しあうというものではなく、言いたいことを主張するといった印象で、熱くなっているようで結構冷静だったりします。


ジョンが「その仕事はオレの給料の中には含まれていない。」「オレの担当の仕事ではないから興味がない。」とズバズバ言うのを横で聞いていてこっちがちょっとハラハラしてしまいました。


僕は腕組をして「ウム、ウム」「ウーム」などとお互いの顔を交互に見てはうなずいて日和見主義的な態度でしたが、
「日本人って黙って聞いているだけで何を考えているのだか。」
と思われるのもシャクだったので、
「お互いの仕事を週単位で書き出して、そのためには道具と人手がそれぞれどれだけ必要で所要時間はどれくらいだという見通しをチャンと立てて、それをお互い交換したらどうですかね。そしてそれを植物園の責任者にもあらかじめ渡しておいてよっぽどの急用でない限り彼からの突発的な仕事を極力排除するというのはどうですかね。」
と言うと妙に感心され、しばらくそれを試してみようということになったようでした。


彼らの間を行き来しているものとしては普段から「結構行き当たりばったりだなぁ」と思っていたので、当然といえば当然の提案ではありましたが。


日本式の打ち合わせしか経験がなかった自分としてはなかなか興味深いミーティングでした。

2011年12月14日水曜日

2000年11月20日 「キリスト」


土曜日の昼過ぎに普段はほとんど鳴ることのない電話が鳴りました。



「もしもしマサヤ?エリザベスだけど。明日ヒマ?良ければお昼ご飯を食べにこない?」と電話口の女性は言います。


「誰?エリザベスって??」と基本的かつとても重要な疑問がわきました。
ケンブリッジにエリザベスなんて知り合いはいません。


よくよく話を聞くと以前ヨークでニコルという女の子を介して会ったことのある人のようでした。
でもあまり記憶が定かではありません。


ニコルはスコットランド出身の奔放な女の子でヨークの学校で一緒でした。
僕がケンブリッジの植物園にいると知ると、知り合いがいるからと言って以前尋ねてきたことがあります。
そのとき彼女が泊まっていたのがこのエリザベスの家でした。
彼女らは同じ宗派の教会での知り合いらしく、言い換えればそれだけの関係のようでした。


ニコルがケンブリッジに来たときにエリザベスの家に招かれて食事もしたのですが、もはやすっかりそんなことは記憶にありません。


で、今回のお誘い。


しかも仲介役のニコルはいません。
電話を切ったあと一人悩みました。
そんなに親しいというわけでもないし、どういった会話をすればいいのか。


そもそもエリザベスって名前すらすぐに思い出せなかったのに、彼女の家族の名前は全く忘却の彼方です。


「今日は御招待いただきありがとうございます。で、アナタのお名前は?」などと聞けるはずもなく、かといって名前を呼ばないのはもっと失礼だし。


結局ニコルに連絡をとって、家族の名前を予習して彼女の家に向かいました。


しかし、一度会っただけの怪しげな東洋人を自宅に招くというその意図は何処にあるのだろうと考えをめぐらせました。


疑ってはいけませんが、映画「ミザリー」のように気が付いたら縛られてなどと考えないでもありませんでした。


ちょっと重要なのがその日が日曜日であり、お昼ということはサンデーランチであるという部分です。


伝統的な英国の家庭では日曜日は安息日でいつもよりもゆっくり朝寝して、軽い朝食のあと教会におもむき礼拝をして、帰宅後遅めの盛大な昼食をとり、家族でゆっくり団欒して夕食はホンの軽めにというのが典型的かつ伝統的な過ごし方です。


このサンデーランチのもつ意味合いはとても大きく、家族水入らずなのが基本と聞いたことがありましたので僕のような人間が行って本当にいいのかと再び不安になりました。


英国名物であるローストビーフ、ローストラム、ローストポークなどのロースト料理が振舞われるのは一般に週に1回この日曜日のお昼だけです。


その特別な状況を考えれば考えるほど不安と緊張が煽られるばかり。
手ぶらで行くわけにもいかず、とはいってもランチでアルコールというのもどうかと思案して手土産の定番であるワインを断念し、お菓子屋でトフィーというキャラメルのようなお菓子を購入して意を決して雨の中自転車を走らせました。


ずぶぬれになった僕をとても親切に迎えてくれて、タオルで身体を拭いているともう一人のゲストだというロンが現れました。「ヨカッタ、一人じゃなくて」とホッとして自己紹介するとロンも教会での知り合いだとのことでした。


ほどなくサンデーランチの準備が整い、皆でダイニングルームに着席し食事前にクリスチャンらしくお祈りがありました。


家長であるレオンがお祈りを捧げるのですが声が低くボソボソ言うので聞き取れません。
最後に「アーメン」と唱和して食事が始まりました。


ローストポークと温野菜の付け合せで、デザートにリンゴのクラムブルとアイスクリームという英国人にしてはアッサリとしたシンプルなものでしたがとても美味しかったです。


食事中は「どうしてこの国にきたのか」「何を今しているのか」「これからどうするのか」といった定番の質問に答えながらいろんな話をしていると、普段独りで黙々と食事をしているせいか、どことなく満ちた気分になっていきました。


そしてついにくるだろうなと予想しつつも恐れていた宗教の話題に。


僕はまったくの無宗教な無責任な男でして「どう思う?」「日本はどうなの?」なんて話を向けられると「ンー、日本は基本的には、アー、仏教国ですが、ウー、そのなんと申しますか物質主義と申しますか、ソノー、今の若い人のあいだでは・・・」などとシドロモドロもいいところで、改めてこの無宗教感覚というか無教養な自分を恥ずかしく思うのでした。


話が弾んで三時間ほどがアッという間に過ぎ、ロンが「そろそろ夕方の礼拝に行かねば。」といってお開きとなったのでした。


ケンブリッジはヨークに比べると都会で行き交う人々はどことなく冷たい印象をもっていたのですが、キリスト教の博愛精神のもと新たな友好の輪が広まったことはなんとも有難いことだと思います。


そんなサンデーの午後でした。


2011年11月28日月曜日

2000年11月19日 「夢」



平和な週末を過ごしています。

整理整頓、掃除、洗濯などをこなし、テレビにてイングランドvsオーストラリアのラグビーの試合を観戦し、借りてきたビデオを鑑賞し、アルコールを嗜んで・・・とリラックスしております。

金曜日の深夜というか土曜日の早朝はしし座流星群が見れるとのことで、午前3時に目覚ましをセットして植物園に出掛けました。

街中は街灯が明るいので植物園のなかならよく見えるかなという魂胆でした。

結果は月が明るすぎたことと、曇りがちだったために期待したほどは見えませんでしたが、それでも約1時間のあいだに30個以上見えたでしょうか。

こちらではそれほどしし座流星群などと騒いではおらず、ラジオや新聞でちょっと触れる程度で、朝3時に口を開けて空を見上げている不審者は僕くらいのようでした。

寒さもありアパートに足早に戻り2度寝をきめたのですが、そのときに夢をみました。

植物園の花壇をの手入れをしていると手入れをしたばかりの場所に金髪で3歳くらいの子供が踏み入れてきました。
僕はその子供の横にいた金髪のお母さんに「あのー、すみませんけど花壇に入らないでくださいませんか。」と遠慮がちに注意するというもの。

それだけの夢です。

しかし金髪のお母さんには英語ではなく、しっかり日本語で注意していました。

英語で夢をみるなんてことは、それこそ「夢」ってかんじでしょうか。

2011年11月16日水曜日

2000年11月11日 「自転車」


あれよあれよと日が短くなって現在は日の出7:12、日の入16:17となりました。
12月21日の冬至に向けてさらに日は短くなっていきます。

こうなると植物園から家路につくころは暗くて、自転車に乗るときにはライトが不可欠となります。

この国の自転車事情というのも日本のそれとはかなり異なっていると感じます。

まず自転車の扱いと申しますか、立場はあくまでも自動車同様、車両だということが徹底されています。

よって自転車は車道をはしるのが原則で、車道には丁寧に自転車用のレーンがひいてある場合が多いです。

当たり前といってしまえばそれまでですが、皆さん信号もキッチリ守っています。
赤でも車が来なけりゃ行け行けとやっていた僕の感覚からすると皆とても優等生で、何もそこまでやらなくてもというくらいジッと青になるのを待っています。

信号を待つその人をよく見ると頭にはヘルメット、身体には蛍光反射テープのタスキをかけています。

これはどうやら任意のようですが、かなりの人がそんな格好をして自転車に乗っています。

自転車で左折、右折時にはキッチリと曲がりたい方向に腕をまっすぐ伸ばして方向指示します。
そして夜間にこの方向指示をより確実なものにするため、両手首に蛍光反射テープを巻いている人もいます。

夜間自転車の前方にはライト、後方には赤い尾灯をつけるのは義務であり、違反の場合は罰金があるらしく、例外なく皆ピカピカしています。

日本でよく見かける無灯火、二人乗りはまずこの国では見かけません。

郷に入れば郷にしたがえ。
そんなわけでいつしか僕も「ここは左ダッ」というときにはシャキーンと左手を水平に伸ばしアピールに努めるようになりました。

ほんのちょっとだけそこに見える郵便ポストまで歩道を自転車で逆走したときの「ナニ、この東洋人はまったく。危ないわねー。」という冷たくてスルドイ視線を忘れることができません。

ケンブリッジという街は英国内でもオックスフォードと並んで自転車で有名な街で、自転車屋の数も他の街に比べると圧倒的に多いですし、皆自転車で街を行き交っています。

それにはちょっとした理由があるのかなと想像します。
朝、夕の自動車による市内の渋滞が激しくてラッシュ時にはニッチモサッチもいかなくなるので、できる限り自転車をつかって渋滞を避けようとしているのではないかと。

そして学生の街ですのでコストの安い自転車がポピュラーなのではないかと思う次第です。

自転車の盗難も異常に多いようで、「そんな大袈裟な・・・」と呆れるほど頑丈な鍵をしている人をよく見かけます。

植物園の自転車好きの若手スタッフのマークは「この自転車はアルミフレームで10キロ切ってるのヨ。」と自慢していましたが、その鍵が3キロもあって何のための軽量化なのかと思うと笑ってしまいます。

余談ですが彼の自転車は前方に強力なライトを装備しており、そのライトのためのバッテリーが数キロあるという重さで、せっかくのアルミフレームが泣きます。

僕が現在乗っている自転車はヨークのクラスメイトがホレッとくれたものでボロボロのヨレヨレ自転車です。

サドルは裂け、あちこちに錆が浮き、油不足のためか「キーコキーコ」と神経にさわる音がしますが、僕はこれでちょうど良かったかなと思っています。

良い自転車を買ってもすぐに盗られてしまうのが関の山ですし、アパートの駐輪場は雨ざらしですから。
このボロを狙う輩はそうそういないと思われます。

そんなわけで無いと相当不便するケンブリッジ自転車事情についてお知らせしました。



2011年11月11日金曜日

2000年11月04日 「洪水」



御存知でしたでしょうか。

現在当地は1947年以来の水害に見舞われております。
しかも最大の被害がでているのがなんとヨークです。

先月末から雨が多く風も強く「オオッ、荒れてる荒れてる」とは思っていましたが、そのときの洪水被害はヨークのようなイングランド北部ではなくケント、エセックスといった南部でした。
ロンドンにいる銀行員時代の友人によると、出張のときに乗った飛行機の窓から見えた景色はニュースでの報道通り一面水浸しだったらしいです。
そして降り続ける雨が今度は北部に及び、もともと水はけのよくない土地にもってきての大雨で大被害を巻き起こしたということのようです。

昨日ヨークの学校に電話をしてみましたが、学校には被害はでていないらしいですがヨークの街の中心地はカヌーやカヤックが大活躍しているのだとか。

地元ニュースはもちろん、CNNのワールドニュースでもかなり大きく取り上げられています。

ところが日本のメディアに目を向けてみるとほとんど触れられておらず、改めてお互いの温度差というか「遠い国同士なのね」と感じてしまいました。

今日土曜日は快晴なのですが明日は再び大雨の予報がでていて、イングランド北部は戦々恐々としています。

僕が現在いるケンブリッジはさほど深刻な被害はでておらず平和なものですが、もし洪水があったら僕の部屋は1階で、道路とほぼ同じ高さにあるので一発でアウトだと思われます。

日本は小春日和の平和な3連休かと思います。

僕は風邪を完治させるべくこの週末はおとなしくしているつもりです。

では、また。



2011年11月5日土曜日

2000年11月03日 「風邪をひきました」



風邪を引きました。

大したことはないのですが。

最近植物園でははやっていて、順番に風邪をひいているようなかんじです。

しかし、僕の場合は流行にながされたというよりも今週から本格的に通いだしたプールが原因ではないかと思っています。

先週ようやく「ケンブリッジ市民カード・学生版」というものをつくりました。
これによりプールが格安で利用できるというので一ヶ月の定期を購入して毎日通うことにしました。
定期は通常5000円しますが、このカードを使って購入すると1800円になります。

スバラシイ。

最近は暗くなるのも早くて夜間ジョギングするのは安全上やや問題もあるし寒さでケガのリスクも増えるのですが、プールはそれらの問題点をみごとにクリアしています。
植物園のスタッフには一時間の昼休みをつかって泳ぎに行く輩もいるほどです。

昨晩はケンブリッジ郊外に住む英国人の知人宅に招かれ夕食を御馳走になりました。
そこである決定的なことに気付きました。

彼の家はとても暖かいのです。

というか僕のアパートの部屋が異常に寒いのです。

以前書いたかもしれませんが当アパートにはセントラルヒーティングシステムがなくて電気ラジエーターで暖をとることになっています。電気代をケチるあまり、なかなかスイッチを入れないためいつも底冷えのする部屋となっています。

ささやかな自己防衛策として寝袋を買ってそれを膝掛けにしたりしていました。

この前スーパーマーケットで電子レンジで暖めるゴムの湯たんぽを発見して即購入しました。
英国人の友人によると通常3000円くらいするものらしく、1200円ほどで手に入れた僕は相当得意でした。

この湯たんぽは厚いゴムの密閉された容器のなかに謎の液体が入っていて、これを丸ごと電子レンジに入れて2分ほどチンすると出来上がりというシロモノです。

あとはやけどしないように専用のキルトの袋にいれて使います。

あるときは膝の上に、あるときは布団にしのばせ、「これでこの冬は乗り切ったも同然なのダ!」と高笑いしていたのに、他人様のおウチはこんなにも暖かいのか、と思うと自分のしょうもない苦労がとても虚しいものに思えてきてしまいました。

もうひとつの我が部屋の大きな欠陥があります。
それは換気扇がないことです。料理は大いに楽しむものの、キッチンがあるわけでもなくて部屋の隅にオーブンレンジがあるといった程度のもので本格的に料理をすることを前提としていません。

換気扇がなくて料理をすれば当然全てのニオイが部屋中に充満します。
布団も服も全て燻製になってしまいます。

仕方なく料理中窓を開けるのですが、冬の冷たい空気が容赦なく入り込んできてしまうので、そこそこの換気を終えると窓を閉めます。
また部屋の温度が下がります。

洗濯物は北向きである我が部屋の中に干しているのですが、脱水機のパワー不足なのかキッチリ絞れていないようで、ときおり一週間かけて部屋に干してあることもあります。

日中の外出時に窓を開け放していくわけにもいかず、かといって中庭にも天候が不順すぎてアテにならず安心して干していけません。

この前洗ったばかりのシャツの袖に手を通したところ「なんか臭うゾ」とクンクンとシャツのニオイを嗅いでみると、いろんな料理のニオイが混ざった不思議なニオイがしてガックリしてしまいました。

これにはちょっと悲しくなり、冬場のみ近所のコインランドリーの乾燥機を使おうと考え方を改めた次第です。

節約も過ぎて風邪を引いたり、燻製シャツを着たりというのは方向性を完全に見誤っており、今後は改善を図っていきたいと思っています。

そんな11月の日々です。
日本は文化の日でしょうか。
どうぞ3連休お楽しみください。

2011年10月30日日曜日

2000年10月30日 「サマータイムさようなら」


昨年もサマータイム終了時にメールを書いた気がするのですが、早いものでもう一年経つのですね。

昨年の今頃は学校の1週間の中休みで、ケンブリッジの友人を訪ねたついでにこの植物園を見学したのですが、まさかその一年後にその植物園で研修生になろうとは想像だにしていませんでした。
人生の不思議を感じてしまいます。

そんなわけで本日未明にサマータイムが終了しました。
サマータイムという制度が日本にはないため、昨年は随分戸惑いましたが今年は少し慣れてきて落ち着いていつもより1時間ゆっくり眠りました。

とはいってもそれを見越して1時間夜更かしをしてしまったので差し引きトントンですが。

最近は日の出7:45、日の入17:40とかなり日が短くなってきました。

この調子で冬至にむけて日が短くなると、子供たちが朝登校するときには辺りはまだ暗いという状況になり安全上問題があるとのことでサマータイムで調整すると聞いたことがあります。

そんなわけで日本との時差がこれまでの8時間から9時間になります。

がぜん冬の様相を呈してきて、暗く、寒い鬱陶しい季節となります。



植物園内の紅葉も日に日に彩りを増して、外で一日を過ごす醍醐味を味わっています。

本日は日曜日でしたが植物園では「アップルデー」という恒例のイベントがあってその手伝をしていました。

リンゴにちなんだ料理、ジュース、お酒の紹介、関連書籍の販売、リンゴ試食、リンゴの分類などリンゴづくしです。

イギリス人にとってリンゴはとても身近な果物のようで、いろんな場面でリンゴにかじりついているイギリス人を見かけます。

お弁当にもリンゴを持ってきたり、ポケットにも忍ばせているようです。
これはイギリスのリンゴがテニスボールもしくはそれ以下のサイズなのでなせる業で、日本のリンゴのように大きなリンゴはあまりお目にかかりません。

この悪天候にもかかわらず、かなりの人出があったというのも彼らのリンゴに対する愛情が偲ばれます。
僕は本の販売を手伝ったり、リンゴの袋詰めをしたりしていました。

昨日ケンブリッジにきて以来、初めて映画を見に行きました。

Billy Elliotという映画ですが、これはなかなか面白かったです。

イングランド北部の炭鉱町が舞台で映画全編でイングランド北部訛りの英語が話されていました。
ヨークもこれに近い訛りがあるのですが、典型的なアメリカハリウッド映画と比べると英語と米語ってこんなに違うのか、と分かることうけあいです。

この映画は全英映画ランキングではここしばらくトップを走っていますし、実際面白かったです。

映画に出てくる景色も典型的イングランド北部の労働者の住む街並みで、「イギリスってお庭がキレイなんでしょ」という方にはイングランドの一面を見る良い機会かもしれません。

いよいよ10月も終了。

どうぞお元気で。



2011年10月24日月曜日

2000年10月25日 「最近」



気付いてみれば10月も後半に突入して秋たけなわです。
お元気でお過ごしでしょうか。

僕もケンブリッジ生活に慣れてそれなりのリズムができてきました。

朝が早く、身体も使うので早めの就寝を心がけてとても規則正しい生活です。

料理も相変わらず楽しくて仕方ないのですが、冷静に考えるとちょっと食に時間をかけ過ぎているような気がして「学生らしい時間配分とその有効活用」という見地からちょっと改善しなければと思っています。

10月から習い事を始めました。
ケンブリッジはやはりアカデミックな街なのでしょう。
大学の夜間講座がかなり充実していて、僕はその中から「ボタニカル・イラストレーション」という、植物を写実的に細かく正確に描くという全20回のコースを受講することにしました。
毎週火曜日19:15-21:15です。

ここでちょっとカチンときてしまうのは、自分ではなかなか上手く描けているじゃないのと思っていても講師が回ってきて「大丈夫、気にしなくていいのよ。20週ちゃんと受講すれば必ず上達するから・・・」と慰められてしまうことです。

べつに慰められるような絵は描いていないと思うのに、ちょっと腹立たしいです。

今週末にはサマータイムが終了して再び寒くて暗い冬がやってきます。

2011年10月17日月曜日

2000年10月18日 「ハチとモンゴル人」



唐突な題名ですが雑談をふたつ。

最近は毎日セクションのリーダーから「今日の植物」と称して植物を分類してその名前を覚えるというトレーニングをしています。
というか、やらされています。

彼は本当に博識で僕の知識の無さを嘆いて、というか心配してくれて愛情をもってこういったトレーニングを課してくれているわけです。

昨日は大きな針葉樹の絡みついた植物をさして「明日までに分類して正確な名前を学名で答えろ」と言われて、その植物を切って持ち帰り調べようとしました。

剪定ハサミで切れば問題なかったのですが、ちょうどハサミをロッカーに置いてきてしまったので持ち合わせず、手でちぎろうとムンズとその植物を掴んで引っぱりました。

するとモノスゴイ激痛が左中指に走りました。

大きなトゲが刺さったのかと思って慌てて握った葉を放して指を見てみると大きなハチがまだ指にとまっていました。

トゲではなくハチに刺されたのです。

一人でのたうち回っているとリーダーである彼が「そりゃハチじゃない、WASPだ。ハッハッハッ。じゃぁまた明日ね。」と自転車で家に帰りがけに声をかけていきました。

WASPってスズメバチってこと?!園芸の道がまだ浅いひよっこの僕はこれまでケムシには刺されたことはあってもハチはまだ経験したことがありませんでした。

トゲに刺されたような、指を切ったような、火傷をしたような刺激的な痛みがジンジンと続きます。
指の毒を吸いだしつつ、恨めしげにその植物をよく見るとおびただしい数のハチがブンブンたかっています。

気付かなかったとはいえ、よくもこんなものを掴んだものだと我ながら感心してしまいました。
リーダーは「失敗から学ぶのダッ」と言って去っていったのですが、これは失敗じゃぁないよなと指を吸いつつ心の中で彼に反論していました。


そして次はモンゴル人のお話。

なにかと申しますと植物園に出入りしているボランティアのおばさんと話をしていたら「アナタはどこから来たの?」と聞くので「東京ですよ」と言うと「あなたはモンゴル人?」とトンチンカンなことを言います。

「東京って言ってんでしょっ!」
と思いつつもやんわりと
「いいえ、日本人ですよ。」
とスマイルで返すと
「アナタは日本人には見えないわ。私はちょっと興味があっていろんな国の人の特徴を研究しているんだけど、アナタはもっと北の大陸の人よ。同じ東洋人でも地域によって人は違うものなの。アナタは背の高さや体格、頭のカタチ(?!)が日本人じゃぁないわ。モンゴル人よ。」
と人の気にしていることも省みずズケズケと言いたい放題です。

「モンゴル人ですかぁ。言われたことないんスけどねぇ、これまで。」
と言うと、
「アラッ、褒めたのよ。」
ですって。

実は自分って大陸っぽいかもって少しだけ思ったことはあったので、まさかそんなことを初対面のおばさんに言われるなんてちょっとドキッとした次第です。

2011年10月13日木曜日

2000年10月16日 「修了式」


14日は植物園を休んで日帰りでヨークに出掛けていました。
なんでこんな時期に?というほどタイミングがずれていますが、修了式があったのです。

一ヵ月半振りに訪れたヨークは、やはり良いところでした。

人の多さもほどほどで、なぜかしらホッとします。
ヨークの駅から学校まではいつものようにバスに乗って行ったのですが、街を離れるほどに見慣れた田園風景が目の前に広がっていきます。

「良いねぇ。とっても良い。」と胸のなかでつぶやきながら景色に胸を躍らせていました。

時間には余裕をもってヨークに着いていたため、雑事をいくつかこなしたあとにどうしてもヨークでしておきたいことを。

そうです、なんとしてもここヨークで好物のフィッシュアンドチップスを食べておきたかったのです。
ケンブリッジでも何回か試しましたが揚げたてではなかったりと、どれもこれも期待はずれでしたのでなにはなくともフィッシュアンドチップスと決めていました。

魚にコロモをつけて揚げるという至極簡単なことが、同じ英国内でかくも味がことなるのだというのは本当に不思議です。

塩、ヴィネガーをいつもより多めに振って小雨の中をハフハフかじりつきながら歩きました。

学校の講堂の前にはすでに何人かの友人達が集まっていて、近況を報告しあってキャンパスを歩いてまわりました。

自分の丹精込めた畑はすでに今年の生徒に引き継がれ、昨年自分がしたように全てが取り除かれて肥料を鋤き込みつつ耕されている最中でした。

式は14:30から始まり、校長の長い祝辞のあとにひとりひとり修了証を貰います。

その後に賞の授与があり、僕は「ベスト・花畑」ということで賞状、トロフィー、図書券を頂戴しました。

これは本当に嬉しかったです。

カップは甲子園の優勝旗のように一年後に学校に返還しなければなりませんが「1999-2000 MASAYA TATEBAYASHI」とシッカリ刻まれています。
誕生日に約2リットルのビールをイッキ飲みして楯に名前を刻まれたことがあるのですが、それとは重みが違います。
英国に名前を残したような気になりました。

式のあとは英国らしく講堂で紅茶とビスケットが振舞われて世話になった先生やスタッフと談笑してアッという間に時間が過ぎたのでした。

式のあと寮で隣の部屋同士でクラスも同じだったロブ君とパブに行き、お互いの健闘を称えて帰りの電車までの90分間ハイペースで祝杯をあげました。


電車の時間の30分前にパブを出て向かったのはまたしてもフィッシュアンドチップス屋でした。
これまでに1日に2回食べたことはありませんでしたが、当分これが食べられないのだなと思って迷わず注文しました。
駅に向かい歩きながらハフハフと食べたのですが、正直食傷気味ではありましたがそれでも美味しく完食して電車に乗り込んだのでした。


そんな、ヨークってやっぱり良いところと実感できる一日でした。

2011年10月3日月曜日

2000年10月08日 「寝袋」



昨日は珍しく一日中雨が降って気温も上がらず寒い土曜日でした。
そんな中「ケンブリッジに行く用事があるので会わないか?」といってヨークの友人2人が訪ねてきたので、一緒に昼食をとって楽しいひとときを過ごしました。

午前中は食糧の買出しに出かけたついでにアウトドアショップで寝袋を買いました。

流行りのマミー型ではなく封筒型のもので、

1.ジッパーを全開にすると掛け布団になる
2.もうひとつの寝袋のジッパーとジョイントすれば二人くっついて寝られる
3.来客があった場合、泊めてあげられる
4.あちこち安上がりに旅行できる
5.レンタカーで旅行しても車の中で寝ようと思えば寝られる
6.部屋が寒い場合、とりあえず暖がとれる

など、それはそれはメリット満載の一品です。
ふたつの寝袋をジョイントして誰と一緒に寝るのかなんてことは気にしないように。

僕の部屋のベッドは備品として既にあったもので、マットレスはかなりへたっていました。

いまだに腰の具合がおもわしくなくて眠れないこともまれにあって、昨晩試しに部屋の床に寝袋に包まって寝てみたところ、ことのほかグッスリ眠ることができました。
床の固さが程よかったみたいです。

家賃には水道代が含まれているのですが、電気代、電話代は別になっています。

英国では普通に見掛けるセントラルヒーティングもこのボロアパートには導入されておらず、電気をつかうラジエーターで暖をとることになっています。

しかしながら僕のカラダに脈々と流れる節約魂と申しましょうか、ケチ根性がこのラジエーターのスイッチをオンにさせないのです。

特に部屋の隅に電気メーターがあり、この目盛が動くたびにヒヤヒヤしてしまい、精神的にラジエーターは最後の手段と思っているフシがあります。

ラジエーターは家電のなかでも特に消費電力が多そうで、冬本番までは辛抱してしまいそうです。

ちなみに近所のパブの暖炉には既に火が入っていて、世間は既にその寒さであると知れます。

こういった事情もあって、この寝袋はまこともって有難いアイティムなのであります。

寝袋にも色んな種類があり、ダウンなどの高級素材が入った3シーズン、4シーズン用などは結構なお値段ですが、僕の寝袋はポリエステルの心細い薄さのものです。

お値段もとにかくお安くて3000円です。
この値段でこれだけのメリットと使い出があれば充分で、昨日は「ウーン、良い買物をしたなぁ。」と一人悦に入っていました。

街の木々は既に紅葉しはじめて落ち葉が道を覆う季節となってきました。

どうぞお元気で。

2011年9月30日金曜日

2000年10月05日 「近況 ベーシック編」


早いものでもう10月です。

当地での生活も1ヵ月が過ぎ、ようやくどうにか軌道にのってきたように思います。

ケンブリッジ大学植物園はケンブリッジの街の中心からほど近くに位置し、広さはおよそ16ヘクタール。
そこに温室、ロックガーデン、テーマ別花壇、森などがあります。

僕はここでトレーニーとして高山植物、研究用植物、高木・潅木、温室植物、草本といったそれぞれのセクションを4週間ごとに転々としながら実際にそれらの手入れ、世話をしながら実技を通して園芸全般を学んでいきます。

現在は高山植物とロックガーデンの担当で、毎日水をやり、球根類の鉢替えをし、ディスプレイの変更といったことをしています。

その中にさまざまなタイプのシクラメンがあるのですが、原種のそれは花屋の店先にならぶ大柄なそれとはことなり淡いピンクのとても小さなものが多く、柄にもなく「カワイイなぁ、これ。」とつぶやきながら水をやっている自分がいます。


通常は朝8:00始業、16:45終業で、ティータイムといって休憩が午前と午後にそれぞれ1回ずつ、そして一時間のランチタイムがあります。

パターンとしては日本での植木屋修業のときと似ています。

植木屋のときは明けても暮れても缶コーヒーでしたが、こちらでは明けても暮れても紅茶です。

皆朝食を皆とってこないのか、朝10時のティータイムにはサンドイッチ、バナナ、リンゴ、チョコレートなどまぁ良くお召し上がりになります。
午後のティータイムにも巨大なキャラメルをかじっていたりして、これが習慣として身に付いたらスゴイ体型になってしまうのではないかと不安です。

僕は朝型なので5時頃には起床し、コーヒーを飲みつつインターネットでニュースをながめ、シャワーを浴びてお弁当を作って朝食をとって7:40に家をでます。

植物園までは自転車で10分。
帰りは残業などは一切なく、夕食の買物をしたりして家に戻るとシャワーを浴びてビールを飲みつつ夕食をこしらえ、寝るまでは勉強したりテレビを観たりといった生活パターンです。

残業はないと言いましたが、本当にみんなドライで終業である16:45に跡形もなく消え去っています。

日中の作業では軍手のように手袋をしている人があまりいないため、僕もならって素手で作業をして、家では食器洗いなどの水仕事でガサガサ荒れ放題の手になってきました。

手は専用のブラシで一生懸命洗っているのですが、汚れが落ちるのには限界があるようです。
でも料理を終えた後は手がその前よりもキレイになっているのを見て、この汚れはいわゆる隠し味になったのだなと理解するようにしています。

そんなところが最近のベーシックな生活の様子です。
秋本番、良い季節かと思います。

どうぞお元気で。



2011年9月19日月曜日

2000年10月10日 「もうヒヤヒヤ」


お蔭様で電話は通じるようになり、メールも送れ、テレビも見られるといったモダンな文明生活に突入しました。

自分専用の電話回線を引いたのをいいことにメールの設定はそのままに、インターネットのみ最近こちらで流行りの無料プロバイダ「フリーサーブ」をインストールすることにしました。

電気屋の店頭に置いてあった無料CD-ROMを使ってインストールを試みたのですがうまくいきません。

無理にこのフリーサーブを使う必要はないので諦めたところ、デスクトップは全てフリーサーブに入れ替わってしまっています。

うろたえました。

何故ならそれは手続きが完了できていないので使えず、従来のプロバイダもそれが邪魔しているようで使えない、とういうことで何も使えない状態になってしまったからです。

相当焦って考えられる全ての方法を試し、挙句に日本のソニーのカスタマーセンターに国際電話しても解決しませんでした。

残る手段はフリーサーブへ問い合わせること。
こんな込み入った内容を電話でしかも英語で相手に伝え、さらにそれに対する英語で話される解決法を正しく理解するというのは至難の業と思われ電話する前から諦めモードでした。
想像力と集中力を総動員したものの問題解決には至らず「ううっ。せっかく全ての環境が整ったってのに・・・。」と相当へこんでしまいました。

最終的にはこの無料CD-ROMを配っていた電気屋の開店と同時にパソコンを持参し「この店で一番パソコンに詳しい人と話がしたい。」と頼んで出てきたお兄さんに経緯を説明し、泣きついてどうにか復旧できたというわけです。

荒療治としてパソコンの中身を初期化するという手はありましたが、これまでの記録が全て吹っ飛んでしまいますので、それだけはなんとか避けたいと必死でした。
メール、インターネットなど便利ではありますが、繋がなければパソコンはただの箱だってことがこの一ヶ月身にしみて理解できました。

さてさて早くも10月。

良い季節ですね。
こちらでは早くも落葉樹は紅葉し始めて落ち葉が目立つようになってきました。

どうぞお元気で。

2011年9月14日水曜日

2000年09月30日 「立腹」



中学生だったころインドのボンベイに暮らしていました。

そのとき家のエアコンが動かなくなり父親が電気屋に修理を依頼したものの約束の時間はおろか約束の日に現れずかなり憤慨していたことを思い出します。
そんないい加減なことはインドというノンビリしたノープロブレムな国だからだろうと思っていました。

そしてケンブリッジに引越してきて、先進文明国であろうこの国でアパートに電話回線を開通させるという単純なことが全くはかどらない事態にほとほと疲れてしまいました。
堪忍袋の緒が切れそうですが、切ったら電話回線は永遠に繋がりません。

そもそも電話会社に依頼をする時点ですでに怪しかったのです。
大家から教えてもらった電話番号は「順番にお繋ぎしますのでそのままお待ちください。」と無味乾燥なテープが繰り返し流れるだけで、実際に繋がるまで延々20分以上待たねばなりません。

全然「少々のお待ち」ではありません。
当たり前ながら家に電話回線がないのでこの依頼の電話は公衆電話からしていて、その20分の待ち時間の間コトッコトッと小銭が落ちていきます。
かなりの小銭を用意しておかねばならず、順番を待つ間に小銭が尽きてまた最初から並びなおさねばならないこともしばしばでした。

どうにか申し込みまでこぎつけたものの、後日手紙で工事の日程をこちらの予定も顧みず一方的に水曜日の朝8時から11時の間にうかがいますといってきました。
平日は植物園優先ですので、工事の日程をずらしてもらう交渉をするのにまた20分テープを聞いてやっとの思いで土曜日の14時から17時の間という変更をとりつけて楽しみに待っていました。

待っている間に新しいアパートの住人であるケンブリッジ大学博士課程在学中のデイブ君が引越しの挨拶にきました。

「電話会社を待ってるんだ」と彼に言うと「気をつけたほうがいいよ。やつらにこの前すっぽかされたよ。」とイヤなことを言います。

まぁ大丈夫だろうと前向きに考えて、その間に洗濯をしたり、部屋の掃除をしたりして彼らを待ちましたが一向に現れません。
ついに約束の17時を過ぎて「ダメだこりゃ。まったく腹立つ!」と諦めた頃にはすでに貴重な土曜日が終ろうとしていました。

気分転換に買物にでかけ、夕食をこしらえてビデオを見終わった23:30に「この時間ならあまり順番を待たずに済むのでは」と淡い期待を持ちながら散歩がてら公衆電話から苦情と次の日程をとりつけるために電話をしました。
本来なら向こうから謝罪の連絡があってしかるべきなのに、なんでこんな夜中に外の公衆電話から貴重な時間をつかってこんなことをしているのかと思ったら無性に腹が立ってきました。

電話に出た男性担当者に「顧客サービス係を出せ」というと「私です」というので「今日は苦情があって電話をした。今日の14~17時に工事にくると言う約束だったので大事な予定を全てキャンセルして待っていたのに誰も来やしない。どうなってんのか?で、いつなら来れるのか?こっちも忙しい身でエラく迷惑しているのだ。」とよどみなく一気に不満を伝えると
「ケンブリッジ地域の担当者の電話番号を教えるので明日あらためて電話をしてそちらに聞いてください。こちらでは分かりかねます。」とアッサリしたものです。

日本であれば、はらわたが煮えくり返ってその場で電話を叩き切っているところですが、そんなことをしても電話回線は繋がらないのは明らかですし、この国の何処を頼ろうともこの調子であろうことは薄々気付いていましたので、グッと我慢して翌日再度交渉をすることにしました。
でも主張しないと誰も面倒をみてくれないので、毅然とした態度で臨まないと永遠に電話回線は繋がらないと思われました。
ナメられてはいけません。

というような状況で電話回線が繋がらないとこのメールも送れないので、それまでの間しばし書き溜めて回線開通のときにまとめてお送りします。
では、また。


そして今は明けて9月10日(日)です。
ケンブリッジ地域の担当者には朝8時から電話が繋がるというので新聞を買うついでに小銭を握りしめて公衆電話に向かいました。

電話口の担当者は「前の家での工事が長引いたんでしょう」とこともなげに言います。
「で、いつ今度は来てくれるんだい?」と核心に迫りました。

「2週間後の9月23日(土)ですね」と事もなげにシャーシャーと言ってのけるので「冗談じゃぁないよ。昨日だって大事な約束をして1日中待ったんだ。
なんとか来週の土曜日にこられるように手配してくれよ。」と食下がったものの「なんともしかねます。」と先方も譲りません。

もはやこれ以上の交渉は無理と判断し、2週間後の土曜日としました。

でもまた2週間後に現れないことが容易に想像できましたので「大丈夫だろうナ。約束出来んだろうナ。君の名前を念のために教えてくれ。」としつこく念を押して電話を切ったのでした。

このメールが9月中に届くことを祈りつつ。

更に今は日曜日の21時。
夕方散歩から戻ると玄関先で今度引越してきたエドと大家のジルというおばさんが立ち話をしていましたので、少々知恵を働かせて「昨日電話会社は来ることになっていたのですが現れなかったんですよ。今朝再交渉をして2週間後に来ることになったのですが、大変不便を被っていてあなたから何とか来週の土曜日に来てもらえるように交渉してもらえると有難いんですけど。」と泣きついてみたところ、「任せなさい!」とのこと。

この大家のおばさんは口から先に生まれたのでは??というくらいに口が減らず、とにかくよく喋るひとで、更になかなか自分の意見を曲げないタイプと踏んでいましたのでこの人を味方にして電話会社に交渉させたら通らないことも通るのでは?という期待がありました。

すると意外な展開が。

ふたりして電話のまえに座り込んでテープの音声を聞くこと25分。

ようやく電話が繋がるとジルは「繋がるまで20分も待ったんだけど、アナタのところではこれって当たり前のことなのかしら?」と開口一番先制パンチです。
「ナルホド。イヤミはこう言うのか。フムフム。」と感心して聞き入っていると僕が交渉したときのように「前の家で長引いたのでは」といったいい加減な答えではなく全く別の原因が判明したのでした。

このジルというおばさんは口が過ぎるので敵も多いようで、彼女の店子であるアパート隣の自動車修理のオヤジとうまくいっていないようで、彼はそのジルの店子である僕への協力は一切しないというフィロソフィーの持ち主のようです。

電話回線工事に必要な配電盤は彼の自動車修理工場の敷地内にあり、彼の立会いなく勝手に敷地内に入ることはならないと彼が電話会社に電話をしたためキャンセルになったとのことでした。

原因が分かってみると、どうも変な争いの間に巻き込まれた感じがしました。

今にして思えば、おばさんも決して100%親切心ではなくて、内心ひょっとしてという心当たりがあったので電話会社に連絡をしてくれたのではないかと思われます。
ともあれこんなことで自分が不便を被るのは迷惑な話で早い問題解決を心から願わずにはいられません。

しかしこのまま放っておいたら2週間後もまた誰も現れないってことだったのかと思うとなんともやり切れないものがあります。
自分の英語力ではまだまだこの国で生き抜けないということかと寂しくもありました。


・・・そしてようやく開通です。
かれこれ一ヶ月も掛かってしまいました。

電話回線を開通させるという単純なことながら本当に疲れました。
ともあれ晴れてこれからはメール送受信し放題ですので今後ともよろしくお願いいたします。

2011年9月10日土曜日

2000年09月30日 「近況デス」


いつの間にやら9月になってしまいました。

ケンブリッジでの新生活も1週間経ったところです。
今日の午後電話工事があって回線を開通させることになっており、このメールが晴れて新居からの記念すべき第一号メールになるかなと思っています。

腰痛がひどくなり、引越しの延期も検討しましたが大家と部屋の引渡し時間の約束やレンタカーの手配が済んでいたことなどスッカリ外堀が固まっていて変更は難しそうだったので痛み止めを飲んで引越しを敢行しました。

引越しといっても荷物は知れていて、小型車を借りてくれば簡単に全て収まるだろうとタカを括っていたのですが、結局後席を倒してギュウギュウに詰め込んでやっとどうにかという感じで、あわや乗り切らないのではとヒヤヒヤするほどこの一年間で荷物が増えていました。
思えばヨークに着いたときは洋服の入った段ボールがふたつ、大小ふたつのリュックサック、ラジカセ、ゴルフバッグのみだったのに。

決死の思いで腰の痛みをこらえつつ、寮の部屋のある3階からエッサエッサと荷物を降ろして全て車に詰め込んでヨークを後にしました。ケンブリッジの生活を終えたらまた一年後には帰ってくるとは分かっていても一抹の寂しさがありました。

ケンブリッジに向かう前にどうしてもヨークで最後にしておくべきこと、それはフィッシュアンドチップスを食べておくこと。

以前申し上げたように北と南では味が異なるため、是非この北の美味いフィッシュアンドチップスでヨーク生活を一旦締めくくろうという作戦でした。

ヨークからケンブリッジまではA1という国道をひたすら南下する約3時間の旅です。
ただ、腰の調子が優れず45分おきに車を止めてはストレッチをして時間が掛かったためケンブリッジに着いたのは18時を過ぎていました。

大家のジルというおばさんから鍵を貰ったのですが、このおばさんは異常なほどのおしゃべりで一旦話し出すと止まらなくなります。
こちらとしても確認したいことがあって「1」聞くと「19」くらい返ってきます。
そんな調子でしたので、彼女から解放されたのは21時をまわっていました。

それから荷物を部屋に搬入。
部屋は一階で通りに面しているため窓から荷物を運び入れることも可能で腰痛が心配だった僕としてはホッとしました。

そして休む間もなく買出しへ。

レンタカーを翌朝返すことになっていたので、これを最大限に活用しようという魂胆です。
郊外にTESCOという24時間営業のスーパーマーケットがあるので当面の食糧を買い込みました。

でも本当の目的は車のあるうちに嵩張って重たいビールを手に入れることでしたが、23時以降はアルコールを売らないらしく売り場にはロープがはってあり目的を果たさず引き返したのでした。

昔一軒家だったものを各部屋に鍵をつけて学生向けに貸しているといったタイプで、7人でのシェアになっています。
部屋は3.5×3.5メートルの四角い部屋でそこに本棚、ベッド、クローゼット、机、冷蔵庫、オーブンレンジ、洗面台がついています。

なにやら豪華な印象をもつかもしれませんが、とりあえずそれらがある、というだけですべて古くてオンボロで本格的苦学生の部屋といった印象です。
トイレ、シャワーはいずれも共同で1階にそれぞれ2個づつあります。

ベッドはあるのですが、布団、枕は自分で買うことになっており、用意していなかった僕はスエットシャツを重ね着して丸くなって寝たのでした。
寒かったこともあり、早起きしてビールを買い込み、布団、枕、テレビデオといったものを買いレンタカーを返してちょっと落ち着きました。

ヨークの寮の生活とは異なり、電話線も自室に引いてテレビ、ビデオと随分文明的な生活となりました。

テレビは当初その気はなかったのですが、電話回線を引く際にアパートが契約している新興電話会社のサービスとしてケーブルで100チャンネルを超える番組も廉価で見れるといわれてその気になってしまいました。

オリンピックも控えてますし。
好きな映画もアパートから5分の場所に大きなシネマコンプレックスがあってロケーションとしては素晴らしいのですが、料金がヨークのおよそ2倍の5.30ポンドもするため、ますますビデオ、ケーブルテレビにはまりそうです。

そして待望の自炊生活もスタート。
フライパン、鍋、まな板、包丁といった基本的な道具と調味料などを買い揃えて毎日自炊にいそしんでいます。
外食はヨークを離れたときのフィッシュアンドチップスが最後で以来一度もしていません。

スーパーで物色していると、牛肉が美味しそうだったので購入。
タマネギたっぷりをオリーブオイルで炒めてステーキ用の肉を投入し、更に赤ワインを入れた後水気がなくなるまで炒めて最後にハーブ、塩、コショウで味を整える・・・といった創作手探り料理もなかなかいけるものです。
その後牛肉の代わりにカモ肉でも試したのですが、自分で言うのもはばかれるほど美味でした。
料理って楽しいな、と新たな才能を発見した思いです。

普段のお昼も弁当を作って持っていきます。
この1週間はチェダーチーズをマヨネーズで和えて薄くスライスしたタマネギとハムを挟んだサンドイッチを作りましたがこれもなかなか。

アパートと植物園のほぼ中間に市営プールがあり、腰痛治療の意味も込めて通うようになりました。
料金は500円くらいですが、現在申請中の学割が使えるようになれば150円くらいになります。
日本のプールではやかましい諸規則もあまりないようで、水泳帽をかぶっている人も僅かですし、お化粧の厚い人、アクセサリーをたくさん着けている人、普通の眼鏡をかけて泳いでいる人などと様々な人種が見受けられ、お国が違うとこうも違うのかと興味深いものです。

相変わらず腰痛とたたかいながらもなんとか新生活がスタートしました。
テレビの導入など、なんとなく俗っぽい生活に近づいた感もありますが、ほどほどにやっていこうと思っています。

肝心の植物園についてはまた改めてお知らせします。
電話回線が自室にありますので、これまでと違って誰に気兼ねなく好きなときにメールの送受信が可能です。

では、また。


<これを書いたのが9月9日でした。本日晴れてこれを送信できるようになったのですが、日付は9月30日。電話工事の遅延が原因ですが、ほぼ一ヶ月メールが使えませんでした。>

2011年9月8日木曜日

2000年08月22日 「four seasons in a day」



東京は連日雷雨と聞いていましたが、最近はこちらも負けずに天候が不順で夕方雷雨がよく降ります。
とはいってもすぐに止むので大した被害はありませんが、それでもラジオを聴いていると「冠水のため通行止め」などと言っています。

不順というか、ときに狂っているのでは?と思うようなこともあります。

今朝は朝から大雨が降っておりました。

ガーデンデザインの課題を学校の製図室でやったのですが、あまりに外の雨音が激しいので目をやるとバラバラッと大粒の雹(ひょう)が降っています。
かと思えば昼にはカラッと晴れて、夕方には再び雷雨といっためまぐるしさ。

それにしても今日は寒いなぁと思っていたら夕方のラジオで、自分の英語が正しければですが、ヨークシャー州東部では雪が降ったと言っておりました。
製図する手を止めて思わず「なにーっ!?」と叫んでしまいました。

不順な英国の天候を「1日に4つの季節」という言い方をすることがありますが、この真夏の8月に雪が降ったとすればまさにそれは正しいということになります。

隣の芝は青くみえるといいますが、私個人的には夏は夏らしく「今日も暑いねぇ」といいながら冷えたビールを飲んでいるほうがシアワセだったりします。

2011年9月7日水曜日

2000年08月20日 「残暑お見舞い申し上げます」



残暑お見舞い申し上げます。

さて、本日は8月20日。
パスポートを見ますれば日本を出国したのがちょうど昨年の8月20日ということで一周年ということになります。時の経つのはいかにも早いものだと驚かされます。

出発したときには、一年間ヨークの園芸学校で学ぶということしか決めていなかったのですが、こうやって一年を過ぎても次のステップに向けてまだ英国にいるというも想像していなかったことです。
この一年間の成果を振り返ると、まずまずだったかなと思います。

園芸に関する勉強も当初は戸惑うことが多かったのですが、徐々に理解が伴ってついていけるようになりましたし、生活全般においても特に大きな問題もなく健康にこれたことは月並みではありますが何よりでした。
友人、先生など人に恵まれ、英国文化にも抵抗がなくスムーズにとけ込めたことは英国という国、ヨークという街に受け入れられたような気がして嬉しいものです。

9月からはケンブリッジ大学の植物園での生活が始まります。
折角のチャンスですのでより多くを吸収したいと思っています。

9月1日にはヨークからケンブリッジに引越しです。
新たな住まいは駅、街の中心地、植物園にいずれも徒歩10分程度の便利、だけどボロなアパートです。

ロンドンへも電車で約90分ですので英国にお越しの際には是非お声をかけてください。

一年経ちましてお蔭様で元気に楽しくやっておりますことを報告いたします。

2011年8月28日日曜日

2000年08月09日 「土足 vs 土禁」




日本では家にあがるときは玄関にて靴を脱いでスリッパなどに履きかえたりしますね。

英国でも最近はそのほうが清潔だということなのか、家の中では靴を脱ぐというのを何軒かのお宅で見てきました。

でもそのまま土足でドカドカと入りこむことも多くて、それに慣れていない僕は結構ドキドキしてしまいます。
クリーム色のように淡い色合いのキレイな絨毯に土足というのは気が引けるものです。

逆に日本人は異常に「靴離れ」が良いとでも申しましょうか。
例えば電車でおばさんが靴を脱いでくつろいでいたりというのは良く目にする光景です。

日本人は下足といった言葉がしめすように靴とは汚いものだという観念が根強く浸透している国民なのかなと思います。
結構ムチャするヤンキーなお兄ちゃんも愛車は土禁(土足禁止)にしているケースを見かけたりします。
欧米では想像するに土禁の車は存在しないでしょうね。

逆にコチラの方々はその辺の観念が希薄すぎるのではないかと思うことがあります。
電車の対座式のシートでは空いていれば靴のままその上に平気で足を投げ出している人を見かけることはしょっちゅうですし、寮で友人の部屋を尋ねると靴を履いたままベッドに寝そべっていたり。
日本人のわたくしといたしましてはかなり抵抗があります。

そんななか昨日の出来事。
寮の部屋を掃除してくれるおばさんがいて、日中部屋に入ってゴミ箱のゴミを片付けてくれたり、掃除機をかけてくれたりします。

昨晩部屋に戻ると手紙がありました。

「マサヤ 申し訳ないのだけど掃除機にあなたの靴ひもが吸い込まれて絡まってしまい、ご覧の通りちぎれてしまいました。
ゴメンナサイ。
弁償はしますので。
クリスティーヌ」

僕の園芸用のドロにまみれてひもの切れた靴が「机の上」にそのゴメンナサイ・メモとともに鎮座しておりました。

彼女は本当に気さくで良い人で、当然悪気ないのは分かるし、靴ひもはどうでもいいんですけどね。

なんかカラダの力が抜ける一件でした。

為参考(原文ママ)
Masaya.
 Your brown boot lace got caught up in hoover.
 I’m very sorry but if you can get some more I’ll pay for them.
Christine

2011年8月24日水曜日

2000年08月08日 「バーベキュー」



今日はガーデンデザインのクラスメイトのひとりが発起人となって彼女の家で皆が集まってバーベキューをしました。

家族同伴の参加者も多く、いつも学校では見られない表情が垣間見れて興味深かったです。

普段鼻柱の強いオバサンだなぁと思っていたら旦那様も負けていない感じでバランスがとれていたり、更にその子供もそうだったりして一人でウケていました。

「You’re joking!!」を口癖にするオバサンと「You know what I mean~」を連発するオバサンがいるのですが、その二人に一時挟まれて「この前×××は×××ってことに気付いたのよ、分かるでしょ・・・」「ウッソー!!」みたいな会話の応酬のさなかではなかなか落ち着きませんでした。

このオバサンの「You’re joking!!」は特に軽薄な感じがして耳障りで日本語で言う「ウッソー!!」と非常に似ている気がします。

バーベキューとはいってもとてもシンプルかつアッサリしたもので脂身の多い豚肉、ハンバーガーの冷凍パテ、スーパーのソーセージといった程度のもので、仕込みに何時間もかけて云々といったシロモノではありません。

庭の隅にテーブルがひとつ用意されて、その上にはサイドディッシュとしてオーブンで焼いたジャガイモ、中東風の野菜サラダ、チーズ、ピックルス、ポテトチップ、パンなどが。あとはビールやワインを飲みながらひたすら喋るというのがスタイルのようでした。

開始時間が13時で終了時間が15時と、これもアッサリしていました。

庭をデザインするときにバーベキューのためのスペース、設備を設けるか?という話は頻繁にでるのですが、英国人のバーベキュー好きをこうやって目の当たりにするとそれはとても重要な問題なのだと理解できました。

台所に比較的近い庭の隅に15人くらい座れるスペースがあると良いのだな、と勉強になりました。

日本ではこの夏の時期では蚊が多くてちょっと実用的とはいい難い気がしますが。

肝心のコースの先生が欠席でしたが、それはそれで普段の不満や悪口(とはいってもそんなに悪質なものではありませんが)を酒の肴に穏やかな日曜日の昼下がりでした。



2011年8月19日金曜日

2000年08月05日 「悪夢ふたたび・・・」

ヨークからケンブリッジに向かう列車から


昨日は日帰りでヨークからケンブリッジまで行ってきました。

目的は3つ。
①社会保険の申請に関して保険事務所で面接があった 
②アパート探し 
③自分の畑で育てた野菜を世話になった知人宅に届ける

9月からケンブリッジ大学の植物園での生活が始まります。
引越しの時には友人から譲ってもらった自転車を持っていきたいと思い、そのときの手間を減らすべく昨日は電車に自転車をのせて、知人宅に野菜を届けるついでにしばし預かってもらおうという作戦です。

よって寮を出てから目的地まで自転車を伴い、背負ったリュックには畑で収穫したタマネギ、エンドウマメ、ラディッシュなどを満載し、さながら戦時中の買出しといったかんじでした。
タマネギは新鮮なためかとてもニオイがきつくて、特に電車のなかではヒヤヒヤしました。

ケンブリッジの保険事務所は職安と機能が一緒になっているらしく、それっぽいいでたちの人たちが沢山相談にきていました。

相談カウンターは厳重なガラス張りになっていて、例えるならアメリカ映画でよく見かける囚人と面会するようなかんじと申しましょうか。
社会保険の面接は別室なのですが、順番を待つのは同じ待合わせ室で辺りを観察しているとカウンター越しに「今日125ポンド払わねぇとマズイんだよぉ。どうにかしてくれよぉ」と突っかかっているオジサンがいたりして厳重なガラス張りというのも頷けるのでした。

アパート探しは1日では決め難くてもう少し時間が掛かりそうです。

夕方、重い野菜をかついでケンブリッジ市内からおよそ8キロ離れた町の知人宅に野菜を届けて夕食を御馳走になりました。

そもそも彼が「会社を辞めてそういう道をすすむのも良いんじゃぁない?こういう園芸学校もあるよ。」と紹介してくれた張本人で、その彼に一年の成果を報告して自分の育てた野菜を食べてもらいたかったのです。

ヨーク行きの最終電車が19:57で、ケンブリッジ駅まで車で送ってもらいました。

ヨークとケンブリッジはなかなか不便に繋がっており、途中ピーターバラというところで乗り換えなくてはなりません。
乗り継ぎが悪くてピーターバラでは1時間待たねばならなかったので、迷わず近所のパブに行きました。
軽く飲んで頃合いをみて駅にもどると、モニターに「ヨーク行き:キャンセル」と出ています。
駅員に尋ねるとポイント故障だかなんだかで来ませんとアッサリ言い放ちます。
しかし代わりにヨークよりも北のニューカッスルに行く列車がくるのでそれに乗ってくださいとのことで一安心。

遅れてきた電車に乗ってヨークの手前の駅であるドンカスター駅についたころ猛烈な眠気が襲ってきました。
しばしウトウトしてハッと気が付き外をみると電車は止まっていてYorkという看板が見えました。

「ヤバッ!」と慌てて出口に走ったものの非情にも電車はゴトッゴトッと動き始めました。

万事休す。

しばらく頭の中が真っ白でしたが、どうにか我にかえり次の駅で降りるか、それともこのまま乗り続けるか善後策を考えました。

次の駅といっても山手線ではありませんので、ヨークからはかなり離れています。

しかも駅名も Northallerton と聞いたこともなければ、発音もできないような駅で、へたに下車すると本当に何もないところでエジンバラ野宿よりもツライことになりそうでした。

日中は天気もよく日帰りでしたので短パン、ポロシャツ、ウインドブレーカーという軽装であったので今度こそ野宿というわけにはいきません。

「そうだ。車掌に相談しよう!」

なんでこんな簡単なことを真先に気付かないのでしょうか。
そもそも当初予定していた電車がキャンセルになったからこんなことになった、くらいの言いがかりでもつけてやるくらいの気迫が必要だと気合を入れて相談しました。
車掌は時刻表を見て、無線でどこかに連絡して、出てきた答えが次のダーリントン駅で降りなさいでした。

そうすれば02:45にヨークに行く電車がくると言います。

悪夢再び。

最悪のシナリオである野宿は避けられそうですが、2:45ってその時点で2時間以上もあります。
ダーリントン駅に降りると案の定、店などはただの一軒も開いておらず誰もいやしません。
この寒い駅のホームにいるのも耐えられず、気持ちを前向きに切り換えて電車がくるまでの約2時間ダーリントンの町をウロウロと徘徊して寂しい時間を過ごしました。

結局その電車に乗って寮に戻ったのは午前4時でした。
2度あることは3度あると言いますが、もう結構です。


無人のダーリントン駅


2011年8月13日土曜日

2000年08月02日 「ファーストフード考」


暑中お見舞い申しあげます。

いよいよ8月に突入です。
熱中症で病院に運ばれる人が昨年の2倍と聞きました。
植木屋を続けていたら今頃病院にいたかもしれません。

さて、本日は英国におけるファストフードを考えてみようというわけです。

日本と共通しているのはハンバーガーショップではないでしょうか。
これはもはや日本、イギリスに限ったことではないですけど。
ハンバーガー以外ですとフィッシュアンドチップス、サンドイッチ、ドネルケバブ、ピザ、チャイニーズといったところでしょうか。


まず英国を代表するファストフードであるフィッシュアンドチップス(F&C)ですが、これは白身魚のタラ(cod もしくは haddock)に小麦粉をといたコロモをつけて揚げたものをチップスとともに、お好みで塩と麦からできたモルトヴィネガーをドバドバとかけて食べるというもの。
不思議なもので歩きながらハフハフしつつ食べると美味しさがアップすると思うのは私だけでしょうか。

ちなみに英国ではフライドポテトのことをチップスと言い、ポテトチップスのことをクリスプス(crisps)と言います。
カロリーが高くてなんとも栄養バランスが悪そうですが、食べているうちに病みつきになり最近は最低でも週に一回はこれを食べずにはいられません。
英国人に言わせると魚そのものは白身なので言われるほど不健康な食べ物ではないとのことです。

全英には約8,500ものF&C屋があって年間約3億食も食べられているのだとか。
実はこれはこの前聴いていたラジオからの情報なのですが、そこでは加えて乱獲によるタラの減少で今後はタラの保護を考えていかないとF&Cが食べられなくなるというようなことを言っていて、F&Cファンとして真剣にラジオに耳を傾けた次第です。

ファストフードなんだから英国どこで食べても同じ味かというと否で、僕のいるヨークシャー州は英国北東部の代表的な漁業の町であるウィットビーとスカーボロを擁し、新鮮なタラが手に入るので英国で一番F&Cが美味い場所と言われています。

確かに思い出すにロンドンで食べたF&Cは高くてあまり美味いものではありませんでした。

味を決定する主な要因は①魚の鮮度 ②油 ③バターといわれるコロモ だと思いますが油が臭かったり、コロモがサクサクしていなかったりするとガッカリです。

とても興味深いのは油です。
どこは定かではありませんが、僕の見立てですと南ヨークシャー州とリンカンシャー州のあたりに境界線があってそれ以南ですとすべからく植物油、それ以北ですとすべからく動物油を使うのです。
どちらがヘルシーかなんて野暮な議論はさておき、動物の油で揚げたほうがなんともいえない風味があって僕は断然美味いと思います。
ここでいう動物油はラードといって豚からとったものかドリッピングといって牛からのものかがあるようです。


そしてファストフードは安くなければなりません。
せいぜい3ポンド以内。

Take awayといって持ち帰りか立ち食いが基本ですが、なかにはレストラン式になっていて店内で座ってたべるところもあります。
店で座って食べると値段は倍くらいします。

しかし時として座って食べなくてはならない場合があります。
それはタラがデカイときです。
通常のサイズは20センチくらいなのですが、その上のラージで30センチくらい、極めつけジャンボでは40センチ以上あってとても歩きながら食べられるものではありません。
これまでに何度かF&C有名店と誉れ高い店でジャンボを食しましたが、生きていて良かったと思える満足度でした。

英国人の友人などは、タラにチップスが付いてくるのにさらにブレッドアンドバターといって食パンにバターをコッテリ塗ったものを一緒に頼んだりします。
あくなき炭水化物と油への欲求ということでしょうか。
さすがにこれには見ているほうが食傷しましたが。

基本は塩とヴィネガーですが、好みですりつぶしたグリーンピースにミントソースをいれたマッシュドピーとかカレーソースをかけて食べる人もいます。

僕の記憶では、10数年前に英国に滞在していたころはF&Cといえば古新聞に包まっていたものですが、最近は見かけないので聞いてみると食遺品衛生上の見地から現在では古新聞を使ってはいけなくなったとのことでした。
繊細なのか大雑把なのかときどき分からなくなる不思議な国です。

F&C屋では大抵F&Cだけ売ってますという硬派な店が多いのですが、それでもサイドメニュー的においてあるのが①バタード・ソーセージ ②ピクルド・エッグ ③フィッシュ・フィンガー ④フィッシュ・ケーキ といったあたりでしょうか。

(左・タマネギのピクルス 右・タマゴのピクルス)

①はこちらの独特のパフパフの食感をもったソーセージにコロモをつけて揚げてあるもの。
②煎餅屋の店先で煎餅が入っているような、あるいは駄菓子屋でヨッちゃんイカが入っているような、そんな容器にゆで卵が酢漬けになって入っているというもので僕は怖くて食べたことはありません。
一体どんな味がするのか、そしてピクルスとはいえ所詮タマゴゆえにその保存期間は? などと疑いの視線でその怪しげなタマゴを見ています。
③は日本でもスーパーの冷凍食品売り場で売っているすり身魚のフライのようなもの。
④これはついこの前試してみました。
ケーキとはいっても甘いものではなく、ジャガイモを厚めにスライスしたもの2枚の間にほんの少々魚のすり身がサンドされ、さらにまわりにコロモをつけて揚げてあるものでした。
これとF&Cを一緒に頼んでしまい、あとでちょっと後悔しました。

何故かF&C屋というのはインド人、トルコ人、ギリシャ人といった移民系の方々が店を構えているケースが非常に多く、純英国人のやっているF&C屋というのはとても珍しいと思います。
店は一日中オープンしているわけではなく、例えばよく利用する隣村のF&C屋なんてのは16:00から21:00までの営業で、しかも日曜日、月曜日と週休2日を貫いており、どうやって生計を立てているのか他人事ながら気になります。
それは極端な例ですが、日本の牛丼屋のように24時間頑張るF&C屋はこの国には存在しないと思われます。

続いてサンドイッチバーですが・・・といきたいところですがF&Cに対する思い入れが激しい分、相当長く書いてしまいましたのでまたの機会にということで。

かくのごとく相当なF&Cファンになってしまいましたが、日本に帰国したあかつきにはこの味が恋しくなるのは想像に難くないので、この際カラダに悪かろうが心行くまでこの味を堪能しようと思っています。
読んでいて胸焼けしませんでしたでしょうか。

暑さのヤマもあと一息で越えることかと思います。どうぞお元気で。

2011年8月8日月曜日

2000年07月25日 「全英オープン」



夏真っ盛り、暑い毎日かと存じますがお元気でしょうか。

22日(土)から24日(月)までスコットランドに一人で行っていました。

先週はゴルフの全英オープンが開催されていて学校のホールでテレビ観戦していたのですが、この地続きの場でこのビッグイベントを生でやっているのかと思ったらいてもたってもいられなくなり、エジンバラまでの往復の電車チケットだけ確保してヨークから発作的に出発しました。

突然の思いつきでしたので値段が安くて便利な時間というチケットはありえず、かなり無理のある行程ではありました。

土曜日は朝6:30にヨークを出発しエジンバラに9:30着。
それからローカル電車に1時間ゆられルーカスという会場最寄の田舎駅まで行って、シャトルバスに乗り換え会場にたどりつきました。

春のイースター休暇で来たときとはうってかわって雰囲気が異なり、モノスゴイ人出で熱気に包まれておりました。

大会開催中は晴天に恵まれ全英オープンのイメージとしてある「強風」「冷たい海風」「どんよりとした雲」「雨」とはほぼ無縁の快晴が続いており絶好の観戦日和でした。

観戦方法として「一箇所にとどまって次々と来るプレーヤーをみる」「ひとつの組だけをひたすら追いかけて通してみる」のいずれかを採択するか思案しました。

後者の場合はその選手に思い入れが強くて他の選手は見なくていいという覚悟が必要ですが、どの選手を追いかけるかといえばそれはやはりタイガーウッズでしょう。

しかし全英オープン史上最高の人出であったらしく、おびたたしい数のギャラリーで、そのほとんどが「ウッズ狙い」でしょうから一緒にまわっても何も見れないと思われ前者の観戦方法にしました。

会場をウロウロして吟味したところ、6番のティーグランド横であれば「ティーショットが見える」「ティーグラウンド越しの5番と13番のダブルグリーンのパットが見える」「トイレ、売店に近い」という好条件であることを発見。
そこに決めました。

3日目と最終日を見たのですが、決勝ラウンドは全部で37組まわっていて第一組がスタートするのが8:40、そしてウッズの最終組のスタートは15:00です。

スタートしてから6番ホールに来るまでにはほぼ90分あって「じっと我慢の子であった」状態でした。

早い時間のそれほど人気がない選手のうちは途中でトイレにいったり売店にいっても元の場所を確保できますが、後半10組ほどになるといつの間にか人垣ができあがり身動きが出来なくなります。
トイレに行かなくてもいいように水分摂取も控えてかなりストイックなゴルフ観戦となりました。

それでも自分の2メートル前で世界屈指のプレーヤーが次々とティーショットを放っていくというのはなんとも夢のような経験でした。
当然ながらダブッたりチョロッたりするようなトラブルショットは皆無で打った球がシューッと空気を裂いてまっすぐ飛んでいきます。

キャディとプレーヤーの会話が聞こえたり、キャディバッグの中が見えたりして我慢して長時間粘っただけのことはありました。

さて大会3日目、僕にとっては初日を終えエジンバラに戻ると既に21時を回っており、そこから宿探しとなりました。

前回宿泊した安宿も含めていくつも当たったのですがどこも満室だとのこと。
この英国を代表するスポーツイベント、さらに史上最高の人出というだけあって予約もなく当日に宿を決めるなんてことは不可能なわけで宿も決めずに飛び出してきた自分の楽観的人生観が裏目にでました。
いくら悩んでもないものはないわけで、ついに最悪の選択肢である野宿をする決意をしました。

一応24時まではパブでビールを飲みながら屋根の下にいたのですが、閉店とともに外に出されてしまいました。
夏だというのに日が沈んだ22:00頃から急激に冷え込んできて日中の暖かさがウソのようです。
とりあえず持ち合わせていたフリースジャケット、長袖シャツ、ウインドブレーカーを着てみましたがそんなものでは到底歯が立たないほど寒さは厳しくなってきました。

気温は10度を下回ったと思います。

早起きしてきたこと、終日外を歩き回ったことなどで疲れはピークでしたが、寒さで眠るに眠れずホトホト困りました。

そんな折、ふと段ボール箱が目に入り、これをつぶして横になってみるとかなり暖かいのを発見し嬉しくなりました。

とはいっても大袈裟に横になるのも人目がはばかれ、隅の石のベンチに段ボールを敷いて30分ほど眠りました。
親が見たら段ボールで眠る息子をみてさぞ嘆いたことでしょう。

30分がある意味限界でした。
段ボールがあっても寒いのは寒いわけで風邪をひきそうでしたし、熟睡して不審者になにかを盗られても困ります。

ジッとしていても寒いだけなので、カラダを暖めるためにアテもなく深夜のエジンバラの街をひたすら歩きました。

そもそも日本のように24時間営業しているコンビニ、ファミレス、映画館などがないからこんな目に遭うのです。
歩くにしても4時間を越えたあたりで今度は足が痛くなってきてなんとも情けなくなりました。

「将来失敗しても最悪段ボールで暮らせるサ。命をとられるわけじゃなし、気楽にやるヨ」なんて言っていたのですが、イザ本当に段ボールを体験してみるとこれは想像以上に厳しいものだと悟りました。
特に真冬をあれで過ごすのは決死の覚悟が必要かと思われます。

その後も疲れて30分眠る、寒さで起きて歩く、疲れて眠る・・・と繰り返し時間が過ぎました。

4:30ころ東の空が白々としてきて頭上をカモメたちが鳴きながら飛び交い、冷たい海風が吹き上げてくる・・・。
やっと朝だ。
あの朝は生涯忘れがたいものだという気がします。


そんな夜を過ごしたことに懲りもせずルーカス行きの始発電車に乗って再びセントアンドリュースに赴き史上最年少グランドスラム達成の瞬間を見てきたというわけです。


今回改めて日本の特別ぶりを目撃しました。

会場にいるのは地元英国人はもちろんアメリカ、オーストラリア、欧州各国からのようでしたが、東洋人はそのほとんどが日本人のようでした。
その数もかなりのものです。
自分もその一人ですが。

更に日本選手、特に丸山のあとにはカメラマン、記者、役員など腕章をつけた「特別」な日本人がコース内をゾロゾロ金魚の糞みたいにくっついていきます。
日本選手以外でそんな選手はほとんどいません。
思うに日本企業のスポンサーの圧力で腕章をつけた怪しい特別な方々がコース内を我がもの顔で闊歩していたのではないかと思います。

午前中丸山にくっついていたじゃぁないという方々が午後はウッズの後ろにちょこんとくっついて歩いていたりして。
ちょっと違和感がありましたね。
特に「タイガーのティーオフまであと2時間です。」とラジオ中継を聞きながら、「ってことはここに来るのはあと3時間半後かぁ」とヘトヘトになりながらも忍の一文字で待ち続けたものとしては、そんな特別な腕章は「ズルイッ!!」と腹が立ってしまいました。

思いつきの衝動的な旅でしたが今回セントアンドリュースに行ったことは本当に価値があったと満足しています。
唯一残念だったのが大会2日目でジャック・ニクラウスが姿を消して1日違いで彼をナマで見れなかったことでしょうか。

そんな全英オープンのお話でした。




2011年8月4日木曜日

2000年07月20日 「バラバラ・・・・」



日本は梅雨明けして本格的な夏の到来かと思います。
こちらはいつもはアテにならない天気なのですが今週はどういうわけか厚い雲がなく爽やかで清々しい夏といった風情です。
湿気が少なく、さながら北海道の夏のようで、ラベンダーなどもそこらに雑草のように咲きほこっています。

さて何がバラバラなのかと申しますと数や単位です。
以前にヤード、メートル、ポンド、キロなど混在していてもうメチャクチャですとお伝えしたかもしれませんが今回はその追加です。

まずコーンフレークを食べるため牛乳を買いに行きますれば、ハーフパイント、1パイント、2パイント、4パイント、そして更に1リットル、2リットルとそれぞれ売っています。

スーパーで4パイント(2.27リットル)もの牛乳を3、4個まとめて買っているオバサンを見掛けると、さすが狩猟民族、肉食民族だなぁとヘンに感心してしまいます。
因みにお値段は2リットルで140円位ですので日本に比べると安いと思います。
味もかなり牛乳らしい牛乳のお味で、美味しいと思って飲んでいます。

そして例のティーボーンステーキはオンス表示でした。
本日のオススメ・メニューということで店主が黒板にチョークで「T-bone steak 20oz.」と手書きで書いてあったのですがクセ字であったため「20oz」が「2002」に見えて、「ウーム、2キロは食えんなぁ、いくらなんでも。でも14ポンドという値段を考えるとそのくらいの肉ってことか?」などとドキドキしたものですが、普段オンス表示はそんなにお目に掛からないので困惑したわけです。

単位とはちょっと異なりますが、日本からきて違和感があったのは缶ビールの容量。
500ccと440ccの2種類があってこの60ccの差は何かといつも考えてしまいます。

アルコール度数も日本ではビールは5~5.5%が主流ですが、こちらは3.5~7.0%くらいに幅があってアルコール度数が大きくなると値段も高くなるようです。
7.0%のビールも試したことがありますが僕の口には合いませんでした。

缶ジュースを持ってイッキ飲みする友人を見て「さすがにこちらの人たちは手がデカイなぁ。缶が小さく見えるもの。」と思っていたら缶が本当に小さかったなんてこともありました。
日本では350ccが主流ですが、こちらでは330ccが一般的のようです。

僕はスモーカーではないのでこの国のバカ高いタバコを吸うことはありませんが、一箱ざっと800円位します。
更にスゴイのはパブの自動販売機で買うと20本入っているはずの箱に16本しか入っておらず、お値段は通常の20本入りと同じだという理不尽さ。
この一本のタバコが50円もするのかと思ったら吸えませんね、僕は。
煙で腹は膨れませんので。

そんな数に関するバラバラなお話でした。

2011年8月1日月曜日

2000年07月19日 「贅沢」



学校が休みになって食堂も休業になったため最近は自炊をしています。
とはいっても鍋やフライパンを持っているわけでもなく、オーブンや電子レンジを使ったインスタントやレトルト食ばかりですが。

もっぱら1.50ポンドの冷凍ピザをオーブンで温めるか、チキンティカマサラという2ポンドのチキンカレーをレンジで温めるか、ということを交互に繰り返しているだけのことです。

たまにヨーク市内に出掛けるとあいも変わらずフィッシュアンドチップスかドネルケバブといったファストフードばかり食べています。
これらはお財布にそこそこ優しくて満腹感もあるので僕のような貧乏学生にはピッタリです。

最近は朝の1時間のランニングが日課となり、そのあと朝食としてコーンフレーク、バナナ、リンゴといったパターンか、食パンにマーガリンとマスタードをぬってハムを挟んだサンドイッチなどを作って食べています。

なにせ貧乏学生なので何をするにしても「高い」「もったいない」という気持ちが先行してしまいます。
金に糸目をつけなければそれなりに美味しいものも食べられると思うのですが、ヘンに節制するのでかえって日本でウマイもの食べていたなぁなどと感傷にひたることが多くなっています。

そんなことを言っておきながら、本日相当な贅沢をしました。

行きつけのパブに行く度に、黒板にチョークで書いてあってずっと気になっていた「ティーボーンステーキ20オンス 13.95ポンド也」をついに注文しました! 

今日は昨日に続き晴れ間がのぞく夏らしい気持ちの良い陽気でしたので、芝のビアガーデンで夕陽を浴びながらビールを飲むのはグッドアイディアではないかと一人でパブに繰り出しました。

パブへ向かって歩きながら「今日は天気も良いし、気分も良いからずっと気になってたアレを食べちゃおうか」と思いつき、もうそれからは頭の中がディーボーンステーキ一色に染まりあがってしまいました。

パブに到着してバーカウンターまずはいつものビールを頼んで一口ビールを飲んでから意を決して注文してみました。
黒板を指しながら「このティーボーンステーキくれるかな」と注文した声はこころなしか上ずっていました。
焼き加減もパブへ向かう道中あれこれ考えて決めた肉汁したたるミディアムレアを指定して裏庭にあるビアガーデンの席につきました。

まだ早い時間だったためか誰もおらず、暖かな夕陽を浴びながらビールを飲んでステーキを待ったのでした。

2杯目のビールを買って席についたころについにステーキが運ばれてきました。
このパブで他の食事メニューは5~6ポンドのものがほとんどで、ましてや10ポンドを超える食べ物はこのティーボーンステーキ以外には見当たらず、その特別ぶりが知れます。


肉は20オンス(約570グラム)で付け合せの野菜もしっかりついています。
肉は予想していたよりも柔らかく大満足でございました。

ただ味付けがね・・・。
ここでもやっぱり塩、コショウ、ヴィネガー、マスタードといった調味料しか供されず、醤油があれば・・・とちょっとそこだけが悔やまれました。

ステーキとビール2杯で約17ポンド。
日本でよく行っていたトンカツ屋でロースカツ定食とビールで3000円くらいだったので、まあそれと同じ感覚なのかと思えばそれほど大袈裟に贅沢ってほど贅沢なことでもないのですが。

とはいえ外食時には5ポンドでリミッターが働くため、今回は破格の贅沢だったというわけです。

ごちそうさま。



2011年7月29日金曜日

2000年07月17日 「友人の話」


クラスも一緒で寮でもたまたま隣の部屋同士ということで仲良くなったロブ君の自宅に週末招待されました。

彼は僕よりもひとつ年下ですが、とてもモチベーションが高く、成績もかれがクラスでトップでした。
試験やレポートも彼に随分アドバイスしてもらいましたし刺激にもなりました。

また生活面でも現代英国人気質を身をもって教えてくれました。
秋から僕はケンブリッジ大学に行きますが、彼はエジンバラ大学に行って、来年このカレッジで再会しようと言っています。

昼にお父さんのクリスが車で迎えに来てくれて、彼の家で軽く昼食を御馳走になってからクリス、ロブと僕の3人でゴルフをし、夕食はお母さんのマギーのお手製ローストビーフを御馳走になってその晩は泊めていただきました。

翌日は朝食後彼の住む街Witherbyというこじんまりとして雰囲気のよろしい街を散歩し、家に戻りテレビを見つつ、昼食にピザを御馳走になって、昼過ぎに寮まで送って頂いたという2日間でした。

寮に戻ってあらためて有難いことだったと感激しています。

英国を紹介した本などによくあるように、夕食に招待されるのは特別なことであって、まして一泊まで招待していただいたこと。
そして家族全員でもてなしていただいたことに感激しました。

夕食は典型的な英国のもてなし料理なのだと思われるローストビーフ、ヨークシャープディング、ニンジン、ブロッコリーなどの温野菜、マッシュドポテトを頂いたのですが、本当に美味しかったです。
肉も柔らかくグレービーソースもインスタントではなくて自家製の本物ソースでした。
そんな味覚上の美味しさもさることながら心のこもったホスピタリティに感激したわけです。

食事をしながら、我々の授業の話、思い出深い先生の話、寮の不味い食事の話、日本の話などで大いに盛り上がり、普段の無味乾燥な食欲を満たすためだけの食事とは違うあたたかいひとときを過ごしました。

「こういう食事にお招き頂くのは特別のことと理解していますが、本当に美味しく、そして感激しています。」と言うと、
マギーが「そうね。日本の家庭でお客様をもてなすときにはどういうものを御馳走するのかしら?」と質問されてちょっと考え込んでしまいました。

気のおけない人とする家庭的な食事と言えば鍋ものかなと思って鍋の話をしました。
鍋であれば英国でも素材は揃いそうなので、帰国するまでになんとか鍋料理をふるまいたいものだと思いました。


ゴルフはクリスがメンバーになっているThe Alwoodley G.C.という先週トーナメントもあったという名門コースに連れていってもらいました。
コースはヒースが生い茂る典型的英国ゴルフコースでラフも深くて難しかったのですが、かろうじて100は切れて、クリスに迷惑がかからなくて良かったと胸をなでおろしました。

キャディはいなくて、自分でバッグを担ぐか、カートを引くか。
スタートはインから、アウトからという発想はないようで常に1番から。
自宅から車で10分ほどのところにコースはあって、料金もゲストで15ポンド程度。
18ホールを通して回り、あとは靴だけ履き替えてクラブハウスでビールを飲むといったかんじで、いろんな意味で無駄がないなぁと感心しました。

ロブの家は結構な邸宅で敷地はざっと200坪くらいでしょうか。
1920年に建てられた家だそうでそれを10年前に購入してリフォームしてキレイに使っています。

庭も芝がキレイに刈られて、通好みの植物が植わっているあたりかなりの園芸好きなのでしょう。


庭の隅にレンガ造りでパーゴラが備わった腰掛けるスペースがありました。
聞くとクリスがマギーの誕生日祝いに建てたものだとか。
昼過ぎからそこには陽があたる場所になっているらしく、午後はそこに腰掛けて紅茶でも飲みつつ本を読んだりするのだとか。
気が利いているよなぁと感心ばかりしていました。

ふと彼が日本に来たとして、果たしてどんなもてなしが自分に出来るのだろうかと考え込んでしまいました。
そんな2日間でした。